2007年11月25日

県総文祭第3日

好評の内に閉幕しました、県総文祭第3日。
詳しくはこちらから。
http://torifeseast.seesaa.net/
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県総文祭第2日

2日目は、鳥取オペラルネッサンスに出演。
打上げにも出て今帰宅。
県総文祭情報はこちらからどうぞ。
http://torifeseast.seesaa.net/
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2007年11月24日

県総文祭第1日

2007112305きものショー.JPG

鳥取県総合芸術文化祭東部イベントの初日の模様をアップしました。
http://torifeseast.seesaa.net/
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2007年11月22日

県総文祭いよいよ明日

半年掛けて準備してきた第5回鳥取県総合芸術文化祭東部地区イベント、いよいよ明日開幕です。
詳細はこちらから。
http://torifeseast.seesaa.net/
会場からも携帯で随時アップ予定です。
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2007年11月18日

映画の喜び

とっとり議場シネマで「ゆれる」を見た。昨日に続いて今日も人生観が変わった1日であった。

それに先立ち、12時から鳥取駅構内で、鳥取県総合芸術文化祭の東部イベントのPRのミニコンサートに参加。行動力のある委員さんたちが率先していろいろやっていただける。そんなに多くのお客さんがあったわけではないが、用意した500部のパンフはほとんどはけたし、最後らへんはけっこう多くの人が立ち止まって聴いていた。やっぱりやってみるもんだ。
明日は北ジャスでありますのでよろしければどうぞ。12時半だったかな?

映画のあとは夜に第九の練習。昨日のコンサートのおかげか、頭が覚醒していて妙に集中力があって、いろんな人のいろんな音や音を出す心持ちが手に取るように分かる思いがした。かといって自分が上手く弾けているわけではないのだが。なかなかアンサンブルが揃わないのは、めざす目標が違う(あるいは目標がない)からなのだ。江上先生の素晴らしい指導よりももっと次元の低いところでの意思の統一をしたほうがいいのかもしれない。

さて映画のこと。
http://www.yureru.com/top.html
面白い!見ていて何度その着想や構成に心を打たれたことか。これからこの映画を見る方もおられるかもしれないから、ストーリーには触れないが、思ったことだけを箇条書きで。

・人はいろんなペルソナをかぶって生活している。たいていは善人としてのペルソナで、日常を平穏に過ごせるためにかぶっている。
・善人としてのペルソナがはがれるくらいの激しい情動も人生の中にはあるのかもしれない。だが、そんな情動を避けるためにペルソナをかぶっているはずなのだ。
・善人のペルソナをはがしたあとは悪人のペルソナをかぶる。
・軽はずみな行為はたくさんの人の人生を狂わせる(こともある)。
・「かまをかける」のは邪悪な心の人が行うことだ。いや、邪悪が悪いわけではないが。
・自分の本心は見抜かれているかもしれないし、勘違いされているかもしれない。だからこそ本心なんて出さない方がいいのかもしれない。

そう、人は簡単に日常から逸脱してしまう「可能性」があるが、その可能性を封じ込め、激しい情動を発散させる代替行為としてこういう映画を見るのだ。そういう映画として最適の映画である。
とっとり議場シネマは18日もあります。午後は多分満席だけど午前ならまだ行けるかも。

とっとり議場シネマ
【場所】鳥取市鹿野町総合支所3階旧議場
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.27.41.605&lon=134.3.45.788&sc=5&mode=map&type=scroll
JR浜村駅から会場まで無料送迎があります。(11月16日までに予約が必要)

【上映内容】        
11時〜「運命じゃない人」上映
監督 内田けんじ 
出演 中村靖日、霧島れいか
http://www.pia.co.jp/pff/unmei/

14時〜「ゆれる」上映
監督 西川美和  
出演 オダギリジョー、香川照之
http://www.yureru.com/
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2007年11月17日

ゲルギエフの「悲劇」

音楽観が変わるくらいの体験であった、ゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲第15番。

順を追って話そう。
こないだ大阪にスクロヴァ先生読響のコンサートを聴きに行った時に11月16日のゲルギエフ/マリインスキー劇場管のコンサートを知り、その時から照準を合わせて予定を入れないようにしてきた。自分の自由にならない会議も幸い午前中に設定された。広報紙の印刷チェックも午前中で済んだ。
お昼休みになると同時にフェスティバルホールに電話を入れてチケットを予約。無事前から10列目をゲット。

時間の余裕がないので今日は行き帰りとも高速道路を使うことに。行きは燃費を稼ぐのと、あんまり早く着き過ぎないようにするのと、FMでちょうど放送してたクレーメルが指揮したショスタコーヴィチの14番を聴きたかったのとで、制限速度ちょうどの80km/h走行。これはこれで楽しいものであるが、3時間半もかかってしまった。

中古CD屋では収穫無し。ササヤ書店で激しい立ちくらみと戦いつつ(?)我が祖国第6曲のブラニークとドビュッシーの海のスコアを買う。

その後ちょっと迷いながらもフェスティバルホールにたどり着く。のどが渇いたので何か飲もうと売店に行ったら美味しそうなドーナツがあったので、コーヒーとドーナツをいただく。美味。

客席に着くといつまで経っても席が埋まらない。1階席は半分も入ってないんじゃないだろうか。こんなにガラガラのコンサートも珍しい。と言ってもキャパ2700なら半分でも1350。少なくはないか。

1曲目はチャイコフスキーの交響曲第2番。ずいぶんとゆっくりとしたテンポ。序奏の楽想の表情付け(正確には音量変化の正確な階層化)が見事で、ふとロシアの荒涼たる平原が眼前に浮かぶような表出力の強い音楽作りである。とは言いつつも、終始安全運転。オケもおっかなびっくり。ゲルギエフもマリインスキー劇場管も、この曲は演奏回数が少なく、まだ手の内に入っていないのだろう。かみ合わせは細かくできているのでちょっとずれてもすぐ分かるから無理はできない。安全運転ながらもやりたいことは分かる。4楽章にドラの1発があって、この位置づけがよく分からなかったのだが、直前の混乱をドラ一発で収束させ、コーダで大団円みたいな、喜劇のプロットを踏襲しているのではないかと思った。

2曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。イェフィム・ブロンフマンのピアノは、超絶技巧連続演奏なのにちっとも難しそうに見えない。腕を忙しく動かすから汗はかいているが、曲が難しくて困っているのでは全然ない。いやはやとんでもないヴィルトゥオーゾだ。オケも指揮者も明らかに手の内に入った曲らしく、ギンギンにアクセルを踏んで素晴らしい緊張感の音楽を作る。
ブロンフマンのアンコールは練習曲集の中の「革命」。これもとんでもなく速いテンポで弾き切り、最後は「どうだ!」みたいな表情で決める。凄いわ。

さて、メインのショスタコーヴィチの交響曲第15番。「おもちゃ箱をひっくり返したような」とか評されるのは全然間違いだ。ウィリアム・テルの引用があるが、そう、これは「スイス軍の行進」なのだ。
そう、この曲を貫くテーマは「悲劇」なのだ。
第1楽章は、恐ろしい体験をした夢を見て目が覚めて汗がびっしょり、と思ったらそれも夢で悲劇はまさに今ここにある、みたいな、夢なのか現実なのか分からない悲劇の連続だ。トランペットは「軍の介入」かなんかだろう。典型的なのは4連符3連符5連符が同時並行的に演奏されてまとまらぬ議論を表現したかと思いきやトランペットが介入して言論弾圧してしまう。ともあれ、この楽章においては「悲劇」は過去の思い出と捉えることもできなくもない。
第2楽章はさまざまな楽器でモノローグが語られるが、背後にはぴったり監視の目がくっついている。それはたいてい低音楽器である。心情吐露をしても群集(金管のコラール)は賛同してくれているのかどうだか分からないし、官憲の監視は離れない。ところが、官憲も同様にコントラバスソロでモノローグを語る。私も好きで監視しているのではないのだ、と。監視する人される人がいずれもその状況に納得できない。しかも、民衆の「空気」が状況を左右する力を持っているのにその空気が読めない。これは今にも通じる状況ではなかろうか。クライマックスでは銃声がたびたび聞こえるが、これは過去の思い出であろう。だが、まさに眼前に展開する処刑のシーンのようだ。
第3楽章は喜びなのか悲しみなのか。素直に楽しむこともできない。
第4楽章は救いが現れたのか、それは幻なのか。英雄の死は救いをもたらしたのか。
曲全体でエコーのように聴こえるさまざまな曲(ショスタコーヴィチの5番、7番、10番とか、ジークフリートの葬送行進曲、トリスタン、スイス軍の行進)は、ただ引用されるのではなく、その世界観を借りてくるために演奏される。
この曲もゲルギエフは相当遅めのテンポで振り始めた。この曲も慣れていないためかと思ったが、この悲劇はこのテンポでしか表現できないからこのテンポなのだ。クライマックスでの恐ろしいまでの強奏は悲劇の確からしさを確信させる。
ゲルギエフは優秀な暗号解読者である。

アンコールは2曲。くるみ割り人形の「ドーシラソファーミレドー」の曲と3つのオレンジへの恋の行進曲。いずれも単なるアンコールではない恐ろしく存在感のある音楽であった。
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2007年11月15日

マリインスキー予習

tchai_pro_shos.JPG

まだチケットは入手していないんだが、明日は午後に休みを取って大阪のフェスティバルホールに、ゲルギエフ/マリインスキー劇場管のコンサートを聴きに行こうと思っている。
曲目は、チャイコフスキーの交響曲2番「小ロシア」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、ショスタコーヴィチの交響曲第15番。何とまあ重たいプログラムだこと。

チャイコとショスタコはもちろんよーく知っている曲なんだが、プロコのコンチェルトはそう何度も聴いたわけではない。一応予習しておこうかと思って、ついでに他の曲もあわせてうちにあるCDを探して聴いてみた。

チャイコフスキー/交響曲第2番 → イゴール・マルケヴィチ指揮/ロンドン交響楽団(1965年録音 Philips)
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 → ディミトリ・ミトロプーロス指揮・ピアノ/ロビン・フッド・デル(フィラデルフィア)管弦楽団(1946年録音 SONY CLASSICAL(ギリシャ))
ショスタコーヴィチ/交響曲第15番 → エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(1976年録音 MELODIYA)

どれもテンポの速い(速過ぎるくらい?)きびきびとした演奏なので、案外すんなりと聴き通せる。
どれも久しぶりに聴いた演奏なので、それぞれ発見があった。
マルケヴィチの指揮するロンドン響は、最近のシャープでクリアなロンドン響と違って案外もっさりとしたオケを指揮者が叱咤激励したような演奏。何も知らずに聴いたらロンドン響とは思えないくらい重みのある音である。
プロコフィエフは、ミトロプーロスが弾き振りを得意にしていた曲で、ここでもそうして演奏しているが、録音で聴いている限りはとても弾き振りには聴こえないような恐ろしいテンションと密度と求心力のある演奏だ。相当のリハーサルをしてコンマスなどにそれなりの権限を与えた上で、ミトロプーロスがとんでもなく上手いピアノを弾きながら、ピアノを弾いている意識とは独立して顔やら身振りやらでオケにいろんなインフォメーションを出しているのだろう。フィラデルフィア管(表記はこのオケの変名)は当時から上手いオケだったから指揮者がなくてもこれくらいはできただろうが、統率者の存在感がある音がしているので、ミトロプーロスが何らかの方法で「指揮」しているのは間違いない。
ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチの15番は、そっけない演奏なんて評されることもあったし私もそれを鵜呑みにしていたが、「そっけない」のではない。無駄な「ゆらぎ」を排して楽譜の持っている音楽的な力を高純度で表現するために、指揮者もオケも最大限の努力を払っているのだ。もちろん無表情なのではなく、楽譜が要求する表情を必要なだけ表現している。

さて、明日のゲルギエフはどんなだろうか。
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2007年11月14日

市響定期ビデオチェック

10日ほど前にビデオ撮影会社から鳥取市交響楽団の定期演奏会の映像をチェック用に借りていたのだが、ようやく今日になって見ることができた。
う〜ん、良い!
もちろん基本的にはモロにアマチュア・オケ的「ほつれまくり」演奏なんだが、なぜか部分部分で「ツボにはまった」音が出てくる。
テュッティは概して雑。パートソロやセクションアンサンブルになると妙に良い。つまり、練習したところはうまくいっているということだ。それが分かるだけに「もっと上手くできるのになあ」という後悔も感じてしまう。
オケ全体として、音程がなかなか当たらない。私は、音程は「世界観」だと思っている。つまり「ハーモニー空間」を想定してそこに音程をはめていくのが音楽的な音程の取り方だと思っている。自分の「ハーモニー空間」=「世界観」が確立しないうちは個人として音程が取れないし、世界観が違えば音程は平行線をたどる。弾いている時には案外気にならないものだが、こうして客観的に聴くと丸分かりである。ただ、これが「世界観」であるからして、人格的なところと深く結びついているだけに、修正は難しいんだよなあ。

実演付き解説はなかなか良い(自画自賛(笑))。特にシューマンの4番で、4楽章の冒頭主題と1楽章の真ん中辺の主題の近似性を説いた所は、やってる最中は大丈夫かなあと思っていたが、外で聴くと効果倍増だ。
実はこの実演付き解説、6,7年前、ゲルト・アルブレヒトが読響でアウシュビッツに収容された作曲家特集(エルヴィン・シュールホフとか、あと誰だっけ?)をした時のレクチャーがとても印象的で、これは私もやらねばと思って始めたものだったりする。そのコンサートのチケットを算段してくれた友人ぷーいち氏に感謝!

ところで今回の映像、上からのカメラなので、私の頭がよく映っていて、頭頂部がかなり薄くなっているのが確認できてがっくり。これはやばいなあ。
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2007年11月12日

ザンデルリンクの言葉

クルト・ザンデルリンク翁の95歳の誕生日を記念してベルリナー・ツァイトゥング紙にインタビューが掲載されたそうで、ベルリン中央駅(http://berlinhbf.exblog.jp/6718613/)のブログを通じてTakuya in Tokyo(http://blog.livedoor.jp/takuya1975/)のサイトに日本語訳が紹介されているのを知った(お二人のサイトは以前から興味深く拝読している)。
というわけでインタビュー。
その1(http://blog.livedoor.jp/takuya1975/archives/50676008.html
その2(http://blog.livedoor.jp/takuya1975/archives/50676388.html
その3(http://blog.livedoor.jp/takuya1975/archives/50676965.html

ザンデルリンクの飾らなさ、率直さ、謙虚さに胸が打たれる。
ザンデルリンクの実演は、1999年に2日続けて同じコンサートを見ただけだが、これはもう一生の思い出である(http://takmusik.seesaa.net/article/54803658.html)。

2007年11月11日

フランスなのかイギリスなのか

stainedglass.JPG

今日は友人の結婚式に出席。県中部の某非老舗ホテル。ピアノ・クインテットの編成で2曲弾いた。行き帰りともタクシーを使わせてもらえたのでお酒は飲めたのだが、演奏が披露宴の最後なので酔うわけにもいかず、不完全燃焼気味。これ書き終わったら飲み直します。
さて、会場はチャペルがフランスの教会にあったステンドグラスを持ってきて設置してあったり、フランスの教会と提携していたりとフランスと関係が強いかと思いきや、部屋はチェルシーの間とかケンジントンの間とか、完全にイギリス調。どっちなんだ?とかなり困惑してしまう。
でも料理はとっても美味しかったし(醤油がなくても食べれるくらい新鮮な刺身というのは初めてかも)スタッフの段取りはテキパキしているし会場は板張りで響きもいいし非常に雰囲気の良い式であった。ちなみに昨日テーブルごとに飾ってあった金魚は今日は無し。やはり特別オーダーか、金魚商関係者の式だったか。
posted by tak at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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