2012年05月19日

フィッシャー=ディースカウの思い出

はっきり言ってしょうもない話なので、読んでがっかりしないように。
先ごろ亡くなったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌唱について私ごときがどうのこうの言う立場には全くない。それとは別に、偶然の邂逅、というよりはすれ違いのようなものがあったことが、いまでも私の心に、のどに刺さった小骨のように残っているので、今ここで消化しておきたい。

2000年のベルリンで(3月と11月の2度行ったがどちらかは忘れた)、CDとか本とかを売っている大きなお店をうろうろしていたら、本屋のへんにあのフィッシャー=ディースカウ御大が一人立っておられた。確かそのころにはもう引退していたはずで、何事かと思ったら、どうも自伝を出版したばかりで、サイン会的なことをしていたらしい。御大の本が平積みになっていた。ところが、サインに並ぶような客は一人もおらず、御大は一人たたずむばかり。う〜む。というような状況を一瞬で察しつつ、御大と目が合ってしまったではないか!そうは言っても、私がドイツ語の彼の本を買ってサインを書いてもらっても読めもせぬ。しかも彼のすさまじい録音歴は知っていても「大ファンです!!!」というほどのものでもない。これは申し訳ないがスルーするしかないなと、いったんはその場を立ち去る。

そうか、CD買ってサインしてもらえばいいんだ、とCD売り場に行って探すが、店頭にあったのはすでに持っているカルミナ・ブラーナと旅先ではかさばるマイスタージンガー全曲ぐらいだったか。オトマール・シェックのノットゥルノ(EMI)があったら2枚目でも迷わず買ったのに、聴いたことのないマイスタージンガーとかカルミナだともう一つ踏み切れん、と悶々と悩んだ挙句、「御大、ごめんなさい」と何もせずその店から立ち去ってしまったのだった。

今考えれば、読めもせぬドイツ語の本にサインをしてもらうのが最良の行動だったのだ。ヲタク的に。フィッシャー=ディースカウについて見聞きするたびにいつも、この「小骨」的事件がよみがえるのである。
posted by tak at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽的思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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