2012年09月30日

怒涛の3日4練習1本番

9月28日(金)
17:45〜18:50
鳥取大学芸術文化センターアートプラザにて、鳥取大学フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会(11/18本番)の三原先生合奏で、チャイコフスキーの4番。弾けぬ。

9月29日(土)
9:00〜11:50
同上、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と某アンコールとチャイ4。やはり弾けぬ。隣の某Uさんはとてもよく弾けてるので、表と裏を代わっていただきたいものである。
12:15〜13:00
空港に東京からいらした高野先生をお迎えし、賀露幸にて海鮮丼。鉢が小さくなってボリュームが減った気がする。
13:30〜16:40
鳥取県オーケストラ連盟演奏会(10/14本番)のための高野先生合奏。リストの前奏曲とチャイコフスキーの悲愴の1,2楽章と某アンコール。1年練習してるから、それなりに弾けるので、幸せな時間。でもチャイ4の後にチャイ6はプチ苦痛。
17:30〜20:00
翌日の本番のための、上記演奏会でソロを吹く人見剛さんをお迎えしてブラームスのクラリネット五重奏曲。人見さんの、超幸せなクラリネットと、ザクザク切られる快感的な指導にメロメロ(?)。畏怖の念を禁じ得ない。
20:30〜
「こな」にて歓迎会的な飲み会的な何か。

9月30日(日)
9:00〜12:00
鳥取県オーケストラ連盟演奏会の高野先生合奏に、人見剛さんをお迎えしてモーツァルトのクラリネット協奏曲。超超幸せな時間。人見さんの「しっかり音を出してくださいね。絶対負けませんから」という力強いお言葉に感嘆。その後悲愴の3,4楽章。弓が足りん。筋肉も足りん。
12:10〜12:30
女(ひと)と男(ひと)のハーモニーフェスタを開催しているとりぎん文化会館のフリースペースの一角をお借りして、オケ連演奏会の宣伝を兼ねた、人見剛さんとカプリス弦楽四重奏団によるブラームスのクラリネット五重奏曲第3,4楽章本番。4楽章の8分の3拍子のところで完全に落ちた(汗)。自分のふがいなさを除けば幸せな時間であった。
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14:30〜17:45
福祉健康センターなわ(だったっけ)にて、鳥取オペラ協会の「こうもり」練習。すでにくたびれ果ててぼろぼろの状態で、こうもりの優美な世界にまったくついていけず。来週本番なのに…。明日から本気出す。

あんまり頭を使うと、目は覚めているのに0.5秒くらい意識が飛ぶことがある、というのがこの3日間の教訓である。対策は、頭使わなくていいように、ちゃんと練習しておくこと(笑)。

2010年11月09日

ウィーン・フィル/ヴェルザー=メスト9/11/10

危うくダメ宣言するところだった。ヴェルザー=メストのブルックナーの9番は、クリーブランド管弦楽団との映像で見ていて、なんと殺伐とした演奏だ、と思いつつも無理やりひいき目に見ていたのだが、今日のウィーン・フィルとの演奏を聴いてようやく合点がいった。
ヴェルザー=メストはブルックナーにおいて、いわゆる「解釈」しないという解釈をしているのだ。意図的にテンポを遅くして何かの情景を描き出したり情緒を生み出したりということは一切ない。
出てくるのは、ブルックナーの書き付けた音符とウィーン・フィルの音。音楽という現象はそれ以上でも以下でもないんじゃないか。
恐ろしい勇気だと思う。特に日本人のブルックナー好きに受け入れられにくいだろう。ジュリーニのように雄弁でないしバーンスタインのような情熱はないしチェリビダッケのように馬鹿丁寧でないしヴァントのように雄弁でない。そういった語りやすい「特徴」を持たない音楽に遭遇して思考停止してしまいそうになるような類い演奏である。
まさにそのままの意味で私はカール・シューリヒトが指揮したウィーン・フィルの演奏を思い出しながら聴いていた。
あるがままの、小細工のない、だけど奏者の歌心は自然ににじみ出る音楽。クリーブランドにはできないけどウィーン・フィルにはできる、伝統に立脚した演奏。
その潔さに喝采!とにかく隅から隅まで堪能したし、「Ja」を強く唱えたい。

2楽章のトリオ末尾〜主部ダカーポの乱れはドキドキしましたね。その直後のテュッティでヴェルザー=メストの顔が真っ赤になってました。
トリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死は、いろんな意味で日常公演を彷彿とさせる演奏だった。集中はほどほどでドラマを表出させて決めるところはどかんといって。あんな演奏ヴェルザー=メストにしかできんわ。

2010年10月24日

スラムドッグ$ミリオネア原作小説

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久々に小説を読んだ。
「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を取ったときの、作品賞を受賞した作品である「スラムドッグ$ミリオネア」の原作本である。
現代は「Q&A」、邦題は「ぼくと1ルピーの神様」。
インド人が書いた、現代インドのあらゆる面を描き出した、非常に刺激的な作品である。

クイズに正解するごとに賞金が上がるあの「ミリオネア」を題材にしていて、教養とは無縁と思われた18歳のウェイターが、なんと全問正解するというお話。

読んでると、ああ私はこんな安穏と暮らしていていいんだろうかと、良心がとがめられるし涙も出るが、最後はある種のハッピーエンドが訪れてほっとする。

いい小説を読んでほっこりしたい人にお勧めです。

2010年10月23日

11月9,10日はWPhを見に

18年ぶり、2回目のウィーン・フィル体験をするべく、チケットと航空券を予約した。
11月9日のヴェルザー=メストの日と、11月10日のジョルジュ・プレートルの日。
実は、ウィーン・フィルのチケットはいつも売り切れて手に入らないものと思っていたのだが、指揮者がサロネンからヴェルザー=メストとプレートルに変更というニュースの中で、どうやらまだまだ売れ残っているらしいと知ったのだ。
この2人ならばぜひ見たいと調べると、上記2日が都合がよさそう。サントリー・ホールの公式サイトは、まだ公式には指揮者変更のアナウンスがされていなかったが、気にせずチケットを押さえた。どうも全然売り切れないみたいね。
チケット取った後に変更のアナウンスがあったので、払い戻しの権利を得ることができたが、きっと行使しない。
http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/sponsor/101101.html
というわけで、東京に行きますので。10日の昼間は暇なので、美術館めぐりをする予定。

2010年05月01日

ヤルヴィの「三枚目」的ブルックナー#5

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真面目にふるまえばふるまうほど笑えてしまう人っていますよね。生まれながらに「三枚目」っていうか、そんな人。
CHANDOSが何をとち狂ったか、ネーメ・ヤルヴィの指揮で録音してしまったブルックナーの5番、これがまさにそんな演奏なんです。

笑える理由はテンポ。普通は少なくとも70分はかかる演奏を、ヤルヴィはわずか62分で演奏してしまっているんです。もちろんノーカット。
1楽章と3楽章はよくあるテンポだけど、2楽章と4楽章は普通の演奏より5分ずつ短い感じの超速。細かい音も結構あるので演奏しにくいのに、指揮者が平然とインテンポを貫くものだから、団員も必死の形相(見えないけど)。それがますます笑えて来るんですわ。
こういう演奏はほかにもあったよなあ、と思い出すと、同じヤルヴィのマーラー6番でした。速くても80分かかるこの曲を、ヤルヴィは72分で振ってしまい、カップリングまで収録できているというすごさ。

ブルックナーの演奏ですが、ハーグ・レジデンティ・オーケストラは、決してスーパーではないものの、十分優秀なので、小気味よい演奏を聴かせます。集中が切れたか、スタミナが切れたが、4楽章のコーダ前のところでグダグダになってしまっているのがちょっと残念。ヤルヴィは2005-06のシーズンから首席指揮者を務めています。
例えば、ヨッフムがファースト・チョイス、チェリビダッケがセカンド・チョイスなら、変り種のこれをサード・チョイスに、という意味でも「三枚目」の演奏です。

Anton Bruckner
Symphony No.5, WAB105
I. 17:57 II. 11:15 III. 12:56 IV. 19:41 TT 62:05

Residentie Orchestra The Hague
Neeme Järvi

2009.9.17-19, Dr Anton Philipszaal, The Hague

2009年07月28日

アンドレーエのブルックナー全集

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フォルクマール・アンドレーエという指揮者の名前を認識している人は、ブルックナー・マニアと考えて間違いなかろう。対偶を取れば「ブルックナー・マニアでなければ、フォルクマール・アンドレーエを知らない」となって、やはり正しい(なんのこっちゃ)。
フォルクマール・アンドレーエの指揮による、史上初のブルックナー全曲録音である。ウィーン交響楽団の演奏。

以下、ライナーノートの受け売り、いや引用多数。

フォルクマール・アンドレーエは、1879年にスイスに生まれた指揮者。クナッパーツブッシュ、シューリヒト、フルトヴェングラー、クレンペラー、アーベントロート、ワルター、チャールズ・アドラーなど、そうそうたる「ブルックナー指揮者」たちと同じ世代である。
しかも、その中でも最も多く(演奏も、曲も)ブルックナーを演奏したのが、アンドレーエではなかろうか。何しろ、1911年(マーラーの没年ですな)までに、ブルックナーの交響曲を1番から9番まで演奏しているそうだ。

今回の全集は、ウィーンの放送局で、1953年1月中旬から2月中旬の間に放送用にセッション録音されたもの。
ブルックナーで常に問題になる、「どの版、稿を選ぶか」について、アンドレーエは非常に興味深い選択をしている。

交響曲第1番ハ短調 1953.1.15録音
1935年出版のハース版リンツ稿を使用(ライナーノートに"1953"との記載があるが、これはノヴァーク版の出版年なので誤り)。2年前の録音では、アンドレーエは1893年に出版されたシリル・ヒナイス校訂のいわゆる「初版」のウィーン稿を使用しているらしい。1番において、リンツ稿とウィーン稿は、普通「全然違う」曲と捉えられるので、両方録音した指揮者というのは珍しい。1935年以前にはウィーン稿しかなかったわけで、これでなじんだアンドレーエが、リンツ稿に鞍替えしたのは、リンツ稿に魅力を感じたからなのだろうか。私個人としては、リンツ稿の方が好き。

交響曲第2番ハ短調 1953.1.16録音
1938年出版のハース版を、1877年稿の最初の出版どおりにカットして使用。
ハース版は1877年稿に、1872年稿を混ぜて使っており、2楽章の最後のフレーズがクラリネットではなくホルン、3楽章スケルツォのリピートが特徴である。また、1877年にカットされた部分が復活されており、これが批判の対象になっている。アンドレーエはそれを注意深くカット。しかも1箇所、初版と同じダイナミクスの追加を行っている。つまり、ほぼ初版準拠。

交響曲第3番ニ短調 1953.1.14-2.5録音
改訂版使用。改訂版は、ノヴァーク版第3稿(1890年稿)とだいたい同じなので、問題ない。この時期に入手が可能だった1950年出版のエーザー版は第2稿(1878年稿)。なじみの改訂版を使ったものと思われる。

交響曲第4番変ホ長調 1953.1.19録音
1944年出版のハース版使用。それ以前はレーヴェによる改訂版しかなかったわけだが、よりオーセンティックなハース版に乗り換えたのは妥当。改訂版に特徴的な第1楽章展開部の入りのところのバスのff、第4楽章のシンバルは引用されていない(テンシュテットはこの部分を改訂版風に変更している)。つまりハース版のまま。

交響曲第5番変ロ長調 1953.1.24録音
1935年出版のハース版使用。これも悪名高いシャルク改訂版は使用せず。

交響曲第6番イ長調 1953.1.14-2.5録音
1935年出版のハース版使用。初版とはあまり変わりがない。

交響曲第7番ホ長調 1953.1.14-2.5録音
1888年出版の初版(グートマン版)使用。ハース版と違って2楽章でシンバルとトライアングルが鳴る。

交響曲第8番ハ短調 1953.1.14-2.5録音
1892年出版のシャルク改訂版使用。後年の第2稿ノヴァーク版と実質的に同じ。当時入手できたハース版は、第1稿を混ぜたりしていて評判が悪く、ウィーンでは好まれなかったそうだ。

交響曲第9番ニ短調 1953.1.14-2.5録音
1935年出版のオーレル版使用。悪名高きレーヴェ改訂版は使用せず。

テ・デウム
批判校訂版はまだ出ていなかったので、初版使用。

以上のとおり、版の選択は非常に賢明である。その時点で入手できる最もオーセンティックな楽譜を使用しつつも、ハース版の一部に見られる恣意的な校訂譜を排除している。
結果として、ずっと後の世代にノヴァーク版で完成されたブルックナー全集と、音はほぼ同じなのだ。

この全集によって、指揮者たちはどう「版」を選んできたのか、ということが腑に落ちた気がする。
つまり、最初のブルックナー指揮者世代は、基本的に初版を使い、改訂版については人によっては改訂版をそのまま(クナッパーツブッシュ)、人によってはオーセンティックなハース版に乗り換える。
次の世代は、最初からハース版を学んだので、ハース版を使用する(ヴァント、ドホナーニ)。
その次の世代は、ノヴァーク版が入手できたので、ノヴァーク版を使用する。ショルティやジュリーニはヴァントと同じ世代だが、ブルックナーを勉強し始めたのはずっとあとだったのだろう。
オイゲン・ヨッフムやロヴロ・フォン・マタチッチは、実は最初の「改訂版」世代で、最終的には結果的にそれに近いノヴァーク版に乗り換えたのだろう。この2人は、晩年になって改訂版の修正をノヴァーク版に取り入れている。ヨッフムは、7番の1楽章の第1主題にあるホルンのブリッジ、マタチッチは、9番3楽章終結部のピツィカート→アルコの変更。

さて、大事な、演奏についてであるが、基本的には心もとないところの多い演奏である(笑)。3番など、全く同時期のクナッパーツブッシュとウィーン・フィルの演奏と比べたら、比べるのがかわいそうなくらい。
それでも、7番はベイヌムを、8番はセル(コンセルトヘボウの方)を、9番はマタチッチを思い出す、昔かたぎの温かいブルックナーであり、この時期にすでにブルックナーとはこう演奏するもの、みたいなコンセンサスが生まれていたことがよく分かる。
また、当時は相当演奏が少なかったであろう6番は、心が熱くなる名演である。

結論として、決して気軽に入手してはいけないブルックナー全集であり、分かる人が聴けば多くの収穫を得られる貴重な「世界初」の全集であった。


Anton Bruckner
9 Symphonien & Te Deum

Volkmal Andreae
Wiener Symphoniker

Music & Arts CD-1227(9CDs)

2009年07月17日

ブルックナーの交響曲の版・稿

私が最も敬愛する作曲家、アントン・ブルックナーは、紹介される際に「いろんな版があって複雑」なんてことが必ず言われるが、じゃあどれくらい複雑なのか、ずっと整理してみたかった。
というわけで整理したのが以下のリスト。楽譜の成立順に並んでいます。
ちなみに、「稿」はブルックナー自身が作曲、あるいは改訂した段階を指し、「版」はブルックナー以外の改訂者、楽譜出版者、校訂者の編集状況を指します。
たいていの人には全く無用のリストですが、私はこういうを作って眺めるのが好きなんです。

No. 成立年 曲・版・稿
1 1863 交響曲ヘ短調"00番"
2 1866 交響曲第1番ハ短調"リンツ稿初稿"
3 1869 交響曲ニ短調"0番ノヴァーク版"
4 1869 交響曲ニ短調"0番ヴェス版"
5 1872 交響曲第2番ハ短調"未定稿"
6 1873 交響曲第2番ハ短調"初稿"
7 1873 交響曲第3番ニ短調"第1稿"
8 1874 交響曲第4番変ホ長調"第1稿"
9 1876 交響曲第2番ハ短調"初稿2"
10 1876 交響曲第3番ニ短調"アダージョ第2番"
11 1875-77 交響曲第5番変ロ長調"初稿"
12 1877 交響曲第1番ハ短調"リンツ稿ハース版"
13 1877 交響曲第1番ハ短調"リンツ稿ノヴァーク版"
14 1877 交響曲第2番ハ短調"決定稿ハース版"
15 1877 交響曲第2番ハ短調"決定稿ノヴァーク版"
16 1877 交響曲第2番ハ短調"決定稿キャラガン版"
17 1877 交響曲第3番ニ短調"第2稿ノヴァーク版"
18 1878 交響曲第3番ニ短調"第2稿エーザー版"
19 1878 交響曲第3番ニ短調"ピアノ連弾用マーラー版"
20 1878 交響曲第4番変ホ長調"民衆の祭りフィナーレ"
21 1878 交響曲第5番変ロ長調"ハース版"
22 1878 交響曲第5番変ロ長調"ノヴァーク版"
23 1881 交響曲第4番変ホ長調"第2稿ハース版"
24 1881 交響曲第4番変ホ長調"第2稿ハース版"
25 1881 交響曲第6番イ長調"ハース版"
26 1881 交響曲第6番イ長調"ノヴァーク版"
27 1885 交響曲第7番ホ長調"ハース版"
28 1885 交響曲第7番ホ長調"ノヴァーク版"
29 1885 交響曲第7番ホ長調"初版"
30 1886 交響曲第4番変ホ長調"第2稿ノヴァーク版"
31 1887 交響曲第8番ハ短調"ノヴァーク版第1稿"
32 1888 交響曲第4番変ホ長調"第3稿コースヴェット版"
33 1888 交響曲第4番変ホ長調"レーヴェ改訂版"
34 1888 交響曲第8番ハ短調"アダージョ第2番"
35 1888/89 交響曲第3番ニ短調"第3稿ノヴァーク版"
36 1887/90 交響曲第8番ハ短調"ハース版"
37 1887/90 交響曲第8番ハ短調"フルトヴェングラー版"
38 1889 交響曲第9番ニ短調"トリオ1"
39 1890 交響曲第3番ニ短調"シャルク兄弟改訂版"
40 1890 交響曲第8番ハ短調"ノヴァーク版第2稿"
41 1891 交響曲第1番ハ短調"ウィーン稿ブロシェ版"
42 1891 交響曲第1番ハ短調"ウィーン稿ヒナイス版"
43 1892 交響曲第2番ハ短調"ヒナイス版"
44 1892 交響曲第8番ハ短調"シャルク版"
45 1893 交響曲第9番ニ短調"トリオ2"
46 1894 交響曲第5番変ロ長調"シャルク改訂版"
47 1894 交響曲第9番ニ短調"オーレル版"
48 1894 交響曲第9番ニ短調"ノヴァーク版"
49 1894 交響曲第9番ニ短調"コールス版"
50 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ断片オーレル版"
51 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ断片フィリップス版"
52 1899 交響曲第6番イ長調"ヒナイス版"
53 1888/1900 交響曲第4番変ホ長調"マーラー版"
54 1903 交響曲第9番ニ短調"レーヴェ改訂版"
55 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・サマーレ・マッツカ補筆完成版1984"
56 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・キャラガン補筆完成版"
57 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・サマーレ・マッツカ補筆完成版1985"
58 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・サマーレ・マッツカ・フィリップス・コールス補筆完成版1992"
59 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・キャラガン補筆完成版2003"
60 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・サマーレ・マッツカ・フィリップス・コールス補筆完成版2005"
61 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・キャラガン補筆完成版2006"
62 1896 交響曲第9番ニ短調"フィナーレ・サマーレ・マッツカ・フィリップス・コールス補筆完成版2007"

参考サイト
Anton Bruckner http://abruckner.com/
川崎高伸氏 音楽の壺 http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

2009年06月14日

初心者不可触ブルックナーその4 #5

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「初心者触れるべからず」のブルックナー異稿録音シリーズ、完結編。
交響曲第5番は、このシリーズの大本命。5番ファンは必ず聴くべし。

従来、交響曲第5番は、1878年の決定稿と、弟子に無残に編曲された改訂版しか知られていなかった。
ところが、最近になって1876年の初稿、と言うよりは、暫定完成版、あるいは未定稿とでもいうべき楽譜を日本人の研究者が研究し、初稿としてまとめたのだ。

ブルックナーが交響曲第5番を書いた時期は、交響曲第1〜4番の作曲と修正も並行して行っている。

1873年 第2番初稿
1873年 第3番初稿
1874年 第4番初稿
1876年 第5番初稿
1877年 第2番第2稿
1877年 第3番第2稿
1878年 第4番第1〜3楽章第2稿
1878年 第5番決定稿
1880年 第4番第4楽章第2稿

ブルックナーが「産みの苦しみ」を味わい、初期の原始的な荒々しさから、中期以降の端整な構築性に自身の様式を昇華する力を蓄えた、重要な時代である。

第5番は、弟子が直した改訂版を無視すれば、実質的に1種類しか楽譜がなく、それがまた完成度が高い(しばしば建築物に例えられる)ために、作曲の苦労などを感じることはなかったのだが、この初稿を聴いて、ブルックナーの改訂の技の素晴らしさを改めて認識できた。
ここでごく一部内容を確認できる。http://www.abruckner.com/downloads/curiosities/whataretheyplaying/
第5番の特徴として、同じ音型の繰り返しがある。例えば、第3楽章冒頭15小節目から6回、ティーラーララティーラーララティーラーララティーラーララティーラーララティーラーラララン、というふうに、くどいくらいおんなじ音型を続けるのだが、初稿では7回ある。4楽章コーダ前の、ほとんど全部曲が8小節単位でできているブルックナーの作品の中で、例外的に7小節で次のパッセージに行く有名な部分が、初稿では同じことを繰り返して8小節単位になっている。このように、決定稿に慣れている身には、多すぎたり少なすぎたりして聴こえるのだが、むしろ、これまでくどいと思っていたこの繰り返しの回数が、決定稿ではまさにちょうどいい回数だけあったのだということが、初稿を通じて認識できる。
そして、バス・チューバがないこと。冒頭のコラールやコーダが軽くて仕方がない。

もうひとつ、このCDの重要なのは、指揮の内藤氏が寄稿した文の中で、「既存の演奏は、本来2分の2拍子で書かれた冒頭部分が改訂版で4分の6拍子に書き改められたために、その伝統を引きずって、主旋律のリズムの狂いや歪みを生じている」と述べている点。
第2楽章冒頭は、2拍3連の弦のピツィカートに乗って、オーボエが2分の2拍子の旋律を吹く。
記譜は、下記のようになっている。

例1
↓オーボエ
タ――タ―タ―|タ―タ―タ―休
タンタンタンタンタンタン|タンタンタンタンタンタン
↑弦

しかし、たいていの演奏は以下のように、オーボエが3連符を意識して演奏している。

例2
↓オーボエ
ターーターーターー|ターーターーター休
タンタンタンタンタンタン|タンタンタンタンタンタン
↑弦

これが改訂版の呪縛だと主張しているのである。なるほど、従来の遅すぎるテンポ設定への批判とあわせてもっともなことだと納得できるのだが、残念なことに、この演奏でもリズムの歪みは残っているのである。
実は、これを完全に例1のように記譜どおりに演奏しているのが、オトマール・スウィトナーが指揮した、シュターツカペレ・ベルリンの演奏。ちゃんと演奏した実例があるのだから、主張どおりちゃんとしてほしかった。

ともかく、演奏の水準は高く、この貴重な初稿の演奏の価値を過不足なく伝えている。

というわけで、ブルックナーの異稿シリーズは、DELTA CLASSICSから出ているのは、これでおしまい。0番の初稿は残っていないだろうし、ほかの曲も、すでに知られている以外の異稿はないであろう。


アントン・ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調
川崎高伸校訂による1876年初稿、初演・初録音

内藤 彰 指揮
東京ニューシティ管弦楽団
2008年12月17日 東京オペラシティ コンサートホールでのライブ録音
DELTA CLASSICS DCCA-0060

2009年06月13日

初心者不可触ブルックナーその3 #9

bruckner9_carraganfinale.JPG

「初心者触れるべからず」のブルックナー異稿録音シリーズ。当然マニア必聴。

交響曲第9番といえば、「未完の交響曲」として広く知られてきたが、第4楽章の補筆完成版の完成度が年々上がってきたことによって、また、それらを積極的に取り上げる指揮者が増えてきたことによって、マーラーの交響曲第10番がそうであったように、完成した交響曲として認識されるようになってくるのではと、個人的には感じている。
しかしながら、注意しなければならないのは、第4楽章の演奏用楽譜には3つの系統があること。

1つ目は、ブルックナー自身が書いた楽譜。弟子が形見分けしたために、自筆譜が散逸しており、とりあえず存在が確認されているものだけでまとまった一つの出版譜になっている。アーノンクールはこれを使ってウィーン・フィルと録音している。
2つ目は、ウィリアム・キャラガンによる補筆完成版。1983年に発表され、まもなく、ヨアフ・タルミの指揮、オスロ・フィルの演奏の録音がCHANDOSから発売された。1枚目に1〜3楽章、2枚目に断片のみの録音と、この補筆完成版。たいていの人(私も)は、これで初めて補筆完成版の第4楽章を聴いた。これが2006年に改訂され、今回紹介しているCDで演奏されている。
3つ目は、ニコラ・サマーレとジュゼッペ・マッツカが1984年にまとめたもの。この形でまずエリアフ・インバルとフランクフルト放送交響楽団の演奏がTELDECから発売された(なぜか5番とこのフィナーレのみのカップリングだった。当時はまだ3楽章までの完成版と一緒に演奏するのは恐れ多いという雰囲気だったような気がする)。その後、ジョン・A・フィリップスとグンナー・コールスが加わって、より精度の高い補筆完成版が1992年に発表されて、クルト・アイヒホルンとリンツ・ブルックナー管弦楽団の演奏がCAMERATAから発売(これは1〜3楽章と一緒)。その後、この4人で改訂を進め、1996年改訂のものをヨハネス・ヴィルトナーとノイエ・ヴェストファーレン・フィル(Naxos)が、2005年改訂のものをマルクス・ボッシュとアーヘン交響楽団(Coviello)が録音している。そして最新の2007年改訂版を使用して、ダニエル・ハーディングがスウェーデン放送交響楽団と演奏を行った(放送録音あり)。
この記事を書くに当たっては以下のサイトを参照した。
http://www.abruckner.com/discography/symphonyno9indmino/

私が補筆完成版を初めて聴いたのは、ヨアフ・タルミのウィリアム・キャラガン版が最初で、コーダに現れる場違いなトランペットの旋律にたいそう失望したものだ。その後、サマーレ=マッツカ(&フィリップス=コールズ)版がどんどん充実してきて、鳥取でもフィリップ・ヘレヴェッヘとロイヤル・フランダース・フィルの超名演が聴けて、もうこれで決定版だなあと思っていたところだった。
ところが、ここでまたキャラガンの改訂版。この演奏のせいもあり、楽譜が失われた部分を接続するために「作曲」したものがあまり魅力的でなく、個人的には、あまり重要性を感じない。改訂版とのことだが、さらににぎにぎしくなって場違い感が増しているような気がする。

むしろ、このCDの最大の存在意義は、第2楽章トリオの異稿を録音したこと。トリオには、3つの作曲過程があって、現在普通に演奏されるのは第3稿。ここではじめて第2稿を聴くことができた。なんとも珍妙な音楽である。正直言って、これが決定稿にならなくて良かった、という感じ。でもそれが確認できてよかった。面白いのは、全く違う音楽なのに、僅かに一つ、共通の旋律が使われていること。第3稿の「芽」を感じさせる。

ところで、1〜3楽章の「コールズ版」は、ノヴァーク版とほぼ同じ。たしか誤りの訂正といったレベルの校訂だったと思う。アーノンクールもこれを使用している。

演奏については、「よくやった」と言いたい。1楽章から3楽章までは、非常にブルックナーらしい演奏である。誰の演奏か知らされずに聴いて、日本人の演奏であることを言い当てる自信は全くない。それくらい自然な演奏である。しかしながら、さすがにこの長大な4楽章版ではスタミナ切れであるのが残念。3楽章辺りでちょっとがんばりすぎたかも。


アントン・ブルックナー
交響曲第9番ニ短調
第1〜3楽章 グンナー・コールズ校訂版(2000年)、第2楽章のトリオのみ、ウィリアム・キャラガン校訂の第2稿(通常は第3稿)を使用
第4楽章 ウィリアム・キャラガン補筆完成版(1983年完成/2006年9月補完)(世界初演・初録音)

内藤 彰 指揮
東京ニューシティ管弦楽団
2006年9月28日 東京芸術劇場大ホールでのライブ録音
DELTA CLASSICS DCCA-0032

2009年06月12日

初心者不可触ブルックナーその2 #4

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「初心者触れるべからず」のブルックナー異稿録音シリーズ。当然マニア必聴。

ロマンティックは、ブルックナーの創作の初期から中期に至る重要な時代の作品のためか、ヴァージョンが異様に多い。書かれた順に次のとおり。

1.第1稿
2.フィナーレ異稿「民衆の祭り」
3.第2稿(ハース版とノヴァーク版。微妙に違う)
4.改訂版
5.マーラー版

これまで普通に演奏されていたのが第2稿(ベームとか)。最近の録音のほとんどは第1稿(ノリントンやナガノ)。
グスタフ・マーラーの「編曲」であるマーラー版は無視してよい。
そして、弟子の手になると考えられていた「改訂版」も無視してよい存在と思っていたら、実はほとんどがブルックナーの指示による変更で、実質的に「第3稿」と呼ぶべき存在であることを示したのが、この録音なのである。ベンジャミン・M・コースヴェット博士が校訂し、2004年にブルックナー協会が出版した、正統的な楽譜である。
とは言っても、ゆったりのどかなブルックナーではない。「改訂版」は、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、マタチッチなど、超個性的な指揮者の録音しかなかったので、どこまでが曲の個性でどこからが指揮者の個性なのか判然としなかったが、この録音を聴いたら、誰がやってもあんなふうに「コテコテ」になるのだとわかる。
まずは、しょっちゅうティンパニがドコドコいってて、かなり騒がしい。次に、テンポ設定や音量、表情などがこってりと指定されているようで、メロディが厚化粧に聴こえる(指揮者の内藤氏によれば、これまでがすっぴん過ぎたらしい)。余談だが、この辺りのことは、第2稿で演奏したクラウス・テンシュテットが演奏に取り入れているのが興味深い。彼も改訂版世代なのだ。
そして、第3楽章の主部など、音楽を書き換えているところは、かなり劇的になるように変えている。
結果的に「化粧美人」のブルックナーになっている。でも私が好きなのは「すっぴん美人」(笑)。普通の第2稿がやっぱりいいわ。

演奏はなかなか素晴らしい。十分な表現意欲で、きちんと「コテコテ」に演奏してくれている。


アントン・ブルックナー
交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
1888年第3稿 コースヴェット版 世界初演・初録音

内藤 彰 指揮
東京ニューシティ管弦楽団
2005年7月5日 東京芸術劇場大ホールでのライブ録音
DELTA CLASSICS DCCA-0017

2009年06月11日

初心者不可触ブルックナーその1 #8

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「初心者触れるべからず」のブルックナー異稿録音シリーズ。当然マニア必聴。

どの作曲家でも推敲は行っているはずだが、ブルックナーの場合、なぜか推敲の前のバージョンと後のバージョンが資料として残っていて、研究者が律儀に両方演奏用楽譜を準備しているおかげで、ブルックナーを聴くという行為自体がとても複雑になっている。
この交響曲第8番の演奏できる楽譜のバージョンは、楽譜が書かれた順に以下のようになる。

1.第1稿(ブルックナーの自筆譜を基にレオポルド・ノヴァークが監修)
2.第2稿(ブルックナーの自筆譜を基にレオポルド・ノヴァークが監修)
3.改訂版(ブルックナーの弟子が修正)
4.ハース版(ブルックナーの自筆譜の第1稿と第2稿を基にハースが再構成)

ハース版は、第2稿(ノヴァーク版)と並び立つ存在と考えるのが一般的だが、わたしは最初の原典版監修者であるロベルト・ハースがアレンジしたものだと思っている。なので、順番は最後に書いた。

そこでこのディスク。1と2の間の時期にブルックナーは第3楽章のアダージョだけを修正している。この自筆譜は1999年に発見され、日本人である川崎氏が「アダージョ第2番」として演奏会用に楽譜をまとめた。これを録音しているのだ。実はこの楽譜が録音されたのは2度目。1度目はエレクトーンによる演奏の録音だった。それが、今回の録音では、初めて普通のオーケストラで演奏されている。
このアダージョ第2番、関係者の多大な努力にもかかわらず、何かオーケストラが間違えて演奏しているようにしか聴こえない、ぎこちない音楽になっている。だが、それこそが、最終的に第2稿として完成させることができたブルックナーの偉大さを証明することにもなる。だからこそ、ブルックナーの8番を聴いたことのない人は、この録音で初めて8番を聴くというようなことは避けてほしいものだ。
演奏は、案外と言っては失礼だが、良い。指揮者の内藤氏は、これがブルックナーの8番を振るはじめての機会だったそうだが、堂々たる名演である。トータルで74分36秒と、テンポは全体に速いが、心地好い快速。オケもプロとしての基本的な水準はクリアし、ブルックナーへの共感も感じさせている。


アントン・ブルックナー
交響曲第8番ハ短調

1,2,4楽章:ノヴァーク版第2稿
3楽章:D.Gault氏と川崎高伸氏編集による、アダージョ第2番の楽譜使用。世界初演。

内藤 彰 指揮
東京ニューシティ管弦楽団
2004年9月4日 東京芸術劇場大ホールでのライブ録音
DELTA CLASSICS DCCA-0003

2008年09月13日

ヴェルザー=メストのブルックナーの9番

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オタク的に音楽を聴くようになると、ついつい演奏スタイルを類型化してしまうようになる(演奏スタイルなどといっている時点ですでに類型化が始まっているとも言えるが)。
フランツ・ヴェルザー=メストが、自らが率いるクリーブランド管弦楽団との楽旅で、ウィーンの楽友教会大ホールで行った公演の映像である、ブルックナーの交響曲第9番。

実は、この演奏を聴くにあたって、情報が3つあった。
・大学時代の友人が楽旅前のクリーブランド公演で同じ曲の演奏を聴いたレポートを読んだ。
「子供が泣き出すぐらいの迫力」
・よく読んでいたウィーン在住のホルニストのブログでこの公演のことが紹介されていた。
http://ausdrucksv.exblog.jp/6742524/
「ブルックナーの音楽に内在するドラマ性(というと語弊があるな…、ウゥーン、精神性??)、を徒に誇張することなく、もっと違う部分に光が当たった演奏」
・レコード芸術9月号の海外盤試聴記で、吉村溪氏がこの演奏を紹介している。
「より激しく闘争的なイメージ」

そういう情報を頭に入れつつ、聴いていて最初に思ったのは、「ああ、これはヨッフムとベルリン・フィルの演奏に似ているな」ということ。すぐに既存のイメージに押し込めてしまったのだ。そしてまた「もう一つ似た演奏がある。ヨハネス・ヴィルトナーとヴェストファーレンのオケの演奏だ」と。実は、この2つの演奏、苦手なタイプの演奏と思ってしまって1度しか聴いていなかった。

今回改めてそれぞれ聴いてみたのだが、なるほど、類型化してしまった理由、そして苦手と思ってしまった理由が分かってきた。
いわゆるブルックナーらしい演奏というのは、テュッティを「ゥワーン」と鳴らすものが多いのだが、これらの演奏は「ワーン」とか「バーン」とかいう発音が多い。もったいぶることなく、また無用なルバートがなく音楽が進んでいく。

だが、こういう類型化では捉えきれない解釈、そして既存の情報だけでは表現し切れていない何かがあるはずだ、ということがずっと気になっていた。それは、すぐに分からなかった。
おそらくこういうことだろう。
ブルックナーの9番(4楽章完成版)を、鳥取で、フィリップ・ヘレヴェッヘ教祖様の指揮するロイヤル・フランダース・フィルの演奏で聴くという非常に貴重な機会があったが、その時はこの曲を「神々を描いた叙事詩」として感じてしまった。ハイティンクとシュターツカペレ・ドレスデンの8番でも同じようなことを感じた。つまり、やりようによってはこれらの曲は、演奏会形式のオペラみたいに聴かせることもできるのだ。しかし、ヴェルザー=メストはそういうことはしたくないのだろう。整然とした音響を着実に積み上げていくこと、音響や音楽がふやけないように発音をコントロールすること、その中で歌を表現すること。それによって、音楽の持つドラマは手段としてではなく結果として表現される。アーノンクールのようなアプローチ?

ところが、この演奏では妙に闘争的に聴こえるために狙いがはっきり聴き取れない。理由は二つあると思う。

一つは音質の問題。この映像の音質はあんまりよくない。多分、あまりに音が大きいので、響きで混濁しないように響き成分をカットしまくっていることが原因だろう。そのせいで、この演奏のよさが最初はなかなか分からなかった。

もう一つは、この演奏がかもし出すこの不思議な緊張感。おそらく、単純に、指揮者も奏者も緊張しているんじゃなかろうか。いつだかもベートーヴェンのミサ・ソレムニスとか演奏しているし、ウィーンに、このホールに慣れてないということはなかろう。しかし、やはりウィーンでブルックナーを演奏するということは、相当なプレッシャーだと思う。しかも、公演が1日しかないのに映像撮りが決まっていてミスするわけにいかない。そんな外的要因によるピリピリ感が演奏からなかなか払拭できない。

ところで、なぜかこの演奏からは妙な懐かしさを感じてしまうところがあった。私がこの曲を聴き始めたのは、マタチッチ指揮のウィーン響の演奏とシューリヒト指揮のウィーン・フィルの演奏で、いずれも自分で買ったLPである。特に第2楽章のトリオなど、あのなんともくつろいだ雰囲気。それがこのヴェルザー=メストの演奏からも感じられたのだ。彼もやはりオーストリアの人。それが自然に式に現れてしまうのかもしれない。あるいは、これらの演奏を聴きこんでいるためかもしれないけどね。

The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst

Anton Bruckner
Symphony No.9 in D minor
Großer Musikvereinssaal, Vienna, 31 October 2007
medici arts

2008年08月14日

オーケストラの向こう側

musicfrominsideout.JPG

最高のドキュメンタリー映画である。以下ネタばれ注意。

フィラデルフィア管弦楽団の団員たちが、「音楽とは何か」を話し合う。
大作曲家の人生を楽譜を通して眺めること、名曲の名曲たるゆえん、オーケストラの中で演奏する制約とかカタルシスなど。
面白いことに、端々に実演が取り入れられてていて、しかも、ライブやリハーサルだけでなく、この映画のためにフルオーケストラでスタジオ収録したテイクもあるにもかかわらず、演奏自体は脇役である。音質も概して良くない。また、サヴァリッシュ、デュトワ、エッシェンバッハといった大指揮者が出演しているのに、彼らの肉声は一切収録されていないし、アップにもならない。エッシェンバッハのハゲ頭を後ろから撮ったアップはあるけど。指揮者さえ脇役である。
主役は、それぞれのプレイヤーたちであり、彼らが何を考えながら演奏しているか、である。
さて、それで「音楽とは何か」について、この映画の中で答えが出たわけではない。しかも、それぞれのプレイヤーで音楽の捉え方が違うこともある。それでも、「音楽とは何か」について、いつもいつも追い求めているし、「いい音楽とは何か」は「分かる」というようなコンセンサスもありそうだ。言葉にはできなさそうだけど。
結局のところ、「音楽とは何か」を考えるプロセスが音楽自身を作るのだろう。

しかしまあ、なんとも贅沢なつくりである。公開された本編では、ヨーロッパ・ツアーの様子と中国ツアーの様子が出てくるが、ポーランドのシーンが2秒、イギリスのシーンが2秒、上海が一瞬、と言った具合。ソリストとして登場しているラン・ランなんて、ウォーミングアップにピアノをいじくっているシーンだけ。ラン・ランを知らない人が見たら、少年がピアノで遊んでいるようにしか見えない。つまり、ツアーをすることや、特別な能力を持ったソリストの音楽性とかは、ここでは重視していないようだ。オーケストラにとっての音楽とはあまり関係ないからだろう。

ちなみに、特典映像の中に、指揮者について語った項と、ラン・ランとサラ・チャンのコンチェルトの演奏シーンがあるが、これらは確かにカットしてしかるべき内容だろう。指揮者についての項は理屈っぽすぎる。サイモン・ラトルのブルックナーの9番の演奏シーンはある意味お宝だが、ラトルにブルックナーの9番は振ってほしくないと思わせるような演奏である。また、ソリストたちは奔放すぎて、この映画の中に居場所を見出せない。ただし、ラン・ランの演奏するプロコフィエフのピアノコンチェルト第3番を伴奏指揮するサヴァリッシュ(多分2000年)は必見であろう。

脇役であるはずの演奏シーンで心に残ったのが3つ。
ストラヴィンスキーの兵士の物語(多分組曲版)の練習風景では、指揮者なしで演奏する場合、完全に正確なインテンポの音楽の中に音を打ち込んでいくような演奏スタイルで、アメリカとかイギリスの奏者(たまに日本も)の演奏スタイルの原点を見るようであった。

ツアーの途中、ケルンの街頭で、バンドネオン(映画の中ではアコーディオンと言っている)でヴィヴァルディの四季の冬の3楽章を演奏するのを、フィラデルフィア管のメンバー30人くらいが食い入るように見ているシーン。バンドネオンの人はめちゃめちゃ上手くて、緊張するタイプでもなさそうだし、おそらく取り囲んだお客さんがフィラデルフィア管の人だとは知らないんだろうが、その食い入るような視線に客の尋常でなさをを感じて、相当テンションも上がったんだろうなあ、と思って見た。

指揮者は脇役と言ったが、指揮者の名前が一度だけ出る。サヴァリッシュである。ある人には適度な悲しさをもたらしてカタルシスを感じさせ、ある人には過度の悲しさをもたらしてぼろぼろになったという、ある演奏。そこではブラームスの4番の第2楽章が使われているんだが、涙を誘う哀切きわまる演奏であった。

2008年01月07日

ショルティ再会

solti_bruckner9.JPG

私にとってサー・ゲオルク・ショルティとは、20年以上も前、中学生の頃にクラシックを聴き始めた頃の「定番」であった。中学生時分の多くはない小遣いを工面して買うLPのチョイスの中で「ハズレ」を引かないと想定される指揮者だったのだ。だから、LPではアルプス交響曲(バイエルン放送響)と大地の歌(シカゴ響)、さらにオムニバスの1,000円LPを持っている(カルメンの前奏曲とかツァラ冒頭とかアダージェットとか「定番」の曲が聴けた)。
高校生の頃、知人の家に行ったらそのお父さんがえらくマニアで、ホーン型の巨大なスピーカー(普通の箱型のはブックシェルフ型と言います)などの高級オーディオと無数のCD(メジャーレーベルばかり)にびっくりし、とりあえず聴かせてもらったのがショルティのブルックナーの9番だった。そこから聴こえてきたのはショルティらしからぬ柔和な音楽であった。
大学生以降今に至るまで、この9番は全曲を聴く機会がなかったし、ショルティの音楽は聴くものすべてが柔和とは言いにくい「強靭」なものがほとんどだったので、あのブルックナー体験は何かの勘違いかもなんて思ったりもした。

このたびヤフオクでこのショルティのブルックナーの交響曲第9番を入手し、ようやく全曲聴くことができた。その演奏は、まさに柔和な部分とやはり強靭な部分とが絶妙に隣り合わせた名演である。
どうも最近はショルティというとあの森林をなぎ倒すブルドーザーのようなマーラーの6番を代表盤とするデリカシーのない指揮者のように思われている節があるが、それだけではないとずっと思っており、それがようやくこの演奏で確認できた。

ちなみにシカゴ響のブルックナーは、この約10年くらい前にカルロ・マリア・ジュリーニがEMIに録音した演奏がある。強靭さは同じだが、テンポの動かし方=音楽の動かし方は全然違っており、それぞれの個性が出ている。バレンボイムとの全集も聴いてみたいものだ。


Anton Bruckner
Symphonie Nr.9 d-moll

Sir Georg Solti
Chicago Symphony Orchestra

1985.10, Orchestra Hall, Chicago
DECCA
タグ:ショルティ

2007年10月18日

上岡敏之のブルックナー#7

bruckner7kamioka.JPG

演奏時間が90分と話題(?)の、上岡敏之のブルックナーの7番のCDを聴いた。
第1楽章 28:43
第2楽章 33:33
第3楽章 12:07
第4楽章 16:37
 計  90:57

比較に手元にあるいちばん速そうなエドゥアルド・ファン・ベイヌムとコンセルトヘボウ管弦楽団の2回目(1953年)の録音のタイムを掲載する。
第1楽章 18:40
第2楽章 19:05
第3楽章  9:10
第4楽章 11:45
 計  58:40

上岡とヴッパータールのオケはなんでも来日している(た?)そうで、同じ曲を東京でも同じように演奏したらしい。
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-62.html

CDを聴く前に風呂に浸かりながら1楽章が30分になりそうなテンポをシミュレーションしてみた。う〜ん、全然違和感ないじゃん。というか、パルジファルを想定しているのかな。冒頭の音型がよく似ているし。ということは、パルジファルみたいなバレエの振り付け作ってこれで踊ったらいいんじゃない?なんて、適当なことを思いついてみた。
聴いてみると、想定そのまんまじゃないか。一瞬パルジファルみたいだし。遅くてもオケが比較的上手いから違和感全然ないし。ただ、このテンポでなければできないことというのはあまり聴き取れない。
東条氏は遅いことで構築性がどうとか書いておられるが、一瞬一瞬の音楽がきれいだったら充分じゃないの。

解説を読んでみると、上岡自身が「ハース版とか改訂版とかから取捨選択した(超略)」なんて書いてて、テンポの遅さもそうだけど、ペーター・ヤン・マルテのやっていることとおんなじじゃないのか。
http://takmusik.seesaa.net/article/33165784.html
http://takmusik.seesaa.net/article/33247529.html

というわけで、このテンポの意味を邪推してみる。
(1)とにかく遅いこと自体に意味がある
(2)とにかくチェリ様の信奉者
(3)ヴッパータール市にゆかりの3大ブルックナー指揮者に敬意を表しつつ、ヴッパータール市とヴッパータール交響楽団の名を一気にブルックナーオタクに知らしめるために、わざと遅いテンポでブルックナーオタクども(私も含むよ)を直撃した。←「ちょっと変わった演奏があればブルックナーオタクは必ず注目する」という「習性」を利用した。
<参照>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

マルテさんは(2)でしょうな。上岡氏は(3)だったりして。つまり私は作戦にまんまと乗せられたと。でも悔やんでなんかないもんね。

ちなみに、2楽章は誰もが遅いので違和感無し、3楽章はごく一般的なテンポ設定。4楽章も転んでしまいそうな遅さが冒頭部分の1楽章との親和性(とパルジファルっぽさ?)を見事にあぶりだしている。それと第3主題の再現部が音程の良さと相まって独特の(本来の、と言うべきか)美しさを醸し出している。

結論。世の中にブルックナーの7番のCDがこれだけであったとしても全く悲しくないくらいのいい演奏ではある。でも、超速のベイヌムの方が好きだ。


Anton Bruckner
Symphonie Nr.7 E-Dur

上岡敏之
Sinfonie Orchester Wuppertal

2007.9.8-9, Historische Stadthalle Wuppertal

TDK


【無頭痛日誌】
10/16
頭痛無し。
10/17
頭痛無し。
金曜日に飲み会の予定が入ってしまったので、練習がてらビールを飲んでみた。さてどうなることやら。

2007年09月16日

スクロヴァ先生と読響

9月15日、6時、シンフォニーホール。スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ先生指揮の読売日本交響楽団定期演奏会(大阪)。

2時半過ぎまで鳥取で会議に出席して中座し、急いで車を飛ばしたが中国自動車道の宝塚あたりで渋滞につかまり、会場には5分遅れで到着。

1曲目のモーツァルト作曲ブゾーニ編曲の「ドン・ジョバンニ」序曲は、会場外のモニターで聴いた。ゴージャスな演奏、という以外には良く分からず。

2曲目はルトスワフスキの交響曲第4番。オケコンなんかの方が盛り上がったろうに、これがスクロヴァチェフスキのこだわりなんだろう。22分、陰鬱で静かな、時に炸裂する緊張感に満ちた音楽。
簡単な曲ではないのにオケは危なげ無し。

3曲目は、ブルックナーの交響曲第3番のノーヴァク番第3稿。
これが危なげ有りまくりのスリル満点の、しかしながら大名演。スクロヴァチェフスキのブルックナーは、2000年に2番をチューリッヒでトーンハレ・オーケストラの演奏で聴いた。基本的なコンセプトはこのときと全く変わらない。
つまり、メロディ、対旋律、リズム、ベースそれぞれに権限を持たせ、自由度を持たせて歌わせる。つじつまを合わせるようなタイプの演奏では全然無い。
これがブルックナーの初期では大きな問題で、細かい8分音符の動きが金管の咆哮とかぶさって、簡単に縦の線がずれそうになってしまうのだ。今回の演奏でも、やばいかも、見たいな所はいくつかあったが、指揮者と演奏者がケアすることで事なきを得た。
それにしても、スクロヴァ先生の「歌」には惚れ惚れしてしまう。第1楽章の第2主題、第3楽章トリオなど、弦の歌は特にリミッター解除して歌わせる。
そして、各メロディーそれぞれが持つ雰囲気や意味、位置づけをきちんと表現させる。それによって、ブルックナーが3番で描いたストーリーが浮かび上がってくる。惜しむらくは、リハの時間が足りなかったためか、今の段階ではあくまでもストーリーが見えそうで見えないこと。また、4楽章第2主題のトロンボーンのコラールなど、演奏中でも盛んに「小さく!」というようなしぐさをしていたが、バランスオタクのスクロヴァ先生の音量バランスが設計どおりでないところがあること。それでも4楽章第1主題でなんとフルートを聴かせるために金管を抑えるなんてことを実現していた。
全体にスタミナ配分のためか音量は小さめだったが、4楽章コーダだけはリミッター解除してアシにも全員吹かせ、見事な大伽藍を築いていた。会場は大喝采。この、「いわゆるブルックナーファン」向きでは全然無い演奏に会場も同意してくれて嬉しかった。一般参賀あり。
編成は弦は16型。管は標準の2管編成に、ホルンとトロンボーンの1番にアシ、トランペットは1,2番とも倍管。
トーンハレ・オーケストラの演奏のときとコンセプトは変わらないと書いたが、クリスタルのような峻厳な演奏であったトーンハレとは少し違う、人間味に満ちた演奏だった。これはもちろんオケの個性もあろうが、オケの技術水準の問題もあろう。トーンハレは本当に上手かった。そしてリハーサルの時間もあろう。だから、18日の東京公演では、よりスクロヴァ先生のコンセプトに近付いた演奏が実現されるのではなかろうか。
オケは全体に音程が良く、ホルンのトップとセクションとしてのハーモニーが印象に残った。そして揺るぎなきコントラバス。さらには歌いまくりのヴィオラ。スクロヴァ先生の語法に慣れてくればまた違った魅力が出てくるであろう。

2007年07月28日

ティーレマンのブルックナー

NHK-FMでクリスティアン・ティーレマンがウィーン・フィルを指揮したブルックナーの交響曲第8番が放送された。リアルタイムでは聴けないので、エアチェックし、帰宅後に聴いた。

1楽章では、先行き不安なほどの脱力ぶり。全然緊張していない?8番を自然体で振れる、演奏できるというのもすごいし、こんなリラックスした1楽章も貴重ではある。
2楽章のトリオあたりから趣が変わる。さっきのリラックスはそのままに巨大な音楽が立ち上がってくる。以前の来日公演の7番でも聴かれた、ビンビンに力が漲ったフォルテ。
3楽章では冒頭からダイナミクスを細かく変化させ、ただ音を鳴らすのではなく、ドラマを形作っていく。ティーレマンにはブルックナーが8番でどういうドラマを書きたかったのか、完全に読みきっているようだ。ハイティンクは8番で神々を描くが、ティーレマンは人々を描く。悩み、傷つきながらも1歩1歩人生という山を登る「人」の姿を(ほんとかね)。3楽章は自信に満ちて演奏されるのが常だが、こんな愁いに満ちた演奏がありうるというのは驚きである。そうやって到達する第1主題の3回目の提示の切なさと言ったら!その後のクライマックスの強さ!音楽を、ドラマをコントロールしつくしている。
4楽章でも、常日頃の強さではなく、「やさしさ」が支配する。ブルックナーの半分はやさしさでできています、なんて思えてくる。

見事な演奏であった。

2007年07月23日

さわやか終演!

56789.JPG

夏休みさわやかコンサートが終わった。
曲は、剣の舞、モンタギュー家とキャピュレット家、おもちゃの交響曲1楽章、ラプソディ・イン・ブルーが前半。アンコールに安部可菜子さんの子犬のワルツ。
後半は米良美一氏が登場し、もののけ姫、浜辺の歌、ふるさと、この道、海、アンコールにアメイジング・グレイス。
米良効果か、ビッグシップの2000席(くらい)が満席。温かな拍手。
米良さんの歌は万全。とても楽しめました。演奏時間が少なかったのが残念。MCはなんだか宗教家の説法みたいでした。なにかあったんでしょうか。服装も教祖様みたい。

安部可菜子さんの演奏はいろんな機会で聴いていて(追っかけみたい)、4年位前の県庁講堂でのベートーヴェンのテンペスト、こども弦楽学校でのシューベルトの鱒のピアノパート、境港のシンフォニーガーデンのショパンコンサートなど。
これまでのレパートリーはヨーロッパの作曲家がほとんどなので、ガーシュウィンがどんな感じになるかと思っていたら、やっぱりヨーロピアンでエレガントで、チャーミングだった。何より発見だったのが、ガーシュウィンをヨーロピアンに演奏すると、ラヴェルとの親近性が聴こえてくること。夜のギャスパールみたいな瞬間が聴こえた。ガーシュウィンがラヴェルに師事しようとしたのは有名だが、ラヴェルへ近付きたかった現われであろうか。
アンコールのショパンはお得意のレパートリー。途中でふと止まりそうになるのが面白かった。
来年の2月にはまた米子で皇帝で協演する予定。楽しみ。

ちなみに、今回の演奏会、個人的には練習不足で「ごめんなさい」でした。練習して出直してきます。

写真は56789kmに達したオドメーター。帰り道、小沢見あたり。運転しながら撮ったのでなんだか分からん。何でも載せればいいってもんじゃないと言われそう。

2007年06月15日

ムラヴィンスキーのブルックナー

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先日BS-2で放送していた(おそらくずっと前にも放送されていた)のを録画しておいた、BBC制作のムラヴィンスキーのドキュメンタリーを見た。
ムラヴィンスキーに関する本は日本でもいくつも出ているし、DVDもリハーサル風景やら何やらいろいろ出ている。
今回の分は、ムラヴィンスキーの奥さん、レニングラード・フィルの元奏者、クルト・ザンデルリンク、マリス・ヤンソンスのインタビューも挟み込みながら、ムラヴィンスキーの演奏の映像、リハーサルの映像、プライベートの映像など、貴重な映像がコンパクトにまとまっている。

その中に、ブルックナーの交響曲第7番のエピソードも出てくる。ネタばれになるが、ブルックナーを敬愛するムラヴィンスキーは、綿密なリハーサルを経て完璧なゲネプロの演奏を成し遂げたあと、本番をキャンセルしてしまったらしい。「本番はこれ以上良くなるはずがない」のが理由だと。スヴャトスラフ・リヒテルも同様に完璧に演奏できてしまった曲はレパートリーから外してしまったらしいから、完璧主義者のやることは音楽ファンとは相容れないようだ。
残念ながらブルックナーを指揮する映像はなく、音だけだった。2楽章の冒頭の少しだけしか聴けなかったのでちと欲求不満である。
ムラヴィンスキーの指揮したブルックナーの7番はちゃんと持っているので、改めて全曲聴いてみた。
事前に完璧にプログラミングされながら、本番の段階でさらに命を吹き込まれた素晴らしい演奏である。金管はいつものロシア吹きだが、そんなことは演奏の質とは一切関係ない。ムラヴィンスキーの作り上げる音楽の気高さ、オケの歌心と精度の高さは比類がない。

写真のロシアン・ディスクのものは廃盤だが、ヴェネツィア・ディスクのもので8,9番とともに入手可能である(はず)。もちろん8番も9番も名演。


Evgeni Mravinsky
Leningrad Philharmonic Orchestra

Wolfgang Amadeus Mozart
Overture to Don Giovanni, K.527
1968.11.29

Anton Bruckner
Symphony No.7 in E Major
1967.2.25

RUSSIAN DISC

2007年05月12日

トスカニーニのブルックナー

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ついに出た!トスカニーニの指揮したブルックナー!
演奏記録にあるのは知っていたが(マーラーもあるらしい)、本当に聴ける日が来るとは!

覚悟していたが音は悪い。多分機械式録音なんだろう。アセテート盤への記録で、アセテート・カッターが1台しかなかったために、盤の切り替えでぶっつりと音楽が飛んでいるところがある。

そして演奏であるが、なんともニューヨーク・フィル(の前身)が上手い!カンタービレに満ちているしアンサンブルの整い方が気持ちよい。そしてそれはもちろんトスカニーニ自身の個性であり、トレーニングの賜物であろう。
オケが上手いために、ブルックナー的演奏様式からの逸脱とかはあってもそれは全然気にならない。ポルタメントはかかっているし、テンポはしょっちゅう揺らぐ。でも、これはこれでいいじゃないか。2楽章の2回目に第1主題が出てくるところのテンポなど、これぞブルックナー!というすばらしい部分もそこここにある。
実はそれよりも気になったのが、改訂部分(というか改竄部分)。4楽章では特に、聴いたことのない対旋律がいっぱいあって、それがまた後期ロマン派的半音階進行だったりして、かなりいやらしい感じ。それはそれで、ブルックナーを後期ロマン派に引き寄せて大衆に分かりやすくするという改竄のテクニックを分からせて、なるほどと思った。
なお、最後には一瞬聴衆の拍手も記録されている。

というわけで、完全にヲタク(アルトゥーロとアントンの)だけを向いたディスクですから、巷の健全な音楽ファンは全く手を出そうと考えなくていいですよ。

さて、ニューヨーク・フィルはどれくらい上手かったんだろうか、ということで、いろいろとCDを引っ張り出してきた。
彼のニューヨーク・フィルの音楽監督の任期の最初のシーズン(1928/29)である1929年3月に録音された「時計」と「ハフナー」はまだもうちょっとという感じ。
同じ年35年3月のブラームスのピアノ協奏曲の1番は録音が悪すぎて全然分からない。
音楽監督最後のシーズンの36年4月10日のハイドン・ヴァリエーションはやはり万全。木管の上手さが際立つ。
次の音楽監督であるジョン・バルビローリの、3年目のシーズンである38年11月20日のライブ録音のワーグナーは、なんとも自信たっぷりの上手さ。
トスカニーニ時代に黄金時代を築き、バルビローリ時代はそのまま引き継いだようだ。それが50年代には。。。

ところでこのCD、アンスフェルデンなるレーベルのANS-0127という型番である。
そもそも、非常に手作り感が強く、もちろんCD-R。レーベル名は初耳。型番を見ればもうこの前に126枚もリリースしているのかと思ったが、例のブルックナー・ディスコグラフィ・サイトにもこの同じCDしかない(昨日登録された!この人も私と同じ日に受け取ったらしい)。
http://www.abruckner.com/newreleases/newreleases/
おそらく、録音日からもじった番号だろう。
ちなみに、「アンスフェルデン」とはブルックナーの生地である。レーベル名としては初耳でも、ブルックナー・ファンならみんな知っている地名だ。彼の有名な"The Bells of Saint Florian"と一緒で、レーベル名を見てニヤッとする訳だ。いやーね、ヲタクって。
レーベルのアイコン(のようなものは)アンスフェルデンの聖堂を描いた切手らしい。

追記
トスカニーニ先生、歌ってます!1楽章展開部とか2楽章とか。


Arturo Toscanini
Philharmonic Symphony Society od New York

Anton Bruckner
Symphonie Nr.7 E-Dur
(Gutmann Edition)

1. Allegro moderato 18:06
*Missing: Last 7 bars of movement

2. Adagio. Sehr feierlich und sehr langsam 20:57
*Missing: 3 beats beginning 4 bars before Y

3. Scherzo. Sehr schnell

4. Finale. Bewegt, doch nicht schnell
47 bars cut between R and V
*Missing 13 bars after L


1935.1.27, Carnegie Hall
Ansfelden ANS-0127

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