2006年07月31日

鳥取市響大選曲大会!

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鳥取市交響楽団の今年の10月29日の定期のアンコール、来年3月4日のフリースペースコンサートの全曲、来年9月ごろの定期演奏会の全曲、来年12月にたぶん行う県民による第九の前プロを一気に決めるべく大選曲大会を開催した。

さて、3時間みっちりと議論した(?)とはいえ、さすがに全部決まるわけもなく、だいたい以下のところで落ち着いた。
2007年がアニバーサリーイヤーの作曲家はグリーグ(生誕100年)、シベリウス(没後50年)、エルガー(生誕150年)なので、この人たちの曲を並べつつ協議した。

<アンコール>
XxXXXXX-のX-XxXXxX-Xと、できそうだったらもう1曲、XxXXXXX-のXXX-X

<フリースペースコンサート>
ルスランとリュドミラ(グリンカ)
クラリネットと弦楽のためのアダージョ(ベールマン/ワーグナー伝)もしこの曲が面白くなかったら亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル)
アンダンテ・フェスティーヴォ(シベリウス)
リーロイ・アンダースンから2曲くらい
天国と地獄からカンカン(オッフェンバック)
威風堂々第1番(エルガー)

<定期の候補曲>
前プロ:禿山の一夜、こうもり序曲、皇帝円舞曲、悲劇的序曲、タンホイザー
中プロ:マ・メール・ロワ、エルガーのセレナーデ、ホルベルク組曲、キージェ中尉
メイン:ブラームスの3番、シューマンの4番

<第九>
話す余裕なし

定期でやる曲をフリースペースコンサートでもしようということにしていたんだが、結局ほとんどかぶらないことになってしまった。ま、アンコールでやるという手もあるし、ブラ3の3楽章をやっぱりフリースペースでもやる、という手もある。

ところで、巷ではタンホイザーって有名なんですってね。白い巨塔?で流れてたっていうけど、どんな感じで流れてたんでしょうか。

ちなみに、アンダンテ・フェスティーヴォとカンカンとパヴァーヌ、もうシートミュージックプラスに注文しちゃいました。遅くとも2ヵ月後には来るでしょう。


私信モード:TオケOBの皆さん、ご存知でした?http://www.sym.jp/photo_mem/new.html
今日のhttp://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-07-30&ch=31&eid=13084でもバンバン映ってましたねえ。
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2006年07月30日

ドホナーニのオランダ人

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ウィーン・フィルとドホナーニのオランダ人。いつものドホナーニとは相当違う演奏だ。

ドホナーニとウィーン・フィルのオペラの演奏ではルル、サロメ、フィデリオを持っており、ドホナーニのワーグナーはクリーブランドとのラインゴールドを持っている。いずれも、いつものドホナーニらしくたるみのない演奏。
しかしこのオランダ人、たるみ、にごり、もっさり感など、ドホナーニらしからぬ特徴がいろいろある。アンサンブルをコントロールしようとしていない。しかしそのネガティブな表現がなぜか演奏の哲学性につながっている(ほんとうか?)。

序曲からして、のったりと遅く重量級の演奏で、そのまま全曲を通じてオケはその遅さを喜びと感じ(?)、ひたすら緊張感と強烈なダイナミクスを表出する。
普通に聴いたらとても「いい演奏」などとは言えないだろう。しかしこのオケのがんばりは何なんだろう。先生にひたすら難しい宿題を与えられて必死に解いているような感じ?(意味不明)

歌手のことは詳しく分からないが、舵取りのウヴェ・ハイルマンは最高。ゼンタのベーレンスはおばちゃんっぽい。オランダ人のロバート・ヘイルは強さよりも悩みが濃い。ダーランドのクルト・リドルは逆に、強い。
合唱はすばらしい。2幕初めの女声合唱がとてもかわいい。3幕初めの男声合唱は、マッチョ。力こぶできてます。
だが、この演奏で重要なのは歌のうまさとか何とかじゃないんだろう。なんだかみんながひたすら悩み、考え、解決策を見出そうとしている。そしてもちろん何も解決されない。
終幕あたりでオランダ人とゼンタとエリックが歌う場面。3人が好き勝手に歌っているさまは、取り乱してもう何がなんだか分からなくなってしまった3人の心をそのまま表しているようだ。

ともかく意味不明の「名演」だ。というかダメダメな演奏という人があっても一向に不思議ではない。でも、こういう風な演奏を狙ってすることは、普通はできない。

Richard Wagner
Der fliegende Holländer

Der Holländer: Robert Hale
Senta: Hildegard Behrens
Erik: Josef Protschka
Daland: Kurt Rydl
Der Steuermann: Uwe Heilmann
Mary: Iris Vermillion
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor(Director: Prof. Norbert Balatsch, Prof. Helmuth Froschauer)
Repetiteur: Theodor Greß
Assistant conductor: Ralf Hossfeld
Wiener Philharmoniker
Christoph von Dohnányi

DECCA, 1991.3-11, Großer Saal, Konzerthaus, Wien

2006年07月29日

第九の葬送行進曲

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<注意!これは私の、何の根拠もない脳内妄想です。嘘くさいと笑い飛ばすつもりで読んでください>

ベートーヴェンの第九の1楽章のコーダでは、この曲の中でもここしかないモチーフが現れる。
管楽器の、16分音符+8分音符+16分休譜+16分音符+4分音符、ババッババーンというような音型だ。
1楽章の主要モチーフは32分音符+複付点8分音符、パバーーンというヤツであり、関連性はありそうでなさそうだ。

この管楽器のモチーフは、葬送行進曲だと私は思う。
葬送行進曲と言えば、エロイカの2楽章、そしてマーラーの5番の1楽章が有名だが、この部分に関しては自身のエロイカよりもマーラーと近似性が強いと思っている。

「葬送行進曲とはどういったものか」に気がついたのが、ブーレーズ指揮のマーラーの5番のウィーン・フィルの演奏。
1楽章の最初のメロディがひとしきり終わった後(ホルンのあと)に、トロンボーン三重奏で2度繰り返される音型、バッッバッババン、という音型が、まるで路上を歩きながら奏するアマチュアのブラスバンドのようなダルなリズムで聴こえるのだ。
これは屋内ではなく、戸外の、実際の葬列を表しているのだ、きっと。ウィーン・フィルの奏者にとってそういった葬列は別に珍しいものでなく、日常の風景として描写できるのではなかろうか。バーンスタインの指揮でも同じように演奏している。

さて、第九だ。
これが葬送行進曲だとしたら、コーダ全体は何なのか。
コーダはこの管楽器のモチーフと中低弦の半音階的なうねりが同時進行しているが、最初は管楽器はp、弦楽器はpp。管楽器の方がよく聴こえる。それが、高弦が加わり、ファースト・ヴァイオリンがオクターブ上がるころには半音階的モチーフが完全に凌駕し、ffになったときには葬送行進曲のテーマは消えて、32分音符を伴った冒頭のモチーフに取って代わられる。
告別のさなかに嘆きが世界を覆うかのようだ。誰か(何か)の死、告別、嘆き。そういったドラマが1楽章を終える時に表現されなければならない。
ちなみにそういう表現をしている指揮者は、フルトヴェングラー(ベルリン・フィル)、テンシュテット(ロンドン・フィル)のみ。あとはかろうじてヘレヴェッヘ(シャンゼリゼ)。セルとドホナーニはいい線行っているがオーボエだけ違う。
チェリビダッケもシェルヘンもクレンペラーもクーベリックもケンペもヴァントもケーゲルもザンデルリンクもマッケラスもノリントンも満足いかない。フルトヴェングラーもバイロイトのは全然別の解釈に聴こえる。
16分音符の長さが正確すぎてもあいまいすぎてもいけないのだ。

ちなみに、ヘレヴェッヘはおそらく、第九を通じて何がしかのドラマを念頭に演奏しているに違いない。CDでは分かりにくいが、ライブでは物語性を強く感じた。
死と葬送の1楽章、煉獄の2楽章、理想郷の3楽章、理想郷なんてものはない、人間世界が重要なんだという4楽章。例えばね。

私は第九の曲目解説を読んだことがないので、実はこういうのってすでに散々語られたことかもしれない。それでも葬送行進曲らしい演奏がないのは不思議だ。
いつか私自身の指揮で葬送行進曲を鳴らしたいものだ。今はとりあえず脳内妄想で我慢。
タグ:日記
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2006年07月28日

袋川の夕日_19:50

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ようやく梅雨が明けたようだ。
袋川に映る夕焼けも美しい。

実は、鳥取の夕焼けはたいていそっけない。「あれっ、いつ日が落ちたの」ってな感じ。空気がきれいだから光が散乱せず、空に色が乗らないのだ。
だから、東京に出たときに、夕焼けが紫色だったのには本当にびっくりした。

袋川は鳥取市の中心市街地のど真ん中を流れる川であり、鳥取市民はごく普通に川と接する。
東京ではあまり川を見ることがないのにも驚いたものだ。
鳥取の風景は磨き上げたものではない。「たまたまこうなった」美しさに、ふと気がつくといった程度の美しさ。それでも緑が豊富な袋川の両岸は心が和らぐ。

写真の下の部分は若桜橋の欄干です。カメラを固定するために載せたら、どうしても欄干が写ってしまって。
タグ:日記
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2006年07月27日

指揮者を語る二つの書

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全然関係ない話から。今日家に帰りつつ車の中でFMを聴いていたら、シューマンのラインが流れていた。極上オケと締まらない指揮の組み合わせに「エッシェンバッハとウィーン・フィルか?」と推測して番組表を見たらジンマンとベルリン・フィル。よりによってこの二つのオケを聴き間違うとは。私の趣味ではない指揮者ということだけは当たっていたが。

週刊朝日(「美貌の指揮者「虚飾」の人生」所収)とヤマハミュージックメディア刊の「知ってるようで知らない指揮者おもしろ雑学事典」(近藤憲一氏他著)を読んだ。
まず、前者。いわゆるゴシップ記事ですな。クラシックの人がゴシップになる時点で興味深い気もする。結局は「音楽家としてはステージの上で勝負」すりゃいいんじゃないの的感想になってしまうわけだが、ふと考えると、音楽で勝負がついてるかどうか分からない(ゴシップでしか語れない)人が多いからこそ、こういう記事に意味があるわけだ。
実は後者の書でそのことを語っているところがある。指揮者とオケの関係で、演奏者がよい状態でリラックスして演奏しているときはお客さんは沸かないし、逆に問題があって緊張状態でスリルがある方がお客さんは沸く。つまり、指揮者や演奏者の気持ちとは違うところで聴衆が反応することがあると。

いずれにしても、どちらの書も読んで面白かったしためになったけど、まあ大体知っていたこと。
逆に後者の書なんか、何にも知らない人が読んだって「面白いしためになる」とは思えないんだが。「指揮者はオーケストラの邪魔をしてほしくない」という言葉がしょっちゅう出てくるが、オーケストラの内側にいない人に正確な意味が伝わるんだろうか?というかそんなことを素人さんに伝えて何になる?なんだかわがままなオーケストラの団員像が目に焼きつく感じの構成になっていて私には面白いんだが。
こういう「周辺情報」や奇天烈な演奏評「風」の文章がはびこる時代に、「これが音楽だ」と正面切って語れる人はいないものかな。

結局のところ、「音楽」という魔物は常に正しい理解(らしきもの)とミスリードのはざまでうごめいている訳だ。ウィーン・フィルとベルリン・フィルを間違えたりね。まあその程度の人間の文章だと思ってこのブログは読んでいただければ。。。
タグ:日記
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2006年07月26日

ヨーロッパの音

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鳥取県の倉吉市出身でいずれもヨーロッパで活躍する二人の弦楽器奏者が、ヨーロッパの仲間と組んでおこなった室内楽コンサート。
会場は鳥取大学芸術文化センターのアートプラザ。100人も入ればいっぱいになる部屋に100人以上の鳥取の音楽好きが集まった。知り合い比率10%強?

演奏者は以下の通り。
ヴァイオリン:山田美怜(サンタ・チェチーリア音楽院アカデミー)(写真の右端)
ヴィオラ:高見長正(フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団)(写真の左端)
チェロ:ジャン=マルク・ウェベル(フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団)(写真の右から2番目)
オーボエ:ルート・フィッサー(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)(写真の左から2番目)

演奏曲は以下の通り。
ベンジャミン・ブリテン/オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための幻想曲
ボフスラフ・マルティヌー/ヴァイオリンとヴィオラのための3つのマドリガル
エルンスト・フォン・ドホナーニ/弦楽三重奏のためのセレナーデ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト/オーボエ四重奏曲
アンコール:エリック・サティ/ジュ・トゥ・ヴ(千成拓夫編曲)
アンコール:岡野貞一/ふるさと(千成拓夫編曲)

見かけ上は日本人2人西欧人2人だが、出てくる音、身振りは4人ともヨーロッパそのもの。テクニックは万全で、歌心に満ちている。もっとも感嘆したのは彼らのスピード感覚。動体視力ならぬ動体「耳」力がすばらしい。流れの中でアンサンブルが正確に合っている。もっさり感ゼロ。
しかも、ヨーロッパ音楽の伝統や知識をもとにそれぞれの作曲家の音楽を捉え、その特性を提示している。伝統に浸って生活している強みだ。それはおそらく伝統の外側にいるわれわれ普通の日本人にこそ強く感じられるものだろう。
日本で普通に暮らしているとこういう演奏はなかなか聴けないものだ。
なかでも、コンセルトヘボウのオーボイスト、フィッサーさんの音楽性はとてつもない。その音で音楽世界を構築する力を持っている。提示された世界を受け入れ、ひれ伏すしかない。音楽解釈の絶対性を感じた。

ブリテンもマルティヌーもドホナーニも、恥ずかしながら初聴き。どれもとてもすばらしい曲だ。
ブリテンは、4人が4人とも好き勝手やっているようで、それが足し算みたいにきちんとひとつの音楽を構成する。
マルティヌーは、交響曲にも聴かれるのと同じように、ボヘミアっぽい旋律とジャズっぽいリズムが同居する。たった2本の弦楽器なのに、恐ろしくたくさんの音を弾いているために、とても饒舌で充実した音楽だ。
ドホナーニは、5楽章形式で、モーツァルトのセレナーデを意識しているのだろう。各楽章がコンパクトだ。第5楽章はロンド。とはいえ循環形式っぽく前の楽章のメロディがコーダあたりに現れる。
モーツァルトはフィッサーさんの独擅場。湿度が高いせいかリードの状態がよくなかったようだが、軽みに走らず構築性と流動性を同居させる。
アンコールの編曲者は倉吉のアマチュアチェロ奏者仲間。これまでもいろいろ編曲されていたが、今回のは秀逸。

私の誕生日にとてもリッチなプレゼントをいただいた。
タグ:音楽会
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2006年07月25日

プレートルとフランス国立管

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自由人ジョルジュ・プレートルと音楽監督不在時代のフランス国立管弦楽団の録音。
某ブック○フで見つけるまで、こんな録音が存在するのを知らなかった。
プロデューサー名がイギリス人ぽくて、どうもイギリスEMIがフランスに乗り込んで制作したもののようだ。

一言で、クールビューティ(?)。
集中していると言うよりは脱力している。特別盛り上がるでもなく淡々と演奏するが、個々の奏者がクールに歌っているので、全然さびしくない。アンサンブルもよい。良いスタジオ録音。あの爆演系プレートルの姿は見られない代わりに、丁寧で充実した音楽がある。
とおもいきや、最後の最後のラ・ヴァルスでアンサンブルがメロメロになって終わる。収録順が録音順なのかは分からないけど、録音の最後の最後で気が抜けたように聴こえる。面白すぎ。
考えてみると、クリュイタンスもミュンシュもマルティノンも亡き後、フランスの指揮者とフランスのオーケストラによるフランスの作曲家の録音ってあっただろうか。おっと、プラッソンがいたね。

ところで。魔法使いの弟子ではいかにもバソンらしい音が聴けるが、コントラファゴットもそれに似た音だ。これはコントラバソンと言う楽器なのかな。


デュカス/魔法使いの弟子
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
サティ/ジムノペディ第3&1番
サン=サーンス/死の舞踏
ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ、ラ・ヴァルス

Georges Pretre
Orchestre National de France
EMI, 1987.2, Salle Wagram, Paris

2006年07月24日

さわやかコンサート

sawayaka.JPG

とても楽しいコンサートだった。
コカコーラと山陰放送が行うさわやかコンサートは今年で10回目。
演奏した曲は以下の通り。

クラシックの部:松尾昌美指揮
時の踊り、そりすべり、トランペット吹きの休日、ラデツキー行進曲、フィンランディア
歌手の部:中島啓江の歌(一部指揮)、松尾昌美指揮
カルメン序曲、アラゴネーズ、虹のかなたに、星に願いを、美女と野獣、アメイジング・グレイス、ドレミの歌

松尾先生の指揮はいつもながら絶妙。特に前半最後のフィンランディアは松尾先生の表情に異常に気迫がこもっていて演奏にとても集中できた。
中島さんのエンターテイメントぶりはやはり最高。怪しい外国人指揮者の扮装で現れて2部の最初にカルメンを指揮したら、もうそれでお客さんをとりこにしてしまった。
1曲歌うごとの拍手もすごく、コンサートが終わっても拍手が鳴り止まないなんて初めてだ。

肉体的には結構疲れる演奏会だったが、とても満足。

ところで。フィンランディアは、これまで「強い」曲だと思っていた。そのため、いわゆる「シベリウス」像とこの曲がどうしても重なり合わなかった。
しかし、このたびのコンサートを通じてチェロのパート譜をよく読んでみると、もっとずっと「ナイーブ」な曲なのではないかと思うようになってきた。つまり、この曲もいわゆる「シベリウス」的な演奏がなされるべきではないかと。
今度ちゃんとスコアを買って検証したい。
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2006年07月23日

さわやかコンサートゲネプロ

sawayakaGP.jpg

23日のさわやかコンサートのゲネプロが終了。
やっぱり「時の踊り」はチェロのパートソロが大変だ。早起きしてさらわないと。
ゲネプロでは中島啓江さん登場。
いやはや存在感あるわ、物理的に。でも、エンターテイメントの姿勢がダニー・ケイの弟子とおっしゃるだけのものがある。もちろん歌もいい。
今日は様子見という感じだったが明日は全開フルパワーだろう。楽しみ楽しみ。
posted by tak at 00:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽的活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月22日

ヤルヴィの間奏曲集

jarvi_intermezzo.JPG

23日はいよいよ米子管弦楽団のサマーコンサートに出演。
いつもコンサートの後半が有名歌手のオーケストラ伴奏で、これまでにも太田裕美、タケカワユキヒデ、アグネス・チャンなどと共演できた。
今回は中島啓江さん。「星に願いを」とか「アメイジンググレイス」とかだが、ジャジーな編曲らしくて、音程もリズムも難しい。

前半はクラシックの名曲なのだが、今回の私的新曲はトランペット吹きの休日、そりすべり、時の踊り。アンダーソンもリズムがとても難しい。

さて、時の踊り。ちゃんとCDは持っているし、有名な部分はよく知っている、つもりだった。
チェロのパート譜を見るとさっぱり音楽が思い浮かばない。パートソロがいっぱいあって、これまたリズムが難しくて、譜読みにめちゃくちゃ時間がかかった。

この曲、持っているCDはヤルヴィの「間奏曲集」。
この手のコンピレーションで有名なのはカラヤンの録音で、EMIにフィルハーモニアと50年代に、DGにベルリン・フィルと60年代に似たような組み合わせで録音している。カラヤン亡き後にデジタル録音でこういう曲をすぐに演奏できる指揮者はヤルヴィを措いて他になかっただろう。

下に曲名を書いておくが、そういえばこのCD、フランツ・シュミットの「ノートル・ダム」間奏曲が目的で買ったのだった。
交響曲の2番と4番をすでに聴き、他になんかないかと思って買ったのだ。名曲!
ちなみにカラヤンの録音にもノートル・ダムは入っていて、フィルハーモニアの方は少し抜粋が長いようだ。他の曲は作曲家ともども有名だと思うが、フランツ・シュミットだけは日本ではなじみがないはずだ。この曲はヨーロッパでは有名なんだろうか。
「ウィーンじゃあ合唱団はみんな『7つの封印を有する書』なんて曲をよく知っててすぐ演奏できるらしくて、ムーティがキャンセルでホルスト・シュタインが代役のときにこの曲に変更になったのを聴いたことがあるよ」なんて話も聞いたことがあるが。

明日の予習のために久しぶりにCDを引っ張り出して聴いたのだが、ヤルヴィはここでも丁寧な演奏をしている。
録音の響きが美しくて、ソロの音がとてもきれいだ。曲が曲だけに強烈な音が炸裂するような場面はないし、歌いまくりというわけではなので、分かりやすい演奏というのではない。
でも、なんとも品が良くて、リラックスするためにはちょうど良いCDである。

このCDは今でも形を変えて国内盤でも生き長らえているが、初発はどうもこのミッドプライスの"3D CLASSICS"シリーズと思われる。
いきなり新録音が廉価版で出るなんて、マッケラスとそっくりだ。


カヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ)
アドリアーナ・ルクヴルール(チレア)
マノン・レスコー(プッチーニ)
道化師(レオンカヴァルロ)
タイス(マスネ)
マドンナの宝石(ヴォルフ=フェラーリ)
トラヴィアータ(ヴェルディ)
ノートル・ダム(フランツ・シュミット)
ホヴァンシチナ(ムソルグスキー/リムスキー=コルサコフ)
修道女アンジェリカ(プッチーニ)
フェドーラ(ジョルダーノ)
友人フリッツ(マスカーニ)
ホフマン物語(オッフェンバック)
ジョコンダ(ポンキエルリ)

Neeme Järvi
Göteborgs Symphoniker
DG, 1989.6 & 9
posted by tak at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ネーメ・ヤルヴィ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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