2007年05月11日

脱力ブルックナー

有名なブルックナー・ディスコグラフィ・サイトに脱力の音楽データがアップされた!
http://www.abruckner.com/

左のメニューのDownloadsから"A Bruckner Meltdown"というのを選んで聴いてみてほしい。
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のクリーブランド管弦楽団によるブルックナーの3番の1楽章の終結部24秒が収録されているのだが、えらいことになっている。
ブル3を知らない人でもそのえらいこと具合は分かるはず。
これまでにもそのちょっと下にある"Birthday Bruckner"で脱力を味わえていたのだが、こちらはある意味しゃれ。
これはお客さんもさぞ凍ったことだろう。

ちなみに、他のは至って真面目なデータばかりで、マタチッチとNHK交響楽団のテ・デウムなんてお宝もある。これはNHKが出したN響お宝音源(?)LPセットの1枚。著作権隣接権は大丈夫なのか>
こんなLPもう手に入らないだろうなあなんて思ったら某鳥取大学にあるのを発見した。


2007年02月09日

真剣?冗談?マルテのブルックナー

marthe_bruckner9.JPG

9番もいい演奏だ。3楽章までは。
テンポは、ジュリーニとかチェリビダッケとかマゼール(FMでやってたバイエルン放送響)とかと似たようなものだから驚きはないが、何と言っても奏者のしつけ方がいい。
ブルックナーの歌いまわし、ブルックナーの音、ブルックナーの呼吸を理解した音楽作りを、ユース・オーケストラがやっているのだ。ヴェルザー=メストとグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラとのブルックナーの8番もよかったが、その演奏よりも曲との親和性はさらに高い。技術では劣ったとしても。
1楽章ではパッセージ単位(ブロック単位というべきか)でテンポの格差を大きく取ったりする所が気になるが、これもマゼールの演奏でよくなされていたこと。趣味は悪いが否定はしない。

この曲でもスタミナの心配をせず1楽章からフルパワーだが、おそらく金管も倍管とかにしているんだろう。テュッティの音の厚みもそうでなければここまでにならないと思う。たとえば、鳥取でも演奏されたフィリップ・ヘレヴェッヘとロイヤル・フランダース・フィルの9番のフィナーレ付きでは、明らかに3楽章まではスタミナ配分のために大人しくしていた。

2楽章でちょっと変わった解釈がある。主部のコーダ部分で、ほんのわずか間を取りつつ入りの音をふわっと柔らかく少し遅いテンポで入るのだ。これはゾクッと来る。癖になりそう。
3楽章もよいテンポ、よいバランス、良い音色。美しい演奏だ。

4楽章は完全に作曲だな。スケッチのパッセージも使ってはいるが、創作部分から原典が見え隠れするという感じ。一応第1主題は原典の第1主題だし、第2主題も第2主題、第3主題も例のコラールだが、妙にシリアスな創作部分がそれを覆っている。その音楽がシリアスであればあるほどパロディに聴こえて脱力してしまう。サマーレ、マッツカ、コールズ、フィリップスの補筆完成版の流れがいいだけに、これは話の腰を折ってばかりのようだ。
ちなみに、サマーレ、マッツカ、コールズ、フィリップスの補筆完成版は、大阪のササヤ書店でスタディ・スコアを売っていた。1万円弱と高かったので相当迷った末に買わなかったが、やっぱり買っておけばよかった。
提示部の第1主題のところではロマンティックっぽいところがいろいろある。そのあとにトリスタンの2幕の狩のホルンの引用みたいなの。
おっと、第3主題のコラールの最後で、トランペットをオクターブ上げている。ブルックナーが低いF管のトランペットを想定して作曲したことを考えればこれはありえない。だから、実はギュンター・ヴァントの5番の1,4楽章の最後の音をオクターブ上げるのもありえない解釈なのだ。
展開部には5番の引用もある。第1主題を使ったフーガはちゃんとある。でもそのあとにスターウォーズの引用もあるぞ。いやいや、それ自体がトリスタンの狩のホルンの引用なのか。そのあとはリングかなんか、やはりワーグナーの引用がある。マーラーの7番っぽいところもある。
コーダ前、3楽章の最初のテーマがトリスタンと関連があることを如実に示すようなネタばらしっぽい部分もある。なるほど。
コーダは、なぜか7番のアダージョをベースに、9番はもちろん、7番の1楽章やら4楽章、8番のコーダやら、様々な引用が嵐のようにある中、9番の1楽章の第1主題のモチーフで終わる。なんだそりゃ、って感じ。もともと補筆完成版でもコーダは創作なのだから、これも創作で構わないのだが、どうなんだろ。ヘルゴラントを引用した補筆完成版もいまひとつだから、まあ非難せずとも良かろう。あまりにテンポが遅くて、何のモチーフなのか聴き取れないところもある。例によって4つの楽章のテーマが重なるところがあるようなんだが、よく分からない。
などとけちをつけながら聴いてみると、案外補筆完成版と同じ順で音楽は進行している。そうは言ってもあまりにグロテスクな曲だなあ。悪い夢を見そうだ。

3楽章までで十分終結感のあるいい演奏だし、4楽章はブルックナーを引用した新曲と考えた方がいいな。ゴットフリート・フォン・アイネムの「ブルックナー・ディアローグ」みたいなもので。あれもこの4楽章のコラールを使ってたしね。


Peter Jan Marthé
European Philharmonic Orchestra

Anton Bruckner
Symphonie Nr.8 d-moll New Finale by Peter Jan Marthé
1. Feierlich, Misterioso 29:00
2. Scherzo. Bewegt, lebhaft/ Trio. Schnell 13:21
3. Adagio. Langsam, Feierlich 27:56
4. Finale. Bewegt, Kraftvoll 20:33

2006.8.18, Live Stiftsbasilika St. Frorian
PREISER

2007年02月08日

話題沸騰?マルテのブルックナー

marthe_bruckner3.JPG

マルテに関わる怪しげな情報(チェリビダッケの弟子とか)といい、炎をバックにブルックナーの石膏像をにらみつけるクラシックらしからぬジャケットといい、こりゃあゲテモノに違いないと思って聴いたんだが、さにあらず。演奏がいい。

ペーター・ヤン・マルテは、1981-82年にはチェリビダッケに師事し、1987-88年にはインドに滞在(修行?)したという、コンポーザー・コンダクター兼オルガニスト。ライナーの解説も自分で書いているくらい入れ込んでいる。
解説にはビートルズとかジミヘンとかピンク・フロイドがどうのこうのとか、ブルックナーの楽譜は学者先生の占有物になってていかんとか、いろいろ不思議な話題が出てくる。英語翻訳ではクラシックの解説らしからぬかなりハチャメチャな文章に見える。
ともかく、マルテにとっては、この3番はブルックナーが3つの版を作ったにもかかわらず、ちゃんと完成してないと見えるようで、自分なりの完成版を作ったということだ。聴く限りは第3稿がベースだが、第1稿も第2稿も1876年アダージョも取り入れている。アダージョと4楽章では第3稿以外の部分も追加している。スケルツォも第2稿と同じコーダ付き、というか第2稿そのものだろう。
おそらく第3稿の成立年代(1889年、8番の第2稿成立の直前)を根拠にしてのことだろう、8番や9番と同じ2楽章=スケルツォ、3楽章=アダージョに変更している。これはブルックナー自身も2番の2つ目の稿で行っていることで、コリン・デイヴィスが行った7番における入れ替えと同じく、私には違和感はない。マルテはこれにより「8, 9番とともに"trinity"を形成した」なんて書いている。trinityは単なる3つ組だが、Trinityなら「三位一体」。三位一体と言えば、ブルックナーの交響曲においては1楽章と4楽章の主題が3つあることの根拠となっているように、重要な概念であるが、それを意識した言葉だろうか。
(ちなみに第1稿は1873年の「初期」、第2稿は1877年の「中期」、第3稿は1889年の「後期」の作品と私は位置づけている)

解説では、マルテ自身が作曲した部分もあると書いている。アダージョ楽章の3分の2くらいのところ(タンホイザー引用の前)にトリスタンの冒頭テーマを使ったフガートみたいなところがあるんだが、これってマルテのオリジナル?4楽章にも明らかに作曲っぽいところがあってぶっ飛んでしまう。アダージョも4楽章もクライマックスでシンバル+トライアングルが鳴るし。ティンパニも普段といろいろ違うことをしている。4楽章はゲネラルパウゼをティンパニで埋めてたりするし。
残念ながら、そういう部分は自然と浮いて聴こえてしまう。それがブルックナーの音楽とマルテの音楽の何がしかの差なんだろう。いい悪いというのではなく。

演奏はユーディ・メニューインが設立したユース・オーケストラ。ライブにもかかわらず1楽章からやる気満々で、最後まで充実した演奏を行っている。
またマルテの指揮も、チェリビダッケのコピーとか亜流とかいうのでなく、自分の音楽として遅いテンポをモノにし、柔らかく分厚い音楽を作っている。

結果的に、かなりユニークな(というかマルテ以外演奏しなさそうな)ヴァージョンの3番ということで、怪しげなジャケットにすることにより「マニア以外不可触」にしたことは正解だ。これを聴いて普通の人にブルックナーって変とか思われても困るし。そうじゃなくてもブルックナーは十分変なんだから。

ちなみに相当迷いつつも買う気になった理由は、レーベルがオーストリアの雄、Preiserレーベルだったこと。フランツ・シュミットの諸作品に親しむようになったのも、バリリ・カルテットのベートーヴェンと出会えたのもこのレーベルがあってこそだった。このまじめなレーベルがこんなはじけたCDを出すというのも面白い。
9番も買ったがまだ聴けず。また後日。


Peter Jan Marthé
European Philharmonic Orchestra

Anton Bruckner
Symphonie Nr.3 d-moll New Version Peter Jan Marthé
1. Mehr langsam, Misterioso 27:58
2. Scherzo. 12:08
3. Adagio, bewegt, quasi Andante 27:00
4. Allegro 20:33

2005.8.19, Live Stiftsbasilika St. Frorian
PREISER

2007年02月01日

ベルリン・フィル物語

bpo200cd_gakken.JPG

図書館で借りた学研のムック200CD「ベルリン・フィル物語」を読んだ。
気鋭(?)の評論家陣の執筆になるもの。面白いっちゃあ面白いんだが、マニアックすぎたり、指揮者を小ばかにしたり、本当に音楽を聴いているんだろうかというような文章で閉口した。同じ指揮者をある人はほめ、ある人はけなすというのは1冊の本としてどうなんだろう。

その中で、情報源としてとても有効だったのが、高関健氏がカラヤンのアシスタント時代を語った項。「音楽家」から見たベルリン・フィルのありのままの姿がのぞけてとても面白かった。本当にベルリン・フィルとカラヤンを尊敬しているんですね。
爆笑したのが以下の話。本文とはかなり変えてあります。
「ヨッフムとのブルックナーは素晴らしかった。リハーサルの休憩のときにヨッフムのスコアの表紙を見たら『シュトットガルト・85回目』なんて書いてあった」
どの曲か分からんが(5番か8番か?)、85回ですよ。ブルックナー・フリーク。まあ、5番なんてCDで出てるだけで、6種類くらいあるもんね(ハンブルク、バイエルン、コンセルトヘボウ、ドレスデン、フランス国立、コンセルトヘボウ。他にもあるかも)。そのうちバイエルン以外の5種類は持っている私もブルックナー・バカですな。

ところで、表紙にあるBerliner Philiharmonikerとは録音のための団体名で、オーケストラとしての公式サイトでは Berliner Philharmonisches Orchesterと名乗っていたはず、と思って調べたら愕然。団体名が変わってました。いつ変えたんだろう?
http://www.berliner-philharmoniker.de/

2007年01月09日

ティーレマンのブルックナー

thielemann_bruckner5.JPG

発売から1年遅れぐらいであろうか、ようやく聴くことができたティーレマンのブルックナーの5番。
クラシック音楽界を背負って立つ新世代の指揮者の一人であるが、いまだ実演に接し得ないでいる。
それでも、FMで放送されるWPhとのライブなどを聴いていて、「本物」である確信は揺らいでいない。

このブルックナーは、ミュンヘン・フィルへの音楽監督就任記念のコンサートの収録であっただろうか。恐るべき完成度だ。
この巨大な交響曲の、巨大な演奏で(82分)、第1楽章の冒頭から第4楽章の最後まで、一切のスタミナ配分的緩みなし、常に全力投球である。しかも無理やり感はない。
もちろん今どきのライブ録音が、本番一発録りで制作されるわけがなく、リハーサル、ゲネプロ、3回くらいの本番を全部録った中で編集されるはずだが、それでもどの楽章かを最初に、どの楽章かを最後に演奏するわけで、どの楽章も疲れていない状態で演奏できるはずはない。


実際、ミュンヘン・フィルの個々のプレイヤーの実力は、WPhとかBPOとかRCOとか、近所のBRSOとかには及ばないと思う。でも、この演奏の中では一切そういった面でのハンディキャップを感じさせない。
そこにはティーレマンの演奏者に対する細やかな配慮とか気配りがあってのことだろうと感じる。それによって特に音量の小さなところで、プレイヤーの集中とリラックスを感じさせるような気がする。
そういう気配りの積み上げがこの巨大な構築物を支えているのであって、ただ音がでかいだけの演奏では決してない。そもそもこんな巨大な音のする演奏で、よくこれだけ縦の線が管理できるものだ。カラヤンの演奏なんて2楽章でえらいことになっているのに。
巨大な音響にしても、音程がいいからこそ無理やりでなくても音が鳴るのであろう。ティーレマンの耳の確かさによるものであることは間違いない。

素晴らしい演奏である。

Anton Bruckner
Symphonie Nr.5 in B-Dur

Christian Thielemann
Münchner Philharmoniker

2004.10, München, Gasteig. Live recording

2006年09月16日

カラヤンのブルックナーの8番

karajan_bruckner8.JPG

ヤフオクで入手したカラヤン/ベルリン・フィル、1957年5月のスタジオ録音のブルックナーの8番(写真右)。
カラヤンのブルックナーの8番は、同じ1957年、4月17日のWPhとのライブ(Andante、写真左)も持っているし、BPOとの全集(1975年、DG)のも持っている。
じゃあなんでまたおんなじようなのを買ったのかというと、フルトヴェングラー時代の直後のベルリン・フィルの状態、WPhとの違い、約87分という遅さ、いろいろある。

結論から言えば、80分30秒で演奏した1ヶ月前のWPhとのライブの方がいいし、75年のBPOの方がもっといい。57年ベルリン・フィルの演奏には「これでなければ」というものはない。
そうは言いながら、2楽章と3楽章はなかなかいい。でも、1楽章はこの遅さではBPOはアンサンブルできていない。遅すぎて集中が続かないところもある。

驚くべきは、カラヤンの解釈の一貫性だろう。44年のベルリン国立歌劇場との演奏(1楽章なし、4楽章ステレオ!のヤツ)を聴いてみないとホントのところはなんとも言えないし、BPOとWPhで総演奏時間も5分も違うということもあるが、やっていることは同じだ。
実は私は世評に反してカラヤンのブルックナーは8番に関しては好んでいる。というより、カラヤン(とBPO)がしょっちゅう演奏していたと思われる4,7,8,9(全集セット)に関しては、オケの曲の理解度が素晴らしく、自発的なアンサンブルをいつも感動して聴いている。
それを思うと、フルトヴェングラー時代の音色でカラヤンのテンポで演奏する57年の演奏は、曲の理解と解釈の徹底がやはり中途半端と言えよう。

カップリングのワーグナーは文句なく素晴らしい。特にローエングリンの第1幕への前奏曲。

ちなみに57年のブルックナーはプロデューサーがウォルター・レッグだった。

もう一つちなみに、同じ1957年の6月7日にクレンペラーがケルン放送交響楽団と演奏したライブ録音が残っている。「クレンペラーは遅い」というのが一般の認識だが、カットなしで71分53秒!でもテンポ感の良い素晴らしい演奏だ。またまた世評に反して、クレンペラーの本領は50年代まで、良くて63年まで私は考えている。


Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
Anton Bruckner
Symphonie Nr.8, c-moll
EMI, 1957.5.23-25

Richard Wargner
Lohengrin, Vorspiele zu Akt I & III
Parsifal, Vorspiele zu Akt I & III
EMI, 1974.10, 11

2006年08月02日

オタク道

ようやく「結婚できない男」を見ることができた。
クラヲタ(クラシック・オタクですな)道炸裂!というほどの回ではなかったが、面白かった。

いくつか気になったことが。

DECCAの廉価盤のブルックナー(たぶんエロクアンスシリーズのショルティの5番)を片付けつつ、「ショルティじゃなくてバレンボイムだろう」とか言うくだり。
深すぎる!

そもそもブルックナーオタクはショルティとバレンボイムに重きを置かない。私?ブルックナーのCDは300枚くらい持ってますが、彼等のCDは1枚ずつしかありません。
ショルティは0番だけ。友人M氏がシカゴで聴いて、たぶんブラーヴォが入っているはずだ、なんて言うから買ったもの。拍手はカットでブラーヴォもなし。
バレンボイムは、ヘルゴラントを聴くために2番とのカップリングの1枚だけを持っている。テルデックのベルリン・フィルのやつ。
もちろん本当の、と言うか財力のあるブルックナーオタクは、バレンボイムはシカゴとのDGの全集もベルリン・フィルとのテルデックの全集も、ショルティはシカゴとの全集はもちろん、WPhとの7番と8番も持っているはずだ。聴かないにしてもね。
でもでも、私にとって次にほしいブルックナー全集はこれらなのだ。なぜって、彼らの録音にどんな存在意義があるか未だによく分からないので確認したいから。ショルティの0番を聴き返してみたんだが、結構いいんですわ。
でもね、エロクアンスシリーズのショルティの5番だけを持っている人が、「ショルティじゃなくてバレンボイムだろ」って、どういう意図で言ってるんだ?

もうひとつは、冷蔵庫から出したロールキャベツを出してそのまま食べて「しょっぱすぎる」ってそりゃ冷えてりゃそうじゃないの。

ドラマとしてはなんだか結局きれいな女医さんとハッピーエンドになりそうな感じだが、現実のクラヲタはそんな甘くないわけでして。。。

しかしこの記事が「アントン・ブルックナー」カテゴリーの初記事というのもどうかと思う。Takemoto君ごめんね。

追記:iio氏のCLASSICAでもこの話題を取り上げておられたのでトラバさせていただきました。
ラベル:日記

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