2006年08月15日

竹田さんのリサイタル

今日(8/14)はルーテル教会で竹田詩織さんのリサイタル。鳥取出身の藝大1年生。鳥取ではずっと前から有名人だが、一回り大きくなって帰ってきた。肩幅とか。
ヴィニャフスキのタランテラ、バッハの無伴奏ソナタ第1番のアダージョ、ツィゴイナーヴァイゼン、メンコンの1,3楽章、アンコールに美しきロスマリン。
右手が雄弁で、音の迫力が凄くて、かつビート感が豊かでとても面白かった。
でも、演奏終わるたびに一本背負い決めたみたいな「よっしゃ」って表情するのはどうかと思うぞ。

今回の曲でいろいろ思ったのは「音程」のこと。いや、竹田さんの音程は問題ないですよ。そうではなくて、楽曲ごとの音程のとり方。

シンティ=ロマの音楽(旧称「ジプシー音楽」)としてのツィゴイナーヴァイゼン、ユダヤ音楽としてのメンコン、スラブ系音楽としてのヴィニャフスキ、近代的調性のバッハ、ウィーンの地方音楽としてのクライスラー、それぞれにふさわしい音程のとり方は違うはずだ。
さらに、私たちがジュニアで取り組んでいる、教会旋法の時代の音楽を編曲したレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」、平均律が基本となるアメリカ音楽である「サウンド・オブ・ミュージック」。舞台はオーストリアでも音楽はアメリカだ。
ここまで含めると、いわゆる西洋音楽の広い意味での「調性」がだいたい網羅される。
イヴリー・ギトリスは常にシンティ=ロマの音楽の音程で演奏する。N響と演奏したシベコンの冒頭で腰が抜けそうになったことがある。
しかし、本来はそれぞれの音楽で最も美しく感じられる音程のとり方で演奏すべきだと思う。コラール中心で中央ヨーロッパ・カトリックのブルックナーと旋律線重視でユダヤ系のマーラーでは、同時代かつ師弟関係でも音程感覚は全く違う。

音程のとり方は違うと言っても、そこでよく使われるピアノは、調律の段階で微調整はできても、演奏の段階ではどうにもならない、と思われがちだが、そんなことはないと思う。
音程のいいピアニストと悪いピアニストはいる。いいピアニストの代表例は言うまでもなくアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ。

ある日N先生に「何でミケランジェリの演奏って、どの和音もハモって聴こえるんでしょうねえ」なんて話したら、「指ごとに音量を調整しているんだよ」。
やれやれ、達人はそんなこともできるんですね。


ラベル:音楽会
posted by tak at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽的思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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