2007年03月31日

不甲斐ない仕事

今日は仕事で、とある研究発表会を開いたんだが、とても不甲斐ない内容であった。夢に出てきそう。

まず、集客が手ぬるかった。200人入る会場に40人。インターネットとか、チラシとか、方法はいろいろあったんだが、まあ大丈夫だろうと思っちゃったんだよなあ。

次にパソコンの問題。よくある、プロジェクターでプレゼンテーションソフトを使ってやる方法なんだが、ノートパソコンを閉じて置いといたら、スタンバイ状態になってしまって、プロジェクターがすぐに起動しなくて、5分もお客さんを待たせてしまった。

さらに、発表者がなかなか時間内で発表が終わらなくて、進行がベタ遅れになってしまった。

どれもこれもちゃんと考えとけば対処できたことなのに、ああ、不甲斐ない。

発表内容はどれも面白くて、その点では救われた。
ラベル:日記
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2007年03月30日

春雷

たった今、春の雷が鳴っている。本当の春が来たようだ。

今日(と言うか昨日だね)は、職場の「天狗」会。鳥取一美味しい天狗の焼き鳥を食らいつつ、日ごろの鬱憤を吐露する。
焼き鳥は美味いし、酒も美味い。幸せ。

さっきまで飲んでて、まだ酒が残ってます。明日はちゃんと仕事に出られるのだろうか。
ラベル:ごはん
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2007年03月29日

雑感

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今日は職場の以前の部署で一緒だった二人の女性が定年まで1年を残して早期退職ということで、当時一緒だった同僚たちが集まって送別会。
私は職場に恵まれていて、いった先々で楽しい思いをさせていただいているが、この職場も特に思い出深い。今見れば濃ゆいメンツばかり。

と言うわけで、今日はくたびれたので思いつくままに。

1.袋川の桜
鳥取はもう開花宣言していて、昼休みに歩いてみたら、袋川の桜のつぼみがほころび始めていた。もう咲いているものもある。
日差しも明るい。あっという間に春が来た。散歩が心地好い。

2.団塊の世代
送別会の席で、すでに退職された大先輩から。
「『我々団塊の世代は日本中で700万人いるんだよ。スウェーデン1国と同じ人口だ。我々はパワーがあるんだ。遊んでいてどうする』と言われてね」
なんだ、伝聞か。でも3年間に生まれた人が先進国1国分ってのも凄いね。

3.タクシーの運転手
多分やっぱり団塊の世代。帰り道のタクシーの運転手さんから。
「わたしが幼稚園の頃は、4キロを歩いて通っていたんですよ。帰り道なんかいっつも腹が減るもんだから、途中の知り合いの家のおばあさんに『おばば、芋ないか』っていっつも頼んでたって、もう少し大きくなってからそのおばあさんから聴かされましたよ。『蒸かし芋がなかったら生でもいいよ』って」
4キロを幼児が歩くか。凄いね。そういうコミュニケーションが普通だった時代もあったんだよね。
ラベル:観光
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2007年03月28日

ギーレン/ブラームス/シェーンベルク

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ブラームスのピアノ四重奏曲第1番シェーンベルク編曲版の、Inoue collection 第3弾(笑^2)。誰が読むんだろう。

昔懐かしきIntercordレーベルのGIELEN-EDITION。

ミヒャエル・ギーレンという名前を見た瞬間に、オタクならばあのギスギスした機械のような音響を想像するに違いない。
そして、この録音でも、その想像に違わずギスギスした名演である。

分かりにくい比喩であるが(というか比喩なのか)、5cm四方くらいの3mm厚のステンレス板で、高さ10mくらいの宮殿を組み立てたような演奏である。
5cm四方で3mm厚なんだから相当硬い。なのに10mの規模になると、全体として自重でしなりが生じる。
つまり、微視的には屹立した音響が飛び交っているのに、全体として大きな歌を形成している。ベルリン・フィルとかバイエルン放送響と違って南西ドイツ放送響はスーパーSクラスのオケではないから、個々の奏者の音の魅力とかはあんまりないんだけど、トータルとしてはやはり上手いオケであるし、歌も歌う。
まさにマニア向けの演奏である、良い意味で。

ところが。
アントン・ヴェーベルン編曲のバッハの「6声のリチェルカーレ」になると、めちゃめちゃロマンティックな演奏になっている。1m角の柔らかいアクリル板で作った半透明の家の模型のような(意味不明)。
本来ロマンティックなブラームス/シェーンベルクが即物的で、スカスカな感じのバッハ/ヴェーベルンが情緒的というのは、ギーレンならではだろう。

シェーンベルク編曲の皇帝円舞曲は、編成が編成だし、まあ普通の演奏だと思う。この長い曲をこの編成で飽きずに聴かせるのも大変だと思うが。
ちなみに、フルート、クラリネット1&2、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノ。「月に憑かれたピエロ」の巡業公演のアンコールとして編曲されたそうで、有名な「私的演奏協会」のための一連のリダクション編曲(ブルックナーの7番とかマーラーの4番や大地の歌などが室内楽編成で演奏できるように編曲された)とは成立時期が違うようだ。

というわけで、この盤もヤルヴィとは違う意味で「マニア御用達」である。でも、インターコードのギーレン・エディションなんて、今どきどうやっても手に入らんかも知れんね。

ちなみに、シェーンベルクがこのブラームスのピアノ四重奏曲を編曲するに至った理由やら何やらというのが文章(手紙)になっていて、この盤のライナーノートに全文が掲載されているので引用する。なお、ドホナーニ盤には My reasons のみ、ヤルヴィ盤にはそれと My intentions が掲載されている。

"My reaons:

1.I love this piece.
2.It is seldom played.
3.It is always played badly, because the better the pianist is, the louder he plays, and the strings cannot be heard. I wanted to hear everything, and I have achieved this."

"My intentions:

1.To remain strictly in Brahms' style and not to go further than he would himself have gone if he had been alive today.
2.To follow carefully all the laws that Brahms himself followed, and violate none of those laws known only by musicians who grew up in his vicinity."

"How I did it:
I have been completely familiar with Brahms's style and his principles for nearly 50 years. I have analysed many of his works for myself and with my pupils.
As violist and cellist I have played this and many others of his works frequently; therefore I knew what it should sound like. I only had to transfer the sound to the orchestra, and I have done this and nothing else.
Of course there were serious problems. Brahms loves very low basses, for which the orchestra posseses only a small number of instruments. He loves full accompaniment with brokenchord figures, often in various rhythms. And most of these figures cannot easily be changed, because in his style they are usually of structual significance. I believe I have solved this problem; but my achievement will not mean much to musicians of today, because they do not know the problems; and when one shows them what problems there are they are not interested in them. But they are significance to me."

綴りはライナーノートのままです。


Michael Gielen
SWF-Sinfonieorchester Baden-Baden

Johannes Brahms
Klavierquartett Nr.1 g-moll op.25
in der Orchestrierung von Arnold Schönberg
1991.4, Hans Rosbaud-Studio, Baden-Baden

Johann Sebastian Bach
Sechsstimmiges Ricercar aus "Musikalischens Opfer" BWV1079
in der Orchestrierung von Anton Webern
1991.5, Hans Rosbaud-Studio, Baden-Baden

Johann Strauss (Sohn)
"Kaiserwalzer"
für sieben Instrumente gesetzt von Arnold Schönberg
1990.4, Hans Rosbaud-Studio, Baden-Baden

Intercord
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2007年03月27日

ヤルヴィ/ブラームス/シェーンベルク

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ブラームスのピアノ四重奏曲第1番シェーンベルク編曲版の、Inoue collection(笑)第2弾。
マイ・フェイヴァリット・コンダクターのネーメ・ヤルヴィとロンドン交響楽団である。
幸か不幸か、私がこの曲を聴いたのはこのCDが多分最初なんだが(大学生の頃)、今日聴いたような感想は持てなかった。。

なんだこの汗臭さは。
ロンドン・シンフォニーは、スマートでクールで無味無臭のヴィルトゥオーゾ集団のはずだ。汗の匂いなんかするはずがない。
ところが、この演奏に漂うのは濃厚な臭さ。くっさいチーズみたいな。実はヤルヴィのブラームスの交響曲全集も全くこんな演奏なのだ。全然ブラームスらしくないしロンドン・シンフォニーらしくない。
いったいどうやったらこうなってしまうのか。おそらく意図的にまともにアンサンブルできないような揺さぶりを指揮者が掛けているんだと思う。
さらに、遅めのテンポに、弦は歌いまくり、金管はギンギンに鳴らし、アンサンブルは微妙にずらし(というか勝手にずれてしまい)、どこを取ってもアンサンブルがあってないのに、全体としては恐ろしく巨大でギラギラ(ヌラヌラ?)としたある種の統一感のある音楽になっている。非ドイツ語圏の音楽、特にスラヴ系の音楽にしか聴こえない。
一言で言えば「下品」。こんな演奏をライブで聴いたりしたらもうずうっと笑いが止まらずたいへんなことになってしまう。

というわけで、ピアノ・カルテットのシェーンベルク編曲版の演奏としては、「マニア専用」認定である。よい子は手を出しちゃいけません。

一転してカップリングのエドムンド・ラッブラ編曲のヘンデル・ヴァリエーションは、編曲が典雅なこともあって、まことに優雅でかわいらしい演奏だ。正確に言えば「ヤルヴィは何もなっていない」。だからオケの演奏のまま。それはそれで正解かもしれない。
しかも、イギリスで活躍した「ジョージ・フレデリック・ヘンデル」のメロディを使った曲を、イギリスの作曲家が編曲し、イギリスのオーケストラが演奏する。正しすぎる組み合わせではないか。
なのに、最後のフーガの盛り上がりはやっぱりギンギン。面白い。

ちなみに、無作為に選ばれたように見えるこの2曲、原曲の作品番号は隣同士なんである。めちゃめちゃコンセプチュアルな1枚。


Neeme Järvi
London Symphony Orchestra

Johannes Brahms

Piano Quartet in G minor, op.25
orchestrated by Arnold Schönberg
1988.7.11-13, St. Jude-on-the-Hill, London

Variations and Fugue on a theme by Handel, op.24
orchestrated by Edmund Rubbra
1989.10.13, St. Jude-on-the-Hill, London
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2007年03月26日

ジュリーニ/ヴェルディ/レクイエム

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やはりジュリーニはイタリア人であった。
怒りの日を振る時の目を剥いた恐ろしい形相。芝居掛かったなんてものではない、没入しているのだ。最初の振り下ろしはまさに鉄槌を下すかのようだ。一転してサンクトゥスでは喜ばしい表情。指揮振りも顔も表情豊かである。

流れ出る音楽は芝居やハッタリではなく、ヴェルディの意志を今によみがえらさんとする、隅から隅まで真摯の一言に尽きる峻厳な音楽である。
「オペラチックだ」などと言われることの多いこの曲が、メロドラマ的表情を全く見せることなく、まさに鎮魂曲として、嘆きの音楽として演奏されている。
フィルハーモニアがジュリーニとともに演奏するヴェルディのレクイエムの毎年の公演は、この時代のロンドンの人々の宝であったようだ。こんな演奏が毎年聴けたとはうらやましい限りである。
レコード芸術・別冊「演奏者別クラシック・レコード・ブックVol.1 指揮者編」(1987年10月30日発行)のジュリーニの項で、三浦淳史氏がこういうエピソードを紹介している。
「当時第2ヴァイオリンの首席奏者だったジュリアン・イーストウッド女史は、ジュリーニのヴェルディ/レクイエムの晩のことを、いまだに忘れがたく思っている。『拍手喝采はいつまでも鳴りやまず、半時間以上も続きました。わたくしは一晩中眠れませんでした。<怒りの日>の、あのトランペットを想い出すと、今でも総毛立つ思いがします。』」

独唱陣は、みんな素晴らしく、特にリリカルな声と表情のシャーンドル・コーンヤが印象的だ。

フィルハーモニアの演奏では、金管の重厚な響きが独特だ。クレンペラーの治世であり、世界で最もドイツ的な音楽を鳴らしていた時代のフィルハーモニア。
全体の編成は、弦が16-14-12-10-8、管はホルンのみアシが付き、3-2-2-4-5-4-3-1とバンダ(見えず)、打楽器が2。特別大きいわけではないが、すさまじい音響で鳴っているのが分かる。最初から最後まで気合十分である。
合唱も統制の取れた素晴らしいアンサンブルである。

もう1曲入った「聖歌四篇」も見事に手の内に入った演奏。合唱の美しさは絶品だし、オケも「慣れた曲」として、無用な緊張なく素晴らしい音を出している。

なお、モノラル、モノクロであるが、全く気にならない。音楽は十全に聴ける。

ちなみに、市内の書店で買った国内盤なんだが、2500円は安いと思う。CDはもっと安いかもしれないが、この映像は宝物だ。


Carlo Maria Giulini

Giuseppe Verdi

Messa da Requiem
soprano: Ilva Ligabue
mezzo-soprano: Grace Bumbry
tenor: Sandor Konya
bass: Raffaele Arie

Philharmonia Chorus
Philharmonia Orchestra

1964.4.26, Royal Festival Hall, London

Quattro pezzi sacri

New Philharmonia Chorus
New Philharmonia Orchestra

1968.3.3, Fairfield Hall, Croydon

EMI/BBC

2007年03月25日

ドホナーニ/ブラームス/シェーンベルク

dohnanyi_brahms_beethoven.JPG

辛口!

ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンのカルテットの弦楽合奏版では、バーンスタインのものとプレヴィンのものが有名である。
バーンスタインのしか聴いたことがないが、弦楽合奏の厚みを生かした名演だったように思うし、プレヴィンのものもそうだろう。

ドホナーニの演奏は、なんというか、カルテットの機動力とか瞬発力とかをそのまんま弦楽合奏で表現したような、熱い演奏だ。
常にニコリともせず、精神の高みを追求する、高潔な音楽。15番とか、他の曲もこんな演奏で聴いてみたい。

さて本命のブラームスのピアノ・カルテット第1番のシェーンベルク編曲版。
これまた高潔な音楽だ。
ちょっと聴いただけではまるで指揮者は何もしていないように感じる。オーケストラは美しく歌っているし、音楽は気持ちよく流れる。ウィーン・フィルなら当たり前のことだろう。
ところが、なんとも見事なテンポ設定なのだ。どの楽章を取ってもきびきびと停滞することなく前に進み、それでいて歌う余地を残している。オケは指揮者の手のひらの上で遊ぶ。
もちろんそのオケの遊び方も素晴らしい。弦のメンバーならたいていこの曲を室内楽で演奏したことがあるのだろう。どの部分をどう歌い、どう山を作り、どう収めるかという音楽の作りが完全に消化されている。弦だけでなく管もブラームスの流儀である。
編曲の仕方はシェーンベルクの音楽であるが、これはまさにブラームスの第5交響曲だ。どちらの顔も楽しめる。

某オークションで言いたくないくらい恥ずかしいような高額で手に入れた。ドイツ・プレスだし、満足!

ちなみにジャケットの絵はグスタフ・クリムトの「Water Snakes I」。


Ludwig van Beethoven
String Quartet in F minor, op.95
aranged for string orchestra by Gustav Mahler

Johannes Brahms
Piano Quartet in G minor, op.25
orchestrated by Arnold Schönberg

Wiener Philharmoniker
Christoph von Dohnányi

1995.3-4, Konzerthaus, Wien

2007年03月24日

カラヤンとフルトヴェングラー

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カラヤンとフルトヴェングラー
幻冬舎新書。中川右介著。

最初に見かけたときは、著者が「クラシックジャーナル」の編集長だというのを見て、「これは私の読む本ではないな」と思って遠ざけていたんだが、ぱらぱらめくってみるとえらいデータが豊富そうだったので買って読んでみた。
文献に基づいてデータをまとめただけあって、詳細かつ正確(たぶん)。これは面白い。
ベルリン・フィルの音楽監督の座をめぐって争ったフルトヴェングラーとカラヤンとチェリビダッケの三角関係をみごとに描いている。

ただし、著者が「現在の音楽界にも陰謀や復讐はあるだろう。だが、この本に登場する人々が展開したほどの激しいドラマがあるだろうか」とあとがきで書いたとおり、著者の意図は「陰謀」として浮かび上がってくるように彼らの行動を書くことである。
読んでいけばいくほど、この「陰謀」めいた語り口の部分が、事実の淡々とした記載から浮いているように感じてしまう。つまり、データの羅列の方がよっぽど読んでて面白いのではないかということだ。本文が303ページで840円は新書にしては高め。陰謀を省けば読みやすくて安くなるのに。
それより気になるのが、本当に彼らが「陰謀」を働いたのかどうかである。彼らは彼らなりに生存競争に打ち勝とうとがんばっていたのが結果的に企みっぽくなってしまっただけだろうに、これではやるせない気がする。しかも普通の読者なら陰謀部分しか読後に印象が残らない可能性がある。それはまずい。

もう一点惜しいのが、あくまでこの3人に絞って記述しているところで、ベルリン・フィルに関わりのあった他の指揮者の名前はカラヤンの正式決定時点の対抗馬を列記したところにしかないこと。戦後の定期公演でチェリもフルヴェンも振っていなかったときの客演指揮者にどんな人がいたのかを記述していれば、その時代の「空気」が「ヲタク」にはより濃く感じられただろう。

ともかく、この3人はそれぞれつらい思いをその時点ではしていただろうが、結果的には未だにクラシック・ファン(というよりヲタク)の神々であり続けている。それがクラシックの現在の不毛を象徴しているのがつらいところだ。
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2007年03月23日

ベートーヴェンのコンチェルトの楽譜

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フランスの楽譜通販会社、di-arezzoに注文していたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のパート譜が届いた。
今回注文したのはHenle版。さあ、Henle版ってどんなんかなあ、と思って開いたら、なぜか見慣れたBreitkopfの表紙だった。
中を見ると、管楽器はすべて元々Henleが版を起こした楽譜で、弦楽器はすべてBreitkopfの版でHenleの発売となっている。3枚目の写真の右がフルートで左がファースト・ヴァイオリン。

どういうことかというと、どうも、BreitkopfとHenleとBärenreiterとで、共同で出版・販売しているようで(どこかにそんなことが書いてあった)、ジャンルごとに販売を分け合っているようなのだ。ベートーヴェンについてはシンフォニーはBärenreiter、コンチェルトとカルテットはHenleというように(Breitkopfは不明。シューマンとかかな?)。Bärenreiter版のベートーヴェンのコンチェルトは存在しない。
結局のところ、楽譜の出版・販売というのは、もう儲けることのできない業種になってしまったのではなかろうか。かつてのライバルが手を結ばなくてはやっていけないくらいに。
一時期大作曲家の校訂譜の出版が流行った。ベートーヴェンのシンフォニーのBärenreiter版、ピアノソナタのHenle版は有名だが、メンデルスゾーン、シューベルト、そして今はシューマンがどんどん校訂されて出ている。
これは結局、「これまでのとは違いますよ」ということで、世界中のオーケストラや音楽家にもう1セット楽譜を買ってもらって利益を確保するために行っている事業なのだ。そうしなければ楽譜は何年でも使えるから売れない。

いろんな人がいろんな形で「クラシックの黄昏」を語っているが、私としては、出版社がつぶれて楽譜が手に入らなくなって、クラシックの名曲が演奏できなくなる、というような終焉の姿が目に浮かんでしまう。なんと殺風景な世界であろうか。

ちなみに今回の演奏会の楽譜の出版社と取り寄せ先は曲ごとに出版社、販売者、それぞれの国がさまざまであるが、それぞれの楽譜が通販ではそれぞれの取り扱い先でしか手に入らなかったりするのだ。ちなみに以下のとおり。
マンフレッド序曲
 出版:KALMUS(Breitkopfのリプリント)(アメリカ) 購入:SheetMusicPlus(アメリカ)
ベートーヴェンのピアノ協奏曲
 出版:HENLE(Breitkopfとの共同)(ドイツ) 購入:di-arezzo(フランス)
交響曲第4番
 出版:Breitkopf(ドイツ) 購入:Breitkopf(直販)(ドイツ)
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2007年03月22日

今日も優雅な休日

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午前
「お国」に帰る職場の仲間のお見送りで鳥取空港へ。
その人の交友関係の広さにびっくり。さすがです。

お昼前
タイヤをスタッドレスからノーマルに替えた。
いつもばたばたとタイヤ交換するのだが、今回は余裕があったので、タイヤをまじまじと見る。
すると、なんともたくさんの釘、針、石がタイヤに刺さっているではないか。
一個一個掘り出して(ペンチまで動員して)、きれいさっぱりになったノーマルタイヤを着けた。空気漏れはないようだ。
外したスタッドレスもまじまじとみる。石がタイヤのゴムにめり込んでいるのが見つかった。
こないだタイヤがパンクしてびっくりしたばかりだが、確かにこれだけめり込むのならパンクしても不思議ではない。面白いことに、石が挟まっているのは後輪ばかり。前輪には挟まっても回転の力で外れるようだ。こないだもパンクしたのは後輪だった。
外したスタッドレスはブレーキダストをきれいに洗って倉庫に収めた。

午後
カルテット仕事。
いろいろと不本意。
そのあとゆったりとお茶。

夕方
タイヤのエア(正確には窒素)のチェックに、このタイヤを買った店(末広タイヤ)に行く。そこのご主人に今朝のことを話したら、「タイヤローテーションの意味はただタイヤの位置を交換するだけじゃなくて、そうやってチェックすることに意味があるんだよね」と言っておられました。やはり。
次にガソリンスタンドで給油。知り合いのカメラマンがいらして、クルマ談義。BMWは電気系が弱いとのこと。


NHK-FMの「今日は一日吹奏楽三昧」でパリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の1961年来日ライブを聴く。
英語で言えばリパブリック・ガード、人民軍?
ギャルドと言えば吹奏楽関係者にとって一つの目標である。この時代にこの水準というのは恐るべし。音楽する心の何と豊かなことか。
ラベル:日記
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