齢80、ホルスト・シュタイン先生が亡くなった。私にとって真のアイドルの一人だった(あとの二人はギュンター・ヴァントとクルト・ザンデルリンク)。
最初に知ったのがこのブログ。
http://blog.livedoor.jp/haydnphil/archives/51450300.html
月曜日につらいことがあって落ち込んでいたのが、目が覚めてしまった。
シュタイン先生のキャリアの終盤近くのころに東京に住んでいたおかげで、オランダ人とか、ブルックナーの7番とか、N響とのいくつかの名演にライブで接することができた。
N響機関紙のフィルハーモニーに鶴我裕子さんが書かれていたエッセイのエピソードが面白かった。1992年くらいだったか、ヘルマン・プライが独唱でシューベルトの歌曲のオーケストラ編曲版を演奏する時の事。リハーサルでシュタイン先生が、「ピアニッッッシモ!!!」とオケに対して何度も何度も要求するけどオケは実行できない。シュタイン先生はいつものとおりカンカンに怒ってしまって、楽屋に引き込もってしまい、オケのメンバーとプライ氏は取り残された。それをプライ氏がなだめすかしてリハーサルにつれ戻したそうだ。この演奏会も私は見ることができた。アンコールのブリテン編曲の「鱒」が絶品だった。プライ氏も今はない。
もうひとつ、バンベルク響と来日した1998年のブラームス・チクルス。ラドゥ・ルプーの独奏でブラームスのピアノ協奏曲の第1番を聴くことができたのだが、このとき初めて本心から音楽に涙した。何でこんなに涙が出るのだろうと不思議に思うくらい。本当に美しい演奏で、ひとつひとつのパッセージに心象風景が乗り移ったようで、魂の深遠を覗き込む思いがしたものだ。数席前で外国人のおばさんがハンカチでしきりに涙をぬぐっていると思ったら、マリア=ジョアン・ピレシュだった。終わった後もぼろぼろ泣いていた。
この文章はシュタイン先生のキャリアの最初期、1959年録音のハチャトリアンの仮面舞踏会とガイーヌを聴きながら書いている。オーケストラはベルリン放送交響楽団とあるが、西のか東のかよく分からない。31歳の俊英の、きびきびとしつつも分厚い音響に圧倒される。
ラベル:ホルスト・シュタイン