2007年09月12日

コンドラシンのショスタコーヴィチ#15

kondrashin_shostako15.JPG kondrashin_shostako15_2.JPG

ショスタコーヴィチの交響曲第15番は、なかなか「これ」という演奏にめぐり合えなかった。昔から聴いていたムラヴィンスキーは謹厳実直に過ぎる気がするし、最近手に入れたコンドラシンの全集の中の録音は、せかせかと落ち着かない。
ザンデルリンクのは大好きだし、ヤルヴィのも悪くないが、「あちらの世界」をのぞかせてくれない真面目さがある。

最近出たこのコンドラシンとシュターツカペレ・ドレスデンの演奏は、もうこれはある程度「決定盤」と言ってしまっていいんじゃないかというくらい、私の理想に近い演奏である。個々のプレーヤーの技量の高さ、アンサンブル、音量感、はもちろんのこと、音楽の「空気」、時代の「空気」も伝えてくれる。
ただ美しいだけでもなく、ただ悲痛なだけでもない。音楽の持つ力を最大限発揮できた演奏である。
この曲は、ムラヴィンスキーが世界初演、コンドラシンがドイツ初演、ロジェストヴェンスキーが日本初演、とかそんな感じじゃなかったっけ。このCDがそのドイツ初演の記録だと思う。
ところで、曲の最期のあたりに出てくる4つの音でできたモチーフは、ヴィオラ・ソナタにも出てくるんだが、フランツ・シュミットの交響曲第4番の序奏がすんだ後の第1主題にそっくりなんだが、絶対関係ないよなあ。でも気になる。

同じ日に演奏されたボリス・チャイコフスキーの変奏曲は、この日が初演。あんまりロシア的な感じはせず、何と言うか能天気なアメリカ音楽風。面白い曲だと思うし、よく書けているが、後世まで引き継がれるべき曲かというと微妙である。

ちなみに、このCDのライナー・ノートに、この演奏会の放送に際して使われた中継車の写真が出てくる。演奏からは感じられない古めかしさは、この写真で初めて感じられる。


Kyrill Kondrashin
Staatskapelle Dresden

Dmitri Shostakovich
Symphony No.15 in A major op.141

Boris Chaikovsky
Theme and eight variations for orchestra

DDR Rundfunk-Profil-Hänssler, 1974.1.23, Kulturpalast, Dresden
posted by tak at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | キリル・コンドラシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

コンドラシン/SKD/タコ4

kondrashin_shostako4.JPG

巷で話題沸騰の(?)、キリル・コンドラシンがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したショスタコーヴィチの交響曲第4番。
ああ、コンドラシンでなければこんな驚異的(狂気的?)な演奏はできないであろう。どこをとっても恐ろしい速さ。なんでこんなテンポで崩壊しないんだ?
しかもそのとんでもない速さの中でメロディが「歌」になっている。歌いまわしはコンドラシンの指導の賜物だろうが、歌心自体はオペラのオケであるSKDの実力だろう。
ソロとか聴いてもとんでもなく上手いわけではないし、アンサンブルも驚異的にあっているわけではない。しかし、それぞれのパッセージを奏する際の「心持ち」がその場その場で完璧に表現され、アンサンブルも歌を交わす流れの中で合っている。スコアを見ながら聴いていると曲芸としか思えない。
それ相応のリハーサルを積んだんだろう。しかし、モスクワ・フィルと違って「リハーサル積みました」みたいに聴こえないところがさすがだ。
17年後のBRSOとのバービ・ヤールのような近代的アンサンブルとは違って、ある意味もう出会えないであろう名演のスタイルだ。
実はこの感覚、WEITBLICKから出ていた、マタチッチの指揮でエレクトラを演奏しているベルリン・シュターツオーパーの演奏スタイルとそっくりだったりする。この時代の、ドイツ(東独?)のオペラハウスの演奏スタイルなのかもしれない。

また特筆すべきは3楽章最後のコラール。どんないい演奏でも、このコラールで感激したことはないのだが、この演奏は突き抜けている!明らかに贋物の歓喜であるコラールが本当の歓喜に聴こえるくらい(?)がんばっている。特にトロンボーン。最後らへんは八方破れみたいな感じだけど、こうでなくては。ミトロプーロス/Wphの千人の交響曲と同じ種類の興奮がある。

ただなあ、モノラルだし、ちょっとテンポ速すぎるし、万人に薦められるかって言うと難しい。けど、万人に聴いてほしい。

それにつけてもショスタコーヴィチの才覚よ。30歳になる前にこんな曲を書いてしまって。私が30歳になる前に何を成し遂げられただろうか、なんて比べても仕方がないけどね。


Kyrill Kondrashin
Staatskapelle Dresden
Dmitri Shostakovich
Symphony No.4 in C minor op.43
DDR Rundfunk-Profil-Hänssler, 1963.2.23, Großes Haus der Staatstheater Dresden
posted by tak at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | キリル・コンドラシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月05日

脱帽・絶望/コンドラシン/バービ・ヤル

kondrashin_shostako13.JPG

Dmitri Shostakovich
Symphony No.13, op.113 "Babi Yar"
John Shirley-Quirk, Bass
Symphonie-Orchester und Mannerchor des Bayerischen Rundfunks
Kirill Kondrashin
Recorded on 1980.12.18-19

脱帽である。
西側のオケ、合唱、独唱で、こんなにまできちんと絶望感が描けるものなのか。まるで全体主義の体現者である。
むしろ、西側とはいえ分断国家を体現する国であり、第2次大戦はまだ終わっていなかったということなのだろうか。
録音も良い。音質、広がり、まったく申し分ない。
今後はバービ・ヤルはこの演奏抜きでは語られないだろう。
ぜひ海外にも輸出し、世界中で聴いてほしいものだ。

なぜ、この演奏が日の目を見なかったのだろうか。
考えすぎとは思うが、2つの仮説を。

1.新しい演奏が売れなくなる
第5楽章「出世」で、「ガリレイの同時代の天文学者はガリレイより馬鹿だったわけではないが、家族や出世が大事であり、本当のことは言わなかった」と歌われる。
こんないい演奏が出てしまったら、新しい演奏が売れなくなる。だから、とりあえず知らなかったことにしよう??

2.ライブの価値をそれほどと思わなかった
公務員が市民のニーズを分からないように(??)、レコード会社も聴衆のニーズを計れなかった。Scrivendumが極東の一店主の意向を重視し、Profilが海賊版の後追いするようにリリースする今になって、ようやく聴衆のニーズを理解し始めた(???)。

やっぱり考えすぎだな。
posted by tak at 01:03| Comment(2) | TrackBack(2) | キリル・コンドラシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

コンドラシンのショスタコーヴィチ

kondrashin_shostako3.JPG

世界初のショスタコーヴィチ全集であるが、よく考えたら全集完成して4年後に亡命、その2年後になくなっていることを考えると、ぎりぎりの完成と言えるのかも。

もともと1〜4番(Vol.1)は大学時代に買って持っていたが、ごく最近14,15番(Vol.5)、5〜7番(Vol.2)、8〜10番(Vol.3)を買い足した。11〜13番はまだ聴いたことがない。

写真を見ての通り、今となってはほとんど見ないフランスのル・シャン・ドゥ・モンド盤である。15年前には普通に買えたし、CDではこれしかなかった。
いったいどんなマスターを使っているのか分からないが、音質は曲によってばらばら。最悪と言われるBMG=MELODIYAの輸入盤よりは良いが、なんとなく靄がかかっている感じのするものが多い。10番は間違いなくLPからの板起こしだ。4番もそうかもしれない。

その時代背景なくしては成立しないであろう一世一代の超名演である攻撃的な4番(1962年録音)、8番(1961年録音)と、一時代が過ぎ、穏やかな達観を感じさせる7番(1975年)、10番(1973年)は、ためらわずすばらしいと言い切れる。
しかしながら、その他の曲については、ソヴィエトの環境が音楽家に厳しくなってきたことを思わせるような隙間風を感じる瞬間がある。合奏精度は高くとも奏者の一体感の希薄さが感じられるのだ。
そう、録音開始のころと比べて最後のころは楽員のレベルが落ちていることを想像させるのだ。7番や10番の達観は、その表れなのかも。
そうすると、コンドラシンの亡命は、ケーゲルやクライバーの逃避と同じく、理想についてこれない音楽環境への悲観からではないかと考えさせられた。
何の根拠もないですが。
ただし、これは、4番とかの超名演と比べたらちょっと落ちるという程度のもので、全集としての偉業を揺らがせるものではない。
特に、現代において、これだけ切迫感に満ちた演奏を行うのはもう難しいのではなかろうか。
posted by tak at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | キリル・コンドラシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。