2006年05月31日

ネーメ・ヤルヴィの豪胆

好きな指揮者一人挙げろと言われたら、ネーメ・ヤルヴィと答える。

初めて彼の名を見たのは、週刊FMの記事だった。私がまだ高校生のころ。
テンシュテットが急病(または癌治療か?)でLPOのコンサートをキャンセル、代役でプログラムをそのままブルックナーの8番でコンサートを引き受けたというもの。
英国の雑誌の記事が引用され、「立派な演奏だったが、テンシュテットほどユニークではなかった」ということだったが、
実は当時まだテンシュテットの演奏もヤルヴィの演奏も聴いたことがなく、この記事の意味が本当には理解できなかったが、テンシュテットがすごいということだけは、雑誌でいつも書かれていたので、なるほどなあと思っていた。
今となっては同じLPOでテンシュテットとヤルヴィのブルックナーの8番が聴き比べられるので、良く理解できる。

2度目は、たまたま聴いた、ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の初来日(?)公演の収録のFM放送。エア・チェック魔だった当事、なぜか録音し忘れていて、メインのシェーラザードの途中から聴き始めたのではなかったろうか。
そのシェーラザードもすごかったと思うが、アンコールの何とか言う狂詩曲が、また、とんでもない爆演だった。オーケストラからこんなでかい音が出るのか?

3度目は、大学受験直後、そのころに聴いたショスタコーヴィチの7番のCD録音(CHANDOS)のFM放送。当事この曲はLPでコンドラシンのものを持っており、充分聞き込んでいたが、あのまろやかな演奏とは別物の、突き刺さるような、金管の爆音。まあ、バンダ付きだから普通の編成ではないものの、度肝を抜かれた。
ここにいたって、ネーメ・ヤルヴィの名が頭にこびりついてしまうことになった。東京の大学に受かって、入学手続と身体測定に東京に出たときに、六本木WAVE(懐かしいね。ちょっと涙目)に行って、さっそくこのヤルヴィのレニングラードを手に入れた。
ちなみに受験のときにもすでに六本木WAVEをレコ芸の広告でちゃんと調べていて(バカだね。もっと勉強してろよ、と今までは思う)、そのときはバルビローリのマーラーの9番とか買ったな。

ちなみにアンコールだった何とか言う狂詩曲は、しばらくしてCDで発売されたバルトークのオケコンにカップリングされたエネスコのルーマニア狂詩曲第1番だった。

幸か不幸か、ヤルヴィは、BISとCHANDOSという、クラシカル・レパートリーの辺境を埋め尽くす義務を自らに課したかのようなマイナーレーベルの看板指揮者で、恐ろしい量のCDを生み出し続けた。
とても全部手に入れることはできず、今でも4分の1くらいしか持っていないと思う。

思い出のタコ7はもちろん、ヤルヴィの最大のヒットは、フランツ・シュミットの交響曲第2番だろう。シカゴ交響楽団との演奏で爆音を奏でるすばらしい録音だ。

彼の最大の謎は、なぜメジャー級指揮者にならないのかということだ。多録音で有名なカラヤン、マリナーは、それぞれメジャーレーベルで録音し続け、内容はともかくメジャー級の扱いである。
ヤルヴィもDGにずっと録音し続けているが、「看板」の扱いではない。もちろんレパートリーが王道でないこともあるが、それだけではない。

やはり問題は、常に良い演奏なわけではないこと。また、「良さ」の範疇が、カラヤン的、マリナー的ではないことだろう。

キーワードは「豪胆」。これからいくつかの録音でヤルヴィの魅力を紹介したい。
タグ:ヤルヴィ
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2006年05月30日

ドホナーニ/二人のオケコン

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Béla Bartók
Concerto for Orchestra
recorded in 1988.8

Witold Lutosławski
Concerto for Orchestra
recorded in 1989.3

とても難しいバルトークのオケコンと、とんでもなく難しいルトスワフスキのオケコン、本当にとんでもないことに、クリーブランドは楽しんでいる。「いや、そんなに難しくないよ」と言われそうな勢い。
「こんな曲でも楽しんで弾けるようになったんだよ!」と見せびらかす子供みたい。一時期の低迷から抜け出たことを実感し、本当に喜んでいるんだろう。

ルトスワフスキのオケコンの演奏には「ゴキゲン」という言葉がぴったりだ。なんというか、ジャズでスイングしているようなノリノリ感に満ちている。次の楽節のために体の動きがすでに準備できている。
この難しい、メジャーとはいえない曲で。いったいどんなリハをしたらこんな演奏が可能になるんだろうか。

バルトークのオケコンの演奏はまるで「正確なイントネーションで話されるハンガリー方言」だ。「普通のアメリカ人」の演奏家がこういう表現をできるというのは、リハーサル時間が膨大か、ドホナーニのハンガリー音楽のイメージの伝え方が絶妙か、どちらかだろう。忙しいアメリカのメジャーオケにおいては後者しか考えられない。

同じ時期の録音であるブルックナーの9番には問題が残るが、ここではほぼ解決されている。というのは、実は20世紀音楽の利点である。ぼろの出やすいロマンティックな表現をそれほど必要としないからだ。とはいえ、そこここに出てくる叙情的なパッセージも万全だ。

2006年05月29日

ドホナーニ/Bruckner #5

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なんだこのヨーロッパ風味は!

ホールトーンが豊かなのは、単にホールが良く響くからだけではない。
音程と発音のタイミングが絶妙であるために、倍音成分が良く乗っているのだ。

さらに感心するのは、歌い口の精妙さと歌い終わりの仕舞い方の品の良さ。
縦の線で合わせるのでなく、呼吸で合わせる、いや呼吸を合わせる演奏。
ヨーロッパ以外で演奏された、最もヨーロッパの様式に近いブルックナーではないか。

苦難の80年代を乗り越え、アンサンブルの精度とモチベーションを取り戻したクリーブランドが、美しい音楽を美しく奏でる喜びに浸っているようだ。

2006年05月27日

ドホナーニの東欧諸曲

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Béla Bartók, Music for strings, percussion & celesta
1992.1.26録音
Bohuslav Martinů, Concerto for string quartet & orchestra
1992.5.4録音
Leoš Janáček, Capricio for piano (left hand) and chamber ensemble
1993.5.31録音

こないだのGW前に近所のブックオフで見つけ、狂喜乱舞しながら買った1枚。まさか鳥取でこの1枚にお目にかかるとは。
その時には他にもレオンハルトの弾くクープランのクラブサン曲集、プレートル/フランス国立管のフランス管弦楽曲集(牧神、ジムノペディ、ラ・ヴァルス等)、ブレンデルのリスト「巡礼の年第1年イタリア」を同時購入。どうも、誰か一人が150枚くらいのコレクションを処分したらしい、とても品の良いコレクションであった。ブックオフなんぞに処分するということは、お亡くなりになった方の遺族がされたのかもと思った。他にも面白いものがたくさんあったが自重して4枚にした。
ともかくこの演奏は、とても良い。

バルトークはこれ以前にもオケコンを入手しているが、それと同じく、指揮者とオケと曲が「一体化」したすばらしい演奏だ。練習しまくって暗譜してしまったかのような、目をつぶっても弾けるみたいな感じ。その中で、きちんと「ハンガリー精神」が表現されている。
マルティヌーは、マジェスケを初めトップ陣のカルテットがすばらしい熱演。オケにとってもなじみのない曲だとは思うが、音楽に熱中している様が伝わる。
ヤナーチェクは、ピアノ、ピッコロ、フルート、トランペット2本、トロンボーン3本、テナーチューバという不思議な編成の曲だが、これもまったく不安のないアンサンブル。それに加えてヤナーチェクらしい憂鬱感が過不足なく伝わってくる。
いずれも、オーケストラの状態がすばらしく良く、指揮者は「音楽」に徹するだけでアンサンブルはオケが勝手にしてくれるというような、理想状態が展開されている。
また、バルトークにしてもヤナーチェクにしても、普通の演奏より精度が高く聴こえるのは、微分音的な音程の取り方が正確になされているためであろうか。
厳格さと自由さが居心地良く同居した名演。

2006年05月24日

ドホナーニの不運

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私がクリストフ・フォン・ドホナーニの演奏を初めて聴いたのは、大学生のころに購入したクリーブランド・オーケストラとのブルックナーの9番である。
1988年10月の録音で、発売されてすぐ買った。しかし、実はこの演奏の真価が最近までまったくわからなかった。アンサンブルが完璧なわけではないし、音色はドホナーニらしく無彩色系である。
ところが2年ほど前、久しぶりに聴いてみたら、恐ろしく豊かなホールトーンの肌理細やかなグラデーションがまるで生き物のように揺らめいているではないか。
まったく狐につままれたような気がした。なぜこれまでそれがわからなかったのだろうか。
それがこの正月に偶然に分かった。今使っているCDプレーヤーが故障し、以前使っていたCDプレーヤーを引っ張り出して、たまたまこのブルックナーの9番のCDをかけてみたら、昔と同じくずいぶんすすけて感じるのだ。故障したCDプレーヤーが直って戻ってきて早速聴いてみると、ちゃんと魅力的な演奏に聴こえる。そう、つまり、再生装置を選ぶ演奏あるいは録音だったのだ。

それだけではない。オーケストラの変化とドホナーニの変化だ。CDでもそれはなんとなく感じられるが、クリーブランド・オーケストラ自主制作のCDのブックレットにちゃんと書かれている。
マゼール時代のクリーブランドの士気は必ずしも高くなかったが、ドホナーニを迎えてセル時代の精神を取り戻したこと。1990年ごろを境にドホナーニの解釈が厳格さよりも自由さや豊かさを重視するようになったこと。おそらくこれらの変化は同時に起こったのだろう。つまりクリーブランドが往年の技術と名声を取り戻すとともにドホナーニも次のステージに進化したのだ。
ちなみにこのブルックナーの9番は過渡期の音楽に聴こえる。厳格さと自由さが折り合い悪く並列している。

1980年代に根気良く高めてきた実力が、1990年代に入り日の目を見るかと思いきや、レコード業界の不況、プロジェクトの重複、そしてリストラにより、挫折してしまった。
ドホナーニの主要な録音にブルックナーとマーラーの交響曲があるが、いずれも全集録音は完成しなかった。
それは二つの理由があろう。ひとつは、同じポリグラム系列で同様のプロジェクトが並行して進んでいたこと。
1990年ごろの録音から拾ってみた。きちんと調べず記憶で書いているので欠けているものもあるかもしれない。

ブルックナー
Decca
ドホナーニ/CO 3-9
シャイー/DSBO+RCO 0-9
ショルティ/CSO 0-9
ブロムシュテット/SFSO+LGO 4,6,9
DG
シノーポリ/SKD 3,4,5,7,8,9
アバド/WPh 1,4,5,7,9
Philips
ハイティンク/WPh 3,4,5,8

マーラー
Decca
ドホナーニ/CO 1,4,5,6,9
シャイー/DSBO+RCO 1-10
ショルティ/CSO 1-9
DG
アバド/CSO,WPh,BPO 1-10
アバド/BPO,Luzern 1-9
Philips
小沢/BSO 1-10
ハイティンク/BPO 1-7

なんというか、「連携取れよ」という気がしてならない。

もうひとつの理由は、結局のところ売れなかったのだろう。80年代の録音で一般の聴衆の心に響かなかった彼らの録音は、90年代以降の黄金期の録音を遠ざけてしまったのだ。聴きもせずに「ドホナーニのベートーヴェンを買うのなんてオーディオオタクだけだ」とか「ウィーン・フィルもベルリン・フィルもドホナーニを嫌っている」とか、意味の分からん噂ばっかり流布して、ドホナーニの本質を聴き逃している気がしてならない。

しかしながら、ドホナーニの不人気は、今は日本だけのことのような気がする。クリーブランド以降のポスト、フィルハーモニアと北ドイツ放送響では、CD録音こそないが、充実した演奏をしているようであるし、聴衆も彼らを支えているようだ。

とはいえ、DECCA時代の録音はほとんどが廃盤のままだ。中古CDやヤフオクでこつこつ揃えているが、やはり同好の士はおられるようで、どうしても手に入らないものもある。たとえばWPhを指揮したブラームス/シェーンベルクのピアノ四重奏曲第1番管弦楽編曲版。最近FMで聴いたが、恐ろしい精度の高さと「歌」が同居する驚異的な演奏だった。

なんとかドホナーニ人気が再燃して、リング完結なんてことにならないかと夢想している。

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