2010年11月30日

11月備忘録

3日(水) 木のまつりにとりアートブース出店。ミニパフォーマンスを行った。私もちょっとチェロを路上で弾いた。
6日(土)、7日(日) 青少年のための弦楽講座。清水玲子先生は8月の第1回の前に体調を崩されていて、1回目はガリガリだったのが、今回は劇的に健康的になられていた。無理してでも鳥取に来られたのが、逆に回復を助けたかも?
9日(火) 昼前から休みを取って、東京へ。ウィーン・フィル東京公演。http://takmusik.seesaa.net/article/168869106.html。公演後はミンクスのオーボエ氏と痛飲。宿は六本木のヴィラ・フォンテーヌ。
10日(水) ヴィラ・フォンテーヌの朝食は、フロントの前でバイキング。殺伐としてる。朝から徒歩で六本木ヒルズ経由で国立新美術館へ。ゴッホ展と日展。千代田線と半蔵門線を乗り継いで渋谷へ。岡本太郎の大作を見つつ井の頭線へ。吉祥寺まで行って(途中で庄司紗矢香そっくりの人を見たが、本人か?)、中央線、丸の内線と乗り継ぎ南阿佐ヶ谷の「蓬莱軒」へ、と思ったら休業。ではそのまま丸の内線で西新宿の白龍へ、と思ったらこちらも定休日。その辺で適当にカレーを食べた。午後は上野の国立西洋美術館。デューラーの版画・素描展(すごい!)と常設展示(すごすぎる!日展見てる場合じゃなかった)。楽譜を買いに銀座YAMAHAに行ったら定休日。アカデミアに行ったら店舗移転。移転先まで歩いて、ドイツレクイエムなどのスコア、バルトークのチェロ・デュオ用の楽譜を購入。夜はウィーン・フィルhttp://takmusik.seesaa.net/article/168977956.html。公演後は大学以来の友達と奥さんと痛飲。
11日(木) 昼には鳥取に帰りつき、午後は出勤。
13日(土) 鳥大フィル定期ゲネプロ。
14日(日) 鳥大フィル定期演奏会。三原明人先生お別れ演奏会。チャイ5とアンコールの眠れる森の美女のワルツに出演。夜は三原先生謝恩会。
18日(木) 東高卒業20周年の幹事会で決算。打上げ。ニューオータニの13階で鳥取の夜景を見つつ美味しいごはんを食べた。
20日(土)、21日(日) 高野秀峰先生が来られ、県民による第九のオケ練習。日曜の夜は市会議員選挙の開票。
23日(火) 午前はカルテット練習。午後はジャスコ北でとりアート東部イベントの広報イベント。
25日(木) 夕方にとりアート東部会イベント会場準備。
26日(金) とりアート東部会イベントで会場準備と小ホールコンサート。
27日(土)、28日(日)とりアート東部会イベント。
ラベル:日記
posted by tak at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月10日

ウィーン・フィル/プレートル10/11/10

愛すべき最後の巨匠、ジョルジュ・プレートルの、愉悦に満ちた、ピリオドスタイル?何それみたいな1960年代的スーパー演奏であった。
1950〜60年代、ハンス・クナッパーツブッシュがヨーロッパ中の音楽愛好家を唖然とさせたであろう伝統と即興の幸せなカップリングが、まさか21世紀の今体験できるとは!
実は、一見きままでまとまらない演奏に聴こえるが、どっしりとした低弦を土台に弦をしっかり鳴らし、金管はびしっと抑えて見事にバランスさせている。聴こえべき音は全て聴こえる。
そしてなんとも愛らしい指揮姿!ほとんど動かないのに必要な情報は表情も補完して全て伝わっている。
前半のシューベルトの交響曲第2番は、ロマンティック・スタイルで演奏された最後の機会になるかもしれない。弦は細かい音符ばかりで相当大変そうだが、プレートルは全く気を抜かせてくれない。
後半のエロイカは、常にテンポが伸び縮みするのでこれまた気が抜けないが、ギクシャクしたようすはなく、自然に流れる。そして頻繁に立ち現れるデーモン。
全体に漂う柔らかく明るい雰囲気はドイツ的でもウィーン的でもないかもしれないが、これぞ音楽!これぞベートーヴェン、と思えてしまうから不思議である。
ここまでいい意味で構築的でない演奏は、まさにクナッパーツブッシュ以来ではなかろうか。
アンコールのブラームスのハンガリー舞曲第1番は、奔流のように力をみなぎらせたかと思えば目頭を押さえて涙ぐむ。トリッチトラッチポルカは軽やかな疾走。
楽しかった!
終わった後は大学以来の友人と奥さんと3人でインドネシア料理を痛飲快食。

2010年11月09日

ウィーン・フィル/ヴェルザー=メスト9/11/10

危うくダメ宣言するところだった。ヴェルザー=メストのブルックナーの9番は、クリーブランド管弦楽団との映像で見ていて、なんと殺伐とした演奏だ、と思いつつも無理やりひいき目に見ていたのだが、今日のウィーン・フィルとの演奏を聴いてようやく合点がいった。
ヴェルザー=メストはブルックナーにおいて、いわゆる「解釈」しないという解釈をしているのだ。意図的にテンポを遅くして何かの情景を描き出したり情緒を生み出したりということは一切ない。
出てくるのは、ブルックナーの書き付けた音符とウィーン・フィルの音。音楽という現象はそれ以上でも以下でもないんじゃないか。
恐ろしい勇気だと思う。特に日本人のブルックナー好きに受け入れられにくいだろう。ジュリーニのように雄弁でないしバーンスタインのような情熱はないしチェリビダッケのように馬鹿丁寧でないしヴァントのように雄弁でない。そういった語りやすい「特徴」を持たない音楽に遭遇して思考停止してしまいそうになるような類い演奏である。
まさにそのままの意味で私はカール・シューリヒトが指揮したウィーン・フィルの演奏を思い出しながら聴いていた。
あるがままの、小細工のない、だけど奏者の歌心は自然ににじみ出る音楽。クリーブランドにはできないけどウィーン・フィルにはできる、伝統に立脚した演奏。
その潔さに喝采!とにかく隅から隅まで堪能したし、「Ja」を強く唱えたい。

2楽章のトリオ末尾〜主部ダカーポの乱れはドキドキしましたね。その直後のテュッティでヴェルザー=メストの顔が真っ赤になってました。
トリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死は、いろんな意味で日常公演を彷彿とさせる演奏だった。集中はほどほどでドラマを表出させて決めるところはどかんといって。あんな演奏ヴェルザー=メストにしかできんわ。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。