2014年10月31日

アルカント・カルテット特別コンサート

2014年10月4日(土)14:00 びわ湖ホール 小ホール

アルカント・カルテット特別コンサート

Violin 1 アンティエ・ヴァイトハース
Violin 2 ダニエル・ゼペック
Viola タベア・ツィンマーマン
Violoncello ジャン=ギアン・ケラス

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ短調「セリオーソ」op.95
スメタナ:弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」
シューマン:弦楽四重奏曲イ短調op.41-1

チェロの友人K氏に誘われて、彼が最も愛するカルテットという、アルカント・カルテットを聴きにびわ湖ホールへ。
ヴァイオリンヴィオラのK夫妻もチケット入手できたので、またもや鳥取比率の高い客席であった(笑)。

びわ湖ホールへ行く前に、大阪によってササヤ書店でベト7のスコアなど購入。
渋滞もなくびわ湖ホールに着いて、すぐ近くの一番安い店の一番安いメニューの唐揚げ定食を食べる。

14時に開演。4人が楽器を構えると観客が恐ろしく集中を高めて全くの沈黙が訪れる。なんというハイレヴェルな観客!

1曲目。「これが私たちのセリオーソ」という、隙がなく美しく、叫ばないのに説得される演奏。弦が4人もそろえば調弦の癖があってどうしても合わない音程があるものだが、この4人は調弦の考え方が一致しているようで、音程が狂う気配すらない。
さらに、右手の歌い方の発想も一致していて、表現が常に4倍に増幅される。
2曲目。あのへんてこりんなスメタナが、最初から最後までへんてこりんに聞こえずに音楽が止まることなく流れていく完成された解釈の完璧な演奏! もうこれをそのまま発売すべきだ! 
休憩後の3曲目。メインがシューマンでは軽いかと思ったが全くそんなことはない。シューマン全部、メンデルスゾーン全部をさっさと発売してほしい。ただし、チェロK氏と一致した感想は「まだまだ解釈の余地がある」。なんと大それた物言い(笑)。

弦楽器を演奏するということ、室内楽を演奏するということ、それらをひっくるめて音楽をするということはどういうことなのかを恐ろしい次元の高さで見せつけられ、深く深く考えさせられた2時間であった。

帰りにはまたもや大阪に寄って名曲堂梅新東店とワルティ・クラシックへ。
その後は弦楽講座でお世話になっているヴァイオリニストの初リサイタル。


横山亜美ヴァイオリンリサイタル〜クレモナからの便り〜
19:00 ザ・フェニックスホール

Violin 横山亜美
Piano サラ・コスタ

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番ハ短調op.30-2
サラサーテ:カルメン幻想曲op.25
ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番ニ短調op.108
ラヴェル:ヴァイオリンソナタト長調

詳細は省くが、よく練習された、というのではなく、ヴァイオリンと音楽がよくわかっているので音楽を作るのに苦労しない演奏。
恐ろしく多い楽章数であるが、どこの細部も隙がなく音楽をしていた。
アルカント・カルテットの後でも問題なく楽しめたコンサートだった。
さすがと思ったのは、ラヴェルの曲中、重音のピッツィカートが続くところで指が深く入ってしまって調弦が一気に下がった時に、楽章間で冷静に調弦しなおしたこと。

コンサート後に丸ビルのタワレコに行って、ようやく帰鳥。
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2013年04月07日

広響を聴いて思ったこと

6日の夜、民音主催の広響コンサートを聴いてきました。指揮は山下一史。
プログラムはこんな感じ。
・チャイコフスキー/オネーギンのポロネーズ
・グリーグ/ペールギュントの朝
・エルガー/朝のあいさつ
・レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア第3番
・ベートーヴェンの運命(と日本では呼ばれている曲)
・アンコールのダニーボーイ

初心者っぽい人がほとんどで結構満席にもかかわらずとてもお行儀のよい「よく訓練された」お客さんだったので、楽章間の拍手もなくピアニシモのところでは極限の静寂で、広響の皆さんもおびえたんじゃないでしょうか(笑)。熱のこもったとても素晴らしい演奏をしていただきました。客層に関しては民音の設立者と何か関係があるのかもしれませんが、一音楽ファンとして妙にアウェーな感じで客席にいた私にはよく分かりません。

演奏を聴いていて思ったことが二つ。

(1)梨花ホールは鳴るのに時間がかかる
弦楽器とホールが共鳴しだしたのがレスピーギあたりから。最後のダニーボーイなんて、弦だけなのにびんびんホールが鳴ってました。これは泣けた。
鳥取市響のように長時間リハをすればいいのでしょうが、プロはそうもいきませんので、リハの前に大音響でホールでCDとか鳴らしといたほうがいいんじゃないでしょうか。

(2)運命のトロンボーンは神
演奏は現代オケの典型のスタイリッシュなスタイルで、いわゆる普通に思い浮かべる運命の演奏でした。
この曲の個々の要素は、ベートーヴェンの時代、つまりハイドンとかの時代、さらにもっと前の時代の音楽様式とそんなに大きくは外れてないと感じたので、もっと「典雅」なやり方もあるのではと思った。
そして、4楽章のトロンボーンの登場はまさに神の登場であり、もっと宗教音楽臭くやる方法もあるのではと思った。最後の審判の部分とか(ブラ3の4楽章の最後の審判はまさにこの運命の4楽章のオマージュなのですな)。
これら二つの要素は、スタイリッシュにバランスよく演奏することで完全に埋没する。すなわち、我々はずっとこの運命という曲を勘違いしているのではなかろうかと思ったのであります。ブリュッヘンの旧盤とかはその辺をうまく処理しているんでしょうか。
今鳥取市響で取り組んでいるブラームスの1番も、特に後者の「神」の扱い方を研究する余地はいっぱいありそうな気がする。とりあえず、ドイツ・レクイエムから波及した楽節の扱い方はようやくこの歳になって腑に落ちました。

以上だらだらと思いつくままに書いてみました。

ところで、レスピーギの音楽があまりに素晴らしくて目頭が熱くなったので、帰りに勢いで泣ける系音楽を聴きたくて佐村河内守の交響曲第1番を買ってしまった。初演が広響ということで、あながち遠くはないかと。聴いてみたら全然泣ける系じゃなかった(笑)。ブルックナーの8番とかマーラーの10番とか3番とかあれとかこれとかのオマージュに満ちた曲のようです。
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しかし、演奏会場で広響のCD売ってて、ローマ三部作が飛ぶように売れてたが、絶対勘違いして買ってると思う。「全然違う」と怒る人もいるんじゃなかろうか(笑)。
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2012年07月21日

新オーディオアイテム導入!

久々に新たなオーディオアイテムを導入した。

そのアイテムとはこれ!なんだかレトロな絵ですな。
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開くと何やら大きな四角いもの。
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これを外すと「MAT」。なんだこりゃ。
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それを外すと何やら木の固まり。
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裏には重たげな丸い物体。
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横にはこまごまとした物体。
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そう、LPプレーヤー!
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DENONのDP-500Mというので、ダイレクトドライブなので、モーターむき出し!
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ターンテーブルをセットして、
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ゴムマット(「MAT」の中身ね)、カートリッジをセットするとそれらしくなりました。
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定位置にセッティング。
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カートリッジは、プレーヤーに付属はしているんですが、おもちゃみたいなものとのことなので、購入先のサウンドシティのOさんに勧められるがままにGRADOというメーカーの物を格安で導入しました。
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さっそくイエローレーベルを回しまくる!
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最初に聴いたのはこんなの。いずれもCD化はされているけど、CDを買わなかったもの。どれも本当に久しぶりに聴きました。
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最初は右スピーカーからしか音が聴こえなくて焦ったけど、再度針圧調整したら問題なし。聴いていくうちにエージングが進んで、どんどん音が前に出てきて、LPにこんなすごい音が入っていたのかと驚くばかり。

手持ちのLPは決して多くないけど、CBS時代のブーレーズのドビュッシーとか、スヴェトラーノフのチャイコフスキー4〜6(60年代の)か、聴きなおすのが楽しみです。
実はわたくし、携帯オーディオプレーヤー的なものは一切持ってなくて、なのにこんな時代に逆行したアイテムを導入してしまって、どうしたもんかと思っていますが、ま、それが「さが」ですから仕方ないですな。
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2011年07月17日

スオミの謝肉祭、ヘルシンキ交響曲、シベリウスの運命

2011.7.17
NHK交響楽団鳥取公演
とりぎん文化会館梨花ホール
指揮:スザンナ・マルッキ
ヴァイオリン独奏:樫本大進

ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
ラロ:スペイン交響曲
ベートーヴェン:交響曲第5番

大進君お見事!
スザンナは女王様!

ローマの謝肉祭が鳴り出した瞬間、北欧の風景が頭から離れなくなった。と言っても北欧には行ったことないんだけどね。まるでシベリウスのような格調の高さ。揺るぎなきコントロール。

ラロのスペイン交響曲も、スウェーデン狂詩曲かと思うような妙な北欧ノリ。4楽章なんて、オーゼの死のような深刻さ。
大進君は完璧でした。すばらしいピアニッシモに心奪われ、客席はすごい静寂。終わった後はN響の団員さんも大喜びだったので、このツアーの中でも格別いい演奏だったんでしょう。

最大の驚きはベートーヴェン。あのN響がスザンナ・マルッキに100%コントロールされつくしている!無用な揺らぎやふくらみが一切なく、正確な音程とテンポ、リズムから生まれる清らかなハーモニーと汗臭くない発音は、まるでシベリウスの交響曲を聴いているかのような神々しさだった。そう、まるでN響らしくない、ベートーヴェン臭くない演奏。さすがゲンダイオンガクのスペシャリスト。
唯一、ああN響を聴いているんだなと我に返った部分が、1楽章のオーボエのカデンツァの茂木大輔さんのソロ。妙な安心感を覚えました。
こんなに奏者の自由度のない演奏というのは、ドホナーニの指揮でしか感じたことがない。実際弾いている人からは嫌われるタイプの指揮者だと思うけど、どうだったんでしょうかね。一聴衆としては、最高の体験でした。
指揮台での女王っぷりと対照的に、楽屋口で会ったらかなり気さくな感じの人でした。

アンコールは、予想通りシベリウスの悲しきワルツ。とても良かった。終わったときの会場の静寂が心地好かった。
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2010年07月30日

シェーンブルン・ゾマーナハツコンツェルト

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ウィーン・フィルの夏の定番となった感のある、シェーンブルン宮殿での野外コンサート。
スターウォーズのファンファーレが、正しく美しく鳴り響く!

イェフィム・ブロンフマンがしちめんどくさい曲を恐ろしい精度で弾くリストのピアノ協奏曲第2番も、シュトラウスも良いが、何と言ってもジョン・ウィリアムズ。
メインテーマと、そしてダースベーダーのマーチ!特に後者は、音楽だけですでに映像を想起させるだけの力を持った傑作であることが、図らずもウィーン・フィルの崇高な、いや邪悪な演奏によって明らかになった。
もう明日から、普通のプロオケの、普通のプログラムに取り上げちゃいましょうよ。ワルキューレの騎行がいいのなら、これだっていいはずだ。

さて、このコンサートのもう1人の立役者が、フランツ・ヴェルザー=メスト。ウィーン・フィルはすべてFWMの支配下にある。なんせ、ライナー・キュッヒル氏がライトセーバーでFWMに小突かれちゃっているのである。並みの指揮者なら逆にコテンパンにされてるに違いない(笑)。

全くたまたま、「小惑星探査機はやぶさの大冒険」(山根一眞著)を読みながら見たものだから、心は宇宙のさなかにあるような90分であった(ちょっと大げさ)。


ジョン・ウィリアムズ
 映画「スター・ウォーズ」からメイン・タイトル
ヨーゼフ・シュトラウス
 ワルツ「天体の音楽」作品235
フランツ・リスト
 ピアノ協奏曲第2番
 パガニーニ練習曲第2番
 ピアノ:イェフィム・ブロンフマン
ジョン・ウィリアムズ
 映画「スターウォーズ」からレイア姫のテーマ、帝国のマーチ
ヨーゼフ・ランナー
 ワルツ「宵の明星」
オットー・ニコライ
 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」から月の出の合唱
ギュスターヴ・ホルスト
 組曲「惑星」から火星
ロベルト・シューマン
 トロイメライ
ヨハン・シュトラウス2世
 ワルツ「ウィーン気質」作品354
ヨーゼフ・シュトラウス
 ポルカ「休暇旅行で!」作品133
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2010年05月02日

ラ・フォル・ジュルネびわ湖

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びわ湖ホールに行ってきた。http://lfjb.biwako-hall.or.jp/
今年は全国に散らばったラ・フォル・ジュルネがびわ湖ホールにも来るということで、連休前日に見に行くことを思い立った。
チケットは当日券狙いで、大ホールと中ホールの1公演ずつを確保できた。アンヌ・ケフェレックのショパンのピアノ協奏曲第1番(絶品!)と広瀬悦子のショパンのエチュードOp.25(圧巻)。
その後は、ホールのロビーで行われた無料のコンサートをひたすら見た。
最後の渡辺克也氏のオーボエ、音楽監督沼尻竜典氏のピアノで、モーツァルトのオーボエカルテットピアノ伴奏版とショパンのノクターンNo.20なんて、こんなすごいものを無料で見ちゃっていいの、てなくらい熱い演奏でした。

とりアート(鳥取県総合芸術文化祭)の東部地区イベントの参考になるかという視点でイベントを眺めたんだけど、音楽的人材、周辺人口、ブランドの3点が圧倒的に強いびわ湖ホールとラ・フォル・ジュルネが参考になるのかという残念感が強くなっただけでした。でももちろん諦めたわけじゃないですよ。
ラベル:日記
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2010年03月09日

ベスト現代音楽100補遺+11

以前書いたベスト現代音楽100であるが、どうにも私のスイートスポットとずれている。
http://takmusik.seesaa.net/article/141551581.html

というわけで、7枚目、+11曲分を自分なりに編集してみた。もともと「ベスト20世紀音楽100」というタイトルなので、ゲンダイオンガクいがいもふんだんに取り入れた。かなりいい感じ。

01.イツァーク・アルベニス/スペイン舞曲から「アストゥリアス」
02.フランツ・シュミット/歌劇「ノートル・ダム」間奏曲
03.ガブリエル・フォーレ/ピアノ五重奏曲第2番第4楽章
04.オットリーノ・レスピーギ/ローマの祭りより「主顕祭」
05.オトマール・シェック/「ノットゥルノ」から第3楽章
06.シルベストレ・レヴエルタス/センセマヤ
07.ボフスラフ・マルティヌー/交響曲第6番「交響的幻想曲」より第3楽章
08.ジョルジュ・クルターク/12のミクロリュード
09.ヘルムート・ラッヘンマン/舞踊組曲より第5部(導入、ギャロップ、コーダ)
10.ルイジ・ノーノ/愛の歌
11.ベルント・アロイス・ツィンマーマン/若い詩人のためのレクイエムより「我らに平和を」
ラベル:マルティヌー
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2009年11月15日

大阪京都旅話

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しばらくやる気が出なかったのですが、久々に投稿です。半月前、11月1日のことをば。

旅というほどのものじゃあない、いつもの楽譜買出しとコンサートを聴くために、大阪と京都に行ってきた。観光要素はまるでなし。

発端は、11月1日が、丸一日予定がなかったこと。
そして、これから鳥取市響の演奏会でやる曲のスコアがほしかったこと。パート譜は通販で買えるけど、スコアは、どれを買うべきか選ぶ必要があるので、なるべく楽譜屋さんで買いたい。というわけで大阪駅前第2ビルのササヤ書店に行くことにした。
だったら、コンサートも何かないかと思って探したら、京都で、リッカルド・シャイー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がマーラーの1番をやることになっていた。開演は19時だし、楽譜を買ってからでも十分間に合う。
さらに、せっかく大阪行くんだし、時間も余裕あるし、美術館に行こう、と思っていろいろ調べたら、面白そうなのがいろいろあった。
まずは、もうすぐ閉館が決まっていて、今はクリムトが来てる天保山のサントリーミュージアム。そして、現代物ばかり集めた中ノ島の国立国際美術館。さらに、準備室として仮営業中の大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室がシュルレアリズム特集。これは面白いラインナップ。
開館時刻が順に10:30、10:00、11:00となっていて、効率を考えて開館時刻順に回ることにする。
しかし、ほんとにこんなあちこち回れるんだろうか?

というわけで当日。
朝7時に我が家を出発。国道53号、373号、中国道、新御堂筋と普通のペース(当社比(笑))で走って、10時10分前くらいには中ノ島に着いてしまった。暇なので、同じ敷地にある大阪市立科学館をうろうろ。ルービックキューブを完成させるロボットとかあって、場末感が漂っていた(苦笑)。

開館と同時に国立国際美術館に入場。コレクション展と、長澤英俊展。収蔵品は、今はやりのポップ系現代美術が一切なく、まじめ系一本やり(マルセル・デュシャンをまじめ系とするならばだが)で、妙に高品質のものばかり。刺激的であった。
長澤英俊氏は、立体造形の人。恥ずかしながらはじめて知った人だが、これまた素晴らしい作品ばかり。まさにまじめ系で、最初はふーんなんて思っていたのが、そのまじめさが積み重なると威厳を感じさせるようになる。

次は南港。渋滞なく迷いもなく30分ほどで到着。天保山は海遊館がめちゃめちゃ混みそうだが、サントリーミュージアム最寄の駐車場はそれほど混んでなかった。
クリムトを中心に、19世紀末から20世紀にかけてのウィーンの作品。チャラいものかと思っていたら、とてもまじめに作品が集められていて、お腹一杯。シェーンベルクの自画像とかもあった。ついついミュージアムショップで画集を買ってしまった。店員さんに「ここはこれが最後ですか」と聞いたら「あと一年あります」と。失礼しました(汗)。

次は心斎橋。これまたすんなり30分ほどで。まずは腹ごしらえ。安めのパスタ屋さんで食事。まあまあおいしい。
大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室は、出光ビルの13階。普通の事務所スペースを美術館に改造しました、見たいなそっけない感じ。展示品は、シュルレアリズム。時代で言えば、直前に見た2館のちょうど間、まさに補完するような内容であった。特に、日本のシュルレアリズムとか、結構面白かった。エルンストの作品は、鳥取県立博物館で見たような気がするなあ。

次は大阪駅前ビル。まずはササヤ書店。1時間くらいいたかな。
購入品は、ドヴォルザークのスラブ舞曲第1集作品46と交響曲第9番(いずれもオタカル・ショウレク校訂のジェスク音楽文化振興会出版のもの)、交響曲第7番(全音)、アメリカ(オイレンブルク国内版)、J.シュトラウスUの「こうもり」序曲(オイレンブルク国内版)。結局すべて国内版であった。が、アコヤ楽器にはないものばかりなので、一応は大阪まで買いに来たかいがあった(ことにする)。
もう結構疲れていたので、CD屋めぐりは最小限にして、ワルティ堂島に絞って行ったが、収穫なし。

3時間もあれば余裕で京都に着くだろうと思って、15時過ぎに大阪出発。国道1号をひた走る。というか、ずっと渋滞で、平均時速で言えばマラソンランナー並み。47キロの距離を、2時間40分かかってしまった。無事京都コンサートホールに到着。当日券は余裕で手に入る。
近所(北山商店街)でラーメンを食べて腹ごしらえ。

コンサートの曲目は以下のとおり。
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第3番
  ヴァイオリン独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
アンコール:イザイ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番第4楽章
マーラー/交響曲第1番
指揮:リッカルド・シャイー
演奏:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

初シャイー、初ゲヴァントハウス、もちろん初美歩ちゃん。

美歩ちゃんは最高であった。もちろん小学生でもバリバリ弾く曲ではあろうが、きちんと大人の音楽として楽しませていただきました。イザイも含め、技術的には何の困難さも感じず。朗らかで優しい音楽に浸った。オケは予想通り東ドイツ的もっさり感のある音色と、機敏な技術が妙にマッチして心地好い演奏。

問題は巨人におけるシャイー。あの人は超一流オケばかり振っているが、本当にそれに見合った指揮者なんだろうか。全くオーラを感じなかったんだが。
この日のオケは超巨大編成。ファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンが16ずつ、ヴィオラ14、チェロ12、コントラバス10! 管はほとんどアシなしだったと思う。
対抗配置に同数のファースト・セカンド、2楽章冒頭のチェロバスの迫力、4楽章の「ヴィオラッ」の切れ味など、この編成の必然性は見事に感じられたし、3楽章の乱入するクラリネットちんどん屋部隊のとち狂った有様なども、おそらくシャイーの設計の妙であったと思う。
しかし、それ以外のところでは、自然児シャイーはあるがままに音楽を進めるばかりで、これという起伏もアイデアもなし。むしろ、超絶スーパープレーヤーであるトランペットのトップが音楽を引き締めていた。この人、まるで少年のような風貌で、本当に少年であったかもしれないが、ppは見事に柔和な音で、ffは完璧にオケを制圧し、他のプレーヤー全員も認める(シャイーが彼を一人立たせたときのオケの反応がそんな感じ)独り舞台であった。
ゲヴァントハウスは、Sクラスのオケではあるけど、ドレスデンやベルリンの国立歌劇場のようなスーパーSクラスではない、という感じ(東独比較です)。

コンサートが終わり、ホールを出たのが21時過ぎ。
まずは京都市内を真南に進んで国道9号へ。後は国道9号をひた走る。途中京都縦貫道を利用。福知山のいつもの「ふくちあん」でまたラーメン。再び走り出して、家に着いたのは0時40分。運転時間は3時間22分。楽しいドライブであった。

写真解説
1枚目 大阪の国立国際美術館。地上部分はこれだけ。展示スペースはすべて地下。威厳はまるでなし。
2枚目 サントリーミュージアムはこの右の四角いところ。巨大な丸い部分はアイマックスシアター。大きさから言えば、四角いところを使わなくなることくらい、あんまりもったいなくない。世間の必要度的にも、天保山的にもそうだろう。でも、文化的には???
3枚目 京都コンサートホールの吹き抜けの床面。立体に見えますが、もちろん立体じゃあありません。
ラベル:マーラー
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2009年10月24日

初イ・ムジチ

イ・ムジチと言えば、おそらく世界一有名な弦楽合奏団であろうが、私は今回初めて生で聴いた。10/23、米子市公会堂。
温厚・優雅を予想していたら、全然違って、俊敏・パワフル。見事なまでにスリリングな、素晴らしい演奏の数々であった。

オール・ヴィヴァルディ・プログラムと銘打っているが、ハンパじゃない。

・シンフォニア ト長調RV149
・ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV208「グロッソ・モグール」
・2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調RV522
・2つのチェロのための協奏曲ト短調RV531
・ヴァイオリン協奏曲イ長調RV335「かっこう」
・協奏曲ニ短調RV127
―休憩―
・ヴァイオリン協奏曲集「四季」

前半だけで18楽章分、後半だけで12楽章分、全部ヴィヴァルディ。四季以外知らない曲なので、飽きるかと思ったが、曲自体もアイデア豊富で、演奏もスリリング。息をつく暇もないくらいの2時間。
さらにアンコールが4曲。
・ヴィヴァルディ 弦楽のための協奏曲RV151「アラ・ルスティカ」
・山田耕筰 赤とんぼ
・ロッシーニ ボレロ
・ヴィヴァルディ 弦楽のための協奏曲RV163「コンカ」よりアレグロ

すべて、一切手抜きなし。むしろ、お客さんのマナーがよく、楽章感の拍手もなし、演奏開始前はすごい静寂(そうでない曲もあったが)で、演奏もノリノリであった。

優雅でも温厚でもないイ・ムジチのイ・ムジチらしさはなんだろうかとずっと考えていたのだが、車メーカーのランチアみたいなものだろうか。フィアットのように羽目を外すわけには行かないし、フェラーリのように飛びぬけることもできない。「品」こそがアイデンティティ、のような。

素晴らしいひと時であった。
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2009年08月13日

ウェスト・サイド・ストーリー

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西宮の兵庫県立芸術文化センターに、ウェスト・サイド・ストーリーを見に行ってきた。衝撃。茫然自失。感激。

たまたま昨日、職場でみんなで順番に休みを取ろうという話をして、私は今日休むことにして、おもむろにクラシック関係の公演を調べてみたら、この公演を発見。
チケットはまだあるということで、芸文センターにいる友人に聞いてみたら、残り3枚。間に合った。友人Mさん、ありがとう!

この公演は、ブロードウェイの1957年の初演のものをほぼ踏襲する形のものだそうで、出演者はみんなブロードウェイから。オケだけは、日本人中心。

実は、私はウェスト・サイド・ストーリーを見るのは、映像でも映画でも初めてで、ストーリーすら正確に知らなかった。音楽だけは、バーンスタイン自編の「シンフォニック・ダンス」で聴いてはいたが、それだけ。
いやはや、いい意味で、こんなに気まずく、つらい内容のお話だったとは。じつは、ノホホンと楽しく「ミュージカル」を見にきたつもりが、「ヴォツェック」を見る気まずさそのままの体験をするとは思わなかった。
民族対立、移民、貧困、非行などなど、さまざまな負の要素がのしかかってくる若者たちが、若者らしい無責任さと、青臭い正義感によって、どうしようもなく破綻へ向かってしまうさまや、悲劇と無邪気が並立するさまは、20世紀オペラのあの気まずい世界(ヴォツェック、ムツェンスク郡のマクベス夫人、軍人たち)と瓜二つ。
構成も、1幕も2幕も、誰かが死んで沈鬱な中で幕が閉じ、客としても拍手していいのかどうか戸惑ってしまうような、「見事」なもの。
そして、バーンスタインの音楽の素晴らしさ。あのトゲのある音型の独特な音楽が、すべて、ケンカの動作やケンカ腰の口調とシンクロしているのだと、ようやく分かった。

これを見て、これまで疑問だったことがいくつか晴れた。

まず一つ。この曲の中にコープランドそっくりの音楽が出てくるのだが(シンフォニック・ダンスの中では「スケルツォ」)、場面は、幻想のシーン。つまり、あるはずのない、対立のない理想世界を描くのに、コープランドが「発明」した「アメリカ的」音楽を引用している。これは、バーンスタインがコープランドの音楽を「ありえないもの」を現すために利用し、それによってまたコープランドの音楽をあり得ない理想と批判的にレッテル付けしたのではなかろうか。バーンスタイン自身はコープランドの作品を何度も録音しているので、単純な批判ではないとは思うが、単純な賞賛にも見えないのだ。
もう一つ。この幻想のシーンを見て連想したのが、鬼才ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。ビヨーク主演で、救いのない陰鬱なストーリーの中に、唐突にミュージカルシーンが出てくる、賛否両論の異様な作品だった(私は絶賛)。この映画の中で、ミュージカル・シーンは、常に、主人公の女性の、現実逃避的な脳内幻想として描かれている。ウェスト・サイド・ストーリーに限らず、ミュージカルはそうしたものかもしれないが、お話の基底が、陰鬱な現実であるという点で、この二つの作品の関係は非常に強い気がする。

というわけで、この歳になって初めて見たウェスト・サイド・ストーリー。この歳になるまでに得た知識とともに見ることで、理解(曲解?)がより深く(怪しく?)なったのは、良いことだ。

ところで、このミュージカルのオリジナル版のオケ編成は、ブロードウェイでよくある小編成オーケストラ。特徴はなんといっても木管楽器で、メンバー表には「木管楽器1」〜「木管楽器5」としか書かれていない。実はこの人たちは、ピッコロだろうがオーボエだろうがサックスだろうがバスクラだろうがファゴットだろうが、どんどん持ち替えてなんでもしなくちゃいけないのだ。ラプソディ・イン・ブルーのオリジナル編成もそうらしい。オケピットに行ったら、それぞれのイスの周りにはずらりと楽器が並んでいて、中には、なんとコントラバス・サクソフォンまで置いてあった。スイスの楽器屋のショー・ウィンドウで見たことはあるが、稼動している現物を見るのは初めて。といっても、どこで鳴っていたかは聞き取れませんでした。
ラベル:オーケストラ
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2009年03月05日

シノーポリ/WPh/1992.3.9/NHKホール

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ようやく届いた、1992年3月9日(月)にジュゼッペ・シノーポリが指揮したウィーン・フィルの来日公演の記録DVD。

まずは、この公演までのこと。
カルロス・クライバーの指揮によるWPhの日本公演ということで、先輩にお願いして、チケットを共同購入してもらった。もちろん「難なく」ということはなかろうが、無事に確保できた。B席、21,000円と券面に書いてある。そんなに高かったのか。
プログラムは、メインは確かブラームスの交響曲第4番の予定だったと思うが、ほかはよく覚えていない。

そうこうしているうちに、カルロス・クライバーは病気によりキャンセルが決まった。コンサート前にはすでに知らされていたが、これはどうやって知ったんだろう。チケット購入者には通知があったんだろうか。
代わりの指揮者はジュゼッペ・シノーポリで、プログラムはドン・ファンとマーラーの1番に変更になった。当時は実はリヒャルト・シュトラウスは非常に苦手だったんだが、マーラーは大好きだったので問題なし。それよりも、もう一つのプログラムにブルックナーの7番があるのが気になっていた。もちろんその時点ではチケットは手に入らなかったのでどうにもならなかったが。

というわけで、本番当日。
奔流のような音楽に酔いしれた。
終わった後は、共同購入した大学オケの面々といっしょに、渋谷の「キリン・シティ」で痛飲。
夢のような1日だった。

さて、こうしてもう一度その公演の記録を見ることができるなんて夢にも思わなかったのだが、これでようやく当時気になっていたことが確認できた。
すなわち、ウィーン・フィルはシノーポリの指揮を認めていたのかどうか。
はたして、シノーポリの棒にぴたりと吸い付くように演奏してはいるが、棒のとおりに演奏というわけではなさそうだ。

まずはこの一連の公演のスケジュールを眺めてみる。

3月5日 大阪 フェスティバルホール ドン・ファン/マーラー#1
3月6日 大阪 フェスティバルホール 未完成/ブルックナー#7
3月7日 名古屋市民会館 ドン・ファン/マーラー#1
3月9日 東京 NHKホール ドン・ファン/マーラー#1
3月10日 東京 サントリーホール ドン・ファン/マーラー#1
3月12日 東京 NHKホール 未完成/ブルックナー#7
3月13日 東京 NHKホール 未完成/ブルックナー#7

今回DVDになった公演は、このAプログラム3回目の公演であり、シノーポリの手の内はすっかり知れた頃合だということがわかる。

演奏はまさにそのとおり。シノーポリの指示をすっかり消化した上で、全体としてはウィーン・フィル率100%の音楽を、オケの全員の自主的なアンサンブルで作り上げている。特にマーラーよりも得意であろうリヒャルトの、ドン・ファンにおける縦の線、横の線みたいな二次元でなく、空間軸、時間軸まで共通認識を持った楽器の出入り、アンサンブルの綾は、人間業とは思えない異次元の仕事である。
それらがまた、個々のプレイヤーの個性的な音で奏されることで、ちょっと聴いたことがないような名演を成し遂げている。確かこれは当日も思ったことだが、トランペット陣の素晴らしさは特に際立っている。鉄壁のホルンも、絶句の名演だ。
マーラーの4楽章最後の、テンポの細かい設定は、シノーポリの解釈の勝利だろう。これを聴くと、普通のタイタンのコーダは物足りなくなってしまう。その後のブラーヴォは、私も声を張り上げたんだろうか?ちょっと覚えていない。

たしかシューマンの交響曲第2番をグラモフォンに録音して以降、シノーポリとウィーン・フィルは疎遠になっていた、みたいなことが言われていたが、そうだったとしても、この公演はその縁をふたたび取り持つことになったのではなかろうか。つまり、ウィーン・フィルがシノーポリの「小うるさい」棒への対処方法と、尊重の仕方を身につけた、と。
この公演を見た私にとってのお宝であるこのディスクは、そうでない人にも音楽の喜びを体験させるに違いないと思う。そして、シノーポリの屈折した棒の見方、シノーポリとWPhの屈折した関係、そういったものを踏まえてみれば楽しさは倍増するはずだ。



Richard Strauss
Don JUan op.20

Gustav Mahler
Symphony No.1 in D minor, "Titan"

Giuseppe Sinopoli
Wiener Philharmoniker

1992.3.9 NHK Hall

NHK CLASSICAL NSDS-12958
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2008年09月01日

鳥取熱狂の日第3日 読響名曲コンサート

鳥取プロオケ連続公演その3。日本海テレビと合銀と鳥取県文化振興財団が呼んだ読売日本交響楽団の名曲コンサート。
指揮が、確か南アフリカ出身の、ジェラール・コルステン。オペラのDVDがいくつか出ています。
ピアノが、チャイコフスキー・コンクール第1位の上原彩子。

曲目は以下のとおり。
ベートーヴェン:エグモント序曲
グリーグ:ピアノ協奏曲
ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界から」
<アンコール>
ドヴォルジャーク:スラブ舞曲第2集第2番
ふるさと(読響編曲版)

う〜ん、いい演奏会。なんて単純に書ければいいのだが、いろいろ思う所のある演奏会だった。

なんと公演開始時刻を30分間違えて、エグモントはホール内で聴けず。大不覚である。場外のモニターで聴く1950年代のEMIのモノラル録音のような音で聴いても素晴らしい演奏でいい音が鳴っていた。

さていよいよホールに入って、グリーグ。
オケはとーってもいい感じ。指揮者の率いるさまが絶妙。弦の柔らかい音が素晴らしいハーモニーを作っていた。
ピアノは、新体操を見にきたのに体操だった、みたいな、場違い感。いやいや、素晴らしい演奏なんですよ。これだけミスタッチがなく音の粒もそろった演奏はなかなか聴けない。どんなに難しい局面でも全然難しさを感じない上手さ。いわば、平均台で飛んだり跳ねたり走ったり宙返りしたりしても危なげない感じ。
でもね、なんだかグガングガンと、ガ行の音が多いんですよ。グリーグの世界とはちょっと違うような。それと、1楽章と3楽章は笑っちゃうくらい面白いんだけど、2楽章はなんだか居場所がないみたい。平均台の上で飛んでるとすごい人なのに、床の上を歩くと普通、みたいな。
3楽章の最後なんて、オケも完全にピアノと競い合ってましたな。最後はうっちゃりでオケの勝ち?
あのグガングガンしたピアノでアンコールにリストが聴きたいなあと思ってがんばって拍手をしたけど、アンコールはなし。残念。

さて、新世界。
ここまで、ジェラール・コルステンはいい仕事をしてきた。
新世界も1楽章と2楽章は指揮者が主導権を完全に握った、オーケストラ芸術の粋を感じさせる名演。
3楽章に入って、トリオに入って、ふと気が付くと、オケが飽きている。私も飽きている。あれ?どうも、3楽章についてはコルステンさんは、前2楽章ほどのアイデアを十分に持ち合わせていないようだ。よくよく考えると、コルステンさんはもともとヴァイオリンの人で、弦については十分にアイデアを持っているが、管についてはそれほどでもないように思う。息の使わせ方が上手くないというか。管主導の場面で音楽が停滞する。
その辺りからはもうオケの方が主導権を握ってしまった。もちろん、指揮者は十分に音楽的な指揮をしているんだが、オケはそれ以上の表現を実現している。
最後の最後で指揮者が妙に遅いテンポをとってしまってオケも従わざるを得ずずっこけた感じになっていたが、多分誰も気が付いていないだろう。
トータルでみれば、素晴らしい演奏。満足。

アンコールのスラブ舞曲は、ヴァイオリンの人であるコルステンの独擅場。ちょっとせせこましい速めのテンポだったけど、これはこれでよい。
さらにアンコール。指揮者が3拍子を振り始めた瞬間に、ああふるさとかあ、と思ったらやっぱりそう。客席も気が付いてざわざわ。「またふるさとかよ」「田舎の人はふるさとが好きでしょ、なんて思ってるんじゃないの」なんて言っているのか。いやいや、私が思ったという意味じゃないですよ。なんて考えていたら、曲が終わる前に客席から大拍手。やっぱりみんな好きなのねえ。

と言うわけで、楽しいコンサートでした。これぞオーケストラ!
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2008年08月31日

鳥取熱狂の日第2日 のだめコンサート

20080831nodame.jpg

鳥取プロオケ連続公演その2。NHK交響楽団オーボエ奏者の茂木大輔氏が企画・解説・指揮する「のだめカンタービレ」の音楽会。オケは広島交響楽団。

曲目は以下のとおり。
ロッシーニ:ウィリアム・テルからスイス軍の行進
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタニ長調K.448
 ピアノ:プリムローズ・マジック
モーツァルト:オーボエ協奏曲ハ長調K.314より第1楽章
 オーボエ:古部賢一
ジョリヴェ:バソン協奏曲より第2楽章Largo cantabile
 バソン:小山清
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー(初演版に基づきピアノ2台とピアニカ入り版に編曲)
 ピアノ:プリムローズ・マジック
 ピアニカ:吉田絵奈

ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68

<アンコール>
ベートーヴェン:交響曲第7番の第1楽章と第4楽章をくっつけた超短縮版
ストラヴィンスキー=富田勲=プリムローズマジック:ペトルーシュカの今日の料理
プーランク:ピアノ、オーボエ、バソンのためのトリオから第1楽章

最初に言ってしまおう。
今日の公演において、茂木大輔は指揮者として何もしていなかった。コンチェルトが多い前半は何もしなくてもよいのだが、ブラ1は何かするだろうと思ってたら、何にもなし。もちろん、パウゼの後の出をちゃんと指示するとか、当たり前のことはしているのだが、インテンポの場面では指揮棒を上下するのみ。それでもオケはそれらしい音楽を演奏する。インテンポでも楽想が変化する曲面では指揮者が積極的に表情を変えたほうがいいのに何もなし。クレンペラーの60年代の演奏みたい。
あえてポジティブにこの現象を考えると、
(1)リハでやりきったので本番ではやることがない
オケも初めてであろうジョリヴェのコンチェルトでオケがいい音がしていたのでそうかもしれない。でも、ブラ1はもっとがんばる余地があるから違うだろう。
(2)指揮者が何もしなくてもオケがちゃんと演奏してくれることを身を持って表現した
そうであったとしても残響の少ないホールでは広島交響楽団の実力も発揮できず。説得力のある表現にはなっていなかった。
というわけで、昨日の西本嬢のほうがまだ指揮者らしく見えた、という恐ろしい結果に。オーボエでの音楽性は万全なのに、難しいものですね。

プリムローズ・マジックさんはもっと修行が必要そうです。ペトルーシュカはマジなのかギャグなのか分からんくらいボロボロに始まって怯えました。

オーボエの古部さんは演奏もたたずまいも王様のような振る舞いでオーボエという楽器にぴったりですね。素晴らしい演奏です。たまに指が引っかかったのか装飾音符が処理しきれないのか分からないよれよれしたところもありましたが、問題なしです。
バソンの小山さんは背筋の伸びた音楽で素晴らしいです。楽器の機構上特定の音が鳴りにくくてまるでミスしたように聴こえますが、あれはどうしようもないでしょう。お客さんがミスと思わなければいいのですが。

最後のプーランクは最高の演奏でした。あの巨大な米子のビッグシップにきちんと音が響き渡っていました。

演出に関しては、スライドで漫画を投影していたりして効果的だった。しかし、あの気宇壮大なブラ1を単に「クララへのラブレター」として読みきってしまっていいものだろうか。知らなきゃよかった、みたいな感じ。
トータルでみると、不遜ながら「私ならもうちょっと上手くできる」という感じです。スライドで曲解説をする効果は抜群ですが、専門用語が多すぎてもっと分かりやすい表現をめざさないとダメでしょう。

満足度80点。ジョリヴェとプーランクが多大な貢献をしました。以上。
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2008年08月30日

鳥取熱狂の日第1日 大阪フィル

なぜか鳥取でプロのオーケストラの公演が3日間続くことになってしまった。

30日はその第1日、大阪フィル。
曲は、チャイコフスキーのロメオとジュリエット、くるみ割り人形からトレパーク、こんぺいとうの踊り、はなのワルツ、メインにシェーラザード、アンコールにハンガリー舞曲第5番。

やはり大阪フィルはいいオケだ。ロメジュリとくるみ割りは、最大公約数的な解釈ではあるが、それで充分。くるみ割りはちょっとバラけ気味。

シェーラザードではコンマスの長原幸太氏が大活躍。見事なソロはもちろん、演奏しながら金管にキューを出すさまも見事。オケの求心力を見事に作っていた。ファースト・ヴァイオリンがイニシアチブを発揮できない場面(2楽章とか)で音楽が停滞気味になるのは、もったいない。

シェーラザードで、オーボエがソロを吹いたとき、「あれ、どこかで聴いたことがある人だ」と思ったら、そういえば先ごろ大学オケの先輩の大森悠さんが就任されていたのを思い出した。座った席の関係で顔が見えなかったのだが、間違いない、と思って聴いて(見て)いたらやはり間違いなかった。なんというか、可憐ではかなげで、ふと風が揺らぐような音楽。シェーラザードのエキゾチズムにバッチリ合ってます。そういった個性は大学生のときからそのままで、フォルテはもちろんピアニシモでもよく響く音に進化していました。終演後にあいさつできました。

あー、そういえば指揮者を書くのを忘れてましたね。西本智実氏です。以上。ではつれないので少しだけ。
子供の質問でよく「指揮者って何をしているんですか?」というのがあるが、この演奏を前にそう聞かれたら、私はどうこたえていいかわからない。「あー、指揮者なんて飾りです」とか言ってしまいそう。その文字通りの意味で西本氏は多大な貢献をした。梨花ホール2000席が満席になったのだから。オフレコ話もいくつかあるが、ここでは書かない。知っている人は知っているし。以上。
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2008年02月22日

大植英次/大阪フィル/幻想

倉吉市の、倉吉未来中心で、大植英次と大阪フィルの演奏会。
大阪でやり、東京でもやった「幻想」を鳥取に持ってきて演奏してくれた。素晴らしい演奏であった。幸せを貯金した気分である。どれくらい幸せだったかというと、隣の人が飴の袋をガサガサさせても、近所の人の鼻息の音が大きくても、近所の人が鈴の音を鳴らしても、「いいよいいよそれくらい」みたいに鷹揚に構えられるくらい。
今日は、鳥取県中の音楽関係者が集っていたみたいな客席で、3歩歩くとあいさつ、みたいな状況であった。19時開演という微妙な時間帯なのに皆さん遅刻もせず(西部からと東部からは、倉吉まで1時間ちょっとかかるんです)どうやって来たんでしょうか?私はもちろん1時間休みを取って早めに職場を出ましたよ(笑)。みんなそうなんでしょうな。ホントに好きね。

前半はベートーヴェンの交響曲第8番。14型の、ちょっと大ぶりの編成で、いかにも「モダン楽器によるベートーヴェン」な演奏であった。いわば「初めて買ったレコードのベートーヴェン」。レコードの頃って、ベートーヴェンの交響曲は奇数番号と偶数番号に分けて演奏スタイルを語るみたいなのがあったじゃないですか。まさにその「偶数番号の交響曲」的な温和な演奏で、8番の最大公約数的な、ベートーヴェンを頭に浮かべたときに頭の中で鳴る音。もちろん隅から隅まできちんと凛々しく、4楽章では刺激もあって、「ああ幸せ」なひとときであった。

後半はベルリオーズの幻想交響曲。弦の編成は一緒。1楽章と2楽章と3楽章の真ん中らへんまでは、ベートーヴェンと同じく、幻想の最大公約数的な演奏であったのだが、どうもこれはそういう戦略だったようだ。つまり、夢のように美しい1楽章、夢のように楽しい2楽章、野原に出ても最初のうちは気持ちが落ち着いている3楽章、だったのだが、突然体を狂気が貫いて(真ん中らへんの騒がしいところ)、ふと我に返るんだけど、さっき見た野の風景とは微妙に違う。さっきは羊飼いのアシ笛に返事(バンダのオーボエ)があったのに、今度はなぜか雷が返事する。何で雷が返事するんだ???みたいな。もう精神状態はまともではない。
4楽章はおっそいテンポ。金管はいい音がしていた。バストロンボーンのペダルトーンだけがなかなか聴こえず残念。かなり最後らへんまでおっそいテンポで貫かれ、断頭台に登っていくところで急に駆け足になる。こいつは狂ってる!ふと頭によぎる恋人の顔も狂気にゆがんでいるがごとくきしむような醜い音。失敗かと思ったけどおそらくわざと汚い音を出させたのだろう。狂気の笑みを浮かべたままギロチンが降りてくる、みたいな感じ。
5楽章もまたおっそいテンポ。このテンポ設定は2つの意味があったように思う。まずは、「怒りの日のテーマ」が遅めの、弔いのコラールに聴こえるようにするため。遅いテンポで演奏される「怒りの日」周辺の音楽は切なさに満ちていた。と思いきや、コラールが繰り返されるたびに魑魅魍魎がうじょうじょ沸いてくる。2つ目の意味は、遅いテンポのおかげでこの魑魅魍魎が正確に描写できること。さらにそのあとのシンコペーションがぶつかるところが正確に演奏できる(「ンターターターターターター」に「ターターターターターター」が乱入してくるところ)。このおっそいテンポは「怒りの日のテーマ」が最後に出てくるところまで正確に貫かれていた。そのあとはなんだかどんどん速くなっちゃって、大騒ぎで終了、みたいな、やっつけ仕事っぽく聴こえるけどまあそれはそれでよし。アンサンブルも正確に、いい音で終わった。満足。
今回の演奏で、ファゴット(本当はバソンですが)が4本も使われている理由が分かったような気がした。4本あって初めてファゴットのハーモニーなり音色がオケの中で浮き上がって聴こえるようになるのだ。実はファゴットパートがこの曲の要所要所で骨格となっているようで、普段だとホルンセクションが担うような役回りをファゴットセクションがやっているみたいな感じかな。

アンコールはエルガーのエニグマ変奏曲から「ニムロッド」。私も何度もやっているので隅々を知っているが、やっぱりプロはうまいね。エルガーっぽいかどうかはともかく幸せに満ちた音であった。でもテンポは遅すぎとちゃう?エニグマ全曲の中ではあのテンポはありえないだろう。

いいことだけ書いて終わればいいんだが、どうしてもこれだけは書いておきたい。大植英次は巨匠になりたいのか?もっとやることがあるんじゃないのか?
雰囲気を出すために手をヒラヒラとか、指揮するのをやめて演奏者を眺め回したりとか、クライバーとかお年寄り指揮者がやるみたいな格好をしても、オケにはあんまり効果ないんじゃなかろうか。オケはまあそれっぽくついていくだろうが、なんだか指揮者が全部いいとこ取りみたいで、オケのメンバーも浮かばれないのでは。素晴らしい(だろう)音楽性が変なところで費やされているようでもったいない。そんな指揮に律儀についていくオケにブラーヴォである。
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2007年12月17日

マルティヌーとバルトーク

martinu_bartok.JPG

あんまり曲は聴かないんだけど、文章は面白い作曲家、吉松隆氏のブログで、以下のようなエントリがあった。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2007/12/post_f8a9.html
いわく、マルティヌーの交響曲第4番とバルトークの管弦楽のための協奏曲を聴き比べると、バルトークの方が作曲家としての格が高いことが分かる、と。

マルティヌー好きの私としては、「格」とか言われちゃうと「違うんじゃないの」と思ってしまう。
念のために聴き比べてみた。
指揮者はどちらもネーメ・ヤルヴィで、オケはマルティヌーがバンベルク交響楽団、バルトークがロイヤル・スコティッシュ管弦楽団。
どちらも同じくらい好きな作曲家なので、同じくらい格調高く聴こえてしまう。

ただし、注意しなければならないことが一つ。たいていのオーケストラにとっては、オケコンは暗譜するくらい何度も演奏しているが、マルティヌーはオケ人生のうちで複数回演奏機会があることも稀かもしれないくらいの演奏頻度の差があること。つまり、手の内に入っている度合いが全然違うのだ。
例えば、アンドレ・プレヴィンがショスタコーヴィチの交響曲第4番と第5番を同じシカゴ交響楽団で同時期(70年代)に録音しているが、4番はよそよそしく、5番は雄弁である。曲が、ではなく演奏が。カラヤンのブルックナー全集でも、4番と2番では演奏の自在さが違う。

もちろん、曲が良くないから演奏頻度が少ないんだ、という考え方もあろうが、そういうのって半分は運だしなあ。

というわけで、今日の教訓は、「安易に比較してはいけない」。もう一つ、「手の内に入るくらい練習しないとその曲の本当の姿は演奏できない」。後者は今日の米子管弦楽団のチャイコフスキーの4番の弦分奏で見事にボロボロだったからこそ身に沁みる。
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2007年11月17日

ゲルギエフの「悲劇」

音楽観が変わるくらいの体験であった、ゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲第15番。

順を追って話そう。
こないだ大阪にスクロヴァ先生読響のコンサートを聴きに行った時に11月16日のゲルギエフ/マリインスキー劇場管のコンサートを知り、その時から照準を合わせて予定を入れないようにしてきた。自分の自由にならない会議も幸い午前中に設定された。広報紙の印刷チェックも午前中で済んだ。
お昼休みになると同時にフェスティバルホールに電話を入れてチケットを予約。無事前から10列目をゲット。

時間の余裕がないので今日は行き帰りとも高速道路を使うことに。行きは燃費を稼ぐのと、あんまり早く着き過ぎないようにするのと、FMでちょうど放送してたクレーメルが指揮したショスタコーヴィチの14番を聴きたかったのとで、制限速度ちょうどの80km/h走行。これはこれで楽しいものであるが、3時間半もかかってしまった。

中古CD屋では収穫無し。ササヤ書店で激しい立ちくらみと戦いつつ(?)我が祖国第6曲のブラニークとドビュッシーの海のスコアを買う。

その後ちょっと迷いながらもフェスティバルホールにたどり着く。のどが渇いたので何か飲もうと売店に行ったら美味しそうなドーナツがあったので、コーヒーとドーナツをいただく。美味。

客席に着くといつまで経っても席が埋まらない。1階席は半分も入ってないんじゃないだろうか。こんなにガラガラのコンサートも珍しい。と言ってもキャパ2700なら半分でも1350。少なくはないか。

1曲目はチャイコフスキーの交響曲第2番。ずいぶんとゆっくりとしたテンポ。序奏の楽想の表情付け(正確には音量変化の正確な階層化)が見事で、ふとロシアの荒涼たる平原が眼前に浮かぶような表出力の強い音楽作りである。とは言いつつも、終始安全運転。オケもおっかなびっくり。ゲルギエフもマリインスキー劇場管も、この曲は演奏回数が少なく、まだ手の内に入っていないのだろう。かみ合わせは細かくできているのでちょっとずれてもすぐ分かるから無理はできない。安全運転ながらもやりたいことは分かる。4楽章にドラの1発があって、この位置づけがよく分からなかったのだが、直前の混乱をドラ一発で収束させ、コーダで大団円みたいな、喜劇のプロットを踏襲しているのではないかと思った。

2曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。イェフィム・ブロンフマンのピアノは、超絶技巧連続演奏なのにちっとも難しそうに見えない。腕を忙しく動かすから汗はかいているが、曲が難しくて困っているのでは全然ない。いやはやとんでもないヴィルトゥオーゾだ。オケも指揮者も明らかに手の内に入った曲らしく、ギンギンにアクセルを踏んで素晴らしい緊張感の音楽を作る。
ブロンフマンのアンコールは練習曲集の中の「革命」。これもとんでもなく速いテンポで弾き切り、最後は「どうだ!」みたいな表情で決める。凄いわ。

さて、メインのショスタコーヴィチの交響曲第15番。「おもちゃ箱をひっくり返したような」とか評されるのは全然間違いだ。ウィリアム・テルの引用があるが、そう、これは「スイス軍の行進」なのだ。
そう、この曲を貫くテーマは「悲劇」なのだ。
第1楽章は、恐ろしい体験をした夢を見て目が覚めて汗がびっしょり、と思ったらそれも夢で悲劇はまさに今ここにある、みたいな、夢なのか現実なのか分からない悲劇の連続だ。トランペットは「軍の介入」かなんかだろう。典型的なのは4連符3連符5連符が同時並行的に演奏されてまとまらぬ議論を表現したかと思いきやトランペットが介入して言論弾圧してしまう。ともあれ、この楽章においては「悲劇」は過去の思い出と捉えることもできなくもない。
第2楽章はさまざまな楽器でモノローグが語られるが、背後にはぴったり監視の目がくっついている。それはたいてい低音楽器である。心情吐露をしても群集(金管のコラール)は賛同してくれているのかどうだか分からないし、官憲の監視は離れない。ところが、官憲も同様にコントラバスソロでモノローグを語る。私も好きで監視しているのではないのだ、と。監視する人される人がいずれもその状況に納得できない。しかも、民衆の「空気」が状況を左右する力を持っているのにその空気が読めない。これは今にも通じる状況ではなかろうか。クライマックスでは銃声がたびたび聞こえるが、これは過去の思い出であろう。だが、まさに眼前に展開する処刑のシーンのようだ。
第3楽章は喜びなのか悲しみなのか。素直に楽しむこともできない。
第4楽章は救いが現れたのか、それは幻なのか。英雄の死は救いをもたらしたのか。
曲全体でエコーのように聴こえるさまざまな曲(ショスタコーヴィチの5番、7番、10番とか、ジークフリートの葬送行進曲、トリスタン、スイス軍の行進)は、ただ引用されるのではなく、その世界観を借りてくるために演奏される。
この曲もゲルギエフは相当遅めのテンポで振り始めた。この曲も慣れていないためかと思ったが、この悲劇はこのテンポでしか表現できないからこのテンポなのだ。クライマックスでの恐ろしいまでの強奏は悲劇の確からしさを確信させる。
ゲルギエフは優秀な暗号解読者である。

アンコールは2曲。くるみ割り人形の「ドーシラソファーミレドー」の曲と3つのオレンジへの恋の行進曲。いずれも単なるアンコールではない恐ろしく存在感のある音楽であった。
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2007年11月15日

マリインスキー予習

tchai_pro_shos.JPG

まだチケットは入手していないんだが、明日は午後に休みを取って大阪のフェスティバルホールに、ゲルギエフ/マリインスキー劇場管のコンサートを聴きに行こうと思っている。
曲目は、チャイコフスキーの交響曲2番「小ロシア」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、ショスタコーヴィチの交響曲第15番。何とまあ重たいプログラムだこと。

チャイコとショスタコはもちろんよーく知っている曲なんだが、プロコのコンチェルトはそう何度も聴いたわけではない。一応予習しておこうかと思って、ついでに他の曲もあわせてうちにあるCDを探して聴いてみた。

チャイコフスキー/交響曲第2番 → イゴール・マルケヴィチ指揮/ロンドン交響楽団(1965年録音 Philips)
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 → ディミトリ・ミトロプーロス指揮・ピアノ/ロビン・フッド・デル(フィラデルフィア)管弦楽団(1946年録音 SONY CLASSICAL(ギリシャ))
ショスタコーヴィチ/交響曲第15番 → エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(1976年録音 MELODIYA)

どれもテンポの速い(速過ぎるくらい?)きびきびとした演奏なので、案外すんなりと聴き通せる。
どれも久しぶりに聴いた演奏なので、それぞれ発見があった。
マルケヴィチの指揮するロンドン響は、最近のシャープでクリアなロンドン響と違って案外もっさりとしたオケを指揮者が叱咤激励したような演奏。何も知らずに聴いたらロンドン響とは思えないくらい重みのある音である。
プロコフィエフは、ミトロプーロスが弾き振りを得意にしていた曲で、ここでもそうして演奏しているが、録音で聴いている限りはとても弾き振りには聴こえないような恐ろしいテンションと密度と求心力のある演奏だ。相当のリハーサルをしてコンマスなどにそれなりの権限を与えた上で、ミトロプーロスがとんでもなく上手いピアノを弾きながら、ピアノを弾いている意識とは独立して顔やら身振りやらでオケにいろんなインフォメーションを出しているのだろう。フィラデルフィア管(表記はこのオケの変名)は当時から上手いオケだったから指揮者がなくてもこれくらいはできただろうが、統率者の存在感がある音がしているので、ミトロプーロスが何らかの方法で「指揮」しているのは間違いない。
ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチの15番は、そっけない演奏なんて評されることもあったし私もそれを鵜呑みにしていたが、「そっけない」のではない。無駄な「ゆらぎ」を排して楽譜の持っている音楽的な力を高純度で表現するために、指揮者もオケも最大限の努力を払っているのだ。もちろん無表情なのではなく、楽譜が要求する表情を必要なだけ表現している。

さて、明日のゲルギエフはどんなだろうか。
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2007年09月04日

ベネズエラのユース・オーケストラ

「オーケストラは人をつくる」というドキュメンタリー映画である。NHK-BS2で9月2日の深夜枠(本当は9月3日)で放送された。最初15分はリアルタイムで見て、あとは録画で見た。
今クラシック界で話題のグスタヴォ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの隆盛を育んできたベネズエラの音楽教育システムを、映像的にも音楽的にもストーリー的にも美しくまとめている。

有名なデビュー録音のベートーヴェンの5番と7番は、CDは持っていないが、7番の4楽章だけをFMで聴いた。そのとき思ったのは「在りし日のロマンティックなクラシックへのオマージュ」であり、メインストリームから離れたベネズエラという地での純粋なクラシックへの憧憬がこういう形になって現れるんだろうなと思った。

このドキュメンタリーを見て、そんな単純なものではないということがよく分かる。なにせ4歳とかの子を集めてヴァイオリンが何かも分からないような状態からグループ・レッスンでがしがしヴァイオリンを弾かせるのである。しかも民族的音楽ならば5歳でいっぱしの歌が歌える音楽センスのある民族なのだから、10歳にもなればヴァイオリンだろうとトランペットだろうと、確かな技術で楽器を歌わせられる。子供たちを音楽に、音楽的にどっぷり漬け込むのである。
アバドとかシノーポリとかエドゥアルド・マータとかラトルとか著名な指揮者を招いたコンサートでは、おそらく全国から集まった子供たちが200人くらいで合奏、500人くらいで合唱するのだが、見事に音程と音楽の方向性が統一され、求心力のある音楽になっている。

音楽が商業になる前の、人の心のために存在していた時代の姿がここに現存している。ラトルもアバドもそれに感動し、活動に協力しているのだろう。

ただ、すさんだ先進国にいる我々から見ると、結局は同じ道を歩んで我々に近付いて拡散してすさんでしまうんではないかと危惧してしまう。
つまりこうだ。彼らにはオルターナティブ・クラシックとしてのピリオド・アプローチは存在しない。さらに、音楽以外の余暇の過ごし方も存在しない。世界が一つしかないからこそまだまとまっていられるのではないだろうか。彼らが「外の世界、もう一つの世界」を知ったとき、平常心でいられるだろうか。

私が指導しているジュニア・オーケストラでは、一人でチェロも剣道も野球も、とか、英会話も水泳も、とか、エネルギーの方向自体が拡散してしまっている。我々とて聴いている音楽はどんどん拡散してしまい、同じクラシックマニアでも話が通じなくなることもある。
「人生の選択肢を広く」というのも分かるし、何かに打ち込む時代じゃないのも分かるし、「打ち込む」にも能力が必要なこともわかる(オタクには能力が必要なのだ)。それでも、世界の表層でばちゃばちゃ遊んでいるだけでなく、深い世界に没入していくことで得られる喜びを知ってほしいと思うし、ベネズエラのシステムではそれが有効に働いている。

だから、彼らが心底うらやましいし、だからこそ、実はもろいこのシステムが今後も持続できることを切に祈りたい。
posted by tak at 00:06| Comment(2) | TrackBack(2) | 聴いた音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

晴れと室内楽

bluesky20070719.JPG

10日ぶりくらいの晴れ。いよいよ梅雨明けか?写真は市役所前交差点にて。

夜には室内楽のコンサートに。
東京藝大の現役学生による「アンサンブル・クラヴィス」の演奏で、モーツァルトのアイネクライネ、メンデルスゾーンのトリオ(1番)の3,4楽章、ブラームスのピアノ・クインテット。
基本的な演奏技術は全く問題ない。細かい音も音程もアンサンブルも問題は無い。ピアノの人は別格に上手かった。
弦の人には批判としてではなく、演奏の糧となるべく伝えたいのだが、ヴィブラートのかけ方と右手の使い方を何とかしてほしい。特に右手は、音量を弓圧だけでコントロールするのでなく、弓速で変化させてほしい。音色が死んでしまうし倍音が鳴らない。
もう一つ根本的なこととして、「どんな音楽を作りたいのか」と「作曲家は何を伝えたかったのか」を意識してほしい。聴いていてどうにもどんな音楽をしたいのかということがつかめなかった。
音楽作りは、苦労し、悩んでナンボである。苦労を知る人にこそ本当の音楽の喜びが表現できるはずだ。
posted by tak at 00:57| Comment(3) | TrackBack(0) | 聴いた音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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