2012年05月19日

フィッシャー=ディースカウの思い出

はっきり言ってしょうもない話なので、読んでがっかりしないように。
先ごろ亡くなったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌唱について私ごときがどうのこうの言う立場には全くない。それとは別に、偶然の邂逅、というよりはすれ違いのようなものがあったことが、いまでも私の心に、のどに刺さった小骨のように残っているので、今ここで消化しておきたい。

2000年のベルリンで(3月と11月の2度行ったがどちらかは忘れた)、CDとか本とかを売っている大きなお店をうろうろしていたら、本屋のへんにあのフィッシャー=ディースカウ御大が一人立っておられた。確かそのころにはもう引退していたはずで、何事かと思ったら、どうも自伝を出版したばかりで、サイン会的なことをしていたらしい。御大の本が平積みになっていた。ところが、サインに並ぶような客は一人もおらず、御大は一人たたずむばかり。う〜む。というような状況を一瞬で察しつつ、御大と目が合ってしまったではないか!そうは言っても、私がドイツ語の彼の本を買ってサインを書いてもらっても読めもせぬ。しかも彼のすさまじい録音歴は知っていても「大ファンです!!!」というほどのものでもない。これは申し訳ないがスルーするしかないなと、いったんはその場を立ち去る。

そうか、CD買ってサインしてもらえばいいんだ、とCD売り場に行って探すが、店頭にあったのはすでに持っているカルミナ・ブラーナと旅先ではかさばるマイスタージンガー全曲ぐらいだったか。オトマール・シェックのノットゥルノ(EMI)があったら2枚目でも迷わず買ったのに、聴いたことのないマイスタージンガーとかカルミナだともう一つ踏み切れん、と悶々と悩んだ挙句、「御大、ごめんなさい」と何もせずその店から立ち去ってしまったのだった。

今考えれば、読めもせぬドイツ語の本にサインをしてもらうのが最良の行動だったのだ。ヲタク的に。フィッシャー=ディースカウについて見聞きするたびにいつも、この「小骨」的事件がよみがえるのである。
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2010年01月21日

クラシックが拷問に

これは面白い!というか、ヴェルディを大音響で聴きたいがために不良になったりして。

らばQ:クラシック音楽を聴かせたところ不良生徒の数が半減…でもその理由は
http://labaq.com/archives/51374722.html

ブルックナーを拷問に大音響で聴かせるのは、ガルシア=マルケスの「族長の秋」だったっけ?
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2009年10月22日

音のマトリックス

飯尾さんのCLASSICA(http://www.classicajapan.com/wn/2009/10/220910.html)で知ったこのサイト、面白いです。

Tone Matrix
http://lab.andre-michelle.com/tonematrix

作曲する人にとっては何の変哲もないことなんでしょうが、自分が音楽を生み出している気分になれて、気持ちいいです。



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2009年09月23日

TRIP TO ASIA ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて

trip_to_asia.JPG

昨年だったか、日本でも公開されたらしい、サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルの2005年アジアツアーを題材にしたドキュメンタリー映画。その、コレクターズ・エディションのDVDを見た。先日、今井書店湖山店で、紀伊国屋のDVD2割引のセールをしてて、これと、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の「トリコロール 青の愛、白の愛、赤の愛」を衝動買いしてしまった。
結論から言えばすばらしい作品である。本編のドキュメンタリーだけでも。そして、膨大な付録を合わせても。

コレクターズ・エディションは2枚組みで税込み7,245円もするが、それだけの価値がある。というか、普通に買える1枚目だけだと、ベルリン・フィルの姿の半分しか見ることができない。つまり、監督が切り取ったベルリン・フィルのある側面だけ。

全体の構成はこうなっている。

Disc 1
1.「TRIP to ASIA, the Quest for Harmony, BERLINER PHILHARMONIKER and SIR SIMON RATTLE」(これが原題)(108分)
2.「TRIP to ASIA」の映像を流しながら(見ながら)、監督のトーマス・グールベ、音楽監督のシモン・シュトックハウゼン(カールハインツの息子)、このアジアツアーに同行し、すでに退団したチェリストのゲッツ・トイチュが鼎談し、説明していくテイク(本編と全く同じ108分)
Disc.2
1.本編に採用されなかった、指揮者や奏者のインタビュー
2.この公演で演奏された、トーマス・アデス(1971生まれ)の「アサイラ」全曲演奏
3.メイキング・フォト

一般公開で、劇場で見た人(Disc 1の1だけ見た人)は、ベルリン・フィルの奏者が、不安にさいなまれた表情で、不安や孤独を語る姿を見て、さらに、トーマス・アデスの演奏至難な「アサイラ」のリハーサルシーンで、うまくいかず何度も止まる姿を見て、衝撃を受けたことだろう。「ベルリン・フィルのメンバーも、人間なんだ」と。
監督たちが語ったテイクは、まあある意味自画自賛的な部分はあるが、このドキュメンタリーの舞台裏も含めて、ベルリン・フィルの多面性を見られて、興味深い。

さて、コレクターズ・エディションにのみ収録されたインタビューや、アサイラの全曲演奏を見ると、それと逆の感情を抱くことになる。
すなわち、メンバーのインタビューは自信に満ちあふれている。リハーサルではあんなにボロボロだった「アサイラ」は、本番の演奏では余裕しゃくしゃくで、楽しんで演奏しているのが分かるくらい。

そう、やはり、編集された映画は、明確な編集意図の下にまとめられているということだ。「人間」ベルリン・フィルを強調するように。だから、これだけ見て安心してはいけない。本編で採用されなかったインタビュイーには、例えばホルンのシュテファン・ドールやフルートのエマニュエル・パユがいて、彼らはインタビューを受けても不安な表情や表現は一切しなかったのだろう。本編で登場した人も、採用されなかったテイクは自信満々である。ベルリン・フィルに入るような人、あるいはベルリン・フィル的な高度ななにかに携わる人が必ず持つ、努力の結果といい意味での自意識が」自然に現れている。

ハート・ウォーミングな音楽ドキュメンタリーを楽しみたい方は、1枚目のディスクだけを、世界の姿をより多面的に知りたい方は、すべてを見ることをお勧めします。
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2009年08月02日

お気に入りの金管系ブログ

いつも読んでいる、とっても面白いブログがあるんですが、なぜかみんな金管に関係した人ばかり。
演奏者はもちろん音楽好きの人にも役に立つ情報満載です。
正直言って、私のブログの100倍面白い。才能なんだろうなあ…。

あるホルン吹きによる音楽の部屋
http://ausdrucksvoll.blog7.fc2.com/
ハンブルクの大学で学びつつ、秋のシーズンからイエナ・フィルでトップを吹く、ホルンの方のブログです。つい最近までの、マリー・ルイーズ・ノイネッカーのレッスンが素晴らしかった。

ピアニスト「ともんべ」こと、沢野智子の「コレペティ日記」
http://ameblo.jp/tomonbe/
ベルリンの大学で、コレペティをしつつ、プロの金管奏者の伴奏を一手に引き受ける大忙しのピアニスト。ベルリン・フィルとかシカゴ響の金管奏者の話題がしょっちゅう出てきます。

Mayumi's Blog♪
http://blog.mayumi-shimizu.com/
研修生としてベルリン・フィルでトロンボーンを吹く若い女性のブログ。私がベルリンで旅行に行ったときの、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの公演の舞台裏がのぞけて、とても面白かったです。
http://blog.mayumi-shimizu.com/?eid=1158200
タグ:日記
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2008年10月04日

2001年にタイムトラベル

クラシック招き猫.JPG

Googleが10周年を記念して、2001年時点のウェブサイト検索ができるサービスを行っています。
http://www.google.com/search2001.html
いろんな意味で隔世の感があります。
ちなみにスラッシュドット・ジャパンで紹介されていて発見しました。
http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=08/10/03/0841224

まずは自分の名前を検索すると、わずか1ページ。大学オケのサイトに出ているのが見つかりました。

そして当時は絶大な人気を誇った「クラシック招き猫」を訪問。
http://web.archive.org/web/20000621121305/village.infoweb.ne.jp/~fwjc3993/manekineko/index_.htm
微妙な時点でのアーカイブで、しかも本文が見られませんが、タイトルを見ているだけでもなにやら甘酸っぱい思い出に浸れます。
あれあれ、友人も、あの人も、そして私も名前が出ている(笑)。いかに入り浸っていたかわかりますな。
ちなみに今ではいろいろあって閉鎖されているのはご存じのとおり。アーカイブが見られないのは非常に残念です。
http://homepage2.nifty.com/182494/ClassicManekineko/index.htm

そしてHMV。2000年12月のアーカイブを見つけましたが、実は私はまだこのころHMVオンラインを使っていませんでした。大店舗系はリアルショップで、ネットは「カデンツァ」とか「アリアCD」とかで、と使い分けしてたので。今じゃ、ネット系のお店はどちらも会員を失効、リアルテンポは探すのが面倒なので、もっぱらHMVオンラインを使っています。
ところで、このページ。
http://web.archive.org/web/20001217053000/www.hmv.co.jp/Product/detail.asp?SKU=985282
クレンペラーのベートーヴェン全集のクリスマスボックスなんですが、このページに並んだ他のディスクといい、これといい、あまり「昔」という気がしないんですね。なんでだろ。
ちなみに、シンフォニーのベストセラーが並んでますが、10点すべて持っている私は、ヲタクに違いありません。
念のため転載。

Best Sellers
Symphonies
1. Bruckner / Sym.5,7-9:Beinum/Concertgebouw.O
2. Berlioz / Symphonie Fantastique:Cluytens/Paris Conservatory.O('64.5.10 Tokyo)
3. Mozart/R.Strauss / Sym.36/Ein Heldenleben:Barbirolli/Lso('69.9.28 London)
4. Mahler / Sym.9:Kubelik/Bavarian.Rso ('75.Live In Tokyo)
5. Beethoven / Sym.3:Schuricht/Vpo('61,Salzburg),Stolzel:Concerto Grosso
6. Bruckner / Sym.7:Wand/Bpo
7. Mahler / (cooke)sym.10:Rattle/Bpo
8. Bruckner / Sym.9:Schuricht/Bavarian.Rso
9. Bruckner / Comp.Symphonies:Jochum/Skd
10. Shostakovich / Sym.5:Mravinsky/Leningrad.Po ('73.5.26 Tokyo)
タグ:日記
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2008年09月19日

秘技、廃盤検索!

誰もが一度は思う悩み。「あの曲ってどんな録音が出てたっけ」とか「あの曲の入ったCD、廃盤になったけどほかにどんな曲が入ってたか調べたい」。HMVがある程度解決してくれます。

ご存じのとおり、HMVのオンラインショップの検索機能は非常に充実してますが、普通は入手可能な商品しか表示されません。ところがなぜか、ある方法をとると、廃盤のディスクも表示されます。

題材に「プロコフィエフのロメオとジュリエット第3組曲」をとってみましょう。即座にすべての過去の録音が思い出せるアナタには必要のない情報ですがね。
http://www.hmv.co.jp/news/index.asp?category=1&genre=700&style=0
まず、クラシックのトップ画面、真ん中らへんの四角いブルーの「Search」というボタンをクリックします。
次に、「作曲家」の「フ」をクリックします。
バグのせいか「ハ」と「ヒ」しか表示されませんが、あわてず、すかさず上のほうにある「フ」をクリックすべし。
たくさんある中にプロコフィエフの項もあり、著名な人なので作品名として「ロメオとジュリエット」も表示されますが、これを選んではいけません!
必ず「⇒詳細作品リスト」をクリックすること!
ジャンル別にタブがあるので、「Orchestral」をクリック。
「Romeo and Juliet, Suite No. 3 for orchestra, Op. 101」をクリックすれば、あーら不思議。廃盤のディスクも含めて、HMVのサイトに登録されたことのあるディスクが表示されるのです。チェクナボリアンの録音があったなんて覚えていましたか?

ただ、もちろん過去に発売されたすべての商品が表示されるわけではありません。あくまでもHMVが登録した商品です。例えば、この第3組曲には確かリボル・ペシェクの録音(チェコ・フィル?)があったと思うのですが、表示されませんでした。

ここまで読んで「まーったく使い道がない!」と思ったあなた。ご安心ください、あなたはオタクではありません。よかったですね。
それと「クラシック以外はどーなんだ!」と聞かれても私には興味のない分野ですので答えられません。悪しからず。
タグ:HMV
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2008年07月30日

ホルスト・シュタイン先生の思い出

horststein1.JPG horststein2.JPG

齢80、ホルスト・シュタイン先生が亡くなった。私にとって真のアイドルの一人だった(あとの二人はギュンター・ヴァントとクルト・ザンデルリンク)。
最初に知ったのがこのブログ。
http://blog.livedoor.jp/haydnphil/archives/51450300.html
月曜日につらいことがあって落ち込んでいたのが、目が覚めてしまった。

シュタイン先生のキャリアの終盤近くのころに東京に住んでいたおかげで、オランダ人とか、ブルックナーの7番とか、N響とのいくつかの名演にライブで接することができた。
N響機関紙のフィルハーモニーに鶴我裕子さんが書かれていたエッセイのエピソードが面白かった。1992年くらいだったか、ヘルマン・プライが独唱でシューベルトの歌曲のオーケストラ編曲版を演奏する時の事。リハーサルでシュタイン先生が、「ピアニッッッシモ!!!」とオケに対して何度も何度も要求するけどオケは実行できない。シュタイン先生はいつものとおりカンカンに怒ってしまって、楽屋に引き込もってしまい、オケのメンバーとプライ氏は取り残された。それをプライ氏がなだめすかしてリハーサルにつれ戻したそうだ。この演奏会も私は見ることができた。アンコールのブリテン編曲の「鱒」が絶品だった。プライ氏も今はない。

もうひとつ、バンベルク響と来日した1998年のブラームス・チクルス。ラドゥ・ルプーの独奏でブラームスのピアノ協奏曲の第1番を聴くことができたのだが、このとき初めて本心から音楽に涙した。何でこんなに涙が出るのだろうと不思議に思うくらい。本当に美しい演奏で、ひとつひとつのパッセージに心象風景が乗り移ったようで、魂の深遠を覗き込む思いがしたものだ。数席前で外国人のおばさんがハンカチでしきりに涙をぬぐっていると思ったら、マリア=ジョアン・ピレシュだった。終わった後もぼろぼろ泣いていた。

この文章はシュタイン先生のキャリアの最初期、1959年録音のハチャトリアンの仮面舞踏会とガイーヌを聴きながら書いている。オーケストラはベルリン放送交響楽団とあるが、西のか東のかよく分からない。31歳の俊英の、きびきびとしつつも分厚い音響に圧倒される。
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2008年07月16日

猫の音楽

猫の子守唄(http://www.classicajapan.com/wn/2008/07/160256.html)で悩んでらっしゃるiioさんのために。
ロッシーニの「猫の二重唱」があるじゃないですか。ミャーオミャーオと鳴きまくるあるの奇曲。
これ聴いたらとても眠るどころじゃないですが。
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2008年03月02日

「語る」音楽

土曜日から日曜日にかけて、ミンクス室内オーケストラで「メサイア」、倉吉室内合奏団でエルガーとドヴォルザークの「弦楽セレナード」、そして我が鳥取市交響楽団でショスタコーヴィチとグリーグの曲を練習した中で、自分の音楽観がどんどんとスライドして(あるいは思い付きが核心に近付いて)いくのを感じていた。
つまり、ピリオドスタイルというのは、カウンターカルチャーではなく、もちろん一時の流行でもなく、音楽の本来の姿への回帰ではなかろうかということ。本来の姿とは「語る音楽」。逆かな。「音楽は語りの一形態」であるということ。

本来作曲家は、音の連なりにメッセージをこめて作曲していた。同時代の人には、そのイントネーションとかアーティキュレーションでどういうメッセージが込められていたか分かったし、それを表現できた。当時は演奏会場が小さかったし、楽器も、声も、「語る」奏法・唱法で対応できた。巨大な空間で大きな音で演奏しなければならないときには、たくさん奏者を集めるのが普通だった。
ところが、音楽が、人が、国が変遷するにつれて、「言葉」が通じなくなってきた。演奏会場が大きくなり、「標準語」が求められるようになってきた。演奏者は、標準語というよりか工業製品のように音を出す技術者として育てられるようになってきた。いつしか音楽は「叫ぶ」もの、あるいは「鳴らす」ものになってきた。

こうした変遷はずいぶん前から起こっていたと思っていたのだが、わずか50年ばかり前から起こったことなのではないだろうか。
というのが、この2日間のさまざまな練習の中で、エルガーやグリーグはもちろん、ショスタコーヴィチを演奏していてさえも、音符とメッセージが表裏一体であることが感じられたから。ついこの間まで、音楽はメッセージだったのだ。
このメッセージの表現方法は、例えばヘンデルとグリーグでは違うようで同じようだ。ヘンデルでは音符の連なりと言葉が表裏一体であるが、グリーグでは音のひとまとまり、ひとつらなりが情景を描写している。とは言え、ヘンデルも音で情景を描写しないわけではない。
ショスタコーヴィチは、あえて「叫ぶ」音を出させることがあるが、それはもちろん心の叫びであったり、叫ぶポーズ(!)を表現するため。

今日のN響アワーでは、ブロムシュテットが指揮したグレートを演奏していた。素晴らしい熱演だったし、テンポも速くさわやか。4楽章では、聴いたことのない提示部リピートのための「カッコ1」を聴けた。昔なら手放しに賞賛したことだろう。だが、今の私には終始居心地の悪さを感じたのが「叫ぶ」スタイルの演奏であったこと。こういうのは試聴環境によって印象が大きく左右されるので、演奏会場ではそうではなかったと思いたいが、テレビの音を聴いた限りではそう思ったということ。リートで心情吐露しまくったあのシューベルトが、シンフォニーでは叫ぶなんてことがあるだろうか。
しかしながら、私が初めて「語る」スタイルに気が付いたのもN響の演奏なのである。おそらく後世にN響の黄金時代として語り継がれるであろう「デュトワの時代」におけるデュトワとのサン=サーンスのオルガン付きであった。見事なイントネーションの統一で第2楽章第2部のあの単純なテーマが立ち上がってきたのだ。
なんで「叫ぶ」スタイルになってしまうかというとこれは、単純に練習時間が足りないためだろう。「語る」スタイルの弱点は、語るためにイントネーションを統一するのに膨大な時間が必要であることだ。「叫ぶ」のは、音符の価値を平準化して技術として音を出せばいいので、時間がなくてもできる。大きな音で、美しいサウンドで音楽を鳴らせば、ある程度は「何かを表現できた」ことになる。
だが、クラシックが敬遠されるようになったのは、メッセージを伝えずに「美」とか「サウンド」を伝えた気になってしまったせいではないだろうか。
だから、私たち音楽表現者の端くれがすべきことは、音楽における「メッセージ」の復権である。イントネーションとアーティキュレションを明確にすること、そして、音楽が表現する言葉やストーリーや情景を掘り起こすこと。それを音で、それで足りなければ言葉を補足して、表現すること。ミンクス室内オーケストラが松岡先生と取り組んでいるのはイントネーションの明確化であるし、鳥取市交響楽団がレクチャーコンサートで取り組んでいるのは音楽的メッセージの言語化である。

クラシック音楽は、クラシック音楽が結果として表現するサウンドの美しさに安住しすぎていたのだと思う。
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2008年01月06日

のだめに見るティルの楽譜事情

1月4日と5日の「のだめカンタービレinヨーロッパ」、メイキングも含めて充分に堪能いたしました。2部の放送時間の1部の録画を見て、その後に2部の録画を見たのでこんな時間です。
ヨーロッパの空気感が伝わってくるし、出演者もあのテンションのままだし、とてもよくできてるではないですか。特にプラハ放送交響楽団の協力にはブラーヴォです。コンサート・マスターさんの千秋への会釈とチャイコンのソリストへの会釈がそれぞれ「日本人向け」「西洋人向け」に使い分けられているのが印象的(?)。

それよりも、千秋が持っていた「ティル・オイレンシュピーゲル」のスコアがカルマス社のものだったのが不思議。
と思って調べたら重大な事実が発覚。

http://www.sheetmusicplus.com/store/smp_detail.html?item=3253225&cart=3187670004939364&cm_re=289.1.4-_-Results+Item-_-Title
購入できる唯一のフルサイズスコア
http://www.sheetmusicplus.com/store/smp_detail.html?item=3334217&cart=3187670004939364&cm_re=289.1.4-_-Results+Item-_-Title
上記と同じセットのパート譜一式
http://www.di-arezzo.jp/detail_notice.php?no_article=EULBG01740
他に購入できる唯一のスコア(ミニスコア。日本版もあり)
http://www.edition-peters.com/php/stock_info.php?section=composer&pno=EP8836
ホルンの抜粋パート譜(ソロ練習用?)
http://www.edition-peters.com/php/stock_info.php?section=composer&pno=EP3191
「もう一人のティル・オイレンシュピーゲル」という室内楽小編成編曲版のパート譜

検索してもこれだけしか見つからない。つまり、フジテレビがフルサイズのスコアを今確保しようと思うとこれしかない。もちろん普通の人もそう。
逆に言えば、Kalmusに感謝!である。カルマスとは、世界中の廃業した楽譜出版社から出た楽譜印刷原版や、新しく版を起こしたために要らなくなった旧版を買い取って、リプリントして出している(もちろん自社出版もある、らしい)。だから、例えばチャイコフスキーの交響曲第5番のロシア版とドイツ版(ブライトコップ旧版)が両方買える、なんて利点(?)もある。

そうそう忘れてました、もう一つこれ。
http://store.doverpublications.com/0486237559.html
でもテレビでDoverという訳にはいかないよなあ。英雄の生涯もツァラも入っててお得なんだけど、コンクールの間違い探し並に間違いを正していかないといけないかもしれないしね。

ドラマに戻ると。
「君はここに何しに来たの?」
深く噛み締めたい言葉である。
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2007年11月06日

「指揮棒」

dertaktstock.JPG

指揮棒は魔法の杖?マエストロが語る「指揮棒」考
エックハルト・レルケ著、野口剛夫訳、音楽之友社刊。

原題は単純に「指揮棒」。以前図書館であらかた読んでいたのだが、どうしても気になって、結局買ってしまった。これは面白い本だ。

1999〜2000年に、著者がインタビュアーとして、著名指揮者に片っ端から「指揮棒」への思いについて聴いてまとめた話である。
インタビューを受けた指揮者はあとで列記するが、びっくりするくらい錚々たるメンバーである。

さて、「指揮棒」について指揮者が語る話が面白いか、あるいは、インタビューとして面白いかと言うと、これがかなり疑問なところである。大半の指揮者の話は(その知名度とか業績と関係なく)かなりつまらない、どうでもよいものである。巨匠だからと言って面白いわけでもない。
そうは言っても「棒」についてだけでなく「指揮」についても語らざるを得なくなってくるわけで、そうした場面で指揮者の本音が見え隠れする。

このインタビューの中でいちばん面白かったのが、ルネ・ヤーコプスだ。彼は指揮棒についての自分の見解は一切語らず、指揮の、指揮棒の歴史について語る。多くの指揮者が言及したリュリの死因である「指揮杖」についても、より深い知識として、いつもそれを使っていたのではなく、編成が大きかったために大きな音の出る杖を使わなければならなかったと喝破している。
次に興味深かったのが、ハルトムート・ヘンヒェンの先が光る指揮棒のこと。これは、ラインゴールドやジークフリートの冒頭を真っ暗にする演出のために使うそうだ。そのときには何と楽員はアンプで演奏するそうだ!ラインゴールドの冒頭120小節なんて、ほとんど変化しないような音楽だが、プロはこういうこともできなくちゃいけないらしい。

結局この本はこういうまとめ方をして正解だったと思う。それは著者の思いと関係なく価値がにじみ出てきているような気がする。つまり、これだけたくさんの指揮者の生の言葉を一堂に集めたことに最大の価値があると思う。これは、インタビューの内容を「指揮棒」に絞り、30分程度でインタビューを切り上げることによって初めて実現できている。
つまり、「指揮」について語らせたら、こんなにコンパクトにはまとまらないし、これほど「率直」に語ってくれなかったかもしれない。「指揮棒」という隙を突くことで本心をさらけ出すことに成功したのではなかろうか。


ベルナルト・ハイティンク
セミヨン・ビシュコフ
ウラディーミル・アシュケナージ
ヘルベルト・ブロムシュテット
シモーネ・ヤング
ジェフリー・テイト
インゴ・メッツマッハー
ミヒャエル・ギーレン
ジェイムズ・レヴァイン
レナード・スラトキン
ピエール・ブーレーズ
レイフ・セーゲルスタム
エサ=ペッカ・サロネン
クリストフ・エッシェンバッハ
ケント・ナガノ
マリー=ジャンヌ・デュフール
マルク・アルブレヒト
ハンス・ツェンダー
ルネ・ヤーコプス
シアン・エドワーズ
アルトゥーロ・タマーヨ
サー・コリン・デイヴィス
トン・コープマン
ハルトムート・ヘンヒェン
コンスタンツィア・グルツィ
エリアフ・インバル
ネーメ・ヤルヴィ
ペーター・エトヴェシュ
ローター・ツァグロゼク
クワーメ・ライアン
ダニエル・ハーディング
アリシア・モンク
マリス・ヤンソンス
クルト・マズア
フィリップ・ヘレヴェッヘ
マイケル・ティルソン・トーマス
ミヒャエル・ホフシュテッター
ヤコフ・クライツベルク
ゲルト・アルブレヒト
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2007年07月26日

ゲーデル・エッシャー・バッハ

GEB.JPG

無事に36歳の誕生日を迎えることができた。

打ち合わせ1、打ち合わせ2、シンポジウム参加、打ち合わせ4、打ち合わせ5とばたばたと1日を過ごした後、本業のために職場で22時まで過ごし、そういえば自分にプレゼントを贈ってもいいじゃないかと思って今井書店のサイトでかねてからほしいと思っていたダグラス・ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」の在庫を検索してみると「在庫僅か」、つまり1冊はあるらしい。
帰り道にパスタを食べ、今井書店に閉店10分前に着き、探すと、ちゃんとあった。迷わず購入して帰宅。

写真でも見えるとおり、出版されてから20年以上経つ本である。この時代の理系の人間なら、一度は手に取ったことがあるのではなかろうか。私が読んだのは高校生のときで、兄が買っていたのを借りてむさぼるように読んだものだ。今となってはどれだけ覚えているか、あるいは理解できているかは心もとない。
とりあえずは書き下ろしの序章(40ページもある)を読んで、ホフスタッターがこの本で書きたかったこと、その後のホフスタッターの活動が綴られていた。本文はあとに取っておく。

さて、この本を再度読んでみようと思ったのは、実はサイモン・シンの「暗号解読」を読んだためだ。「暗号解読」は、いつも見るiioさんのサイト、CLASSICA(http://www.classicajapan.com/wn/)で出版を知り、購入したもの。睡眠不足を推しても読んでしまう魅力的な本である(未読了)。iioさんの選書眼にはほとほと敬服する。
「暗号解読」自体は面白い本だし、ゲーデル・エッシャー・バッハは暗号とは直接関係のない本なのだが、認知論と記号論のはざまで「音楽」を捉えなおしたときに、「作曲家が音楽に込めた暗号をどう読み解くべきか」という発想に至り、その基礎資料としてあらためてゲーデル・エッシャー・バッハを読みたくなったのだ。

音楽と暗号の関係については、また考えがまとまってから書きたいが、「音列」を中心とした音楽的暗号だけを捉えることは音楽の暗号的側面の半分しか見てないのではないかというような発想である。詳細はいずれ。
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2007年07月08日

未完成観

米子の医学部OBオーケストラの本番を弾いてきた。
シューベルトの未完成と、ベト7.7月7日に7番と7番である。

さて、未完成はもう何度弾いただろう。この曲は何度弾いても憂いと美しさに満ちて心地好い曲である。特に今日の演奏では演奏者が十分にいい音を出し切ってなかなかの演奏であった。

以前(6,7年前?)未完成を弾いたときに指揮者の先生が「何で1楽章が4分の3拍子で2楽章が8分の3拍子か分かりますか?」と質問されたことがある。そのときは結局答えを聴けなかった。当時は直感的に「2楽章は舞曲だから?」なんて思ったのだが、今でもその答えはあながち間違いではないとは思うが、満点ではないだろうと思う。
今現在の私の解は「1楽章は3つ振りの、2楽章は1つぶりの音楽(であるべき)だから」。結果的に2楽章が舞曲であることは変わりないと思っている。8分の6拍子は2つぶりで考えないといけないのと同じで、8分の3拍子は1つ振りで考えないといけないというのが本来の拍子の表記のルールなのではないだろうか。ブラームスの交響曲第3番が8分の6拍子でなく4分の6拍子であるのもそのあたりに理由があるのかもしれない。

さてこの未完成、譜面づらとは相反してとても難しい音楽だと思っている。それは音楽の表情の付け方。ベートーヴェンの音楽が「悩んだ結果」の音楽であるならば、シューベルトの音楽は「悩んでいるプロセスの音楽」ではなかろうか。音楽の一節一節の表情が決まっていないしころころ変わる。「泣き笑い」であったり「笑い泣き」であったり「怒りを秘めた笑み」であったり「絶望の中のかすかな希望」であったり。
縦の線や横の線をあわせていっても、その領域にはたどりつけない。奏者一人ひとりが表情のパレットをどれだけヴァリエーション豊富に持っているかでその表情付けのもっともらしさが違ってくる。

シューベルトを演奏するには「悩む人」である必要があると思っている。もちろんブラームスも。
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2007年05月05日

微熱の日

cdseiri1.JPG cdseiri2.JPG

江戸の方では、熱狂の日が繰り広げられているそうであるが、私は一日微熱に苦しみながら、CDの整理をした。

発端は、CDが部屋中にやたらとごろごろしているのがどうにも我慢ならなくなって、大きな棚を導入することにしたのである。
ごく普通の本棚で、高さ180cm、幅60cm、8段で、奥行きが広いので、CDは前後に2列入る。これまであった棚とあわせて21段分、収容量は5割り増しである。

午前中に今棚などにあるCDを全部出しておき、昼ごはん後に、昨日買っておいた棚を組み立てた。私の身長より大きな棚なのだが、組み立ては恐ろしく簡単でドライバー1本でOK。軽いので一人で2階まで持ち上げられた。
棚を設置して、さあCDを収納しようと思ったら、どうも昨日からの風邪は治りきってなくて、微熱が出て、汗をかきかき、ふらふらしながらCDを分類。途中でやめるわけにはいかない。結局夕食をはさんで10時に終了。

私の分類法は以下の通りである。()は棚(または箱)の段数。1段(箱)=約65枚。

ハンス・クナッパーツブッシュ(1)
ホルスト・シュタイン(0.5)
ブルーノ・ワルター(0.25)
ジョージ・セル(0.25)
オットー・クレンペラー(0.5)
クラウス・テンシュテット(0.25)
クルト・ザンデルリンク(0.75)
ヘルベルト・ケーゲル(0.25)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム(0.25)
ディミトリ・ミトロプーロス(1)
フランツ・シュミット(0.25)
ネーメ・ヤルヴィ(2)
サー・チャールズ・マッケラス(1)
クリストフ・フォン・ドホナーニ(1)
アルトゥーロ・トスカニーニ(1)
ミラン・ホルヴァート(0.1)
ロヴロ・フォン・マタチッチ(0.1)
フィリップ・ヘレヴェッヘ(0.25)
オペラ(2.5)
古楽(0.5)
アントン・ブルックナー(2.5)
グスタフ・マーラー(1)
ジョン・バルビローリ(0.5)
イギリスの作曲家(0.5)
東欧の作曲家(0.5)
ドイツ・オーストリアの作曲家(2)
ロシアの巨匠(ムラヴィンスキー、コンドラシン、スヴェトラーノフ)(1)
ロシア・ソ連の作曲家(1)
フランスその他ラテンの作曲家(2)
現代音楽、アメリカの作曲家(1)
室内楽(1.25)
鍵盤音楽(0.75)
海賊盤(4)(笑)

ちなみに海賊盤の内訳は、テンシュテット(1)、シュタイン(0.5)、ザンデルリンク(0.5)、その他(2)。
海賊盤は、もう封印してもいいかなと思っている。あれは1回聴けばもう十分という気がしてきた。ただ、シュタインのワーグナーとか、これしかないものは取っておきたいしなあ。ところで海賊盤かどうか迷ったのがシャコンヌとディスク・レフラン。どうなんでしょうか。

結局何枚あるかは数える暇がなかったが、大雑把に計算して(21段+9箱+外に2段分)×65枚=2,080枚(除く海賊盤)。組み物は充填率が高いので、もう少し多いかもしれないが、まあこんなものだろう。

ちなみに、1枚目の写真は整理完了後。整然と並んだCDと段ボール箱。誰ですか、全然片付いてな〜いなんておっしゃる方は?
2枚目は、禁断(?)の海賊盤分類後。ひときわ高い山がテンシュテット、両脇に従えているのがザンデルリンクとシュタイン。その他大勢はまるで平野のように広がる(意味不明)。
タグ:日記
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2007年05月01日

東高定期

母校の鳥取東高吹奏楽部の定期演奏会を見てきた。

思い出は美化されがちなので、「私の若い頃は・・・」なんていっちゃあいけないのは重々承知なんだが、高校生の自分であっても我々はもっといろいろ考えて演奏していたような気がする。
今のほうが技術的には上なんだろうし、評価も高いだろうから、たわごとでしかないけど、ただ音符を並べるのでなく、音符の意味とその音符か書かれた背景に思いを寄せてほしいものだ。

例えば、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」セレクションというような曲が演奏された。
こうもりの中には、ワルツ、ポルカのほかにカドリーユという形式の音楽があると思っているのだが、カドリーユをどう表現するかというのはけっこう重要だと思う。
また、そのまま演奏したら映画音楽そのまんまになってしまう音をいかにオペレッタらしく処理するかというのも重要だ。そもそも「映画音楽」というジャンルはウィーンからハリウッドに渡ったエーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルトが始めたようなものだから、コルンゴルトの始祖たるシュトラウスが映画音楽に聴こえてもなんら不思議ではないのだが、そういうわけにもいかない。
それと、カドリーユ(Quadrille)なんて音楽形式(舞曲?)は、普通に日本に暮らしているとおそらく接点がない。私が何で知っているかというと、ブルックナーがなぜかそういうピアノ連弾曲を書いているからである。これがまたかなりおちゃらけた曲なのだ。19世紀後半のオーストリアにおけるカドリーユはこういうものなのだろう。
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2007年04月28日

レコード芸術5月号

ようやく読めたレコード芸術5月号。鳥取では毎月21日に発売で、今月は23日には手に入れていたのだが、連日忙しくてようやく今日読めたのだ。
この雑誌も年々読めるページが減っていっている。でも貴重な記事もあるのだから、許す。

というわけで今号の貴重な記事は2つ(たった?)。

1
今年から始まったリレー方式の「音楽論壇」。今号は我らが太田峰夫氏。大学オケの先輩である。
「音楽文化における『伝言ゲーム』」というテーマで、作曲家が書いた楽譜と、そこからは直接読み取れないが、口承などの伝達で後世にかろうじて伝わる演奏スタイルを読み解く。
「書いてないけどこう弾くべき」ということは、特にモーツァルト、ベートーヴェンの時代には多くあるはずで、ピリオド・スタイル・ムーヴメントとモダン・スタイルの対立みたいなくだらない論争はもうそろそろやめにして、演奏スタイルを真剣に考える時代が来たように思う。今取り組んでいるシューマンも、やはりレコ芸のインタビューで指揮者の準・メルクル氏が指摘したように、ロマンティックなスタイルに毒されている部分があるように思う。
そういう意味で、これからのクラシック音楽の演奏のあり方を示す見事な論考であった。こうでなくっちゃ。

2
レコ芸で常に熱心に読んでいるのが、海外の動向をリアルに伝える「海外楽信」の、特にウィーンの山崎睦氏とベルリンの城所孝吉氏。
今回は、城所氏のインゴ・メッツマッハーのベルリン・ドイツ交響楽団の就任先駆け公演を褒め称える文章の中での以下の一文。
「実のところDSOはナガノ時代に大幅に凋落し、ベルリンの4大交響楽団のなかでも問題児に成り下がっていた(以下略)」
私は大阪で数年前にケント・ナガノとベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートを見て、オケと指揮者がまるでかみ合わないベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトとツァラトゥストラを聴いて、「何だこれは?」と驚いたことがある。このときのベートーヴェンのソリストはヴィヴィアン・ハグナー。名演であり、実質的な指揮者であった。
これで、ナガノ氏はダメなのかなと思っていた。

その後、ナガノ氏の前のポストであるリヨン国立歌劇場のとある団員の方から当時のナガノ氏の活躍具合を聞き、いやいやナガノ氏は悪くないんじゃないのかなとも思い、混乱していたのだ。特にDSOとの演奏では早振りに見えたのに、リヨンでは完全にオンタイムで弾くようにいつも言われていたという矛盾が上手く解釈できなかった。

結局のところ、DSOが一方的にナガノ氏を認めようとしなかったのではなかろうか。それで自滅して、オケとしての技量を落としたと。
私が聴いたコンサートでもツァラは名演だったし、指揮者のトレーニング能力なくしてはあれだけの演奏は成し遂げられないはずだ。

指揮者とオケがかみ合わないというのは、上司と部下がかみ合わないのと現象は全く同じである。どの世界でも問題は相性なんだな。
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2007年04月07日

ラインスドルフ/ブラームス/シェーンベルク

ブラームスのピアノ四重奏曲第1番シェーンベルク編曲版第5弾、最終回。

最後はエーリッヒ・ラインスドルフである。オケはベルリン・フィル。
もちろん正規発売された音源はない。FMで放送されたことがあるようだ。私が聴いたのがどんな音源かは、まあ言わぬが花で。もちろん写真なんてない。

ウィーン・フィルの演奏に唯一真っ向から対抗できる演奏であろう。

天才ラインスドルフが恐ろしく落ち着いたテンポでこの複雑な音楽を明快に腑分けしていく。しかも、そのすべての音が分厚くてジューシーで、肉汁が滴っているような演奏。テンポの遅さが団員の落ち着きを呼び、それが音符のひとつひとつに魂を込めることを可能にしている。
これもまた一つの理想であろう。

ところが、4楽章だけはいただけない。速くあるべきところは遅すぎて音楽に乗れずに野暮ったい。遅くあるべきところはせっかちになって「歌」にならない。ずうっと隔靴掻痒な演奏なのだ。
ようやくコーダになって焦点がびしっと定まり、テンポも快速で、オケは難しさも感じさせず一気呵成に終わる。ああ、素晴らしいオケであることよ。観客も大歓声。

いろんな演奏を改めて聴きかえしたが、新ウィーン学派を感じさせる演奏が私には一番しっくりくるようだ。つまり、ドホナーニとラインスドルフ。もちろんオケの能力もプラスに働いている。

ところで、これだけこの曲を聴いたら、3日に1日は、1日中この曲のどこかのメロディが頭に鳴り響くようになってしまった。無限リピート。しかも興が乗ると鼻歌まで。
まさにこんな感じだよなあ。
http://www.classicajapan.com/wn/archives/000081.html
http://www.classicajapan.com/wn/archives/001355.html


Erich Leinsdorf
Berliner Philharmonisches Orchester

Johannes Brahms

Piano Quartet in G minor, op.25
orchestrated by Arnold Schönberg
1983.6.21
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2007年03月24日

カラヤンとフルトヴェングラー

karajanandfurtwaenglar.JPG

カラヤンとフルトヴェングラー
幻冬舎新書。中川右介著。

最初に見かけたときは、著者が「クラシックジャーナル」の編集長だというのを見て、「これは私の読む本ではないな」と思って遠ざけていたんだが、ぱらぱらめくってみるとえらいデータが豊富そうだったので買って読んでみた。
文献に基づいてデータをまとめただけあって、詳細かつ正確(たぶん)。これは面白い。
ベルリン・フィルの音楽監督の座をめぐって争ったフルトヴェングラーとカラヤンとチェリビダッケの三角関係をみごとに描いている。

ただし、著者が「現在の音楽界にも陰謀や復讐はあるだろう。だが、この本に登場する人々が展開したほどの激しいドラマがあるだろうか」とあとがきで書いたとおり、著者の意図は「陰謀」として浮かび上がってくるように彼らの行動を書くことである。
読んでいけばいくほど、この「陰謀」めいた語り口の部分が、事実の淡々とした記載から浮いているように感じてしまう。つまり、データの羅列の方がよっぽど読んでて面白いのではないかということだ。本文が303ページで840円は新書にしては高め。陰謀を省けば読みやすくて安くなるのに。
それより気になるのが、本当に彼らが「陰謀」を働いたのかどうかである。彼らは彼らなりに生存競争に打ち勝とうとがんばっていたのが結果的に企みっぽくなってしまっただけだろうに、これではやるせない気がする。しかも普通の読者なら陰謀部分しか読後に印象が残らない可能性がある。それはまずい。

もう一点惜しいのが、あくまでこの3人に絞って記述しているところで、ベルリン・フィルに関わりのあった他の指揮者の名前はカラヤンの正式決定時点の対抗馬を列記したところにしかないこと。戦後の定期公演でチェリもフルヴェンも振っていなかったときの客演指揮者にどんな人がいたのかを記述していれば、その時代の「空気」が「ヲタク」にはより濃く感じられただろう。

ともかく、この3人はそれぞれつらい思いをその時点ではしていただろうが、結果的には未だにクラシック・ファン(というよりヲタク)の神々であり続けている。それがクラシックの現在の不毛を象徴しているのがつらいところだ。
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2007年03月23日

ベートーヴェンのコンチェルトの楽譜

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フランスの楽譜通販会社、di-arezzoに注文していたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のパート譜が届いた。
今回注文したのはHenle版。さあ、Henle版ってどんなんかなあ、と思って開いたら、なぜか見慣れたBreitkopfの表紙だった。
中を見ると、管楽器はすべて元々Henleが版を起こした楽譜で、弦楽器はすべてBreitkopfの版でHenleの発売となっている。3枚目の写真の右がフルートで左がファースト・ヴァイオリン。

どういうことかというと、どうも、BreitkopfとHenleとBärenreiterとで、共同で出版・販売しているようで(どこかにそんなことが書いてあった)、ジャンルごとに販売を分け合っているようなのだ。ベートーヴェンについてはシンフォニーはBärenreiter、コンチェルトとカルテットはHenleというように(Breitkopfは不明。シューマンとかかな?)。Bärenreiter版のベートーヴェンのコンチェルトは存在しない。
結局のところ、楽譜の出版・販売というのは、もう儲けることのできない業種になってしまったのではなかろうか。かつてのライバルが手を結ばなくてはやっていけないくらいに。
一時期大作曲家の校訂譜の出版が流行った。ベートーヴェンのシンフォニーのBärenreiter版、ピアノソナタのHenle版は有名だが、メンデルスゾーン、シューベルト、そして今はシューマンがどんどん校訂されて出ている。
これは結局、「これまでのとは違いますよ」ということで、世界中のオーケストラや音楽家にもう1セット楽譜を買ってもらって利益を確保するために行っている事業なのだ。そうしなければ楽譜は何年でも使えるから売れない。

いろんな人がいろんな形で「クラシックの黄昏」を語っているが、私としては、出版社がつぶれて楽譜が手に入らなくなって、クラシックの名曲が演奏できなくなる、というような終焉の姿が目に浮かんでしまう。なんと殺風景な世界であろうか。

ちなみに今回の演奏会の楽譜の出版社と取り寄せ先は曲ごとに出版社、販売者、それぞれの国がさまざまであるが、それぞれの楽譜が通販ではそれぞれの取り扱い先でしか手に入らなかったりするのだ。ちなみに以下のとおり。
マンフレッド序曲
 出版:KALMUS(Breitkopfのリプリント)(アメリカ) 購入:SheetMusicPlus(アメリカ)
ベートーヴェンのピアノ協奏曲
 出版:HENLE(Breitkopfとの共同)(ドイツ) 購入:di-arezzo(フランス)
交響曲第4番
 出版:Breitkopf(ドイツ) 購入:Breitkopf(直販)(ドイツ)
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