2010年11月10日

ウィーン・フィル/プレートル10/11/10

愛すべき最後の巨匠、ジョルジュ・プレートルの、愉悦に満ちた、ピリオドスタイル?何それみたいな1960年代的スーパー演奏であった。
1950〜60年代、ハンス・クナッパーツブッシュがヨーロッパ中の音楽愛好家を唖然とさせたであろう伝統と即興の幸せなカップリングが、まさか21世紀の今体験できるとは!
実は、一見きままでまとまらない演奏に聴こえるが、どっしりとした低弦を土台に弦をしっかり鳴らし、金管はびしっと抑えて見事にバランスさせている。聴こえべき音は全て聴こえる。
そしてなんとも愛らしい指揮姿!ほとんど動かないのに必要な情報は表情も補完して全て伝わっている。
前半のシューベルトの交響曲第2番は、ロマンティック・スタイルで演奏された最後の機会になるかもしれない。弦は細かい音符ばかりで相当大変そうだが、プレートルは全く気を抜かせてくれない。
後半のエロイカは、常にテンポが伸び縮みするのでこれまた気が抜けないが、ギクシャクしたようすはなく、自然に流れる。そして頻繁に立ち現れるデーモン。
全体に漂う柔らかく明るい雰囲気はドイツ的でもウィーン的でもないかもしれないが、これぞ音楽!これぞベートーヴェン、と思えてしまうから不思議である。
ここまでいい意味で構築的でない演奏は、まさにクナッパーツブッシュ以来ではなかろうか。
アンコールのブラームスのハンガリー舞曲第1番は、奔流のように力をみなぎらせたかと思えば目頭を押さえて涙ぐむ。トリッチトラッチポルカは軽やかな疾走。
楽しかった!
終わった後は大学以来の友人と奥さんと3人でインドネシア料理を痛飲快食。

2007年12月28日

ジョルジュ・プレートル

アクセス解析を見てみると、最近は毎日「ジョルジュ・プレートル」で検索して「takの音楽」においでいただく方が3人はある。
これはニュー・イヤー・コンサートのための情報収集だと思われるが、残念ながらプレートル氏に関する記事は私のブログには2つしかない。

そういえば昨年のNHK-FMの放送をエアチェックしていたのがあったなと思って探して聴いてみたのは以下の演奏会の後半プログラム。
http://kwien.exblog.jp/4234771/
FMで放送されたものの演奏日は2006年11月26日。

私がプレートル氏の演奏について漠然と思っている特徴は「強さ」あるいは「濃さ」。もちろん、流麗だったり、滑らかだったり、爽やかだったり、きらびやかだったり、曲が必要とする属性は全て表現した上での、「プレートルらしさの属性」を抽出した結果である。
ばらの騎士のワルツでも、ラ・ヴァルスでも、腰の位置に安定感がある踊りを披露している。それによって聴こえるのは不思議な安心感、言葉を換えれば野暮ったさ。でも心地好い野暮ったさ。例えば、ワルツではなくレントラーの趣か。曲のコーダだけ興奮するとかでなく、均等な冷静と情熱のバランス。
ニュー・イヤー・コンサートでの2時間、この腰の座りと冷静が聴けるとしたら、とても画期的なことだろう。楽しみである。

2007年01月05日

ジルベスターとニューイヤー

普通に日本で新年を迎える日本人のクラオタにとって、新年のメインイベントと言えばベルリン・フィルのジルベスター・コンサートとウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートということになっている。

最近はだいたい毎年リアルタイムで見ているんだが、今年はどちらもとても良かった。

まずはベルリン・フィルのジルベスター・コンサート。リヒャルト・シュトラウスのドンファンは、「暗譜でも弾けるよ」みたいな、オケの慣れっこ感が素晴らしい。指揮者が何をどうしようと自分の音楽を奏でる。オケの醍醐味だなあ。
モーツァルトのピアノ・コンチェルトは、ラトルの意図が十全に伝わっているのか、ちょっとないくらい激しい音楽で、内田光子が恐れおののいているような表情をしているように見えたのが面白かった。「こんなのモーツァルトじゃない」という意見もあるだろうが、ここまで徹底された表現は聴いていて心地よい。
内田光子もいいなあ。お○ば○のような表情で凄い演奏をする。
薔薇の騎士は、オケに関しては、なんだかやかましくて、なんか違うんじゃないかなあという違和感がずっとぬぐえなかった。各楽器をピックアップしてまとまらないミキシングにも問題があったように思った。
歌手はみんなすばらしいという以上のことは私には言えません。夢のような世界。
このコンサートの2日前の同じプログラムについて、プロの指揮者の感想が以下のブログに書かれてます。
http://qchan-dirigent.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_8744.html

ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは、メータが良い。もう70歳なんですね。それにもかかわらずというか、とてもリキの入った指揮。出てくる音楽はピリッとしつつもやさしい音楽で、極上の娯楽。ウィンナ・ワルツなんだからこれでいいんじゃないでしょうか。昨年のマリス・ヤンソンスの「鋼鉄の音楽」が苦手なもので。
曲は、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「ディナミーデン」が妙に深みのある音楽で良かった。薔薇の騎士のワルツの本ネタなんでしょうかね。ヨーゼフの曲は、たいてい娯楽的でない深みがあって面白い。しかし、ヨーゼフばっかりのCDつくったら肩凝るかもな。
来年のニュー・イヤーはすでにWPhの公式サイトのトップページでジョルジュ・プレートルが指揮することがアナウンスされている。
http://www.wienerphilharmoniker.at/
最近のプレートルといえば、WPh団員の方のブログのこの記事が印象的だ。
http://kwien.exblog.jp/4234771
薔薇の騎士でも怒りまくりのリハーサルなら、ウィンナ・ワルツでもたいへんだろうな。それでも毎年定期で振るということは信頼が厚いんだろう。ごく最近のブラームスの3番とかでも、彼にしか思いつかないような個性的な解釈で、でも「これしかない」と思わされる素晴らしい演奏だった。
それでも来年はもう83歳。元気で指揮台に現れることを祈ってます。

2006年07月25日

プレートルとフランス国立管

pretre_frenchmusic.JPG

自由人ジョルジュ・プレートルと音楽監督不在時代のフランス国立管弦楽団の録音。
某ブック○フで見つけるまで、こんな録音が存在するのを知らなかった。
プロデューサー名がイギリス人ぽくて、どうもイギリスEMIがフランスに乗り込んで制作したもののようだ。

一言で、クールビューティ(?)。
集中していると言うよりは脱力している。特別盛り上がるでもなく淡々と演奏するが、個々の奏者がクールに歌っているので、全然さびしくない。アンサンブルもよい。良いスタジオ録音。あの爆演系プレートルの姿は見られない代わりに、丁寧で充実した音楽がある。
とおもいきや、最後の最後のラ・ヴァルスでアンサンブルがメロメロになって終わる。収録順が録音順なのかは分からないけど、録音の最後の最後で気が抜けたように聴こえる。面白すぎ。
考えてみると、クリュイタンスもミュンシュもマルティノンも亡き後、フランスの指揮者とフランスのオーケストラによるフランスの作曲家の録音ってあっただろうか。おっと、プラッソンがいたね。

ところで。魔法使いの弟子ではいかにもバソンらしい音が聴けるが、コントラファゴットもそれに似た音だ。これはコントラバソンと言う楽器なのかな。


デュカス/魔法使いの弟子
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
サティ/ジムノペディ第3&1番
サン=サーンス/死の舞踏
ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ、ラ・ヴァルス

Georges Pretre
Orchestre National de France
EMI, 1987.2, Salle Wagram, Paris

2006年06月07日

プレートルとボストン響

pretre_berlioz.JPG

Berlioz
Symphonie Fantastique
Georges Pretre
Boston Symphony Orchestra
Recorded in 1969

この演奏には、プレートルの「大いなる物語」と、オーケストラの「安堵」を感じる。

「大いなる物語」、そうまるでひとつの長いオペラのような、ゆったりとしたドラマを感じるのだ。
これは、プレートルのオペラ指揮者としての音楽観が関係しているのだろう。

また、「安堵」とは、前の音楽監督のジェットコースター的音楽観(カップリングのローマの謝肉祭と「海賊」に感じられる)からくるせわしなさや、当事の音楽監督の厳格さから解き放たれ、オケとしての自発性を許された意識から来るのではないだろうか。
2楽章の後半や3楽章の後半でオケの気分が自然に高揚するのが分かる。

派手な演奏ではないので、万人に薦められないが、名演である。

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