2006年07月27日

指揮者を語る二つの書

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全然関係ない話から。今日家に帰りつつ車の中でFMを聴いていたら、シューマンのラインが流れていた。極上オケと締まらない指揮の組み合わせに「エッシェンバッハとウィーン・フィルか?」と推測して番組表を見たらジンマンとベルリン・フィル。よりによってこの二つのオケを聴き間違うとは。私の趣味ではない指揮者ということだけは当たっていたが。

週刊朝日(「美貌の指揮者「虚飾」の人生」所収)とヤマハミュージックメディア刊の「知ってるようで知らない指揮者おもしろ雑学事典」(近藤憲一氏他著)を読んだ。
まず、前者。いわゆるゴシップ記事ですな。クラシックの人がゴシップになる時点で興味深い気もする。結局は「音楽家としてはステージの上で勝負」すりゃいいんじゃないの的感想になってしまうわけだが、ふと考えると、音楽で勝負がついてるかどうか分からない(ゴシップでしか語れない)人が多いからこそ、こういう記事に意味があるわけだ。
実は後者の書でそのことを語っているところがある。指揮者とオケの関係で、演奏者がよい状態でリラックスして演奏しているときはお客さんは沸かないし、逆に問題があって緊張状態でスリルがある方がお客さんは沸く。つまり、指揮者や演奏者の気持ちとは違うところで聴衆が反応することがあると。

いずれにしても、どちらの書も読んで面白かったしためになったけど、まあ大体知っていたこと。
逆に後者の書なんか、何にも知らない人が読んだって「面白いしためになる」とは思えないんだが。「指揮者はオーケストラの邪魔をしてほしくない」という言葉がしょっちゅう出てくるが、オーケストラの内側にいない人に正確な意味が伝わるんだろうか?というかそんなことを素人さんに伝えて何になる?なんだかわがままなオーケストラの団員像が目に焼きつく感じの構成になっていて私には面白いんだが。
こういう「周辺情報」や奇天烈な演奏評「風」の文章がはびこる時代に、「これが音楽だ」と正面切って語れる人はいないものかな。

結局のところ、「音楽」という魔物は常に正しい理解(らしきもの)とミスリードのはざまでうごめいている訳だ。ウィーン・フィルとベルリン・フィルを間違えたりね。まあその程度の人間の文章だと思ってこのブログは読んでいただければ。。。


ラベル:日記
posted by tak at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽的思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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