2006年07月07日

マエストロ・ヤルヴィのサイン

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7月4日に京都市響のコンサートに行ったときの続き。

コンサートが済んで事前に調べておいた楽屋口に駆けつけるとすでに数人が並んでいる。
しばらく待っていると人がどんどん集まってきて30人くらいになり、ホールだかマネージメントだかの人がサイン用のテーブルを準備して、サイン大会の開始。最終的には40人くらい並んでいた。

私は、チャイコフスキーの5番(エーテボリ)、フランツ・シュミットの2番(シカゴ)、我が祖国(デトロイト)、プロコのロメジュリ、ショスタコの14番と7番のライナー・ノートを用意していて、最もお気に入りのショスタコの7番にサインしてもらおうと手渡した。

するとヤルヴィ先生、
「これは大事なものだ。何で大事か分かるか?ほらこのページ・・・(ページをめくる)、ほらここ、パーヴォが写っているんだよ。ほらほら(ヤルヴィの奥さんにも見せる)」
そして、どこにサインするかじっくり考えて、サインしていただいたのが上の写真。

サインし終わったら、ヤルヴィ先生の奥さんが、
「ちょっとだけ待ってて。ちょっとだけ」
と言って、マネージャーだか通訳だかの人に、
「ほらこれみて。うちのパーヴォが写ってるのよ」
って言いながら見せびらかしている。

幼いパーヴォと、ヤルヴィ・パパとショスタコーヴィチ大先生が写っている写真を見て大喜び。
ショスタコーヴィチと一緒であることと言うよりは、幼いパーヴォの写真があったことのほうがうれしかったみたいだけど。

ライナー・ノートひとつでこんなに喜んでもらえて、選んだ甲斐があった。パーヴォもいいおっさん(失礼)になっているのにお父さんお母さんから見たらいつまでも「うちのパーヴォ」なんだろうねえ。


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2006年07月06日

ネーメ・ヤルヴィの音楽

jarvi.JPG

京都市交響楽団第490回定期演奏会
平成18年7月4日(火)19:00
京都コンサートホール・大ホール
指揮:ネーメ・ヤルヴィ
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
グリーグ/叙情的組曲op.54
グリーグ/4つのノルウェー舞曲op.35
チャイコフスキー/交響曲第4番へ短調op.36

初ヤルヴィのコンサートのために、初めて京都市交響楽団のコンサートに出かけた。
京都コンサートホールはできてすぐのようで、とてもきれいだったが、なんとなく文化の香りが薄い気がした。
1,500円と安いP席より指揮者に近い4,000円のB席(2階R-2列13番)を買った。大正解。

さて、ヤルヴィ。

1曲目の叙情的組曲は、まるでおじいさんがコタツに入ってみかんを手にとってふと昔話を話し始めるくらい気楽に、振り始めた。
オーケストラの表現もその気楽さそのままでありながら出てくる音は充実しまくり。分厚い弦楽器。特に中低音が充実している。
ソフトな音質、きれいな音程、滑らかなダイナミクス、センスに満ちたテンポ変化。
ずうっとヤルヴィの指揮ぶりに釘付けだった。

まず、音程の良さはヤルヴィの音楽能力の高さゆえだろうと思った。
リハーサルで音程のことを指示したわけではなかろう。彼を見ていると、自分のしていることがすべて見透かされているような気がして、音程やアンサンブルを精密に合わせなきゃいけない気になってくるのではないだろうか。

次にキュー出しがこと細かである。
重要な楽器のではすべてキューを出す。すべてのキューのしぐさが表情に満ちていて、次に出てくるべき音楽の表情、音量、音のスピード感、歌いまわし、さらに楽器の種類までわかるくらいであった。

さらに、インテンポの部分でもビートを刻むことをいとわず、常に拍を取っていく。そのビートの幅はフォルテでも大きくはないしピアノなんて1センチも動いてないくらい。肩で指揮をすることもある。あの指揮を見ていれば、アンサンブルが崩れるわけがない。

フォルティシモでも表情は柔らかで、とても幸せな音楽を奏でる。熊のように大柄なヤルヴィもゴキゲンにビートを刻む。
幸せな瞬間。

1曲目から大拍手。7割の入りでしかないが、満員のような拍手。

2曲目の4つのノルウェー舞曲も同じように指揮者としては格別のことをするわけではないが、そのすべてのしぐさが音楽表現と直結して、しかもそのしぐさのレパートリーが膨大であり、あらゆる音楽の表情がしぐさだけで汲み取れるくらい。曲が終わるとブラーヴォが飛ぶ。前半なのに。でもその気持ちがよく分かる。

2曲目が終わった後に、なんかオケのメンバーも指揮者も楽譜をガサガサすると思ったら、なんとさっき演奏したノルウェー舞曲の第2曲をアンコール。さっき指揮したときの2倍のしぐさ、2倍のルバート、2倍のダイナミクスの変化で演奏。そのヤルヴィのしぐさが可愛くて、客席から笑いがこぼれるくらい。すごい!

この時点で頭を整理。前に、日フィルでマーラーの6番をやったときのリハーサルはただ曲を通すだけだったなんて話を聞いたことがあるが、あの指揮振りを見たら納得できる。口で指示しなくても、指揮ですべて表されている。あれでできなかったら奏者が悪い。

後半のチャイコフスキーは冒頭の運命の主題をまるでメゾフォルテのように振り始める。1楽章はアンサンブルが難しいが、こと細かにビートを刻み、一切の困難さを感じさせない。運命の主題は出てくるたびに柔らかな表情である。叫ばないチャイコフスキー。すべてのモチーフに言葉が付随しているように、語る音楽。
びっくりしたのは再現部第2主題のテンポの速いこと速いこと。やわらかく歌う表情のままテンポを速くすることで、その憧れに満ちたモチーフがいっそう光り輝く。

2楽章3楽章も特別なことは一切ないのにとても充実した瞬間の連続であった。3楽章はあの速い4分の2拍子をなんとひとつ振り。でもその分かりやすい予備拍で出だしで困ることは一切ない。

4楽章も本当にあきれるくらい細かく振る。基本的に4つ振りと2つ振りを適宜使い分ける。頭拍がパーカッションで金管がシンコペーションの裏拍を打つ、たいていの演奏でグジャグジャになる箇所でヤルヴィは丁寧に4つで振り、全くアンサンブルを乱れさせない。職人だ。
この4楽章の第2主題もとてもテンポが速い。1楽章と同じ効果がでている。
運命の主題が出た後のホルンの出とか、指揮がリラックスしているのでホルンも緊張する必要がなく軽やかに出られる。

コーダでは充分な音の洪水で、曲が閉じると大ブラーヴォ大会。

何度か出入りがあったあと、下手(しもて)に引っ込むときにまるで「ええっとアンコールは何だっけ」みたいなしぐさで譜面台のスコアを確認してアンコールを示唆して、客席が大爆笑。いやはやエンターテイナーだわ。
アンコールはヤルヴィ曰く「おめでた、モーツァルト」??後宮への逃走だった。これがまた軽やかかつ分厚い演奏で、劇場感覚に満ちた序曲らしい演奏であった。またもや大ブラーヴォ大会。
なんとも充実したコンサートだった。ヤルヴィの才能と魔法を存分に堪能した。あんだけ膨大な録音を行えるのは、才能のなせる業に他ならないことを確認でき、大いに収穫であった。
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2006年07月05日

ブラヴィッシモ!!マエストロ・ヤルヴィ!

7月4日、ネーメ・ヤルヴィ指揮の京都市響のコンサートに行った。グリーグの叙情小曲集とノルウェー舞曲、チャイコフスキーの4番。
爆演系かと思っていたら、現代において稀有なカリスマ系指揮者だった。
7月中旬には新日フィルを振る。逃すまじ!って私は行けないが。

演奏会の詳細は後日。要約すれば「ごきげんくまさん」???
ラベル:ヤルヴィ 京都
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2006年06月10日

炸裂!ヤルヴィのシュミット

jarvi_schmidt2.JPG

大学に入ってすぐのころに買ったと思う。
レコ芸だか週刊FMだかで紹介されていていたく興味を持ち、買って聴いたら、なんとも爽快な金管の炸裂具合!たぶんヤルヴィがガンガンあおるので楽しがっているのだろう。
シカゴ響がこんな曲をたびたびするとは思えないが、金管だけでなく、弦や木管の叙情的表現は、まさに「自家薬籠中」という風に聴こえる。似たような時期にベルリン・フィルでもこの曲をやっており、ヤルヴィの自信がオケにしっかり伝わっているのだろう。

フランツ・シュミットは同時期に買ったメータ/WPhの交響曲第4番とどっちを先に聴いたのか思い出せないが、この2つの曲/演奏ではまってしまい、その後ほとんどの曲を集めることになってしまった。
交響曲第2番に関しては、ずいぶん最近になってからミトロプーロス/WPhとラインスドルフ/WPhを聴き、なるほどこれが同郷人的表現なのねと思いつつも、ヤルヴィの炸裂具合がやはり一番この曲にはまっていると思ったりする。

Franz Schmidt
Symphonie Nr.2 in Es-Dur
Neeme Järvi
Chicago Symphony Orchestra
Recorded live on 20, 21, 22 & 25 April 1989
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2006年06月04日

ヤルヴィのレニングラード

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Shostakovich
Symphony No.7 in C major, op.60 the'Leningrad'
Scottich National Orchestra
Recorded on 1988.2.22 & 23, Chandos

ヤルヴィ・マニアになるきっかけとなった1枚。
爆演であるとともに、リリカルな演奏である。
スコティッシュ・ナショナル管はめちゃめちゃうまい。イギリスではロンドン・シンフォニーとBBCの次くらいにうまいのではないか。
弦にしても管のソロにしても、惚れ惚れするような美しさと音程の良さ。歌いまわしに品がある。金管は適切に炸裂する。
すべての奏者が「ああ、いい曲だ」と感じながら演奏し、本当にのびのび演奏している。その分アンサンブルのほころびはあるが。

ヤルヴィはこの曲の解釈とか何とかを楽員に理論的に説明したりはしていないだろう。曲のことをすべて分かった上で何も言わず「示唆」する。奏者はそれをきちんと感じ取る。
聴けばきちんと曲のメッセージが伝わる。

7番の魅力を一番ストレートに感じさせてくれる演奏ではなかろうか。
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2006年06月01日

ヤルヴィの交響的舞曲

jarvi_symphonicdance.JPG

Rachmaninov "Dances"
Symphonic Dances op.45
Dances from 'Aleko'
Capriccio bohémien op.12
The Philharmonia
Redcorded on 1991.11.14 & 15

ヤルヴィに「解釈」などという言葉は似合わない気がする。音楽は彼にとって解釈の対象ではなく、「芸」なのではないかと。
また、「アンサンブル」などというものは指揮者の仕事ではない(当たり前だが)とも思っているのでは。なんとなく思っていたことが、この演奏を聴いたことで私の中で焦点を結んだ。

このCDはラフマニノフの舞曲的な曲を集めたもので、有名な交響的舞曲から演奏は始まる。
出だしのオケが異常に低調だ。奏者の体が温もってない感じ。決してテンポは速くないのだが、オケはもうちょっと遅くしてほしがっている。木管の細かいパッセージが間に合ってなくて、オケはなんとなくいらいらしている。それでもヤルヴィはまったく意に介しない。
余談だが、フィルハーモニアというオケは、この時期はそれほどうまい奏者が揃っていないようだ。先日NHK教育で放送されたシノーポリの1987 年の来日公演では、それこそロンドン・シンフォニー級の奏者がごろごろいるという感じだったが、このラフマニノフの録音ではうまいのはコーラングレくらい。
1楽章の中間部でサックスとコーラングレが絶妙のソロを聴かせたかと思ったら、急に弦が歌いだし、冒頭の音楽が再現するころにはオケ全体がすっかりノリノリになっている。
何が起こったんだ?
そこから曲の最後までそのノリは途切れない。そんなに有名でないアレコやボヘミアン・ラプソディもそのノリのまま突っ切っている。

ヤルヴィという人は、おそらく何もやっていない。というよりむしろ、オケの自発性を引き出すための「示唆」をしているのではないか。
オケの意識より少し速いテンポ設定で緊張感を引き出す。本来は集中力を引き出すべきところを、緊張によってまとめてしまう。
歌は棒だけで「楽譜なりに歌いなさい」みたいな示唆をする。馬は馬なりに走らせるというやつだ。

緻密さでなく、ノリで聴かせる。これは「芸」だ。そして、豪胆でなければそんなことはできない。
ただ、残念ながら、緻密でない演奏は評価されにくいし、ノリは普通の人には分かりにくい。「いい!」と思っても、なぜいいのか説明できない。ヤルヴィの評価が安定しないのはそういうことだろう。
断っておくが、この演奏がラフマニノフの交響的舞曲の最高の名演とは決して言わない。私はこれとマッケラスくらいしか聴いたことがないし、もっとうまいオケならもっと良く聴かせられるだろう。
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2006年05月31日

ネーメ・ヤルヴィの豪胆

好きな指揮者一人挙げろと言われたら、ネーメ・ヤルヴィと答える。

初めて彼の名を見たのは、週刊FMの記事だった。私がまだ高校生のころ。
テンシュテットが急病(または癌治療か?)でLPOのコンサートをキャンセル、代役でプログラムをそのままブルックナーの8番でコンサートを引き受けたというもの。
英国の雑誌の記事が引用され、「立派な演奏だったが、テンシュテットほどユニークではなかった」ということだったが、
実は当時まだテンシュテットの演奏もヤルヴィの演奏も聴いたことがなく、この記事の意味が本当には理解できなかったが、テンシュテットがすごいということだけは、雑誌でいつも書かれていたので、なるほどなあと思っていた。
今となっては同じLPOでテンシュテットとヤルヴィのブルックナーの8番が聴き比べられるので、良く理解できる。

2度目は、たまたま聴いた、ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の初来日(?)公演の収録のFM放送。エア・チェック魔だった当事、なぜか録音し忘れていて、メインのシェーラザードの途中から聴き始めたのではなかったろうか。
そのシェーラザードもすごかったと思うが、アンコールの何とか言う狂詩曲が、また、とんでもない爆演だった。オーケストラからこんなでかい音が出るのか?

3度目は、大学受験直後、そのころに聴いたショスタコーヴィチの7番のCD録音(CHANDOS)のFM放送。当事この曲はLPでコンドラシンのものを持っており、充分聞き込んでいたが、あのまろやかな演奏とは別物の、突き刺さるような、金管の爆音。まあ、バンダ付きだから普通の編成ではないものの、度肝を抜かれた。
ここにいたって、ネーメ・ヤルヴィの名が頭にこびりついてしまうことになった。東京の大学に受かって、入学手続と身体測定に東京に出たときに、六本木WAVE(懐かしいね。ちょっと涙目)に行って、さっそくこのヤルヴィのレニングラードを手に入れた。
ちなみに受験のときにもすでに六本木WAVEをレコ芸の広告でちゃんと調べていて(バカだね。もっと勉強してろよ、と今までは思う)、そのときはバルビローリのマーラーの9番とか買ったな。

ちなみにアンコールだった何とか言う狂詩曲は、しばらくしてCDで発売されたバルトークのオケコンにカップリングされたエネスコのルーマニア狂詩曲第1番だった。

幸か不幸か、ヤルヴィは、BISとCHANDOSという、クラシカル・レパートリーの辺境を埋め尽くす義務を自らに課したかのようなマイナーレーベルの看板指揮者で、恐ろしい量のCDを生み出し続けた。
とても全部手に入れることはできず、今でも4分の1くらいしか持っていないと思う。

思い出のタコ7はもちろん、ヤルヴィの最大のヒットは、フランツ・シュミットの交響曲第2番だろう。シカゴ交響楽団との演奏で爆音を奏でるすばらしい録音だ。

彼の最大の謎は、なぜメジャー級指揮者にならないのかということだ。多録音で有名なカラヤン、マリナーは、それぞれメジャーレーベルで録音し続け、内容はともかくメジャー級の扱いである。
ヤルヴィもDGにずっと録音し続けているが、「看板」の扱いではない。もちろんレパートリーが王道でないこともあるが、それだけではない。

やはり問題は、常に良い演奏なわけではないこと。また、「良さ」の範疇が、カラヤン的、マリナー的ではないことだろう。

キーワードは「豪胆」。これからいくつかの録音でヤルヴィの魅力を紹介したい。
ラベル:ヤルヴィ
posted by tak at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ネーメ・ヤルヴィ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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