2009年08月13日

ウェスト・サイド・ストーリー

west_sidestory.JPG

西宮の兵庫県立芸術文化センターに、ウェスト・サイド・ストーリーを見に行ってきた。衝撃。茫然自失。感激。

たまたま昨日、職場でみんなで順番に休みを取ろうという話をして、私は今日休むことにして、おもむろにクラシック関係の公演を調べてみたら、この公演を発見。
チケットはまだあるということで、芸文センターにいる友人に聞いてみたら、残り3枚。間に合った。友人Mさん、ありがとう!

この公演は、ブロードウェイの1957年の初演のものをほぼ踏襲する形のものだそうで、出演者はみんなブロードウェイから。オケだけは、日本人中心。

実は、私はウェスト・サイド・ストーリーを見るのは、映像でも映画でも初めてで、ストーリーすら正確に知らなかった。音楽だけは、バーンスタイン自編の「シンフォニック・ダンス」で聴いてはいたが、それだけ。
いやはや、いい意味で、こんなに気まずく、つらい内容のお話だったとは。じつは、ノホホンと楽しく「ミュージカル」を見にきたつもりが、「ヴォツェック」を見る気まずさそのままの体験をするとは思わなかった。
民族対立、移民、貧困、非行などなど、さまざまな負の要素がのしかかってくる若者たちが、若者らしい無責任さと、青臭い正義感によって、どうしようもなく破綻へ向かってしまうさまや、悲劇と無邪気が並立するさまは、20世紀オペラのあの気まずい世界(ヴォツェック、ムツェンスク郡のマクベス夫人、軍人たち)と瓜二つ。
構成も、1幕も2幕も、誰かが死んで沈鬱な中で幕が閉じ、客としても拍手していいのかどうか戸惑ってしまうような、「見事」なもの。
そして、バーンスタインの音楽の素晴らしさ。あのトゲのある音型の独特な音楽が、すべて、ケンカの動作やケンカ腰の口調とシンクロしているのだと、ようやく分かった。

これを見て、これまで疑問だったことがいくつか晴れた。

まず一つ。この曲の中にコープランドそっくりの音楽が出てくるのだが(シンフォニック・ダンスの中では「スケルツォ」)、場面は、幻想のシーン。つまり、あるはずのない、対立のない理想世界を描くのに、コープランドが「発明」した「アメリカ的」音楽を引用している。これは、バーンスタインがコープランドの音楽を「ありえないもの」を現すために利用し、それによってまたコープランドの音楽をあり得ない理想と批判的にレッテル付けしたのではなかろうか。バーンスタイン自身はコープランドの作品を何度も録音しているので、単純な批判ではないとは思うが、単純な賞賛にも見えないのだ。
もう一つ。この幻想のシーンを見て連想したのが、鬼才ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。ビヨーク主演で、救いのない陰鬱なストーリーの中に、唐突にミュージカルシーンが出てくる、賛否両論の異様な作品だった(私は絶賛)。この映画の中で、ミュージカル・シーンは、常に、主人公の女性の、現実逃避的な脳内幻想として描かれている。ウェスト・サイド・ストーリーに限らず、ミュージカルはそうしたものかもしれないが、お話の基底が、陰鬱な現実であるという点で、この二つの作品の関係は非常に強い気がする。

というわけで、この歳になって初めて見たウェスト・サイド・ストーリー。この歳になるまでに得た知識とともに見ることで、理解(曲解?)がより深く(怪しく?)なったのは、良いことだ。

ところで、このミュージカルのオリジナル版のオケ編成は、ブロードウェイでよくある小編成オーケストラ。特徴はなんといっても木管楽器で、メンバー表には「木管楽器1」〜「木管楽器5」としか書かれていない。実はこの人たちは、ピッコロだろうがオーボエだろうがサックスだろうがバスクラだろうがファゴットだろうが、どんどん持ち替えてなんでもしなくちゃいけないのだ。ラプソディ・イン・ブルーのオリジナル編成もそうらしい。オケピットに行ったら、それぞれのイスの周りにはずらりと楽器が並んでいて、中には、なんとコントラバス・サクソフォンまで置いてあった。スイスの楽器屋のショー・ウィンドウで見たことはあるが、稼動している現物を見るのは初めて。といっても、どこで鳴っていたかは聞き取れませんでした。


ラベル:オーケストラ
posted by tak at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴いた音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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