2010年07月25日

ストラヴィンスキーからのハッピー・バースデー

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あわただしかった週末の疲れをぼんやりと癒すのにいい音楽はないかと何の気なしに選んだのは、マッケラスの「ハルサイ」。

つい先日、7月14日に84歳でなくなった指揮者のサー・チャールズ・マッケラスは、中庸で格段の個性を感じさせることのない音楽作りにもかかわらず、非常に明確な専門性で、個性あふれる音楽界でも全く埋没することなく、常に存在感を感じさせたものだ。
専門性とは、まずは、言うまでもなく、ヤナーチェクをはじめとするチェコ音楽。そして、モーツァルトを中心とした現代楽器によるピリオド・アプローチ。そして、イギリス音楽、オペラ全般、マーラーを中心とした後期ロマン派などでも、専門性を感じさせた。

ところが、春の祭典の録音もあるのである。しかもこれ、おそらく最初から廉価版シリーズでの発売を意図したものではなかろうか。EMIという巨大なレーベルの録音には、春の祭典も決して少なくない数のものがすでにあるのに、と思ったら、マルケヴィチ、ムーティ、もう思いつかない。だからこそ当時60歳のマッケラス御大にご登場願ったのだろうか。実はサイモン・ラトルとバーミンガム市交響楽団の録音も同じ1987年。EMIに計画性はないのか?

マッケラスとロンドン・フィルの演奏であるが、決して「隅々まで隙なく統禦された演奏」とかそういうのではない。たまにばらけるアンサンブルをものともせず、なんとなくノーブルな雰囲気をかもし出しつつフォルティシモでは的確に炸裂する、ストレス解消の気持ちよい演奏。私にとってはベスト3に入るお気に入りである。

ふと手を伸ばした1枚だが、今日という日にうってつけであることを後で気が付いた。アルバムの最後に収録されたわずか56秒の曲「ハッピー・バースデー」である。おかげさまで私も今日、30代最後の年を迎えることになりました。しみじみ聴き入る56秒。もともとは、ストラヴィンスキーがピエール・モントゥーの80歳の誕生日に送ったものだそうである。


Sir Charles Mackerras
The London Philharmonic


Igor Stravinsky

The Rite of Spring(1947)
Fireworks
Circus Polka
Greeting Prelude "Happy Birthday"

1987.8.31-9.1, Watford Town Hall EMI

2008年02月12日

マルティヌー/ギリシャの受難劇

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ギリシャの作家ニコス・カザンザキスの小説「ふたたび十字架につけられるキリスト(ギリシャの受難劇)」(1948年)をもとにマルティヌーが台本と音楽を作ったオペラ。
このDVDは、マッケラスの1981年のスタジオ録音を音源に、テレビ映画版として1999年に制作されたもの。DVD化されたのはついこないだである。

ギリシャの村で毎年開催される「受難劇」の上演を軸に、古い因習にとらわれた農村での愛憎渦巻く人間模様を描いた、なかなか刺激のあるストーリーであり、晩年のマルティヌーらしいさまざまな音楽様式が見事に1つに収斂した音楽である。
オペラとしても見てみたいとは思うが、映画版のほうが話はつかみやすい。特に、映画版の長所が夢のシーンの効果的な映像化だ。主人公の夢が夢として分かりやすい。
というわけで、本当に素晴らしい作品の美しい映像化であった。

ところで、ここで使われたもとの演奏では、ウェールズのオペラの座付き歌手が大挙出演している。ブルノとウェールズで共同制作をしたのかもしれない。録音が同じ年のグッドオールの「トリスタン」と共通の歌手が出演しているのが興味深い。
英語で歌われているが、もともと英語で書かれたのかどうかはいろいろ調べたけど分からずじまいであった。

Bohuslav Martinů
The Greek Passion
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Greek_Passion_%28opera%29
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Greek_Passion

Sir Charles Mackerras, Concuctor
Brno Philharmonic Orchestra

Manolios (tenor) / John Mitchinson
Katerina (soprano) / Helen Field
Grigoris the Priest (bass) / John Tomlinson
Panait (tenor) / Jeffery Lawton
Yannakos (tenor) / Artur Davies
Fotis the Priest (bass) / Geoffrey Moses
Lenio (soprano) / Rita Cullis
Kostandis (tenor) / Phillip Joll
Nikolio (soprano) / Catherine Savory
Michelis (tenor) / John Harris
Old Man (bass) / David Gwynne
Magdalena (mezzo-soprano) / Zuzana Bydzozska
Andonis (tenor) / Jeffery Lawton
Despinio (soprano) / Jana Jonasova
Patriarcheas (bass) / David Gwynne
Ladas (spoken role) / Michael Geliot

1981.6.1-6, Brno Stadion Studio

TV Film from 1999, Czech Television

2007年10月19日

マッケラスのスーク

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マッケラスらしい異様な覇気に満ちたパリッパリの名演である。このときすでに70歳を越えているが、マッケラスという人は本当に年齢を感じさせない音楽の瑞々しさとパンチがある。

スークの曲のCDは2枚目。もう1枚は同じマッケラスの指揮の弦楽セレナーデだった。
この「夏のおとぎ話」(Wikipediaによれば連作交響詩「夏物語」)は、なんともおどろおどろしい曲だ。ストラヴィンスキーの火の鳥をもっと怖くした感じというか。火の鳥よりもっと抽象的なんだけど。悪い夢を見そうな感じ。ところどころマルティヌーの雰囲気が感じられると思ったら、プラハ音楽院でマルティヌーを指導したらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF_%28%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%29
幻想的スケルツォはまだとっつきやすい感じだが、「おとぎ話」の方はもっと何度か聴いてみないと分からないところがある。

ともあれ、名曲、名演!マルティヌーもそうだが、スークももっと聴かれるべきだ。

Josef Suk

Summer Tale, op.29
1997.12.7, 8, Rudolfinum, Prague

Fantastic Scherzo, op.25
1997.4.4, 6, 8, Rudolfinum, Prague

Sir Charles Mackerras
Czech Philharmonic Orchstra

DECCA

【頭痛日誌終了】
本日終了!

2007年05月08日

マッケラス/シベリウス

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サー・チャールズ・マッケラスの名前が私の心に深く刻まれるきっかけとなった録音である。

最初に聴いたのは、東京に住んでいたころの近所にあった杉並区立中央図書館のCDライブラリーから借り出した国内盤。
シベ2と聴けば茫洋としてスケールが大きくてぼんやりとした演奏を頭に描いていたのが、この演奏は隅々までクリアで、霧が晴れたようになんとも清新なのだ。
それがまた小ぢんまりしているのでなく、クリアなままスケールが巨大化する。曲の最後にはティンパニの楽譜の改変まである。なんだこの指揮者は?という感じであった。
ちなみにカップリングの「トゥオネラの白鳥」は茫洋とした演奏。

今持っているのは、その後買いなおした輸入盤である。PICKWICKという弱小レーベル(失礼)で、どうもLSOの経営改善のために収益向上をめざして出したLSOシリーズのようである。今どきの自主制作モノと違って、この時代のオケのシリーズものは悲壮感が漂っているのである。
それでも中には、リチャード・ヒコックスのカルミナ・ブラーナや惑星、ロジェストヴェンスキーのラフマニノフの交響曲第2番なんていうソソる録音もある。

なお、マッケラスはロイヤル・フィルとも同じようにロイヤル・フィル・コレクション(今では1枚390円とかで売っているもっと悲壮感漂うシリーズ)の中でシベリウスの2番を録音しているが、こちらはオケが非力であまりいただけない演奏である。

なんていうことを打ちながら今聴いているけど、どうもこの時代はまだLSOが今のようなヴィルトゥオーゾ・オーケストラになる前のようだ。
今のLSOは私としては世界の10本の指に入る名門だと捉えているが、70年代にはまだアマチュアリズムが顔をのぞかせていた。この頃はまだ過渡期であろうか。
ちなみに88年はアバドの音楽監督時代の最後の年である。
とは言いつつも、あの難しそうな(プロにとっては難しくない?)3楽章できっちりと合わせつつスケールを感じさせるあたりはやはり上手いオケである。
4楽章の快速テンポも見事。


追記
記憶を頼りに「ロイヤル・フィルは非力」なんて書いたが、これはこれで面白い。きっちりとしてないけど気合一発の爆演系。


Sir Charles Mackerras
London Symphony Orchestra

Jan Sibelius

The Swan of Tuonela
Symphony No.2 in D major, op.43

1988.6.5-6, EMI Studios, Abbey Road
PICKWICK

2006年10月28日

第一の故郷と第二の故郷/マッケラスのスークとマルティヌー

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マッケラスの出身地であるオーストラリアの室内オーケストラを振って、若き日に音楽を学んだ地であるチェコ(ヴァーツラフ・ターリヒに師事していた)の作曲家2人の曲を録音した1枚。
今は無きコニファー・レーベル。不覚ながらこのCDの存在を知らなかった。ヤフオクで調達。

スークの弦セレは、曲自体がウルトラ・ロマンティック。1874年生まれなのに。フランツ・シュミットと同い歳で保守派なのも一緒か。
演奏はすっきりさわやか。というか、曲が明朗爽快で、その特徴を上手く表現できているようだ。
長岡京アンサンブルで聴いたときはもっとねちっこくて郷愁に満ちた曲だと思ったんだが、指揮者なしの長岡京が熱っぽく演奏したからそういう曲だと思ったんだろう。
指揮者のある(しかもマッケラス)のこの演奏では、演奏面でのストレスは全くない。曲は結構楽譜が細かく書いてあって難しいと思うが、そういうのは演奏に現れていない。
もしかしたらこの曲のクライマックスなのかもしれないアダージョの第3楽章がこってりと濃密に演奏されていて気持ちよい。

マルティヌーはやっぱりいいねえ。人生の「苦み」がふと漂う曲だ。
プロだから曲が難しいとか何とかいうことはあんまりないだろうが、こういう曲って簡単そうで難しいんだろうなあ。調性は楽譜に明記されていないだろうが、調性を意識した部分が多く、しかも細切れに調性が変わっていく。
この演奏ではその調性感が明快で、その場その場で美しいハーモニーがなるので、演奏者が和声感をきちんと細切れに移しながら演奏しているんだろう。
ピアノソロは、コンチェルトのソリストであったりアンサンブルの基盤であったり、いろんな役目があるようだ。演奏は達者で役割を果たしている。

ジャケットの絵は、カレル・ベネシュという人の「プラハ−春−音楽」という作品だそうだ。楽器の形とか、線画の女性とか、味がある。


Josef Suk
Serenade in E flat for Strings, op.6
Bohuslav Martinů
Sinfonietta Giocosa for piano and small orchestra

Dennis Hennig, piano
Australian Chamber Orchestra (Leader: Carl Pini)
Sir Charles Mackerras
Conifer, 1988.12.29-30, Sydney Opera House Concerthall

2006年08月01日

マッケラスと夭逝の天才

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いずれも夭逝の天才と称されるアリアーガとヴォルジージェクの交響曲を1曲ずつ収めたCD。
モーツァルトとベートーヴェンの交響曲全集、ハイドンの交響曲集を録音しているマッケラスだから、時代的にも得意分野なのだろう、その音楽の天才性を満喫しつつ切れ味のよい音楽を作っている。
とはいいつつも、ベートーヴェンやブラームスみたいな「きりきり舞い」な感じはなくて、ゆるいというか優雅というか、ゆとりのある演奏だ。アンサンブルは完璧。

しかし、これらの曲を聴く前は「天才といってもどれほどのもんかね」なんて思ってたものだが、聴けばやはり天才性は一目いや一聴瞭然。
私がこれまでに聴いた瞬間に「ああ天才だなあ」と思った曲はブリテンの「ピーター・グライムズ」とかショスタコーヴィチのいくつかの曲(というかたいていの曲)とかハンス・ロットの交響曲など、20世紀前後の曲がほとんどだ。
古典派の時代にその独自性を発揮できる作曲家というのは本当に稀だと思う。
聴くたびに顔がほころぶような気持ちよい音楽だ。

ところで、スペイン語の「ó」、入力の仕方を探すのに手こずりましたわ。


Jan Václav Voříšek(1791.5.11-1825.12.19)
Symphony in D major

Juan Crisóstomo de Arriaga(1806.1.27-1826.1.17)
Overture to "Los esclavos felices"
Symphony in D major

Sir Charles Mackerras
Scottich Chamber Orchestra
Hyperion, 1995.4.8-10
タグ:マッケラス

2006年06月22日

マッケラスの慈悲

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マッケラスの最新録音、皇帝ティトの慈悲である。

温和さと中庸さに満ちたすばらしい演奏である。

聞き逃してはならないのは、オーケストラの豊かな表情であろう。
喜び、怒り、憧れ、諦観、失意、後悔、決意、慈悲。
歌手だけでなく、オーケストラがすべての感情表現を的確に行っている。
顕著なのは伴奏付きレシタティーヴォでせりふの前にオーケストラが先触れ的に感情を表現するところだろう。
オーケストラは特別なことをしているわけではない。むしろ、能面が角度や光の具合によって表情を変えるのと同じ程度の変化なのだ。
それでもきちんと表情が聴こえるのは、指揮者の徹底によるものに違いない。

これだけ長い曲の、これだけ変化する表情をどうやって指示するのだろう。たぶん、言葉での指示だけではなく、マッケラス自身の顔の表情によるものだろう。
これぞ、名人芸だ。

合唱はあんまりうまくない感じ。オケは技術的な問題点は全くなくうまい。とくにバセットホルンのソロなんかとてもよい。

録音はおそらくエディンバラ・フェスティバルの演目の総練習と並行して録音したものだろう。ホールの響きがとてもきれいだ。ライブだと客が入って残響がなくなってしまうだろう。スタジオ録音の最良の姿だと思う。

Mozart
La cremenza di Tito
Sir Charles Mackerras
Scottish Chamber Orchestra & Chorus
Rainer Trost, Magdalena Kožneá, Hillevi Martinpelto, Lisa Milne, Christine Rice, John Relyer
2005.5, Edinburgh, DG

2006年06月21日

マッケラス/無彩色/学者

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マッケラスを初めて聴いたのはたぶんマーラーの交響曲第5番だと思う。
EMI音源のDisky盤。ケースにROYAL CLASSICSの文字と王冠の刻印があるやつ。
オーケストラはロイヤル・リヴァプール・フィル。
当時マッケラスのことは文字情報で知っていただけであり、ロイヤル・リヴァプール・フィルも名門であるのは知っていた。
聴いてみると、これまで聴いたことのあるマーラーの5番とは何か違う。「色」はないのにいろんなことがきちんとしているせいでまったく飽きない。
同時期に聴いたシベリウスの2番(LSO)も同じ。ハルサイ(LPO)も。ベートーヴェンの5番と7番(RLPO)はクライバーより速いのにニュアンスはちゃんとある。
やはり極めつけはシンフォニエッタ。WPhを無彩色で鳴らしまくる。

「誰かに似ている」と思ってよく考えたら、当時指揮をしていただいていた早川正昭先生だった。つまり、「学者」のアプローチ。
楽譜を徹底的に、学術的に読み込んで、音楽を理屈で組み立てる。音程、音量、バランス、テンポ、リズム、歌い方、すべてだ。
「流れのまま」とか「勢いで」とかそういうことは一切はない。「流れ」や「勢い」さえも理詰めで組み立てる。それを実現できるように理詰めで練習をする。
それで初めてこれらの無彩色なのに異様に立派な演奏が立ち現れるのだと思う。

彼の演奏が好きなのは、押し付けがましい解釈やルーティンな演奏を感じることがないところなのだ。
もちろん、流れに任せたほうが体で音楽を感じられることが多いかもしれない。しかし、彼はそれを良しとせず、頭で感じる音楽を目指しているのだと思う。
そうは言いながら、最近聴いたアリアーガのシンフォニーやヒンデミットの画家マチスみたいな曲がノリノリだったりする。

最近ベルリン・フィルの定期に80歳で初登場し、巨大なシンフォニエッタ(形容矛盾?)を演奏した。襟を正して聴かなければいけないような、礼儀正しい、かつ演奏者の愛を感じる名演であった。
なんとか生演奏を聴いてみたいものである。
タグ:マッケラス

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