2006年10月21日

微熱

体調不良だ。
医者には行ってないので病状は正確には分からないが、たぶんいつもの気管支炎だろう。風邪をこじらせたみたいだ。
これが良くないのが、症状は風邪よりちょっと軽いくらいで、普通に生活しようと思えばできるのに、普通に生活すると熱っぽくなるという、なかなか休みにくい状態なのだ。

それでも今日はかなりだるいので、1日休みを取った。といっても、半日も寝てたらもう眠くなくなってやることもない。

それよりも、演奏会の準備でまだできてないことがいくつかあって、それをまとめてやった。
・補助金の変更申請作成・郵送
・切符の手配
・エキストラのホテルの手配
・弁当(80コ)の予約

これでなんとか演奏会を迎えられる。さすがに外出したら疲れた。風邪気味で運転するのもなかなかつらい。
明日は練習、あさってはオペラ観劇。大丈夫かな。


ラベル:日記
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2006年10月20日

ザンデルリンクとベルリン・フィル

sanderling_BPO.JPG

ベルリン・フィルの自主制作で、ベルリンの放送局に眠るお宝音源を集めた12枚シリーズ "IM TAKT DER ZEIT" の中の1枚。
ザンデルリンクとベルリン・フィルの「熊」とタコ15。いわゆる「正規盤初CD化」というやつだ。

ハイドン。
第1楽章第1主題のダガダッダッダッというリズムの弾み具合。輝かしさの方向性。こういうぶぶんで、ベルリン・フィルというオケは本当に上手い。
小編成に聴こえるが、それでも巨大な音が出ている。
だが、3楽章までは野暮ったさがぬぐいきれていない。そう、なんだか音が厚くて野暮ったく聴こえてしまうオケなのだ。
ところが、4楽章、上手すぎ!急にさわやかな風が吹き始めるように、なにかオケの中の空気が変わる。こういうところで、やっぱり上手いんだなあと感じてしまう。
フィルハーモニーの大ホールらしく、見えない膜に覆われて本当の生音に触れないじれったさがあるが、それがまた本当にあのホールの中で聴いているリアリティがあってよい。でも、あのホールで聴いたことのない人には不満があるんじゃなかろうか。

ショスタコーヴィチ。
1楽章、ザザザンッとか鳴る音の「ンッ」の部分の美しさ。ホールの響きのよさとオケの音程の良さか。
テュッティでの縦の線の正確さと音圧の凄さ。
2楽章のチェロ・ソロ、トロンボーン・ソロ。本当に上手い。
いちばんシリアスな場面での合奏力、音圧も本当に凄い。でも本当にシリアスになりきれているだろうか。
3楽章はいい。シリアスになりきれている。漂う空気が「ソヴィエト時代」を髣髴とさせる(知らんけどね)。
4楽章の最初のワーグナーの引用部分は、ちゃんとワーグナーの楽劇の雰囲気が漂う。ザンデルリンクもベルリン・フィルもオペラをほとんど演奏しないにもかかわらず。
トリスタンの引用が終わって主部のテンポは、いつもと同じく遅いが、遅いなりにスピード感があるのがいい。
ハイドンの「ロンドン交響曲」の引用があるところも素晴らしい合奏力と音圧。ハイドンではポーズとしての悲劇だったのが、ショスタコーヴィチでは本当の悲劇が降りかかる。それもきちんと表現し尽くす。

総体として、ライブの限界も感じてしまうが、充分満足。


IM TAKT DER ZEIT

Kurt Sanderling
Berliner Philharmonisches Orchester

Joseph Haydn
Symphonie Nr.82 C-Dur "L'Ours"
1997.6.9, Berlin, Philharmonie, Live

Dmitri Schostakowitsch
Symphonie Nr.15 A-Dur op.141
1999.3.16, Berlin, Philharmonie, Live

2006年10月19日

クレンペラーの大地の歌

klemperer_erde.JPG

1楽章
そっけない?
いやむしろむせるようなロマン。しかもインテンポの中で。
ヴンダーリヒ、万全。

2楽章
寂しさとはこのことだ。オーボエの入れ込み具合。トリスタンの3幕のアングレを思いだす。
この演奏は中学生の頃から聴いているが、ルートヴィヒの良さがどうしても分からなかった。今は分かる。頭で作った音楽を心で表現する。

3楽章
転びそうな遅さ。この部分は66年録音なのか?
この遅いテンポでもヴンダーリヒは若々しく伸びやかで潤いのある音楽を作る。

4楽章
この楽章も遅い。遅すぎてルートヴィヒが転びそうになっている。でも音楽のつくりはさらに立派になっている。オケは非常に流れが良い。
オケがこういう音楽を作るために指揮者は何をどうすればいいんだろうか。何もせずとも、リズム感良くビートを刻むだけで充分なのかもしれない。しかしその良いリズム感を指揮者が得るための鍛錬が重要なのだ。

5楽章
押すところ引くところ、本当にオケが良く心得ている。最後の最後はオケは走りたいのに指揮者は走らせてくれない。

6楽章
悲劇的の4楽章を思わせる重さで始まる。ここでオーボエの独擅場。
音楽の流れとかアンサンブルとかだけでなく、湿り気とか、心の揺れとか、憧れとか、誇らしさとか、いろんなニュアンスが聴こえてくる。
クレンペラーは即物的だとか機械的だとか言われるが、ここでは一切そんな様子はない。ロマンに満ち、表情豊かな演奏だ。
ルートヴィヒもますます表情の影が濃くなる。
クラリネットソロはあざとい。が、それもまた面白い。

大地の歌を聴いたのは久しぶりではないが、こんなに集中して聴けたのは久しぶりだ。改めて素晴らしい演奏であることを確認できた。


Otto Klemperer
Christa Ludwig, Fritz Wunderlich
Philharmonia Orchestra, New Philharmonia Orchestra

Gustav Mahler
Das Lied von der Erde

EMI, 1964.2.19-22, 1964.11.7-8, 1966.7.6-9

2006年10月18日

ドホナーニの火の鳥

dohnanyi_wph_firebird.jpg

こないだのペトルーシュカに続いて、オーストラリア・エロクアンスもの。
LPでの構成は、火の鳥で1枚、ペトルーシュカで1枚、役人と2つの肖像で1枚だったようだ。でも、録音日を見ると今のカップリングの組み合わせで録っている。

まず火の鳥。
やれやれ、これまた尋常でない精度の演奏だ。比類なきタイミングの正確さ、表情付けの的確さ。本当にねちねちした練習だったんだろうなあ。こういうぎちぎちした正確さを要求されるのってオケはいやなものだ。とくにウィーン・フィルだし。それで昔ギュンター・ヴァントと決裂したし。
それ以上にこの演奏を価値あるものにしているのは、全体に漂う「品」だろう。ヨーロッパ的「品」。音楽の都人としてのフィルハーモニカー、ベルリン生まれのヨーロッパ的コスモポリタンたるドホナーニ、英国病的栄枯盛衰を象徴するDECCA。野蛮時代のストラヴィンスキーの3曲の中でももっともメルヒェン的な火の鳥。そういった要素の混淆が「品」を醸し出すのだろうか。

バルトークの2つの肖像の1曲目のソロ・ヴァイオリンは、今や指揮者としてのほうが有名なエーリッヒ・ビンダー。当たり前だが達者なソロ。民族性よりも汎欧州性を感じる。
2曲目は、結構野蛮系の演奏。でも精密。

いずれも非常に素晴らしい演奏でありながら、精度が高いがゆえに雑味成分が薄れ、個性が聴こえてこないと思われがちな演奏なのかもしれない。
しかし、細部が聴き取れる聴者には比類なき演奏に聴こえるはずだ。


Christoph von Dohnányi
Wiener Philharmoniker

Igor Stravinsky
The Firebird (1910 version)
1979.9.27-10.9, Sofiensaal, Wien

Béla Bartók
Two Portraits
solo violin: Erich Binder
1979.9.26, Sofiensaal, Wien

Decca

2006年10月17日

ふたつの「のだめカンタービレ」

nodame20061016.JPG

16巻が発売され、16日からはテレビドラマの放映が始まった「のだめカンタービレ」、それぞれ楽しみました。

まずはテレビ。
いきなりズデニェク・マーツァルが出演してびっくり。オケはチェコフィル使ってるのか??いいねえ。
のだめ初期の、まだ音楽マンガではなく、コメディ少女マンガの時代なので、むしろこういうドラマにはしっくり来る。
マンガ的表現も問題なし。というかCGみたいなの使って細かすぎ。
のだめの部屋とか非日常的な部分を実写でどうするのかと思ったらそのまんま。その潔さが返って好ましい。
いただけないのは、第九のリハーサル中に大きな声でしゃべる理事長。あれじゃステージまで声が届いちゃうよ。

しかしまあ全編有名クラシック漬けでしたね。ざっとこんな感じ。
・ドヴォルザークだかなんだかよく知らない曲
・ベートーヴェンの「月光」第2楽章
・ヴェルディのレクイエムの「ディエズ・イレ」
・ベートーヴェンの「悲愴」第2楽章
・ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルー(テーマ曲1)
・ベートーヴェンの交響曲第7番第1楽章(テーマ曲2)
・ベートーヴェンの第九1楽章(軽部真一指揮??)
・モーツァルトの「魔笛」から「夜の女王のアリア」
・チャイコフスキーのくるみ割り人形から「こんぺいとうの踊り」
・プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」から「モンタギュー家とキャピュレット家」
・ドヴォルザーク??
・チャイコフスキーの弦楽セレナーデ第3楽章
・チャイコフスキーのくるみ割り人形から「花のワルツ」
・フィガロの結婚からなんだっけあのいちばん有名なの

マンガの16巻。
このねちねち描いたリハーサルシーンは素晴らしい。いっつもこれでもいいよ。
のだめカンタービレも、キャラが意志を持って自由に動くようになってきた。特に脇キャラ。名作はだいたいそういう境地が訪れる。高橋留美子も佐々木倫子もそうだった。
登場人物(千秋)が人にあだ名をつけているという設定もそれを感じさせる。

ところで、のだめが変装したと言っている「柔ちゃん」は、浦沢直樹のYAWARA!なのか、谷亮子なのかどっち?
ラベル:のだめ
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2006年10月16日

「こほろぎ嬢」

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尾崎翠原作、浜野佐知監督の映画である。

傑作!

この映画には二つの側面がある。

側面その1
映画「こほろぎ嬢」は、100年早く生まれすぎた鬼才(と言っていいのか?)尾崎翠の小説「歩行」「地下室アントンの一夜」「こほろぎ嬢」をいささか居心地悪くつなげた作品である。
複数の小説を1本の映画にまとめたものと言えば、レイモンド・カーヴァー原作、ロバート・アルトマン監督の「ショートカッツ」を思い出す。あれは登場人物が本来共通しないのでやはり居心地の悪い作品なのだが、こちらは、どうも登場人物に共通性があるのにもかかわらず居心地が悪い。
居心地の悪さは狙ったもののようだ。原作はもっとそれぞれ関連性も深く、完結感もある。
そもそも誰にでも分かる作品ではない。
クシシュトフ・キェシロフスキとか、アンドレイ・タルコフスキーとか、テオ・アンゲロプロスとか、ビクトル・エリセとか、そういう監督の作品を一度でも見たことがなければ相当戸惑うのではなかろうか。
キェシロフスキ・ファンの私にはとても興味深い作品だった。おそらく尾崎翠の作品内の文章をほとんど脚本に生かしているのだろうが、そもそもの象徴主義的映像を象徴主義的文章に上手くマッチさせている。
また、非常にシリアスな会話であり映像であるのにコメディのように笑いがこみ上げてくる。
ちょっと変わった人たちがちょっと変わった会話ばかりしているのだが、その言葉のひとつひとつがずいぶん独創的に世界の断面を切り開いて見せつけている。それが見る人のもやもやとした心を開き、涼風にさらしてくれるような爽やかさがある。

側面その2
これは、鳥取県とか鳥取県民とかが大いに協力して成立した作品である。
ロケはすべて鳥取県内。建物内の撮影も、県内の建物に小道具とかを持ち込んで撮っているようだ。
尾崎翠が過ごした100年前の時代設定なのに、映像を見ているとほとんど現代を連想させるものは写らない。ドアップが多いとはいえ、鳥取もたいしたもんだ。
ただし、映画では環境音を全く録らず、ほぼすべてアテレコと効果音かなんかで音を入れている。これは、動物学実験室の玄関のシーンは旧国道29号に面していて車の音が入るし、仁風閣の昼の撮影では必ず隣の鳥取西高の吹奏楽の練習の音が入るからだ。
それはともかく、この映画の撮影に使われた場所をめぐる「こほろぎ嬢ロケ地ツアー」なんてやったら、自然好き、時代的建築好きに相当受けるんじゃなかろうか。ぜひツアコンをやりたいものだ。

浜野佐知監督が来てらして、上映前にあいさつされ、上映後はサインをされていたので、私もしていただいた。
私の名前も書いていただけるとのことで、名前を聴かれて「たくや」と答えて、「手偏に石」と思った瞬間「ひょっとしてこれ?」とその字を書かれた。「也」の方も「何円也」の「なり」って言おうとしたら、もう書いている。心が読めるのか?そんなことができてもおかしくないような、感受性の強そうな方だった。
写真は、パンフ(サインしてもらった)と、赤っぽいのは漫画化した小説である。

鳥取県が協力したので鳥取先行上映のようで、これから全国で放映されるかもしれない。上記の「難解系」監督が好きな方にはぜひ見て欲しい。赤い表紙の漫画(1,000円)が売ってあったらそれも買うべし。同じものを全く違う世界観で描いてあって、「なるほどこれも世界の裏表」と納得できる。
ラベル:日記
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2006年10月15日

音楽的一日

yuuaimatsuri.JPG

土曜日は、午前は、とある福祉施設のお祭りに招かれてカルテット演奏、午後は、鳥取市響の定期演奏会のための練習(2週間前)、夜はジュニア練習と、一日どっぷり音楽漬けだった。

さてそのカルテット演奏。
客層としてはお年寄りの方が多く、選曲の方向性はぴったり。
今日の演目は以下の通り。

モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク1楽章
プッチーニのトゥーランドットから「誰も寝てはならぬ」
ビショップの「埴生の宿」
岡野貞一の「ふるさと」
モンティの「チャールダッシュ」
アンコールに市川昭介の「好きになった人」

我々の前にもマンドリン演奏された方があって、やっぱりふるさとを演奏されていて、お客さんは結構歌ってたんだが、うちの演奏でもやっぱり歌ってた。
それにも増して「埴生の宿」への感情移入は、お年より世代は凄いものがある。曲名を聴いただけでどよどよ、演奏すると鼻歌。反応が非常にヴィヴィッドなのだ。こういうのはとてもうれしい。何よりも我々が演奏する音楽に心から浸ってくれていることが。
しかしながら、心苦しいことに、我々世代にはなぜそんなに「埴生の宿」が琴線に触れるのかよく分からなかったりする。ビルマの竪琴ってそんな凄い映画だったんでしょうかね。中井貴一版では全然分からなかったけど(中学生のときに見た)。
アンコールで「それではもう一曲、市川昭介の、」って言ったところですでにどよどよしたのはおかしかった。そこまで演歌好きなんだ。これも歌ってる人あり。

鳥取市響の練習は、チャイ5に関しては結構いいんじゃないかと思った。個人的に、ああこうすればいいんだと思ったのは、2楽章でフォルテ4つになるところの持って行き方。
そもそもフォルテ4つなんてチェロだけでどうにかなるものではないんだが、それ以前の長い長いクレッシェンドで大きめ大きめで来ておくと(それはチェロだけでも可能)、オケ全体がもっとクレッシェンドしなきゃいけない気になってくれるようで、きちんとみんな楽器を鳴らしてくれる。

ジュニアの練習では、チェロは5人同時に見ているんだが、進度はそれぞれまちまち。
それでも、最初すらすらできてた子がつまずいたり、最初つまずいてた子ががんばって盛り返したり、いろんなことがあるものだ。男の子と女の子でもその進み具合は違う。長い目で見守ってあげることも必要だし、今ここでこれを言っとかないと、ということを欠かしてもいけない。
それ以前に私自身が彼らの何らかの規範たり得ているだろうか、何てことも考えたりする。
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2006年10月14日

ドホナーニのペトルーシュカと役人

dohnanyi_wph_mandarin.jpg

今やオーストラリア・エロクアンスでしか手に入らないドホナーニとウィーン・フィルのストラヴィンスキーとバルトーク。
何せウィーン・フィルが演奏したこれらの曲はCDではほとんど出ていない。
「ペトルーシュカ」はこれとマゼールだけ、「中国の不思議な役人」は全曲盤はこれのみ(DVDではブーレーズがある)。

この頃のウィーン・フィルというのは今よりもはるかにローカル色が濃い。技術的にはいちばん良くなかった頃だったんじゃないだろうか。

それでも、このペトルーシュカは精緻である。在るべきタイミングで在るべき音が鳴る。正確なアンサンブル。しかも決して機械的ではない。上手くないからではなくて、音楽的であるという意味で。
音楽の向かう方向性をオケが見事につかんでいる。それを的確に示唆しているのがドホナーニだ。
録音がまた美しい。今は無きゾフィエンザールの美しい響き。

役人も上手い!リズムが良い。始まってちょっとしてからのヴィオラから始まる3拍子系の部分、とても正確な3拍子で、それだけでしびれる。相当容赦ないリハーサルだったんだろう。
クラリネットのソロ(ソリ)、トロンボーンのグリッサンド、経過句的なリズムの音楽、ひとつひとつの楽節が魅力に満ちている。ぼうっとして聴いててもその音楽に自然に耳が行ってしまう。
最後の部分の邪悪さがまた素晴らしい。

何でこんな演奏がお蔵入りしていたんだろうか。


Christoph von Dohnányi
Wiener Philharmoniker

Igor Stravinsky
Petrushka (Revised 1947 version)
piano: Horst Göbel
1977.12.6-15, Sofiensaal, Wien

Béla Bartók
The Miraculous Mandarin
Chor der Wiener Staatsoper (Chorus master: Helmut Froschauer)
1977.11.22-24, Sofiensaal, Wien

Decca

2006年10月13日

ドホナーニ/WPh/リヒャルト集

dohnanyi_wph_strauss.jpg

ヤフオクで調達。
ヤフオクは「評価」をしなくちゃならないので、とりあえず聴かねばならぬ。HMVで買ったCDよりも先に。

ドンファン。中間部までは、指揮者なんかいなくてもこんだけ音楽作れるんだよ、とウィーン・フィルが言っているかのように、オケ主導。この曲に関しては、ウィーン・フィルのメンツは誰でも指揮者なしで最初から最後まで普通に演奏できるだろう。それくらい曲をよく分かっているという音が出ている。そして、指揮者の音は聴こえない。
ところが、後半に差し掛かると、なんだかオケがどんどん煽られて興奮して、大騒ぎの演奏になっている。それでもウィーン・フィルのメンツは言うだろう。「いや、ちょっと興奮しちゃったんだよ」と。指揮者と関係なしに。
でも、指揮者と関係なしに勝手に盛り上がれるものではない。どんな方法かはよく分からないんだが、ドホナーニが何か「ツボ」のようなものを押さえたのではなかろうか。それで煽られてしまったと。

メタモルフォーゼン。もちろんこの曲もウィーン・フィルにとってはなんということもなく普通にいつでもできる曲だろう。そういう自由さが横溢している演奏だ。それでも、曲が進めば進むほど、目に見えないレールの上を快適に走っているような印象が強くなる。もちろんそのレールを敷いているのはドホナーニだ。奏者すら気が付かないように自然なレールの敷き方。

死と変容。最初から興奮気味。収録順もこの曲順どおり最後だったのだろうか。ちゃんと指揮者との共同作業になっている。印象的なのがティンパニ。ここぞというところできっぱりと叩く、この叩きっぷりは爽快だ。終盤ではどんどん練れた音が出るようになり、サウンドとしての一体感も増してくる。そうでありながら、「べ、べつに指揮者に感動しているんじゃないんだからね!」みたいな不思議なツンデレっぷりが感じられる。

ところでこのCD、反射防止剤だかなんだか、緑の塗料がディスクのふちに塗られている。見た目が非常に禍々しい。とりあえず普通にディスクはプレイヤーにかかるし、比較のしようはないながらも音は普通だ。その分だけ値段は安かったからいいんだが、こういうのってなんなんだろうね。


Christoph von Dohnányi
Wiener Philharmoniker

Richard Strauss
Don Juan, op.20
Metamorphosen
Tod und Verklärung, op.24
DECCA, 1989.12.18-21, Musikvereinsaal, Wien

2006年10月12日

非クラシックコンサートに行った

senmiroumahbou.JPG

鳥取県民文化会館梨花ホールに伊勢正三・太田裕美・大野真澄アコースティックコンサートに行った。
念のため、大野真澄=「ガロ」のメンバーだった人、太田裕美=「アイドル」、伊勢正三=「かぐや姫」のメンバーだった人である。
この3人のほか、サポートのシンセサイザーその他に「センチメンタル・シティ・ロマンス」の細井豊氏。

いやはや素晴らしい歌心に満ちた歌だった。
このメンツではしょっちゅうやっているらしく、しゃべりまでほとんどいつもと同じみたい(どっかのサイトに台詞が出てました)だが、それでも打ち込みのない純粋な生演奏のカルテットであり、テンポも4人で決めなければならないうえに、手拍子が入るとなれば、それ相応の音楽性がないと音楽が成り立たないのだろうが、正にやすやすと音楽を組み立てていく。それはカルテットの醍醐味と共通のものだ。

芸風はそれぞれ違い、
「ガロ」大野真澄=職人
「アイドル」太田裕美=天然
「かぐや姫」伊勢正三=天才
という感じだ。

伊勢正三氏の歌の天才っぷりは際立っていた。再現芸術としての(つまりクラシックと同じ)昔のフォークソングを歌うという行為が、正に今音楽が生れ落ちるかのような新鮮さに満ちている。

ちなみに今日の曲目はこんな感じ。

地球はメリーゴーランド
(曲名失念)
さらばシベリア鉄道
あなただけ
ビートルズはもう聴かない
チェルシーのコマーシャルソング
ワンパイントのラム酒に乾杯
雨だれ
赤いハイヒール
君は僕の友達
君と歩いた青春(新曲 本邦初公開?)
湘南 夏
星空
置手紙
(荒木一郎の曲)
22才の別れ
木綿のハンカチーフ
学生街の喫茶店
<アンコール>
(もう1曲ガロの有名曲)
なごり雪
ママはフォークシンガーだった

来年全く同じメンツで同じ曲でせりふまで同じだったとしても、また聴きに行ってもいいな。
それってクラシックだったらしょっちゅうあることだもんね。ヤルヴィ/エーテボリ響ってまたシベ2持ってくるのかよ、みたいなね。

コンサート後は「仙味楼」で食事。麻婆飯とえび餃子(蒸し)。美味!
ラベル:音楽会
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