2006年08月31日

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

今日(8/30)は、鳥取市文化団体協議会事務所開きのためのカルテットを練習した。

その中で、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの第1楽章をやることにして、本当に久々に弾いてみた。
そうしたら、いかに今まで何も分からずに弾いていたかよく分かった。今なら何をどうすればいいか分かる。

まずは自分のパートの奏法。ここはこうすべきというのが楽譜を見れば分かるし、それによって弾き方にあいまいさがなくなる。
次に、ほかのパートがよく聴ける。セカンド・ヴァイオリンの16分音符の刻みの一つ一つまでがきちんと聴き分けられる。他のパートが聴ければ、アンサンブルに何の難しさもない。私だけでなくみんなそうなので、いわば高度な相互監視体制。
ああ、なんと楽しいことか。

思うに、一つは2度のカルテット・レッスン効果、もう一つはジュニア効果(N先生効果とも言う)だろう。

まあ、音楽やるなら、この状態が当たり前なんだよなあ。
タグ:カルテット
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2006年08月30日

結婚できない男のプシュケ

psyche.JPG

「結婚できない男」もいよいよ佳境か。前半を見られなかったけど今日はどんな曲が流れたんでしょうか。
クラシックオタクの話と思って見ていたが、どんどん普通のコメディー系ドラマになりつつあって、それはそれで面白い。というかこういう民放の連続ドラマをまじまじと見るのは初めてなので、「いまどきのドラマは俳優がえらく素(す)で演技するんだなあ」と感心(?)する。

今回の話で、「ウェッジウッドのプシュケのティーカップ」というせりふが出てきた。

クラシックオタク的には「プシュケ」=セザール・フランクの交響詩「プシュケ」である。カルロ・マリア・ジュリーニも第4曲のみ2度も録音している(フィルハーモニアとベルリン・フィル)ので、全くマイナー曲というわけではなかろう。
私の家にはなぜかCDが3種類もあって、1つは前述のジュリーニ/フィルハーモニアの第4曲「プシュケとエロス」、あと2つはどちらもベイヌム/コンセルトヘボウ(41年と53年)の全曲盤。
名曲である。どれも名演だが、モノラルでも聴き易く、4曲揃っているベイヌムの53年盤がお勧めだ(って誰に薦めているんだ?)。

さて、ウェッジウッドにおけるプシュケもフランクの題材と同じである。
http://www.wedgwood.jp/new/news/060525a3.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1

クラシックオタクならば、「プシュケ」という発音をたどたどしく言ってほしくなかったなあ。
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2006年08月29日

小ネタ4つ

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1
職場の先輩が博多に行ってて、職場のお土産に「博多通りもん」を買ってきてくれた。そう、「のだめカンタービレ」11巻でオクレール先生に絶賛される例のヤツ。
食べてみたら、初めてではない気がする濃厚な味。いつ食べたんだろう。意識していない事象は記憶に残らない。

2
職場で「地域ブランド」の担当になった(7月)ので、ようやく勉強を始めるために本を買った。「地ブランド」(博報堂地ブランドプロジェクト編著、弘文堂刊)。
地域ブランド論は眉唾物だと思っていたが、ここまで丁寧に整理されるとその意義も認めざるを得ない。しかし結局人材は必要なんだよなあ。

3
ひょんなことから岡山市に行くことになった。鳥取大学地域学部(昔の教育学部)の文化関係の先生方と親しくさせていただいている関係で、アートマネジメント学会関西部会の現地見学会に同席させていただけることになった。施設見学やその管理者(NPO)からの説明があるらしくてとても興味津々。
9月24日の日曜日なのでゆっくりはできない(翌日は仕事)が、現地集合現地解散のようで、自分の車で行こうと思っているので自由行動はできる。音楽的に興味深いスポットは少ない(さいきんYAMAHAが出店したくらい)が、また後楽園にでも行くかな。

4
9月の5,6日に組合の出張で東京に行くことになった。5日の夜は上手くいけば友人たちと飲み会ができるだろう。じゅん君よろしくね。
タグ:日記
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2006年08月28日

ドホナーニのショスタコーヴィチ

dohnanyi_shostako10.jpg

ショスタコーヴィチの交響曲第10番については、世間的にはカラヤンのデジタル録音(DG)、ワタシ的にはヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管(CHANDOS)が決定盤であり、それを何らかの形で揺るがすものはないと思っていた。
それが、このドホナーニの演奏は、これまで聴いたショスタコーヴィチ演奏の類型にないすばらしい演奏なのだ。

ソヴィエトの悲劇を感じさせるというには素直すぎる演奏であり、純音楽的というには苦み走っている。
この時期のドホナーニの演奏に特徴的な、短すぎる強烈なアクセントが、ソヴィエト・ローカルでないグローバルな視点と苦味を同居させている。

どこをとってもアンサンブル的な破綻はないし(ホントに1日で録ったのか?)、切り込みも鋭い。聴いていると、タコ10なんてもうこの1枚でいいんじゃないか、なんて気になってくる。

なお、ドホナーニの指揮したショスタコーヴィチは他に1番のシンフォニーがある。これはドホナーニ退任記念の10枚セットの中にあるが、異常にせかせかした演奏で面白い。

ルトスワフスキに関しては何か言えるほど曲を理解できていないが、弦楽合奏の美しさは比類ない。「弾ける」人が何十人も揃って初めてなる弦の音だ。技術のレベル(精神性を抜きにしてという意味)でも、日本のオケはここまで到達できるだろうか。


Christoph von Dohnányi
Cleveland Orchestra

Dmitri Shostakovich
Symphony No.10 in E minor, op.93
1990.2.12

Witold Lutosławski
Musique funébre
1990.8.21

2006年08月27日

ぐうたらなわたし

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我ながら、本当にぐうたらだと感じたこの土日。

昨日の土曜日は久しぶりに1日用事がなく、オーケストラの仕事をまとめて使用と思って、やるべきことのリストまで作って用意していた。

こんな感じ
・写真プリントアウト
・楽譜制作(スコア→パート譜)
・楽譜コピー
・チケット整理(プレイガイド)
・チケット整理(団員)
・チラシ整理(小学校・中学校・高等学校)
・東部会のチラシの原案
・国民文化祭参加の案内

しかし、昨日起きたのは11時。しかもついついマンガを読み始め、さあもう間に合わなくなる、と仕事を始めたのが夜の9時半。
結局今朝の7時過ぎには起きて、できてない仕事を片付け、12時半から6時前までは鳥取市交響楽団の練習で外出。先ほど郵便を投函してきて、結局この2日でできた仕事は以下の通り。

○写真プリントアウト
○楽譜制作(スコア→パート譜)(ソフト使うんじゃなくて、コピーして切り貼りです)
○楽譜コピー
×チケット整理(プレイガイド)
○チケット整理(団員)
×チラシ整理(小学校・中学校・高等学校)
×東部会のチラシの原案
○国民文化祭参加の案内

まあよくもこんな短時間(7時間くらい)でこんだけ片付けたものだと思うが、土曜を1日使えば余裕でこなせたのに。

ああ、サー・エドワード・エルガーの奥さんのような奥さんがいればなあ(?)。

(写真はイメージです。記事とは関係ありません(笑))
タグ:日記
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2006年08月26日

ヤルヴィのブルックナー

jarvi_bruckner8.JPG

「ヤルヴィのブルックナー?そんなものに存在価値があるのか?」
普通のクラシック・マニアならそう考えるはずである。ヤルヴィはスラヴもの専門じゃないの、と。

実はこのCDを買うとき、演奏時間の長さだけで買ったのだった。大学1年生の時。
すなわち、第1楽章16:50、第2楽章15:16、第3楽章28:12、第4楽章23:51。名盤であるジュリーニ/WPh(DG)のテンポに似ているじゃないか、と。

聴けば、当時の若い私の耳にはとても満足できる演奏だった。

さて、すっかり肥えた今の耳にこの演奏は満足できるのか、と思って本当に久々に取り出して聴いてみた。
あれまあ、なんと充実した演奏!

かなり遅いテンポだが、一切緊張が途切れない。尋常でないテンションの高さ。かつ、ブルックナーにふさわしいやわらかい響き。これには、シャンドス特有のエコーがんがんの録音と教会の残響が効いているかもしれない。
すべてのパッセージでオーケストラのプレーヤーは大いなる自発性でもってあらん限りの能力で演奏している。もちろん指揮者がコントロールできてないわけではない。テンポを完璧にコントロールした上でのオーケストラの自発性。なぜこんなことが可能になったのだろうか。

ヒントは当時の音楽監督にあるのではなかろうか。そう、クラウス・テンシュテットである。
テンシュテットは1983年に癌を発病し、治療を続けながら、継続的に録音を続けていたマーラーの交響曲の最後に残った8番を86年の10月に録り終えている。
また、この録音は、以前のエントリーで書いたとおり、テンシュテットの代役で振った曲であるし、テンシュテットと82年に録音している。オーケストラとしては、ヤルヴィの棒を通して愛するテンシュテットを思い浮かべていたのではなかろうか。自然と演奏に力が漲るわけである。

そうはいいながら、おそらくテンシュテットのレパートリーではない(まだ録音はCDで聴けない)マックス・レーガーまでも充実した演奏であるところを見ると、純粋にヤルヴィの能力を賞賛すべきなのかもしれない。


このCD、すでに円周部分のアルミ膜がはがれてきている。もう1セット予備に買うべきかなあ(←オタクの発想)。

なお、ヤルヴィは最近デトロイト交響楽団でブルックナーの7番を演奏している。秘密の音源でこれを聴くことができたが、うーん、これはブルックナーじゃないなあ。


Neeme Järvi
The London Philharmonic

Anton Bruckner
Symphonie Nr.8 in c-moll (edition Robert Haas)
Max Reger
Variationen und Fuge über ein Thema von Beethoven

CHANDOS, 1986.11.17-19, All Saints Church, London
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2006年08月25日

6人の我が祖国

6mavlast.JPG

DREAMLIFEのDVD、我が祖国のドキュメンタリーと、プラハの春音楽祭の公演から抜粋して、6人の指揮者が6つの交響詩を演奏する我が祖国全曲。

ドキュメンタリーは貴重な映像が多く、特にヴァーツラフ・ターリヒがスラブ舞曲を指揮する映像とスメターチェクの指揮にはしびれた。

我が祖国の振り分けは以下の通り。
1.ヴィシェフラド カレル・アンチェル/チェコ・フィル 1968
2.モルダウ ヴァーツラフ・ノイマン/チェコフィル 1981
3.シャールカ リボル・ペシェク/チェコ・フィル 1995
4.ボヘミアの牧場と草原より サー・チャールズ・マッケラス/チェコ・フィル 1999
5.ターボル ネーメ・ヤルヴィ/プラハ交響楽団 1994
6.ブラニーク ラファエル・クーベリック/チェコ・フィル 1990

それぞれの楽章の前に音楽学者イルジー・ピルカ博士が指揮者の紹介をする。
アンチェルは、ついこの間書いたCDと同じソースだろう。指揮姿がとにかく高貴で、その高貴さがそのまま音に現れている。厳格な合奏を強いていることから新即物主義の指揮者と言われがちだが、指揮姿を見ればロマンに満ちている。暗譜。
ノイマンは、ピルカ博士は優雅な指揮と紹介するが、どうみても「こってり」だ。ノイマンの演奏をずいぶん久しぶりに聴いたが、昔抱いたイメージと寸分変わらず「こってり」だった。でもいい演奏。暗譜。
ペシェクは、非常に精緻な演奏で、ロマンにも事欠かない。ドキュメンタリー全体でも重要な役目を受け持っている。もっと世界的に活躍してもいいのになあ。暗譜。
マッケラスは、以前BSで放送されたものと同じソースだろう。いつも変わらず爽やかな叙情。
ヤルヴィは、ピルカ博士の紹介がかなりおざなりで面白い。一見するとかなりやる気なさそうな指揮(笑)なのにオケはやる気満々。このギャップが面白い。いつものごとく本当に丁寧な「語る」演奏。何もしてないようなのにきちんと心にしみる。この演奏のみプラハ交響楽団で、これだけ聴くといいオケだと思うが、次のブラニークが続けて鳴ると、ああやっぱりチェコ・フィルは凄いね、と思ってしまう。
クーベリックは、横綱相撲。さすが最後に持ってくるだけある。ひとつひとつの楽節の魅力をもっともっと掘り起こし、もっともっとジューシーに演奏させる指揮ぶり。暗譜。
というわけで、チェコの指揮者は全員暗譜。完全に楽譜が体と一体化しているのだろう。

ちなみに指揮者の演奏時の年齢は、アンチェル60歳、ノイマン60歳、ペシェク61歳、マッケラス73歳、ヤルヴィ56歳、クーベリック75歳。ヤルヴィの若さにびっくり。
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2006年08月24日

ベイヌムの大地の歌

beinum_erde.JPG

某オークションで調達し、今日到着したもの。つい先ごろ国内盤がわずか1,200円で出たが、特に音質が劇的に良いわけでもなかろう輸入盤を、「希少な」ダッチ・マスターズシリーズというだけで、国内盤の2倍以上の金額で買ってしまう私はだめな人間だ。スクリューのパーツを1個なくしただけでタイタニック号のプラモをもうワンセット買ってしまう「結婚できない男」の桑野氏のように、って違うか?

演奏内容はすばらしいもの。ブルックナー・マニアであったベイヌムの、希少なマーラー(もうじき悲劇的が発売になる(注文済み(爆)))だが、いかにもマーラーらしい演奏だ。
ベイヌムの特徴である直線的なインテンポを軸に、前に行く音楽と滞る音楽がきちんと分類され、もっとも適切なリタルダンドなりテンポ・ルバートなりが適切に実施される。ベイヌムの演奏で感心するのが、そういった設計が全く今思いついたかのような新鮮さと同居することだ。
実は、その最大の功績は、コンセルトヘボウのメンバーだろうと思っている。その恐るべき技量で、常に音楽がその場で生まれたかのように新鮮に、あふれんばかりの歌心で演奏する。

ベイヌムのさらに凄いのが、ともすればばらばらになりがちなこの超絶技巧集団を精神的にきっちりと束ねているところだ。それがアンサンブルの精密さに現れている。

二人の歌手の歌は実はあまり好みではない。この曲のテノールは酔っ払いにこそふさわしく、ヘフリガーのような優等生では楽しめない。ナン・メリマンは声質が好みでない。それでも、メリマンは楽章を追うごとに冴えてきて特に6楽章の歌唱には胸を打たれる。
また、さすらう若人の歌でのメリマンの歌唱はすばらしい。ここでは逆にオケがあっけらかんとしすぎで、残念だ。

大地の歌はいろいろ持っていて、ヨッフム/コンセルトヘボウ/ヘフリガー等なんていう、この録音とそっくりのメンツのLP(DG)も持っていて、それがとても好きな演奏だったが、この演奏もこれから長く楽しめそうだ。

Eduard van Beinum
Koninklijk Concertgebouworkest
Nan Merriman, mezzo soprano
Ernst Haefliger, tenor

Gustav Mahler
Das Lied von der Erde
Lieder eines fahrenden Gesellen

PHILIPS, 1956.12.3-8, Concertgebouw Amsterdam

2006年08月23日

アンチェルのプラハの春1968

ancerl_smetana.JPG

プラハの春とは、一般にはこの1968年の動乱を指すだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E6%98%A5
チェコの作曲家カレル・フサはまさに「プラハの春1968」という曲を作曲している。

そう、このアンチェルがプラハの春国際音楽祭で1968年5月12日に演奏した「我が祖国」は歴史的にも重要な意味がある。

ところが、演奏は絶対的評価で極上の演奏であり、歴史的とか何とか、音楽外での逸話を寄せ付けない「高潔」な音楽である。
正にカレル・アンチェルの人格の高潔さ、音楽家としての非凡さが伝わる演奏である。

チェコ・フィルとしてももう何度も演奏した曲だとは思うが、一切のルーティン性を感じさせず、今この曲の本当の価値を知ったかのような、新鮮な表情。

1968年の録音だから決して良好な音質ではないが、演奏の優秀さを聴くには何の問題もないし、そっけない放送録音であることが逆に奏者の息遣いをリアルに伝える。

特筆すべきことが2つ。
1.チェコ・フィルの縦の線のそろい具合がすさまじい。優秀なソリスト集団ではなく、厳格に統率された合奏集団。
2.各楽章、各パッセージを演奏する際に、どういう「心持ち」で演奏したらいいかということについて、意思の徹底が厳格である。

アンチェル恐るべし。これが指揮者の力だ。

Bedřich Smetana
Má Vlast
Czech Phikharmonic Orchestra
Karel Ančerl
1968.5.12, Radioservis
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2006年08月22日

コンドラシン/SKD/タコ4

kondrashin_shostako4.JPG

巷で話題沸騰の(?)、キリル・コンドラシンがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したショスタコーヴィチの交響曲第4番。
ああ、コンドラシンでなければこんな驚異的(狂気的?)な演奏はできないであろう。どこをとっても恐ろしい速さ。なんでこんなテンポで崩壊しないんだ?
しかもそのとんでもない速さの中でメロディが「歌」になっている。歌いまわしはコンドラシンの指導の賜物だろうが、歌心自体はオペラのオケであるSKDの実力だろう。
ソロとか聴いてもとんでもなく上手いわけではないし、アンサンブルも驚異的にあっているわけではない。しかし、それぞれのパッセージを奏する際の「心持ち」がその場その場で完璧に表現され、アンサンブルも歌を交わす流れの中で合っている。スコアを見ながら聴いていると曲芸としか思えない。
それ相応のリハーサルを積んだんだろう。しかし、モスクワ・フィルと違って「リハーサル積みました」みたいに聴こえないところがさすがだ。
17年後のBRSOとのバービ・ヤールのような近代的アンサンブルとは違って、ある意味もう出会えないであろう名演のスタイルだ。
実はこの感覚、WEITBLICKから出ていた、マタチッチの指揮でエレクトラを演奏しているベルリン・シュターツオーパーの演奏スタイルとそっくりだったりする。この時代の、ドイツ(東独?)のオペラハウスの演奏スタイルなのかもしれない。

また特筆すべきは3楽章最後のコラール。どんないい演奏でも、このコラールで感激したことはないのだが、この演奏は突き抜けている!明らかに贋物の歓喜であるコラールが本当の歓喜に聴こえるくらい(?)がんばっている。特にトロンボーン。最後らへんは八方破れみたいな感じだけど、こうでなくては。ミトロプーロス/Wphの千人の交響曲と同じ種類の興奮がある。

ただなあ、モノラルだし、ちょっとテンポ速すぎるし、万人に薦められるかって言うと難しい。けど、万人に聴いてほしい。

それにつけてもショスタコーヴィチの才覚よ。30歳になる前にこんな曲を書いてしまって。私が30歳になる前に何を成し遂げられただろうか、なんて比べても仕方がないけどね。


Kyrill Kondrashin
Staatskapelle Dresden
Dmitri Shostakovich
Symphony No.4 in C minor op.43
DDR Rundfunk-Profil-Hänssler, 1963.2.23, Großes Haus der Staatstheater Dresden
posted by tak at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | キリル・コンドラシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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