2007年11月17日

ゲルギエフの「悲劇」

音楽観が変わるくらいの体験であった、ゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲第15番。

順を追って話そう。
こないだ大阪にスクロヴァ先生読響のコンサートを聴きに行った時に11月16日のゲルギエフ/マリインスキー劇場管のコンサートを知り、その時から照準を合わせて予定を入れないようにしてきた。自分の自由にならない会議も幸い午前中に設定された。広報紙の印刷チェックも午前中で済んだ。
お昼休みになると同時にフェスティバルホールに電話を入れてチケットを予約。無事前から10列目をゲット。

時間の余裕がないので今日は行き帰りとも高速道路を使うことに。行きは燃費を稼ぐのと、あんまり早く着き過ぎないようにするのと、FMでちょうど放送してたクレーメルが指揮したショスタコーヴィチの14番を聴きたかったのとで、制限速度ちょうどの80km/h走行。これはこれで楽しいものであるが、3時間半もかかってしまった。

中古CD屋では収穫無し。ササヤ書店で激しい立ちくらみと戦いつつ(?)我が祖国第6曲のブラニークとドビュッシーの海のスコアを買う。

その後ちょっと迷いながらもフェスティバルホールにたどり着く。のどが渇いたので何か飲もうと売店に行ったら美味しそうなドーナツがあったので、コーヒーとドーナツをいただく。美味。

客席に着くといつまで経っても席が埋まらない。1階席は半分も入ってないんじゃないだろうか。こんなにガラガラのコンサートも珍しい。と言ってもキャパ2700なら半分でも1350。少なくはないか。

1曲目はチャイコフスキーの交響曲第2番。ずいぶんとゆっくりとしたテンポ。序奏の楽想の表情付け(正確には音量変化の正確な階層化)が見事で、ふとロシアの荒涼たる平原が眼前に浮かぶような表出力の強い音楽作りである。とは言いつつも、終始安全運転。オケもおっかなびっくり。ゲルギエフもマリインスキー劇場管も、この曲は演奏回数が少なく、まだ手の内に入っていないのだろう。かみ合わせは細かくできているのでちょっとずれてもすぐ分かるから無理はできない。安全運転ながらもやりたいことは分かる。4楽章にドラの1発があって、この位置づけがよく分からなかったのだが、直前の混乱をドラ一発で収束させ、コーダで大団円みたいな、喜劇のプロットを踏襲しているのではないかと思った。

2曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。イェフィム・ブロンフマンのピアノは、超絶技巧連続演奏なのにちっとも難しそうに見えない。腕を忙しく動かすから汗はかいているが、曲が難しくて困っているのでは全然ない。いやはやとんでもないヴィルトゥオーゾだ。オケも指揮者も明らかに手の内に入った曲らしく、ギンギンにアクセルを踏んで素晴らしい緊張感の音楽を作る。
ブロンフマンのアンコールは練習曲集の中の「革命」。これもとんでもなく速いテンポで弾き切り、最後は「どうだ!」みたいな表情で決める。凄いわ。

さて、メインのショスタコーヴィチの交響曲第15番。「おもちゃ箱をひっくり返したような」とか評されるのは全然間違いだ。ウィリアム・テルの引用があるが、そう、これは「スイス軍の行進」なのだ。
そう、この曲を貫くテーマは「悲劇」なのだ。
第1楽章は、恐ろしい体験をした夢を見て目が覚めて汗がびっしょり、と思ったらそれも夢で悲劇はまさに今ここにある、みたいな、夢なのか現実なのか分からない悲劇の連続だ。トランペットは「軍の介入」かなんかだろう。典型的なのは4連符3連符5連符が同時並行的に演奏されてまとまらぬ議論を表現したかと思いきやトランペットが介入して言論弾圧してしまう。ともあれ、この楽章においては「悲劇」は過去の思い出と捉えることもできなくもない。
第2楽章はさまざまな楽器でモノローグが語られるが、背後にはぴったり監視の目がくっついている。それはたいてい低音楽器である。心情吐露をしても群集(金管のコラール)は賛同してくれているのかどうだか分からないし、官憲の監視は離れない。ところが、官憲も同様にコントラバスソロでモノローグを語る。私も好きで監視しているのではないのだ、と。監視する人される人がいずれもその状況に納得できない。しかも、民衆の「空気」が状況を左右する力を持っているのにその空気が読めない。これは今にも通じる状況ではなかろうか。クライマックスでは銃声がたびたび聞こえるが、これは過去の思い出であろう。だが、まさに眼前に展開する処刑のシーンのようだ。
第3楽章は喜びなのか悲しみなのか。素直に楽しむこともできない。
第4楽章は救いが現れたのか、それは幻なのか。英雄の死は救いをもたらしたのか。
曲全体でエコーのように聴こえるさまざまな曲(ショスタコーヴィチの5番、7番、10番とか、ジークフリートの葬送行進曲、トリスタン、スイス軍の行進)は、ただ引用されるのではなく、その世界観を借りてくるために演奏される。
この曲もゲルギエフは相当遅めのテンポで振り始めた。この曲も慣れていないためかと思ったが、この悲劇はこのテンポでしか表現できないからこのテンポなのだ。クライマックスでの恐ろしいまでの強奏は悲劇の確からしさを確信させる。
ゲルギエフは優秀な暗号解読者である。

アンコールは2曲。くるみ割り人形の「ドーシラソファーミレドー」の曲と3つのオレンジへの恋の行進曲。いずれも単なるアンコールではない恐ろしく存在感のある音楽であった。


posted by tak at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴いた音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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