2008年02月16日

他人のふんどし

普段はあんまりしませんが、いつも読んでいるブログなどが興味深かったので、感想を書いてみようかと思います。


意識の死角はいつ生まれるか?(常識の源流探訪 伊藤乾)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080205/146460/?P=1

音楽のアンサンブルが崩れるのは、「聴けてない」状況に「脳」がなっているからだ、という、とても興味深いアプローチからの音楽論というか合奏論。
経験論だけでなく、音楽にもこういう実証的アプローチが必要なんじゃなかろうか。そこからのフィードバックでさらに素晴らしいアンサンブルが生まれることもあると思う。


二月の秋刀魚(内田樹の研究室 内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2008/02/13_1427.php

「さいわい本学は「浅草の路地裏の煎餅屋」のような小商いであるから、「おたくの煎餅じゃなきゃダメなんだよ」というこだわりのクライアントを少数確保しておけば、細々と商いを続けていける。
そういう大学がいくつか残ることだけが最後の希望である。」
こういう文章が出てくるが、全く同感である。大学と同様に、地方都市というのはこういうニッチでしかもうこの先生きのこれないと思っている。
だがしかし、よく考えてみたい。問題点は2つ。「おたくの煎餅じゃなきゃ」と言われるだけのものにするには、それ相応の能力が要るし、同様にそう言う人も違いが分かるだけの能力が要る。そんな能力を持った人が、そんな細々としたニッチな取引で満足できるだろうか。また、ニッチであるがゆえに容易に破綻する。
賢い人はたいてい計画経済的社会を思いつくが、それはほとんど全て人間の怠惰さによって当てが外れてきたことを忘れてはならない。


劇場には各論しかない(やくぺん先生うわの空 渡辺和)
http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2008-02-11

ここで話題になっているキエフ国立歌劇場は、こないだバレエ公演を見た。
http://takmusik.seesaa.net/article/73023242.html
私が感じた「公演の日常性」は、やはり努力によって成り立っているものだと確認できた。
また、単純に「搾取」などと書いてしまったが、ああいった公演はこの劇場を盛り立てるためにがんばった結果らしい。私の勘違いを恥じ入るばかりだ。
それでもやはり、日本公演は劇場のメンバーにとって幸せななのかどうかは心配なところだ。


posted by tak at 01:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。