2007年03月21日

王様と私

kingandme.JPG

ルチアーノ・パヴァロッティのマネージャーだったハーバート・ブレスリンが書いた自伝であり、パヴァロッティの伝記。

ともかく、こってりと中身の詰まった、音楽家と音楽に関する極上のエピソードだらけの文章である。金目の話が多いが、全然気にならない。

気に入ったエピソード。

ジョーン・サザーランドの言葉
「ルチアーノの歌があまりにすばらしいので、彼のおなかに頭をもたせてきいていたら、自分が歌うのを忘れちゃったの」

ブレスリンの書いた本文から
ダイナ(・ショア)、エラ(・フィッツジェラルド)、ジョーン(・サザーランド)の三人でギルバート&サリバンの『ミカド』の「学校帰りの三人娘」を歌った。このパワフルな女性たちがこんな軽いもので共演しているところを、想像できるだろうか?今日のいわゆるクロスオーバーについてはききたくもない。あのころの人間は、これをうまくやるすべを心得ていたのだ。

マリリン・ホーンの話
(ハーバート・ブレスリンは)「何でマーラーの『キンダートーテンリーダー』みたいな、陰気なものを歌うんだ?死んだ子供についての連作歌曲だろ」と、いうの。私はあのメロディと歌詞が好きだった。でもあの手の歌は世間に受けないと彼は思っていたの。

第二のパヴァロッティを見つけることには、さほど関心がなかった。(中略)それより第二のハーバート・ブレスリンを見つけることに、関心があった。

最後の言葉は特に切実であるように感じる。結局彼は後継者を見つけられなかったようだ。
この本を読みながら思ったのが、バビロンの塔の話。神の怒りを買ってお互いに言葉が通じなくなった民衆。それは、パヴァロッティとブレスリンがキャリアを築いてきた時代の中で(あるいは彼らの業績が原因で)、クラシックというジャンルも拡散し、単にクラシック好きでは互いに話が通じないようになった現代の状況とふと重なって見えるように感じたのだ。
あるいは、自分の立つ踏み台を一段ずつ増やしていって、ついには降りられないくらい高くなってしまうような情景。

クラシックの市場が縮小しつつあることはいろいろな場面で言われているが、「市場」とか「経済」とかいう詩情に欠ける言葉はクラシックとあまりにも似つかわしくない。
今一度音楽の本質に立ち返る必要があるのではないか、というようなことを考えさせる、非常に貴重な書であった。


友人、時には敵
そしてマネージャーだった私が
栄光の王座についたパヴァロッティの私生活を
修正なしで公開する
王様と私

ハーバート・ブレスリン アン・ミジェット共著
相原真理子訳
集英社


ラベル:日記
posted by tak at 00:06| Comment(2) | TrackBack(1) | 音楽的思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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