2009年07月14日

ゲルギエフのショスタコーヴィチ#1&15

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名暗号解読士、かつ、暗号士ヴァレリー・ゲルギエフの、ショスタコーヴィチの交響曲第1番と15番。

ああ、交響曲第1番ってこんなに素晴らしい曲だったのか。
第1楽章など、無理めな転調や無調っぽい動きが、音程が的確なおかげで、非常に音楽的に聴こえる。あまり旋律らしくないテーマも、絶妙な抑揚で、見事に旋律に聴こえる。
そして、類まれなアンサンブル。こういう曲を、縦の線を正確に合わせるのは、そんなに難しくないと思うが、この演奏のように、すべてのタイミングを絶妙な「間」を伴って演奏しようと思えば、ゲルギエフのコンセプトが奏者一人ひとりの体に入っていないとできるものではない。結果として、音楽の要素が不思議な引力で引かれ合ってすべてひとつながりになっている。

そして、交響曲第15番も名演。なのだが、この日のこの感想は勘違いだったのだろうか。
http://takmusik.seesaa.net/article/66995890.html
よく言われるように、また、ライナーノートにも書かれているように、第1楽章はショスタコーヴィチの子供時代の回想であり、ウィリアム・テルは、その楽しげな楽想以上の意味は聴こえない。
なんというか、暗号を再度暗号化したようだ。すなわち、2007年11月の時点では、暗号を解読した状態で露出してしまい、1年後にはそれを元通りしまいこんだのか。
あの日の恐ろしく、背筋の凍る演奏を知っているだけに、それを知らんぷりを決め込んだこの演奏も恐ろしい。
そして、それは、まさにクルト・ザンデルリンクの演奏を連想させる。
http://takmusik.seesaa.net/article/66160679.html
特に以下を参照。
http://blog.livedoor.jp/takuya1975/archives/50676388.html
彼こそ、この15番の秘密をいち早く見抜いた人なのだ。なのに、ザンデルリンクの演奏も、表面的には恐怖を感じない。

ともかく、ゲルギエフとマリインスキー管弦楽団による、1番と15番という名演に恵まれない2曲の、数少ない名演である。


ヴァレリー・ゲルギエフ
マリインスキー劇場管弦楽団

ドミトリ・ショスタコーヴィチ
交響曲第1番
交響曲第15番

2008.7.18,20,25 マリインスキー・コンサートホール、サンクト・ペテルブルク
MARIINSKY MAR0502

2009年02月24日

CHANDOS30_09 20ショスタコーヴィチ子・孫のショスタコーヴィチ

CHANDOS30_09_20threeshostakovichs.JPG

CHANDOS30周年記念ボックスの録音を、年代順に、その年の私の思い出とともに振り返る第9回。20枚目の、作曲家ドミトリ・ショスタコーヴィチの息子マキシム・ショスタコーヴィチが指揮をし、孫のドミトリ・ショスタコーヴィチ・ジュニアがソロを弾いた、ドミトリ・ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番、など。
http://www.chandos.net/details06.asp?CNumber=CHAN%208357

ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は、2曲ともショスタコーヴィチの自作自演の録音がある。もちろん子・孫たちはも参考にしただろうが、参考にならないくらい強烈に速いテンポで、ある意味トンデモ演奏である。
子・孫たちの演奏は素晴らしい。第2主題なのかな、1楽章のテンポが緩む主題の「黒さ」が、作曲家の演奏よりショスタコーヴィチらしい。さすがに彼らにとって手馴れた演奏なのだろう。
バルシャイ編曲の室内交響曲は、このモントリオールの楽団の創設者であるユーリ・トゥロフスキの指揮。優秀な奏者が揃い、かつ弦楽器奏者らしい表現を奏者に伝達することで、素晴らしい演奏になっている。
ライナーノートをトゥロフスキ自身が書いており、「この曲はモスクワ室内管弦楽団にたびたび演奏されていた」なんて書いてある。ラフマニノフのライナーノートのトゥロフスキのプロファイルには、ソリストとしてモスクワ室内管弦楽団とたびたび共演した、なんて書いてあったので、演奏(おそらくバルシャイ指揮の)を目の当たりにすることもあっただろう。

ところでこの1枚。CHANDOSのサイトでも、おそらくそれを基にしたHMVのサイトでも、収録が1984年8月1日となっているが、オリジナルのライナー・ノートには8月とだけしか書いてない。いくらこのモントリオールの楽団が優秀であろうと、指揮者が違うこの2曲を1日で収録するわけがない。8月の何日かを使ったのだろうが、元の資料がなくて、CHANDOSのサイトに仮に「1日」として置いたのではなかろうか。

1984年は中学校1年生。兄の影響で本格的にクラシックを聴き始める。母にオーディオを買ってもらい、おまけで付いてきたカセットテープに初めてエアチェックしたのは、表面がストラヴィンスキーの「ミューズの神を率いるアポロ」、裏面が三善晃の「響紋」。なんと不健全(?)な。確か秋山和慶とN響だったか。おかげで今でも「ミューズ」は大好きな曲の一つである。初めて買ったLPはブルーノ・ワルター・コロンビア交響楽団のベートーヴェンの交響曲第6番「田園」であるから、こちらは健全(?)である。

バックナンバーはこちらから。
http://takmusik.seesaa.net/tag/articles/CHANDOS30


CD20
Dmitri Shostakovich (1906-1975)

Concerto No.1 for piano, trumpet and strings, op.35
piano: Dmitri Shostakovich (junior)
Maxim Shostakovich
I Musici de Montréal

Chamber Symphony, op.110a
Transcribed by Rudolf Balshai from String Quartet No.8
Yuli Turovsky
I Musici de Montréal

1984.8 Church of St Pierre Apotre, Montreal
CHAN8357

2006年09月08日

ハイティンクのショスタコーヴィチの4番

haitink_shostako4.JPG

東京土産の一つ。
指揮者もオーケストラもロシアの人たちでない演奏で、これ以上の成果は簡単には出せないだろうというような、やる気に満ちた演奏だ。
この演奏の初期盤を手に取るのは本当に久しぶりで、まるで日焼けしたかのような薄黄色なジャケットの色が、デザインなのか日焼けなのか思い出せなかった。

1楽章
ともかく1音1音の音の勢いが凄い。逆に弱くなるときの弱弱しさも的確。
どの楽器も上手い。いや、上手く聴こえる。チェロがソリで勢いあまってよく音程をはずすが、それもまた良し。
特に木管楽器の長い音符の形がきれい。
フガートのテンポは遅いが一向に気にならない。
たたずまいの美しさ。それは調性感の確かさだろうか。

2楽章
やはりこの当時のロンドン・フィルは決して状態がいい訳ではない。よく聴けばソロはとちる寸前だ。それでも聴かせるのは、ハイティンクの意志の力だろう。
この曲は同じような楽節が延々と続くところが多くて、いくら好きな曲だと言っても退屈することがある。
その演奏はそういうところでわずかな変化を織り交ぜながら集中力を切らすことなく魅力を持続させている。

3楽章
この楽章に限らずファゴットが良く活躍するが、どの場面でも的確な音楽。
ゆったりとしたテンポを嫌がっていない。音楽表現のポジティブさが失われない。
コラールは、完璧ではないが、充分に熱い。

おしなべて、突出した何かはないが平均的に良い演奏であることで、万人に薦めやすい演奏だ。万人に薦められるほど手に入れやすくないが。1枚ものでこの演奏を見たのは何年ぶりだろう。さすが東京。初期盤で手に入るとは。


Dmitri Shostakovich
Symphony No.4 in C minor, op.43
Bernard Haitink
London Philharmonic Orchestra

DECCA 1979.1

2006年07月18日

プレヴィンのショスタコーヴィチ#10&13

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いやはや才人だ、プレヴィン!
私はこれまでプレヴィンの適性を完全に見誤っていたようだ。
こんなに共感に満ちたショスタコーヴィチを演奏していたとは。

もちろんロンドン・シンフォニーが頭抜けて優秀なオーケストラであることは知っている。
しかし、この演奏のすさまじい求心力は指揮者の曲への共感と理解なくしては不可能な演奏だ。調べてみるとプレヴィンはなんと1929年ベルリン生まれ(ドホナーニと同じ!)。9歳でパリに、10歳でアメリカに移っているため、ベルリンでの生活の影響はないかもしれないが、彼もまたユーラシア大陸の大戦と全く無縁なわけではない。

プレヴィンのショスタコーヴィチは、RCAにロンドン響との5番の古い録音があるらしい。
また、シカゴ響との4番と5番(EMI)、ロンドン響との8番(DG)があり、どれも「それなりに」いい演奏だ。
しかし、この10番と13番の炸裂具合は尋常ではない。西側のオケとか指揮者とか関係なく曲に寄り添っている。
バービ・ヤルの第2楽章「ユーモア」など、あまりにも真剣すぎてユーモアのかけらもない演奏だが、それがそのままユーモアになっている。
ちなみに合唱指揮がリチャード・ヒコックス。合唱のはじけ具合も尋常でない。合唱の精度を追求するのでなく、「群衆」そのものを表現しているかのようだ。

なお、ドクター円海山氏のブログによれば、先日再発されたコンドラシンとバイエルン放送響の13番のライブは、プレヴィンのキャンセルによる代役だったとのこと。プレヴィンが普通に演奏していたら、こうして発売されることはなかったろう。
プレヴィンのスタジオ録音と偶然によって成されたコンドラシンのライブ録音を並べて聴けることになったのは、結果的に現代の我々音楽好きにとってとても幸運なことだ。

不思議なのだが、何でこれだけの演奏が話題にならないんだ?

Dmitri Shostakovich
Symphony No.10 in E minor, op.93
André Previn
London Symphony Orchestra
EMI, 1982.7

Symphony No.13 in B flat minor, op.113, "Babiy Yar"
André Previn
London Symphony Orchestra
Dimiter Petkov, bass
London Symphony Chorus
Richard Hickox, Chorus Master
EMI, 1979.7

2006年07月11日

ムラヴィンスキーのタコ8

mravinsky_shostakovich8.JPG

ずっと昔から持っているCDだが、最近ずっと廃盤だったらしい。タワレコオリジナルで最近出たようだ。
ふと聴きたくなって取り出した。

ムラヴィンスキーはこの曲がお気に入りのようで、残された録音もたくさんある。私も他に1961年2月25日録音というのをメロディア未発表録音集(BMG国内盤)で持っている。
最近では1960年だかのBBC LEGENDのものがいいらしいが私は未聴。

そういうわけで(?)あらゆるタコ8の中でこの録音が一番好きだ。
録音や演奏は万全というわけではない。しかしながら、ムラヴィンスキーの最大の魅力であるやわらかく豊かな弦の響きと鮮烈な金管の咆哮が両立している。
音楽が描く恐怖が見事に、丁寧に表現され、(この演奏時点では)40年前の戦争の悲劇が今のことのように演奏されている。ムラヴィンスキーはもちろんだが、演奏者にもその時代を体験した人が多くいるのかもしれない。

ところで、最近気がついたのが、この録音は5楽章の最後の最後に編集跡が丸分かりのところがある。ムラヴィンスキーとレニングラードといえどもミスはあるのだろう。案外この編集跡がしばらく廃盤だった理由なのではないかと思ったりする。

Dmitri Shostakovich
Symphony No.8 in C minor, op.65
Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky
Philips 1982.3, Leningrad, USSR

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