2008年08月26日

グッドオールの「マスターシンガーズ」

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にわかグッドオールファンの私としてはやはり買わねばなるまい。レジナルド・グッドオールが真のワーグナー指揮者として全英に名を知らしめた、リヒャルト・ワーグナーの「ナレンベルクのマスターシンガーズ」。英語版だからこれでいいかな。

とにかく遅い。私が持っている他の全曲盤は、1962年のロヴロ・フォン・マタチッチとトリノ・イタリア放送響(イタリア語版)が255分14秒、サー・ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団(ドイツ語版)の255分26秒で、いずれも標準的なテンポなのだが、このグッドオール版は292分46秒。
だが、これが心地好いのだ。気持ちよい風呂にゆったりと使っているような居心地の良さ。英語によるおっとりとした歌唱であることもそれを助長している。
それにしても、このオーケストラのドイツ的な音は何なんだろうか。山崎浩太郎氏著の「クライバーが讃え、ショルティが恐れた男【指揮者グッドオールの生涯】」(クラシックマニア必読!)によれば、プレミアの日までにわずか4回ほどの練習しかなかったようだ。収録されたのは4回目の公演。おそらくこの機会が始めてのマイスタージンガーであろう団員たちがこれだけの練習と本番でこのワーグナーらしいワーグナーを演奏してしまうというのは、グッドオールの音楽的オーラがいかばかりであったか。映像でみてみたい。歌手たちも魔法にかかったように素晴らしい歌を歌っている。
もちろん観客も興奮していて、各幕とも、演奏が終わらないうちに拍手が始まってしまっているし、それがほほえましいと思えるだけの演奏である。
残念ながら音はモヤモヤだし、音像は揺れる。だけど、グッドオールの奇跡の前にはあまり障害ではない。

生前は晩年のわずかな時期だけ注目を浴びたこの指揮者が、少なくともこのマスターシンガーズとトリスタンだけででも、ワーグナー指揮者として後世まで語り継がれるであろうことが、このマスターシンガーズの発売で保証されたことは、我が事のように嬉しい。

しかし、この真にドイツ的な作品を指揮者もオケもドイツ人以外の演奏ばかりで持っている私もどうかと思うな。ちょうど同じ1968年のバイロイトの、カール・ベームの指揮によるマイスタージンガーが発売されたばかりだが、こういうのを本当は聴くべきなんだろうかなあ(でも買う気なし)。


Richard Wagner
The Mastersingers of Nuremberg

Hans Sachs: Norman Bailey
Veit Pogner: Noel Mangin
Sixtus Bechmesser: Derek Hammond-Stroud
Walther von Stoizing: Alberto Remedios
David: Gregory Dempsey
Eva: Margaret Curphey
Magdalene: Ann Robson
Nightwatchman: Stafford Dean

Sadler's Wells Opera Chorus
Sadler's Wells Opera Orchestra

Reginald Goodall

1968.2.10, Sadler's Wells
BBC/CHANDOS

2006年06月02日

グッドオール/トリスタン/奇跡!

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音楽とはここまでできるものなのか!

すべての奏者がすべてのパッセージをどう演奏すべきか理解し、充分なリハーサルや本番を積んで、万全の演奏を実現している。
超一流の奏者はひとりもいないだろうが、逆に超一流の奏者ではこういう演奏はできないだろう。「ウサギと亀」というか、「ゆっくり歩むものはたくさん得られる」(?)という感じだ。

そもそもの「どう演奏すべきか」はすべてグッドオールに負っているわけだが、すべての1秒がきちんと咀嚼され、音の、音楽の方向性が明確にされている。テンポ感、リズム感が的確で、音楽は常に滔々と流れる。

また、山崎浩太郎氏の著作にもあるとおり、すべての歌手と1対1でみっちりと歌唱指導をした成果だろう、歌の表現、表情がどの場面でも音楽の指向性とぴたりと一致している。

イゾルデを歌うリンダ・エスター・グレイの表現ははかなげである。この曲の中でいろんなものが失われるわけだが、自身の歌手生活もこの役を歌うことによって失われてしまった。
すでにその未来を知っている我々は彼女の歌がその予言のように感じてしまう。
トリスタンのミッチンソンは万全だが、グレイともども、官能に耽る役柄にしては人格者に聴こえる。おそらくそれもグッドオールの意思なのだろう。

しかしまあ、カルロス・クライバーが讃えたのも分かる。クライバーの時代にもすでに「綿密なリハーサルによる意思の統一」なんてお伽噺とほとんど同義語になっていたからだ。現代の音楽業界は忙しすぎてそんな時間はないのだ。
この演奏は、テンシュテットのいくつかのライブととともに、おそらく現代に一番近い時代に行われた最後のお伽噺だろう。

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