2006年06月03日

コンドラシンのショスタコーヴィチ

kondrashin_shostako3.JPG

世界初のショスタコーヴィチ全集であるが、よく考えたら全集完成して4年後に亡命、その2年後になくなっていることを考えると、ぎりぎりの完成と言えるのかも。

もともと1〜4番(Vol.1)は大学時代に買って持っていたが、ごく最近14,15番(Vol.5)、5〜7番(Vol.2)、8〜10番(Vol.3)を買い足した。11〜13番はまだ聴いたことがない。

写真を見ての通り、今となってはほとんど見ないフランスのル・シャン・ドゥ・モンド盤である。15年前には普通に買えたし、CDではこれしかなかった。
いったいどんなマスターを使っているのか分からないが、音質は曲によってばらばら。最悪と言われるBMG=MELODIYAの輸入盤よりは良いが、なんとなく靄がかかっている感じのするものが多い。10番は間違いなくLPからの板起こしだ。4番もそうかもしれない。

その時代背景なくしては成立しないであろう一世一代の超名演である攻撃的な4番(1962年録音)、8番(1961年録音)と、一時代が過ぎ、穏やかな達観を感じさせる7番(1975年)、10番(1973年)は、ためらわずすばらしいと言い切れる。
しかしながら、その他の曲については、ソヴィエトの環境が音楽家に厳しくなってきたことを思わせるような隙間風を感じる瞬間がある。合奏精度は高くとも奏者の一体感の希薄さが感じられるのだ。
そう、録音開始のころと比べて最後のころは楽員のレベルが落ちていることを想像させるのだ。7番や10番の達観は、その表れなのかも。
そうすると、コンドラシンの亡命は、ケーゲルやクライバーの逃避と同じく、理想についてこれない音楽環境への悲観からではないかと考えさせられた。
何の根拠もないですが。
ただし、これは、4番とかの超名演と比べたらちょっと落ちるという程度のもので、全集としての偉業を揺らがせるものではない。
特に、現代において、これだけ切迫感に満ちた演奏を行うのはもう難しいのではなかろうか。


posted by tak at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | キリル・コンドラシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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