2008年02月27日

抒情小曲集全曲

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イタリアのピアニスト、アルド・チッコリーニが、イタリアのピアノ、ファツィオーリで弾いた、グリーグの抒情小曲集全曲である。

昨日書いたアルベニスがグレープフルーツジュースなら、グリーグはさしずめ野いちごか。チッコリーニがファツィオーリで奏でる野いちごは、大きめで味が濃い。というか野いちごですらないかもしれない。でも「野」の香りが横溢するのは、グリーグの高度な知識と能力で表現した「素朴」さ、「素直」さゆえであろう。自然体の音楽である。
また、チッコリーニの演奏は泰然自若、まさに巨匠である。79歳の録音であるが、テクニック的な問題は一切なし。テンポ感、リズム感が絶妙で、きちんと「素朴」さを表現する。ただ、ファツィオーリのピアノはやはり「素朴」を表現するには器が大きすぎるかもね。

さて、今年の定期演奏会で取り上げる「抒情組曲」の原曲はもちろんこの曲集に入っていて、第5集の1,2,4,3曲目がオーケストラ編曲されている。ついでに言えばヤルヴィのCDに収録されている別の人の編曲による「鐘の音」も同じ第5集の第6曲。ピアノで聴けばやはりしみじみといい曲であるし、ピアノで聴いて初めて「編曲の妙」が理解できる。

ところでこのCDのジャケット写真、何の変哲もないものであるが、実は相当解像度が低い。ケイタイのカメラとかコンパクトカメラ特有の、というよりは圧縮したJPEG特有のもやもやが出ている。パッケージの大きな顔の方はまともな写真なのでプロのカメラマンだろう。演奏風景を撮ったのはなぜかこの録音のプロデューサーであるJoël Perrotという人。画質にこだわらないおおらかな人なのかな。ググるとこんな情報が出てきた。
http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendID=159781602
クラシックとゲンダイオンガクのプロデューサーで、500くらいの録音をプロデュースしているということか。
さらにこんなブログが引っかかった。
http://www.overgrownpath.com/2007/07/zen-and-art-of-new-music.html
なんだか相当マニアックなブログだった。ブログ名はヤナーチェクの「草陰の小径」の英語訳。


Aldo Ciccolini

Edvard Grieg
Lyric Pieces, Volume I-X

2004, Paris
CASCAVELLE
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2008年02月26日

アルベニス発見

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発見と言っても、マルコ・ポーロが西インド諸島(だっけ?)を発見したのと同じで、私がアルベニスの素晴らしさを今になってようやく認識しただけに過ぎない。
同じスペインのエンリケ・グラナドスは、高校生の頃から愛聴していたし、ファリャもよく知っていた。だけど、なぜかアルベニスだけはほとんど聴く機会がなかったのだ。

この間何の気なしに買ったアルベニスの「イベリア」と「スペイン舞曲」の素晴らしいことと言ったら!例えれば、キンキンに冷やした果汁100パーセントのグレープフルーツジュース。最初の口当たりは酸っぱいし、冷たいけど、ジューシーさは比類がない。
ラローチャの素晴らしさもいまさら私が言うまでもないけど、見事なテクニックと絶妙の間で、「これしかない」みたいな演奏である。RCA時代のグラナドスは持っているが、やはりより若いDECCA録音の時代こそが、ラローチャの評価の高さを裏付けるものだろう。

さて、このCDはつい先ごろ買ったばかりなんだが、ライナーノートやパッケージの紙類、ディスクのレーベル面は初回発売のままの版を使っている。
カセットテープやLPの面の表示がライナーノートに載っていることとかはまあいいんだけど、製造国表示が未だに「West Germany」のままなのは大丈夫なんでしょうか?
ディスクのプレスは最近のもので、メーカー表示の刻印は「UNIVERSAL」だし、「Made in Germany」の刻印もあるのに、レーベル面の印刷は「West Germany」のまま。おおらかと言うべきか、コスト意識が強いと言うべきか…。


Alicia de Larrocha

Isaac Albéniz
Iberia
Navarra
Suite española

1986.10,12, Concert Hall, University Music School, Cambridge
DECCA
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2008年02月22日

大植英次/大阪フィル/幻想

倉吉市の、倉吉未来中心で、大植英次と大阪フィルの演奏会。
大阪でやり、東京でもやった「幻想」を鳥取に持ってきて演奏してくれた。素晴らしい演奏であった。幸せを貯金した気分である。どれくらい幸せだったかというと、隣の人が飴の袋をガサガサさせても、近所の人の鼻息の音が大きくても、近所の人が鈴の音を鳴らしても、「いいよいいよそれくらい」みたいに鷹揚に構えられるくらい。
今日は、鳥取県中の音楽関係者が集っていたみたいな客席で、3歩歩くとあいさつ、みたいな状況であった。19時開演という微妙な時間帯なのに皆さん遅刻もせず(西部からと東部からは、倉吉まで1時間ちょっとかかるんです)どうやって来たんでしょうか?私はもちろん1時間休みを取って早めに職場を出ましたよ(笑)。みんなそうなんでしょうな。ホントに好きね。

前半はベートーヴェンの交響曲第8番。14型の、ちょっと大ぶりの編成で、いかにも「モダン楽器によるベートーヴェン」な演奏であった。いわば「初めて買ったレコードのベートーヴェン」。レコードの頃って、ベートーヴェンの交響曲は奇数番号と偶数番号に分けて演奏スタイルを語るみたいなのがあったじゃないですか。まさにその「偶数番号の交響曲」的な温和な演奏で、8番の最大公約数的な、ベートーヴェンを頭に浮かべたときに頭の中で鳴る音。もちろん隅から隅まできちんと凛々しく、4楽章では刺激もあって、「ああ幸せ」なひとときであった。

後半はベルリオーズの幻想交響曲。弦の編成は一緒。1楽章と2楽章と3楽章の真ん中らへんまでは、ベートーヴェンと同じく、幻想の最大公約数的な演奏であったのだが、どうもこれはそういう戦略だったようだ。つまり、夢のように美しい1楽章、夢のように楽しい2楽章、野原に出ても最初のうちは気持ちが落ち着いている3楽章、だったのだが、突然体を狂気が貫いて(真ん中らへんの騒がしいところ)、ふと我に返るんだけど、さっき見た野の風景とは微妙に違う。さっきは羊飼いのアシ笛に返事(バンダのオーボエ)があったのに、今度はなぜか雷が返事する。何で雷が返事するんだ???みたいな。もう精神状態はまともではない。
4楽章はおっそいテンポ。金管はいい音がしていた。バストロンボーンのペダルトーンだけがなかなか聴こえず残念。かなり最後らへんまでおっそいテンポで貫かれ、断頭台に登っていくところで急に駆け足になる。こいつは狂ってる!ふと頭によぎる恋人の顔も狂気にゆがんでいるがごとくきしむような醜い音。失敗かと思ったけどおそらくわざと汚い音を出させたのだろう。狂気の笑みを浮かべたままギロチンが降りてくる、みたいな感じ。
5楽章もまたおっそいテンポ。このテンポ設定は2つの意味があったように思う。まずは、「怒りの日のテーマ」が遅めの、弔いのコラールに聴こえるようにするため。遅いテンポで演奏される「怒りの日」周辺の音楽は切なさに満ちていた。と思いきや、コラールが繰り返されるたびに魑魅魍魎がうじょうじょ沸いてくる。2つ目の意味は、遅いテンポのおかげでこの魑魅魍魎が正確に描写できること。さらにそのあとのシンコペーションがぶつかるところが正確に演奏できる(「ンターターターターターター」に「ターターターターターター」が乱入してくるところ)。このおっそいテンポは「怒りの日のテーマ」が最後に出てくるところまで正確に貫かれていた。そのあとはなんだかどんどん速くなっちゃって、大騒ぎで終了、みたいな、やっつけ仕事っぽく聴こえるけどまあそれはそれでよし。アンサンブルも正確に、いい音で終わった。満足。
今回の演奏で、ファゴット(本当はバソンですが)が4本も使われている理由が分かったような気がした。4本あって初めてファゴットのハーモニーなり音色がオケの中で浮き上がって聴こえるようになるのだ。実はファゴットパートがこの曲の要所要所で骨格となっているようで、普段だとホルンセクションが担うような役回りをファゴットセクションがやっているみたいな感じかな。

アンコールはエルガーのエニグマ変奏曲から「ニムロッド」。私も何度もやっているので隅々を知っているが、やっぱりプロはうまいね。エルガーっぽいかどうかはともかく幸せに満ちた音であった。でもテンポは遅すぎとちゃう?エニグマ全曲の中ではあのテンポはありえないだろう。

いいことだけ書いて終わればいいんだが、どうしてもこれだけは書いておきたい。大植英次は巨匠になりたいのか?もっとやることがあるんじゃないのか?
雰囲気を出すために手をヒラヒラとか、指揮するのをやめて演奏者を眺め回したりとか、クライバーとかお年寄り指揮者がやるみたいな格好をしても、オケにはあんまり効果ないんじゃなかろうか。オケはまあそれっぽくついていくだろうが、なんだか指揮者が全部いいとこ取りみたいで、オケのメンバーも浮かばれないのでは。素晴らしい(だろう)音楽性が変なところで費やされているようでもったいない。そんな指揮に律儀についていくオケにブラーヴォである。
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2008年02月20日

エルガーのピアノ協奏曲

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2月10日のBS-2のクラシックロイヤルシートで、エルガーのピアノ協奏曲のスケッチから補筆完成版を制作したというテーマのドキュメンタリーがあった。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-02-10&ch=12&eid=34537
米子管弦楽団の本番後にも関わらず(翌日は休みなのをいいことに)、結局リアルタイムで全部見てしまった。
見ながら、第1楽章の冒頭のテーマがあんまり素晴らしくて、その場でHMVにCDを発注してしまった。CDがすでに出ていたのはもちろん知っていたが、ちょっとゲテモノっぽく感じてしまって、まだ買っていなかったのだ。
CDは、そのドキュメンタリーのメンバーと同じ演奏者。

ライナーノートによれば、エルガーは亡くなる21年も前からピアノ協奏曲を作曲しようとしていたらしい。交響曲第3番も並行してスケッチを書いていたようで、ピアノ協奏曲の第3楽章のテーマが交響曲第3番の第4楽章にも転用されている。
ピアノ協奏曲のスケッチと、オーケストレーションされた断片、さらにはエルガーがピアノで即興演奏したものが録音されていたもの(1975年に初めて公開された)、それらを素材として、ロバート・ウォーカーという作曲家がついに演奏会用のスコアを完成させた。それにはアンソニー・ペインが交響曲第3番を非常にエルガーらしく完成させたのも原動力になったらしい。

曲としては、エルガーっぽくないパッセージもいっぱいあるのだが、実はそれは全部エルガー自身のスケッチや即興演奏によるものであり、それもエルガーの知らなかった(私だけ?)一面なのだ。それをつないだ大部分は事実上ロバート・ウォーカーの作曲で、展開部はほとんどそうらしい。にもかかわらず、1曲の音楽として非常に完成度が高く、素直に聴ける。特に、第1楽章の格調の高さは、エルガーの曲の中でも屈指のものではなかろうか。

ドキュメンタリーの中では、ロバート・ウォーカーが「ピアニストのノリスが3楽章を私に無断でカットして演奏してしまったんです」とかなんとか怒り気味に言っていたのだが、ライナーの中の写真に3人がいっしょににこやかに写っているのを見ると、和解はしたのだろう。右上が作曲家のロバート・ウォーカー、右下がピアニストのデイヴィッド・オーウェン・ノリス、左が指揮者のデイヴィッド・ロイド=ジョーンズである。

演奏は万全である。ピアニストのノリスのテクニックは特筆すべきもので、この巨大で複雑なピアノ協奏曲をなんの技術的困難さも感じさせずにすんなりと聴かせる。オケも知らない曲とは思えないような雰囲気である。

ピアノ協奏曲以外にも、いろいろな編曲物が収録されている。
最後の指揮者として有名なアンソニー・コリンズ(モノラル時代のシベリウス録音が特に有名)が作曲した「エルガーの追憶によるエレジー」は、エルガーの交響曲第3番の第3楽章のテーマを使ったもの。補筆完成が検討される以前に、この曲を紹介したくて作曲したものかもしれない。ちょうどゴットフリート・フォン・アイネムがブルックナーの交響曲第9番の未完の第4楽章のテーマを使って「ブルックナー・ディアローグ」と言う曲を作曲したみたいに?


Sir Edward Elgar

Piano Concerto (realized by Robert Walker)
Suite of Four Edward Elgar Songs (orchestrated by Haydn Wood)
Adieu (orchestrated by Henry Geehl
So Many True Princesses (orchestrated by Anthony Payne)
Spanish Serenade op.23
The Immortal Legions

Anthony collins
Elegy in Memory of Edward Elgar


David Owen Norris, piano
BBC Concert Orchestra
Dadid Lloyd-Jones

2004.10.18-19, Abbey Road, London
DUTTON
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2008年02月17日

フィアット500を作った

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久々にプラモデルを作った。10年ぶりくらいか?
モノはタミヤのFIAT500。2000円。こんなにちっちゃくて単純な車が、なんで2000円もするんだ?と思ったが、作ってみて納得。車が小さいからパーツも細くて小さく、しかも精密だしパーツ割りも凝っている。
塗装も何もせず、素組みで3時間かかって完成。もっと早く作れるかと思ったが、パーツが小さくて、ピンセットでつまんでいたのが飛んでいったり、仮組みしたら外れなくなったり、なかなか時間がかかる。
部屋中接着剤のシンナーの匂いが充満して大変だが、やはり作るのは楽しいし、眺めるのもいい(←ヲタクですから)。

ちなみにFIAT500は1957年に発売されたイタリアの国民車である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB500
現代の車と比べるとおもちゃみたいに小さい(写真はどちらもおもちゃですがね)。
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2008年02月16日

他人のふんどし

普段はあんまりしませんが、いつも読んでいるブログなどが興味深かったので、感想を書いてみようかと思います。


意識の死角はいつ生まれるか?(常識の源流探訪 伊藤乾)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080205/146460/?P=1

音楽のアンサンブルが崩れるのは、「聴けてない」状況に「脳」がなっているからだ、という、とても興味深いアプローチからの音楽論というか合奏論。
経験論だけでなく、音楽にもこういう実証的アプローチが必要なんじゃなかろうか。そこからのフィードバックでさらに素晴らしいアンサンブルが生まれることもあると思う。


二月の秋刀魚(内田樹の研究室 内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2008/02/13_1427.php

「さいわい本学は「浅草の路地裏の煎餅屋」のような小商いであるから、「おたくの煎餅じゃなきゃダメなんだよ」というこだわりのクライアントを少数確保しておけば、細々と商いを続けていける。
そういう大学がいくつか残ることだけが最後の希望である。」
こういう文章が出てくるが、全く同感である。大学と同様に、地方都市というのはこういうニッチでしかもうこの先生きのこれないと思っている。
だがしかし、よく考えてみたい。問題点は2つ。「おたくの煎餅じゃなきゃ」と言われるだけのものにするには、それ相応の能力が要るし、同様にそう言う人も違いが分かるだけの能力が要る。そんな能力を持った人が、そんな細々としたニッチな取引で満足できるだろうか。また、ニッチであるがゆえに容易に破綻する。
賢い人はたいてい計画経済的社会を思いつくが、それはほとんど全て人間の怠惰さによって当てが外れてきたことを忘れてはならない。


劇場には各論しかない(やくぺん先生うわの空 渡辺和)
http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2008-02-11

ここで話題になっているキエフ国立歌劇場は、こないだバレエ公演を見た。
http://takmusik.seesaa.net/article/73023242.html
私が感じた「公演の日常性」は、やはり努力によって成り立っているものだと確認できた。
また、単純に「搾取」などと書いてしまったが、ああいった公演はこの劇場を盛り立てるためにがんばった結果らしい。私の勘違いを恥じ入るばかりだ。
それでもやはり、日本公演は劇場のメンバーにとって幸せななのかどうかは心配なところだ。
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2008年02月13日

ヤルヴィの「復活」

jarvi_mahler2.JPG

ネーメ・ヤルヴィが、ニューヨークのリヴァーサイド教会でマーラーの「復活」を指揮した演奏会の映像である。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=2664330

DVDのライナーノートを読んでも、DVDを見ても、リヴァーサイド教会設立75周年なんて言葉は全然出てこないんだが、リヴァーサイド教会のサイトで確認してみると、ちゃんとコンサートのデータが残っていた。
http://www.theriversidechurchny.org/events/index.php?event=3328

教会のサイトにも書かれている通り、このコンサートの実現に尽力したのは、引退したニューヨーク・フィルのオーボエ奏者であるJoseph Robinson氏。
このビデオのプロデューサーであるJason Starr氏がRobinson氏に「マーラーの第2のドキュメンタリーを撮るのが夢なんだ」と語ったことが発端だそうである。
そして、ライナーには「リヴァーサイド教会が会場を提供してくれた」とある。

ひょっとすると、まずは「復活」の映像収録というプロジェクトがプロデューサーの頭にあり、Robinson氏のおかげでメンバーが集まり、結果的にリヴァーサイド教会の75周年行事としてコンサートが実現した、という順序だろうか。
演奏の前に収録された、いろいろなオーケストラから集まって「ネーメ・ヤルヴィのドリームオーケストラ」を構成したメンバーたちのインタビューが収められているが、このコンサートの素晴らしい結果やめったにない他のオケのプレーヤーとの共演に興奮冷めやらぬ様子が見て取れる。
そう、プロジェクトとしても素晴らしいし、演奏も一級品なのだ。

ちなみに、2006年のヤルヴィの足跡は以下のとおりたどれる。2006年はヤルヴィのヴィンテージ・イヤーだ。

2006.4.11 ニューヨークでリヴァーサイド教会コンサート

2006.6.18 ベルリンでヴァルトビューネ・コンサート
http://takmusik.seesaa.net/article/44364589.html
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2554909

2006.7.4 京都市交響楽団定期演奏会
http://takmusik.seesaa.net/article/20340630.html
http://takmusik.seesaa.net/article/20427285.html


Gustav Mahler
Symphony No.2 in C minor, "Resurrection"

Neeme Järvi
Musicians from New York Philharmonic, Philadelphia Orchestra, New Jersey Symphony, Detroit Symphony, Metropolitan Opera Orchestra,
Susanne Mentzer, Mezzo-soprano
Twyla Robinson, Soprano
New York Choral Artist's and Riverside Chorale, Chorus Master; Joseph Flummerfelt

2006.4.11, Riverside Church, New York
VAI (VIDEO ARTISTS INTERNATIONAL)
ラベル:マーラー
posted by tak at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ネーメ・ヤルヴィ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月12日

マルティヌー/ギリシャの受難劇

mackerras_martinu.JPG

ギリシャの作家ニコス・カザンザキスの小説「ふたたび十字架につけられるキリスト(ギリシャの受難劇)」(1948年)をもとにマルティヌーが台本と音楽を作ったオペラ。
このDVDは、マッケラスの1981年のスタジオ録音を音源に、テレビ映画版として1999年に制作されたもの。DVD化されたのはついこないだである。

ギリシャの村で毎年開催される「受難劇」の上演を軸に、古い因習にとらわれた農村での愛憎渦巻く人間模様を描いた、なかなか刺激のあるストーリーであり、晩年のマルティヌーらしいさまざまな音楽様式が見事に1つに収斂した音楽である。
オペラとしても見てみたいとは思うが、映画版のほうが話はつかみやすい。特に、映画版の長所が夢のシーンの効果的な映像化だ。主人公の夢が夢として分かりやすい。
というわけで、本当に素晴らしい作品の美しい映像化であった。

ところで、ここで使われたもとの演奏では、ウェールズのオペラの座付き歌手が大挙出演している。ブルノとウェールズで共同制作をしたのかもしれない。録音が同じ年のグッドオールの「トリスタン」と共通の歌手が出演しているのが興味深い。
英語で歌われているが、もともと英語で書かれたのかどうかはいろいろ調べたけど分からずじまいであった。

Bohuslav Martinů
The Greek Passion
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Greek_Passion_%28opera%29
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Greek_Passion

Sir Charles Mackerras, Concuctor
Brno Philharmonic Orchestra

Manolios (tenor) / John Mitchinson
Katerina (soprano) / Helen Field
Grigoris the Priest (bass) / John Tomlinson
Panait (tenor) / Jeffery Lawton
Yannakos (tenor) / Artur Davies
Fotis the Priest (bass) / Geoffrey Moses
Lenio (soprano) / Rita Cullis
Kostandis (tenor) / Phillip Joll
Nikolio (soprano) / Catherine Savory
Michelis (tenor) / John Harris
Old Man (bass) / David Gwynne
Magdalena (mezzo-soprano) / Zuzana Bydzozska
Andonis (tenor) / Jeffery Lawton
Despinio (soprano) / Jana Jonasova
Patriarcheas (bass) / David Gwynne
Ladas (spoken role) / Michael Geliot

1981.6.1-6, Brno Stadion Studio

TV Film from 1999, Czech Television

2008年02月11日

米子管弦楽団定期演奏会

プロコフィエフ/ロメオとジュリエットよりモンタギュー家とキャピュレット家
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 ピアノソロ:安部可菜子
チャイコフスキー/交響曲第4番
アンコール:ブラームス/ハンガリー舞曲第5番
指揮:松尾昌美先生

素晴らしい演奏!
1年位前か、米子管弦楽団の次の演奏会がチャイ4と聞いて、真剣に出ないでおこうかと思ったんだけど、安部可菜子さんとピアノ協奏曲ということで、がんばってでることにした。思い切って本当に良かった。

ステージに出て客席を見るとびっくりするくらいお客さんがたくさん入っていて感激。安部可菜子さん効果だろうか。

あいにく(?)1曲目は、プロコのロメジュリ。いきなりの不協和音攻撃で、客席からさわさわと声が聴こえる。「何じゃこりゃー、音楽かこれ???」みたいな。そうこうするうちにコマーシャルやのだめカンタービレのドラマで有名になった「タンタランタランタランタランタランタランッター(以下略)」のところに来ると、「あああの曲ね」みたいにまた客席さわさわ。反応がリアルでよろしい。
そういう善男善女的お客様にロメジュリのハードコアな音楽をお聴かせできて本当に良かった(Sか)。

お次はいよいよ「皇帝」。安部さんがかなり快速テンポで飛ばしまくって、オケはたまについていけなかったりもしたけど、ピアノソロはちゃんと大人の音楽で本当に素晴らしいし、オケもジューシーな音が出せたと思う。緊張ぴりぴりで最後の最後まで全く気が抜けなかったけど、至福のときであった。安部さんに大感謝!これからも存分に活躍してくださいね。

さて、チャイ4。前日のゲネプロで、松尾先生は第1楽章の序奏後の第1主題を何度も何度も何度も何度も繰り返して練習された。本当に何度も何度も。でも、オケのメンバーもおそらくみんなその何度も何度も練習する意味を理解して、ほんの少しずつ深化=進化していった。
本番の演奏ではそれが見事に威力を発揮して、とても柔軟な表現ができた。激しい部分では縦の線がそろわないことも多々あったけど、音楽の表現方法とかスピード感とか向かっていく方向とかのコンセンサスが充分にできていたので、音楽は求心力を持ちながら進んでいったと思う。
1楽章は相当なテンションで曲を終え、2,3楽章は冷静さで曲を音にし、4楽章は頭でコントロールした爆発を表現できたと思う。
オケのメンバーもがんばったが、今回ほど松尾先生の偉大さを感じたことはなかった。泰然自若たるリードで慌てふためきそうになるオケに冷静さを取り戻しつつうねるような情熱を注入して、まさに手玉に取るようにオケを高みに連れて行く。大人の至芸である。やはり人が70代にして始めてたどり着ける境地というのはあるのだと感じ入った。

また、今回の演奏の成功には、コンサートマスターを努めていただいた島根大学の高旗健次先生も大いに貢献されている。弦分奏も見ていただいたし、見事な演奏とリーダーシップでオケを安心感とともに導いていただけた。またぜひ共演してください。
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2008年02月09日

2回目の車検

我がAlfa Romeo 156が2回目の車検を受けた。つまり乗り始めてからほぼ5年が経過する。

今回は車検以外の点検やらパーツ交換やら修理も結構あった。

・ブレーキランプ不調 → バルブを受けるソケットの不良だったようで、交換
・ハイマウント・ストップランプの玉切れ → 交換
・ワイパーの寿命 → ブレードだけでなく本体ごと交換。おかげでフロントガラスを拭くたびにバッチンバッチンうるさい音がしてたのが、しなくなった。
・タイミングベルト部分のカバーとプーリー交換 → エンジンがアイドリングで「きょきょきょ」見たいな音がしてたのがしなくなった。と思ったらまだ音が出てる。
・運転席側のドアをあけるために押すボタンが、冬になると推したら戻ってこなくなる → 中のプラスチックの部品がだめになっていたようで、交換し、改善。

さあこれで憂いなく車に乗れる、とおもったら、ドアロック解除のリモコンが動作しない。リモコンは押すとリモコンについているランプがピカピカ光るので、電波(赤外線?)は飛んでるっぽいが、ロックは解除も施錠もされない。電池が少ないのかな。明日車屋さんに聴いてみよう。

ところで、車検に出した4日間の代車に借りたのが、10数年前のトヨタMarkU。めちゃめちゃ売れてた時代の車である。なるほど、こういう車が売れるのか。エンジンは素直だし、オートマは普通に快適だし、足回りもほどほどで、しかも何をどうしても安定志向。運転に苦労がない。
逆に言えば、私にとっては、コミュニケーションが取りづらい車であった。丁寧に運転しても雑に運転しても車の動きに反映されないという感じ。だからがんばってステアリングを緻密に操ろうという気がしない。
ところが、最近読み始めたアルフィスタな方のブログのこの言葉で

「以前のブログで紹介したトヨタのOさんとハナシをしていたときに、アルファ・ロメオはトヨタにとって経営からすると、
『脅威でもライバルでも何でもない』」

という文章を読んで、はたと気が付いた。
つまり、「車とコミュニケーション」なんて幻想じみたことを考えるドライバーはごくわずかであり、大多数のドライバーにとって車はただの道具である、すなわち、磐石な安定性があれば必要充分なのである、と。
http://ig510190.blog83.fc2.com/blog-entry-179.html
ちなみに「以前の紹介」とは、この2エントリー。
http://ig510190.blog83.fc2.com/blog-entry-160.html
http://ig510190.blog83.fc2.com/blog-entry-161.html

それでも、代車を返却してわが156を受け取って帰る道すがら、心のそこから車に癒された気がしたのは、気のせいではないはずだ。
posted by tak at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | Alfa Romeo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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