「ヤルヴィのブルックナー?そんなものに存在価値があるのか?」
普通のクラシック・マニアならそう考えるはずである。ヤルヴィはスラヴもの専門じゃないの、と。
実はこのCDを買うとき、演奏時間の長さだけで買ったのだった。大学1年生の時。
すなわち、第1楽章16:50、第2楽章15:16、第3楽章28:12、第4楽章23:51。名盤であるジュリーニ/WPh(DG)のテンポに似ているじゃないか、と。
聴けば、当時の若い私の耳にはとても満足できる演奏だった。
さて、すっかり肥えた今の耳にこの演奏は満足できるのか、と思って本当に久々に取り出して聴いてみた。
あれまあ、なんと充実した演奏!
かなり遅いテンポだが、一切緊張が途切れない。尋常でないテンションの高さ。かつ、ブルックナーにふさわしいやわらかい響き。これには、シャンドス特有のエコーがんがんの録音と教会の残響が効いているかもしれない。
すべてのパッセージでオーケストラのプレーヤーは大いなる自発性でもってあらん限りの能力で演奏している。もちろん指揮者がコントロールできてないわけではない。テンポを完璧にコントロールした上でのオーケストラの自発性。なぜこんなことが可能になったのだろうか。
ヒントは当時の音楽監督にあるのではなかろうか。そう、クラウス・テンシュテットである。
テンシュテットは1983年に癌を発病し、治療を続けながら、継続的に録音を続けていたマーラーの交響曲の最後に残った8番を86年の10月に録り終えている。
また、この録音は、以前のエントリーで書いたとおり、テンシュテットの代役で振った曲であるし、テンシュテットと82年に録音している。オーケストラとしては、ヤルヴィの棒を通して愛するテンシュテットを思い浮かべていたのではなかろうか。自然と演奏に力が漲るわけである。
そうはいいながら、おそらくテンシュテットのレパートリーではない(まだ録音はCDで聴けない)マックス・レーガーまでも充実した演奏であるところを見ると、純粋にヤルヴィの能力を賞賛すべきなのかもしれない。
このCD、すでに円周部分のアルミ膜がはがれてきている。もう1セット予備に買うべきかなあ(←オタクの発想)。
なお、ヤルヴィは最近デトロイト交響楽団でブルックナーの7番を演奏している。秘密の音源でこれを聴くことができたが、うーん、これはブルックナーじゃないなあ。
Neeme Järvi
The London Philharmonic
Anton Bruckner
Symphonie Nr.8 in c-moll (edition Robert Haas)
Max Reger
Variationen und Fuge über ein Thema von Beethoven
CHANDOS, 1986.11.17-19, All Saints Church, London