2010年11月09日

ウィーン・フィル/ヴェルザー=メスト9/11/10

危うくダメ宣言するところだった。ヴェルザー=メストのブルックナーの9番は、クリーブランド管弦楽団との映像で見ていて、なんと殺伐とした演奏だ、と思いつつも無理やりひいき目に見ていたのだが、今日のウィーン・フィルとの演奏を聴いてようやく合点がいった。
ヴェルザー=メストはブルックナーにおいて、いわゆる「解釈」しないという解釈をしているのだ。意図的にテンポを遅くして何かの情景を描き出したり情緒を生み出したりということは一切ない。
出てくるのは、ブルックナーの書き付けた音符とウィーン・フィルの音。音楽という現象はそれ以上でも以下でもないんじゃないか。
恐ろしい勇気だと思う。特に日本人のブルックナー好きに受け入れられにくいだろう。ジュリーニのように雄弁でないしバーンスタインのような情熱はないしチェリビダッケのように馬鹿丁寧でないしヴァントのように雄弁でない。そういった語りやすい「特徴」を持たない音楽に遭遇して思考停止してしまいそうになるような類い演奏である。
まさにそのままの意味で私はカール・シューリヒトが指揮したウィーン・フィルの演奏を思い出しながら聴いていた。
あるがままの、小細工のない、だけど奏者の歌心は自然ににじみ出る音楽。クリーブランドにはできないけどウィーン・フィルにはできる、伝統に立脚した演奏。
その潔さに喝采!とにかく隅から隅まで堪能したし、「Ja」を強く唱えたい。

2楽章のトリオ末尾〜主部ダカーポの乱れはドキドキしましたね。その直後のテュッティでヴェルザー=メストの顔が真っ赤になってました。
トリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死は、いろんな意味で日常公演を彷彿とさせる演奏だった。集中はほどほどでドラマを表出させて決めるところはどかんといって。あんな演奏ヴェルザー=メストにしかできんわ。

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