2007年07月26日

ゲーデル・エッシャー・バッハ

GEB.JPG

無事に36歳の誕生日を迎えることができた。

打ち合わせ1、打ち合わせ2、シンポジウム参加、打ち合わせ4、打ち合わせ5とばたばたと1日を過ごした後、本業のために職場で22時まで過ごし、そういえば自分にプレゼントを贈ってもいいじゃないかと思って今井書店のサイトでかねてからほしいと思っていたダグラス・ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」の在庫を検索してみると「在庫僅か」、つまり1冊はあるらしい。
帰り道にパスタを食べ、今井書店に閉店10分前に着き、探すと、ちゃんとあった。迷わず購入して帰宅。

写真でも見えるとおり、出版されてから20年以上経つ本である。この時代の理系の人間なら、一度は手に取ったことがあるのではなかろうか。私が読んだのは高校生のときで、兄が買っていたのを借りてむさぼるように読んだものだ。今となってはどれだけ覚えているか、あるいは理解できているかは心もとない。
とりあえずは書き下ろしの序章(40ページもある)を読んで、ホフスタッターがこの本で書きたかったこと、その後のホフスタッターの活動が綴られていた。本文はあとに取っておく。

さて、この本を再度読んでみようと思ったのは、実はサイモン・シンの「暗号解読」を読んだためだ。「暗号解読」は、いつも見るiioさんのサイト、CLASSICA(http://www.classicajapan.com/wn/)で出版を知り、購入したもの。睡眠不足を推しても読んでしまう魅力的な本である(未読了)。iioさんの選書眼にはほとほと敬服する。
「暗号解読」自体は面白い本だし、ゲーデル・エッシャー・バッハは暗号とは直接関係のない本なのだが、認知論と記号論のはざまで「音楽」を捉えなおしたときに、「作曲家が音楽に込めた暗号をどう読み解くべきか」という発想に至り、その基礎資料としてあらためてゲーデル・エッシャー・バッハを読みたくなったのだ。

音楽と暗号の関係については、また考えがまとまってから書きたいが、「音列」を中心とした音楽的暗号だけを捉えることは音楽の暗号的側面の半分しか見てないのではないかというような発想である。詳細はいずれ。


posted by tak at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽的思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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