2007年07月19日

晴れと室内楽

bluesky20070719.JPG

10日ぶりくらいの晴れ。いよいよ梅雨明けか?写真は市役所前交差点にて。

夜には室内楽のコンサートに。
東京藝大の現役学生による「アンサンブル・クラヴィス」の演奏で、モーツァルトのアイネクライネ、メンデルスゾーンのトリオ(1番)の3,4楽章、ブラームスのピアノ・クインテット。
基本的な演奏技術は全く問題ない。細かい音も音程もアンサンブルも問題は無い。ピアノの人は別格に上手かった。
弦の人には批判としてではなく、演奏の糧となるべく伝えたいのだが、ヴィブラートのかけ方と右手の使い方を何とかしてほしい。特に右手は、音量を弓圧だけでコントロールするのでなく、弓速で変化させてほしい。音色が死んでしまうし倍音が鳴らない。
もう一つ根本的なこととして、「どんな音楽を作りたいのか」と「作曲家は何を伝えたかったのか」を意識してほしい。聴いていてどうにもどんな音楽をしたいのかということがつかめなかった。
音楽作りは、苦労し、悩んでナンボである。苦労を知る人にこそ本当の音楽の喜びが表現できるはずだ。


posted by tak at 00:57| Comment(3) | TrackBack(0) | 聴いた音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>ブラームスのピアノ・クインテット

こんな難曲、どんな音楽にしたいかが演奏者に無いと、ただ退屈なだけで終わってしまう気が…。
Posted by takenoko at 2007年07月19日 10:26
最近、どうして長い曲はこのように長いのだろうか?と時間のなさのせいか考えてしまう。作曲者が「これでは私は言い足りない」と?技法的に完結するため?思いつきがあふれてきたから?
ようやく、作曲者の集中力(霊感?)が時間・空間の長さを支配下に置いたときに名曲と言うんじゃないかって思うようになりましたが(遅いって?)、そういう曲といえども演奏して聴衆とともに時空を共有なんて発狂しそうな行為だなぁ。
4楽章も見渡すなんて出来るんだろうか?
Posted by 余生風志芸亭 at 2007年07月19日 22:44
takenoko様
フォルテが続くところは力業だけでも案外楽しめるものです。特にこの曲は3,4楽章が元気一杯なものだから。

余生風志芸亭様
>時間・空間の長さを支配下に置いた
いい言葉ですねえ。私も使わせてください。
時空を共有という点については、ほんとにすごい音楽・演奏って、脳の中にぐいぐい割り込んでくる錯覚に陥ることがあります。「全てが分かった気になる」覚醒感というかそんな感じ。そんな時って、どんな長い曲でも一音一音がいとおしくて「いつまでも終わらないでくれ」って思いますね。
Posted by 井上拓也 at 2007年07月21日 00:49
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