2008年08月14日

オーケストラの向こう側

musicfrominsideout.JPG

最高のドキュメンタリー映画である。以下ネタばれ注意。

フィラデルフィア管弦楽団の団員たちが、「音楽とは何か」を話し合う。
大作曲家の人生を楽譜を通して眺めること、名曲の名曲たるゆえん、オーケストラの中で演奏する制約とかカタルシスなど。
面白いことに、端々に実演が取り入れられてていて、しかも、ライブやリハーサルだけでなく、この映画のためにフルオーケストラでスタジオ収録したテイクもあるにもかかわらず、演奏自体は脇役である。音質も概して良くない。また、サヴァリッシュ、デュトワ、エッシェンバッハといった大指揮者が出演しているのに、彼らの肉声は一切収録されていないし、アップにもならない。エッシェンバッハのハゲ頭を後ろから撮ったアップはあるけど。指揮者さえ脇役である。
主役は、それぞれのプレイヤーたちであり、彼らが何を考えながら演奏しているか、である。
さて、それで「音楽とは何か」について、この映画の中で答えが出たわけではない。しかも、それぞれのプレイヤーで音楽の捉え方が違うこともある。それでも、「音楽とは何か」について、いつもいつも追い求めているし、「いい音楽とは何か」は「分かる」というようなコンセンサスもありそうだ。言葉にはできなさそうだけど。
結局のところ、「音楽とは何か」を考えるプロセスが音楽自身を作るのだろう。

しかしまあ、なんとも贅沢なつくりである。公開された本編では、ヨーロッパ・ツアーの様子と中国ツアーの様子が出てくるが、ポーランドのシーンが2秒、イギリスのシーンが2秒、上海が一瞬、と言った具合。ソリストとして登場しているラン・ランなんて、ウォーミングアップにピアノをいじくっているシーンだけ。ラン・ランを知らない人が見たら、少年がピアノで遊んでいるようにしか見えない。つまり、ツアーをすることや、特別な能力を持ったソリストの音楽性とかは、ここでは重視していないようだ。オーケストラにとっての音楽とはあまり関係ないからだろう。

ちなみに、特典映像の中に、指揮者について語った項と、ラン・ランとサラ・チャンのコンチェルトの演奏シーンがあるが、これらは確かにカットしてしかるべき内容だろう。指揮者についての項は理屈っぽすぎる。サイモン・ラトルのブルックナーの9番の演奏シーンはある意味お宝だが、ラトルにブルックナーの9番は振ってほしくないと思わせるような演奏である。また、ソリストたちは奔放すぎて、この映画の中に居場所を見出せない。ただし、ラン・ランの演奏するプロコフィエフのピアノコンチェルト第3番を伴奏指揮するサヴァリッシュ(多分2000年)は必見であろう。

脇役であるはずの演奏シーンで心に残ったのが3つ。
ストラヴィンスキーの兵士の物語(多分組曲版)の練習風景では、指揮者なしで演奏する場合、完全に正確なインテンポの音楽の中に音を打ち込んでいくような演奏スタイルで、アメリカとかイギリスの奏者(たまに日本も)の演奏スタイルの原点を見るようであった。

ツアーの途中、ケルンの街頭で、バンドネオン(映画の中ではアコーディオンと言っている)でヴィヴァルディの四季の冬の3楽章を演奏するのを、フィラデルフィア管のメンバー30人くらいが食い入るように見ているシーン。バンドネオンの人はめちゃめちゃ上手くて、緊張するタイプでもなさそうだし、おそらく取り囲んだお客さんがフィラデルフィア管の人だとは知らないんだろうが、その食い入るような視線に客の尋常でなさをを感じて、相当テンションも上がったんだろうなあ、と思って見た。

指揮者は脇役と言ったが、指揮者の名前が一度だけ出る。サヴァリッシュである。ある人には適度な悲しさをもたらしてカタルシスを感じさせ、ある人には過度の悲しさをもたらしてぼろぼろになったという、ある演奏。そこではブラームスの4番の第2楽章が使われているんだが、涙を誘う哀切きわまる演奏であった。


ラベル:オーケストラ

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