2006年07月29日

第九の葬送行進曲

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<注意!これは私の、何の根拠もない脳内妄想です。嘘くさいと笑い飛ばすつもりで読んでください>

ベートーヴェンの第九の1楽章のコーダでは、この曲の中でもここしかないモチーフが現れる。
管楽器の、16分音符+8分音符+16分休譜+16分音符+4分音符、ババッババーンというような音型だ。
1楽章の主要モチーフは32分音符+複付点8分音符、パバーーンというヤツであり、関連性はありそうでなさそうだ。

この管楽器のモチーフは、葬送行進曲だと私は思う。
葬送行進曲と言えば、エロイカの2楽章、そしてマーラーの5番の1楽章が有名だが、この部分に関しては自身のエロイカよりもマーラーと近似性が強いと思っている。

「葬送行進曲とはどういったものか」に気がついたのが、ブーレーズ指揮のマーラーの5番のウィーン・フィルの演奏。
1楽章の最初のメロディがひとしきり終わった後(ホルンのあと)に、トロンボーン三重奏で2度繰り返される音型、バッッバッババン、という音型が、まるで路上を歩きながら奏するアマチュアのブラスバンドのようなダルなリズムで聴こえるのだ。
これは屋内ではなく、戸外の、実際の葬列を表しているのだ、きっと。ウィーン・フィルの奏者にとってそういった葬列は別に珍しいものでなく、日常の風景として描写できるのではなかろうか。バーンスタインの指揮でも同じように演奏している。

さて、第九だ。
これが葬送行進曲だとしたら、コーダ全体は何なのか。
コーダはこの管楽器のモチーフと中低弦の半音階的なうねりが同時進行しているが、最初は管楽器はp、弦楽器はpp。管楽器の方がよく聴こえる。それが、高弦が加わり、ファースト・ヴァイオリンがオクターブ上がるころには半音階的モチーフが完全に凌駕し、ffになったときには葬送行進曲のテーマは消えて、32分音符を伴った冒頭のモチーフに取って代わられる。
告別のさなかに嘆きが世界を覆うかのようだ。誰か(何か)の死、告別、嘆き。そういったドラマが1楽章を終える時に表現されなければならない。
ちなみにそういう表現をしている指揮者は、フルトヴェングラー(ベルリン・フィル)、テンシュテット(ロンドン・フィル)のみ。あとはかろうじてヘレヴェッヘ(シャンゼリゼ)。セルとドホナーニはいい線行っているがオーボエだけ違う。
チェリビダッケもシェルヘンもクレンペラーもクーベリックもケンペもヴァントもケーゲルもザンデルリンクもマッケラスもノリントンも満足いかない。フルトヴェングラーもバイロイトのは全然別の解釈に聴こえる。
16分音符の長さが正確すぎてもあいまいすぎてもいけないのだ。

ちなみに、ヘレヴェッヘはおそらく、第九を通じて何がしかのドラマを念頭に演奏しているに違いない。CDでは分かりにくいが、ライブでは物語性を強く感じた。
死と葬送の1楽章、煉獄の2楽章、理想郷の3楽章、理想郷なんてものはない、人間世界が重要なんだという4楽章。例えばね。

私は第九の曲目解説を読んだことがないので、実はこういうのってすでに散々語られたことかもしれない。それでも葬送行進曲らしい演奏がないのは不思議だ。
いつか私自身の指揮で葬送行進曲を鳴らしたいものだ。今はとりあえず脳内妄想で我慢。


ラベル:日記
posted by tak at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽的思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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