2007年03月11日

アジアの道

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作曲工房パパゲーノ第1回作品展が成功裏に終了。
↑鳥取の若手作曲家6人とベテラン作曲家1人が集まった作曲家集団です。

我がカプリス弦楽四重奏団は、いつもいろいろお世話になっている作曲家ジョーさんの新曲、弦楽四重奏曲第1番「アジアの道」を初演した。

楽譜をもらってさらってみたときは大変失礼ながら「バルトークのパクリか?」なんて思っていたんだが、カルテットであわせてみると、パクリなんて稚拙なものじゃなくって、バルトークとストラヴィンスキーとショスタコーヴィチをいいとこ取りしたみたいな、それでいてオリジナリティがある魅力的な曲だった。
もちろんかなり難しいんだが、最初に通してみたときは案外楽に弾けるなあと思った。それが、他のパートを聴こうと思うようになった頃から格段に難しく感じるようになる。
それでもその段階を消化できたら、何とか音楽らしくなった。それが今日の最終リハの段階。いやはやぎりぎりであった。リハが終わって控え室で最終確認をする段階で第4楽章のテンポを速くすることにした。←作曲家には言わずに。

本番は、我々の前がベテラン作曲家とプロのギタリストの以上にハイレベルな曲と演奏で客席は静まり返ってしまって、う〜ん立場ないなあって感じだったが、気を取り直して集中。
作曲家からのコメントと演奏者のコメントというのがあって、ファーストヴァイオリンがシリアス路線、私が受け狙いで、とりあえず気を楽にして演奏に臨んだ。
それぞれの楽章に入るときに時間をたっぷり使ってテンポの確認をしたので、遅い楽章も速い楽章も合わせやすいテンポで弾けた。そのテンポ設定が最大の勝因だったと思う。そういうわけで、演奏者としてはかなり大成功、作曲家もご満悦。4楽章のテンポはびっくりさせてしまったようだが。
拍手はパラパラだったけど、唖然、って感じだったんだろうか。4楽章は曲も演奏も相当イカレてたからねえ。

後から「よくあんな曲カルテットで弾けるなあ。もっとボロボロになるかと思った」という感想をある方からいただいたんだが、一つは楽譜がリーズナブルで、比較的弾きやすいけど難しく聴こえるということと、楽譜に書いてあったら相当な変拍子でない限り何とかなるということだ。

本当に良い経験をさせていただきました。


ラベル:カルテット
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2007年03月10日

セルのブルックナー/クリーブランドの8番(ライブ)

szell_bruckner8_co69.JPG

これぞセルのブルックナーの決定盤。しかし海賊っぽいレーベルでしか手に入らないのが残念。

正規盤の8番の演奏を、集中力100%増しで再現するとこうなる。
やっていること(解釈とかそういうこと)はどちらも変わらないのに、聴こえてくる音楽の輝かしさはずいぶん違う。輝かしさとともに楽器間の音楽の受け渡しのスムーズさも。7番のアダージョが「弔い」ならば、このアダージョは「生命力」だな。
古今のブルックナー演奏の中でも、これだけ生き生きとした表現と均整の取れたアンサンブルとが同居しているものはほとんどない。さらに神々しさまで感じさせる。というか、神々についての物語を語っているかのようなドラマに満ちた演奏である。
彼らが最後にたどり着いた、ブルックナー演奏の一つの頂点である。

ちなみに、録音は相当ひどい。モノラルで、変なマスタリングのせいでデジタルっぽいにじみがある。あ、でもマニアには全然苦になりませんよ。演奏の良さは十全に伝わるので。


George Szell
Cleveland Orchestra

Anton Bruckner
Symphonie Nr.8 c-moll
1969
SiRiO
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2007年03月09日

セルのブルックナー/ウィーン・フィルの7番

szell_bruckner7_wph.JPG

リアリズムの極地。
表現はやわらかいかもしれないが、表情はニコリともしていない。ウィーン・フィルも金縛りにあったような演奏。詩情に満ちたベイヌムとコンセルトヘボウの演奏(1948年の旧盤)の逆の凄さがある。ちなみに「対偶」はハンス・ロスバウトと南西ドイツ放送響の詩情も柔らか味も一切ない演奏だろうか。
それでも2楽章のアダージョでは、なぜか泣かせる表情。誰かを弔っているかのような感情のこもり方である。
3,4楽章のオケの鳴りっぷりも立派だ。そしてまた柔和かつニコリともしない表情。

セルのウィーン・フィルとのライブでは、ベートーヴェンの5番も素晴らしかったが、この演奏も素晴らしい。モノラルで細かいところはよく分からないが、それでもその音楽の豊かさは十分に伝わる。
60年代のウィーン・フィルの演奏では、シューリヒトの3,8,9番(名演!)、ショルティの7,8番(聴いたことなし)、メータの9番(迷演)などがあるが、ブルックナーは十分に熟知していたのだろう。オケには何の問題もない。指揮者にとってももちろん。

セルといえばクリーブランドだし、彼らの演奏はどれも超一流である。しかし、少ないながらもウィーン・フィルとの演奏は名演ぞろいであるし、セルに興味のある人なら避けて通ることのできない演奏だ。


George Szell
Cleveland Orchestra

Anton Bruckner
Symphonie Nr.7 E-Dur
1968.8.21, Großes Festspielhaus, Salzburg

SONY CLASSICAL
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2007年03月08日

セルのブルックナー/クリーブランドの3番と8番

szell_bruckner3_8_co.JPG

定番である。セルのブルックナーは、最近では各種ライブが手に入るようになったが、スタジオ録音はこの2曲だけだ。
3番は輸入盤ではMASTER WORKSシリーズでずっと出ていたし、8番は国内盤でいつでも見かけた。
写真の形での発売は、ケースの表記から判断するに、1994年であろうか。

これらの演奏を初めて聴いたのは中学生のときである。8番は兄が買った。3番は貸しレコード店(そういうのがあったのだ)で借りて、カセットテープに録音して聴いていた。
写真のディスクを買ったのは最近だが、印象にぶれはないものの、今は違う聴き方をするようになっている。

3番の演奏は、ちょっと小ぢんまりと聴こえる。2管編成であることもあろうが、それよりも指揮者の求心力が強くて、アンサンブルのまとまりが良いことがそう聴こえさせていると感じる。
いつものクリーブランドらしく、ヨーロッパ的な柔らか味を湛え、ゆとりを感じる演奏だ。セルがアンサンブルと同時にそういった音楽の豊かさを常に追求したことがよく分かる。8番以上に評価されていい演奏だと思う。

その8番に関しては、3管編成にホルン8本という雄大なオケが、まさに雄大に鳴っているのはわかるが、指揮者の求心力が弱く感じられる。
骨格の構築は確かだし、表情の統一も綿密だし、ブルックナーがブルックナーらしく演奏されているし、いい演奏であることは疑いがないが、彼らがこれ以上の演奏ができることは、同時期のライブ盤が示している。
最近は個人的に、放送音源とかのライブの演奏をあまり珍重しないようになって、スタジオ録音に面白みを見出すようになっているのだが、それでもライブの方がいい場合もある。そのライブ盤についてはまたいずれ。

思えばCBSはこの頃までにブルックナーの主要曲をかなり録音している。ブルーノ・ワルターとの4,7,9番、ユージン・オーマンディとの4,5番(7番はRCA)、バーンスタインとの9番。
そうしてみると、セルがレパートリーにしていた3番と8番を良い形で残せたのは、時代のもたらした幸運だったかもしれない。

なお、楽譜はいずれもノーヴァク版で、3番は第3稿、8番は第2稿、つまりいちばん普通に演奏されるヴァージョン。


George Szell
Cleveland Orchestra

Anton Bruckner

Symphonie Nr.3 d-moll
1966.1.28-29, Severance Hall

Symphonie Nr.8 c-moll
1969.10.3, 6, 10 & 13, Severance Hall

SONY CLASSICAL
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2007年03月07日

ベイヌムのブルックナー/1955年コンセルトヘボウの8番

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エドゥアルト・ファン・ベイヌムという指揮者の存在は、一時期前のブルックナーの存在とよく似ている。クラシックを聴かない人はまず名前も知らない。クラシックを相当聴く人は名前は知っていても聴いたことがない。そもそも彼の曲(演奏)を聴く人は相当のマニアである。
私は多分高校生の頃には知っていたのだと思う。ベイヌムのCDを初めて買ったのが高校生のときで、岡山に模試を受けに行って、近くにあったクラシック専門のレコード店に行って、コンセルトヘボウ管100周年記念のブルックナーの7番を買ったのだ。それを選んだのが「国内盤になりそうにない」という理由だったので、ベイヌムを知っていたかどうか怪しいものだが。もちろんその7番は今でも持っている。ちなみにすぐに国内盤も出たし、最近再発もされた。

以前「大地の歌」の演奏について書いたときに、「ベイヌムの特徴である直線的なインテンポ」なんてことを書いているが、この演奏には全く当てはまらない。
http://takmusik.seesaa.net/article/22728468.html
どの小節もテンポは違うし、小節の中でも音は伸び縮みする。しかもそれが、曲がそれを望んでいるかのように自然に。
それに加えて、とても劇的な表現。といっても、ストーリーテリング的(ヘレヴェッヘの演奏など)ではなく、あくまで音楽を音楽として表現しているようである。

ここでもコンセルトヘボウは超絶技巧集団である。ベイヌムが提示する個性的な音楽を、まるで演奏者自らが思いついたかのように自然に音にする。この裏には相当厳しいリハーサルがあったか、もう何回もこの8番を演奏してきたかのいずれかであろう。ぱっと言われてこんな演奏ができるものではない。
まさに、指揮者が絶対的権力者で在り得た時代の貴重な証言である。モノラルなのでマニア以外は聴かないだろうが、ステレオ録音にこれだけの演奏は存在しないのも確かである。
ちなみに、ハース版使用。

なお、2ヶ月前の同じ8番の演奏が最近発売されたことは以前書いたとおり。
http://takmusik.seesaa.net/article/23922590.html


Eduard van Beinum
Concertgebouworkest

Anton Bruckner
Symphonie Nr.8 c-moll

1955.6, Concertgebouw, Amsterdam

PHILIPS

2007年03月06日

セルのブルックナー/1951年コンセルトヘボウの8番

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クリーブランド・オーケストラの黄金時代を築いたジョージ・セルは、ブルックナーの交響曲をわずかながらレパートリーにしていて、3番と8番は複数の録音が出ているし、7番はウィーン・フィルとの録音がある。
中でも、クリーブランドとスタジオ録音した8番は、一般に高く評価され、途切れることなくカタログに載ってきている。

私もこの8番は3番とのカップリングのもので持っているのだが、私にはこの2つであれば3番の方がいい演奏に聴こえるのだ。
そうしたところ、コンセルトヘボウとの録音やらクリーブランドとのライブやら、いろいろ出てきた。そういうのを買って聴いていると、セルの指揮振りも、時代、おけ、シチュエーションによってずいぶん違うことがわかる。

というわけで、セルのブルックナーを聴き比べしてみたい。

まずは、私の持っている最も古い録音である、コンセルトヘボウとの8番。
オランダ・フェスティバルの機会に客演したときのものとのことだ。
解説によれば、すでに出版されていたハース版を使わず、1930年代にベイヌムが使ってオケも慣れている1892年出版の改訂版を使っているとのこと。このころ改訂版を使っていたのはセルとクナッパーツブッシュくらいだ、なんてことも書いてある。
改訂版によるクナッパーツブッシュやシューリヒトの演奏も聴いていて気が付かなかったが、この演奏では、カットした部分でつなぎみたいな不思議な音楽が1小節ずつくらい演奏されていて、それはまあ良いんだが、そんなつなぎのところで必ずオケの演奏がメロメロになってしまっている。なんなんだこれは。

まあそんなことは金子建志氏に任せて、演奏を聴く。
やはりコンセルトヘボウは上手いオケだ。このころはベイヌムの時代であり、1948年録音のオケコンやハルサイなど、ゲンダイオンガクでも技術的な不安を全く感じさせない音楽を作っていた時代だ。ヴァイオリンはポルタメントをかけまくっている。
しかし、どうにもこの演奏は締まりがないように感じる。セルのブルックナー解釈は安定しているし、それはまた古臭くもない、現代に通じるものだ。それでもなんとももっさりした音楽で、自分のオーケストラでの演奏とはちょっと違う。オケをコントロールし切れていない。おそらく音楽祭への客演ということで、満足にリハーサルの時間も取れなかったのではなかろうか。
もちろんコンセルトヘボウの音は美しいし、セルもそれを十分に引き出している。それでも、コンセルトヘボウを聴くならベイヌムを、セルを聴くならクリーブランドを買うべきだ。この演奏は私みたいなヲタクが聴いて喜んでいればよい。ちなみに、録音は悪いんだが、ヲタクにとってはなんら苦にならない、といったところ。
このオーディオファイル・クラシクスのCDは4〜5枚持っているが、こんな演奏ならわざわざ出さなくてもいいのにな、というものが多くて困ってしまう。


Georges Szell
Concertgebouworkest

Anton Bruckner
Symphonie Nr.8 c-moll

1951.6.28

AUDIOPHILE CLASSICS
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2007年03月05日

自由空間音楽会!!

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今日は良かった!

自由空間音楽会=フリースペースコンサートと言うくらいだから、基本的に公共スペースで演奏するわけで、このシリーズの前回や、うちの去年の演奏では会場ノイズが鑑賞の妨げになっていたのだが、今日は驚異的に静かだった。
どうもほかに行事がない日だったようで、通りすがりの人が凄く少なかったのだ。
それにもかかわらず、とても多くのお客様!150人以上はいたに違いない。チケットのない演奏会で、ちゃんと集客するのはとても大変なものなのだ。それでも今回はちゃんと事務局にたくさんチラシを印刷するよう依頼し、団員にも配り、私の職場にも配り、ブログにも書き、かなりがんばったおかげでたくさん来ていただけた。

そして、たぶん、皆様に満足していただけたのではなかろうか。本当に集中して聴いていただけたし、本当に温かい拍手をいただけた。

写真の通り、編成は最少最低限の人数。管楽器はだいたい人数どおりいたので、フォルテではそれなりにさまになる。前日まで演奏がまとまらなくてどうなることかと思ったんだが、ちゃんと皆さん本番の日は集中するんだね。朝のリハの段階から絶好調であった。
演奏した曲の中では、やはりシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」はこの教会のように響く空間に最適であった。威風堂々も同様に。
アンコールを別に用意する余裕がなく、ちょっと早く終わってしまった時間を「今日聴いた曲の中からリクエスト」ということで、お客さんから決を採ったら、天国と地獄のカンカンがいちばんであった。いやほんとよくできた曲ですよ。気持ちよく再度演奏。

時間が余ったのは、事情があって1曲減らしたためだが、その時間を使って楽器紹介をした。もちろんそれぞれ一節演奏してもらって。昨日言ったばかりなのにみんなちゃんと準備してくれましたよ。たいしたもんだ。
演奏したのはこんな感じ。一部著作権の関係で伏字にしてあります(笑)。
ヴァイオリン=情○大陸、ヴィオラ=水戸○門、チェロ=リベ○タンゴ、コントラバス=第九4楽章、フルート=○と千○の○隠し、オーボエ=○のソナタ、クラリネット=モーツァルトのコンチェルト、ファゴット=大学祝典序曲、ホルン=エロイカ3楽章トリオ、トランペット=アイーダ、トロンボーン+チューバ=禿山の一夜、パーカッション=ワルツィングキャット
これは結構楽しんでもらえたのでは。
今回も私がでしゃばって司会でべらべらしゃべったのだが、こういう場にもずいぶん慣れてきた。いつものごとく早口になってしまったが、会場からは聞き取れたようで安心した。

ちなみに、フリースペースコンサートを3回やった中で毎年演奏している作曲家がエルガー。来年も「愛のあいさつ」かなんかでエルガーを登場させたいなあ。
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2007年03月04日

自由空間音楽会

いよいよあしたは自由空間音楽会(と書いてフリースペースコンサートと読む)←私は実行委員の1人で、どちらも私が考えたネーミングです。

今日は前日練習だったんだが、大丈夫かなあ。結構メロメロ。それでも威風堂々なんかは結構堂々とした演奏だと思う。
それと、やはりシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」は良い!本当にうっとりとする曲だ。
作曲年代は交響曲の6番より少し前。あの抽象的な後期の作風の中にあって、胸が締め付けられるように麗しい音楽だ。いうまでもなく私が強力に選曲のときに推した曲で、CDをオケのメンバーに聴いてもらったら、全員一致でフィンランディアよりこちらが良いということになった。

せっかくなので、私が書いたプログラムの曲目解説を載せておきましょう。
-------------------
グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ロシアの国民楽派を生み、ロシア国外で名声を得た最初の作曲家グリンカの最高傑作です。とても速い冒頭のパッセージと民謡風の主題が印象的です。グリンカは、今年が没後150年です。

シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ
フィンランドの作曲家シベリウスが書いた、弦楽とティンパニのための音楽です。シベリウスが作曲した中ではほとんど最後の曲で、弦楽合奏に編曲した頃にはもう作曲をやめていました。シベリウスは、今年が没後50年です。

ルロイ・アンダーソン:シンコペイディッド・クロック、ワルツィング・キャット
アンダーソンは、オーケストラを使って動物や人の行動や物を印象的に描写して、気軽で肩の凝らない音楽をたくさん書いたアメリカの作曲家です。シンコペイティッド・クロックでは、律儀に時を刻むのに飽きた時計がジャズを踊りだし、ワルツィング・キャットでは、猫があちこちを飛び跳ねます。アンダーソンは来年が生誕100年です。

オッフェンバック:歌劇「天国と地獄」序曲より「カンカン」
いわゆる「フレンチ・カンカン」の代表作。オッフェンバックはドイツ人でしたが、フランスで喜歌劇(オペレッタ)をたくさん書いて成功しました。来年は初演されてから150年目になります。

エルガー:行進曲「威風堂々」第1番
エルガーの2番目くらいに有名な曲で、CMでも盛んに使われます。イギリスのプロムスという音楽祭の最後のコンサートでは、この曲が必ず会場の合唱とともに演奏されます。エルガーは、今年が生誕150年です。
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というわけで、鳥取近辺在住の方は、3月4日12:05〜12:50、鳥取県民文化会館のフリースペースに来るべし!
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2007年03月03日

浜野監督を囲む会

mixiが縁で、来鳥された浜野佐知監督を囲む会に参加させていただいた。
そう、あの尾崎翠の「こほろぎ嬢」を映画化した監督である。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=244750649&owner_id=4603120
http://takmusik.seesaa.net/category/2068051-1.html

浜野監督と、脚本の山崎邦紀さんと、鳥取のメンバーが6人。うち2人はすでに存じていた方だった。

実は行く前はもうドキドキで、いったいどんな人が来られるのか、初対面で話ができるものか、最近映画も見てないしなあ、しかも開始時間から1時間半も遅れてしまって話についていけるだろうか、もう不安で不安で仕方なかった。
ところが、何とまあ皆さんいい方たちばかりだこと。なんとなくいつの間にか話の輪に入らせてもらっていた。

途中からは仁風閣のことでじっくりと談義。いろいろ思うところがあったことも、こうして顔を合わせて話すことで解決していく。ネット社会でも、いやだからむしろ顔を合わせることが大事である。

それもこれも、mixiで映画の感想を書いたことがきっかけである。ちゃんとソーシャル・ネットワークの機能を果たしてますね。
ラベル:日記
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2007年03月02日

ドホナーニ/Bruckner #3 & 8

dohnanyi_bruckner3_8_1.jpg

どこかの評論家が書いた文章で、「オーケストラの音楽で指揮者の重要度は9割だ」というような意味の文章を読んだことがある。
これは私には全く腑に落ちない文章であった。
このドホナーニの演奏を聴いて、なぜ腑に落ちないのかようやく分かった。

ヨーロッパ以外のオーケストラが演奏したブルックナーで、非常に高い成果を上げたにもかかわらずなぜか全く評価されたかった演奏がある。
若杉弘とN響のブルックナー(+メシアン)・チクルスだ。録音で聴いた限り、あくまでもヨーロッパ的な演奏である。それが結局「作り物」に聴こえてしまったのかもしれない。
作り物に聴こえた理由は、オーケストラの自発性の問題だろう。音程とか音量とか音色とかは完全にクリアした先に、どんな音楽を作りたいかという課題がある。N響の演奏では、あくまでも「言われたままに」だったのかもしれない。

閑話休題。
このドホナーニとクリーブランドの演奏は、ヨーロッパから遠く隔たった土地にあって、ヨーロッパのとの親近感を非常に強く感じさせる。それでありながら、「ヨーロッパの伝統」みたいな雰囲気で逃げることもしない。もちろんクリーブランドにも「伝統」はある。それは主にジョージ・セルの時代に作られた。その伝統がいい形で四半世紀後に花開いている。
このヨーロッパらしさを土台から積み上げて作っているのだ。ブルックナーのブルックナーらしさを、ドホナーニが設計し、クリーブランドが組み立てる。両者が同じ力量を発揮していないと、これだけの水準の演奏にはならないはずだ。つまり、指揮者が5割、演奏者が5割の重要度。
ただ単に精度が高いだけではない。すべてのパッセージの音の方向性がどの向きに向かうべきか分かりながら演奏されている。それは指揮者が言えばできるというものではないのだ。

やはり不思議なのは、これだけの演奏がなぜ評判にならないのか。同じクリーブランドを振ったジョージ・セルの3番と8番という同じカップリングのCDがSONYから出ている。こちらはいつの時代にも名盤と評価が高いのに。
ジョージ・セルのブルックナーについてはまたいつか書いてみたい。

ところで、ここで使われているのは、3番がエーザー版、8番がハース版である。これも現代となっては個性的なチョイスである。と思ったらハイティンクも同じか。クーベリックもだ。この時代の指揮者は旧全集の原典版で育ったんだね
しかし、エーザー版って、トリスタンの引用があったんだ。これまで全然気が付いてなかった。こないだのマルテ版もここを引用しているんだね。

The Cleveland Orchestra
Christoph von Dohnányi

Anton Bruckner

Symphonie Nr.3 d-moll 1877 edition Öser
1993.6.1, Severance Hall, Cleveland

Symphonie Nr.8 c-moll 1890 edition Haas
1994.2.6-7, Severance Hall, Cleveland

DECCA

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