2013年04月13日

村上春樹新作読了

読了。
引用をもって感想に代えさせていただきます。
「細部にまで丹念に気が配られている」
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年P.276より
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2010年04月17日

1Q84 BOOK3

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読んだ!面白かった!壮大なご都合主義!いい意味で。でもまだ終わってないよね。突然割り込む誰だか分からない語り手が気になる。
タグ:村上春樹
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2009年07月07日

夜想曲集/カズオ・イシグロ

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私にとって、まだ生きている作家の中で、最も完璧な小説を書く作家として位置づけている、カズオ・イシグロの最新作。
「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」という、短編集である。
実は、私が読んだカズオ・イシグロは「日の名残り」のみなので、大きなことは言えない。でも、この「夜想曲」を読んでも、その完璧性には揺らぎがない。

何がどう完璧なのかを言うのは難しい、というか、全然たいしたことでない点で完璧と思っているのだが、それは、日常の言葉で、ごくごく日常的なストーリーを、大げさな起伏なく物語っているにもかかわらず、読む途中、読んだ後には、わずかだけど充実した高揚感が心の中にしっかりと残るのである。大どんでん返しもないし、倫理に悖る記述もないのに、きちんとフィクションとして「夢」を見させてくれる。
例えば、最初の小説で、架空のミュージシャンがいきなり登場するのだが、過去に超売れっ子になって今は落ち目とか、あまりに真に迫る書きぶりに本当にそういう人がいるような気になってしまう。

おすすめです。
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2009年07月06日

宇宙創成/サイモン・シン著

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私が中学生のころ、アイザック・アシモフが科学の伝道師としてのアイドルだった。ハヤカワ文庫NVで訳書が出ていた「アシモフの科学エッセイ」シリーズは何冊買ったことだろうか。「素粒子のモンスター」「たった1兆」「次元がいっぱい」。何度も読んでぼろぼろになった文庫本はすべて処分してしまったので、今は手元にないが、書名を見るだけで、これらを読んで科学の面白さにドキドキしたものだ。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83A%83V%83%82%83t%82%CC%89%C8%8Aw%83G%83b%83Z%83C&x=5&y=16

もちろんアイザック・アシモフはSF作家で、そのほんの内容は学術的なものでないが、サイエンスの精神がみなぎっていた。

同様に、今をときめくサイエンスライターのサイモン・シンも、今はサイエンティストの仕事はしていないが、やはりサイエンティストの心の持ち主だろう。そしてそれ以上に、サイエンスを語る雄弁な文章、見事な設計が、サイエンスの歴史を、眼前で起きているかのごとく新鮮に語る。
これまでも、「フェルマーの最終定理」「暗号解読」を読んだが、今回の「宇宙創成」も、豊富なデータと流れるような構成で、人がどのように天体を観測し、宇宙の成り立ちをどのように考え、分析し、理論付けてきたかを分からせてくれる。

訳者あとがきにもあるとおり、「ビッグバン」に関する本はあまたあるが、私のようなサイエンティストでないサイエンスファンには、この本があれば当面は宇宙論について「分かった」ことにさせてくれそうだ。
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2009年06月05日

1Q84読了

村上春樹の「1Q84」BOOK1、BOOK2を読み終えた。
う〜ん、困惑。

すでに誰かがブログか何かで書いていたが、謎掛けは謎のまま放り出され、物語としての構造は基本的に破綻している。
これはどう考えても、これで完結しているとは思えない。
普通であれば上巻、下巻であるところが、BOOK1〈4月-6月〉、BOOK2〈7月-9月〉となっていて、半年分。「下巻」という完結する表現を取ってもいない。BOOK3〈10月-12月〉、BOOK4〈1月-3月〉で完結するであろうことを自然と予想させる。
ちなみに、各巻とも主人公が交代しながらの24章で構成されているが、これはバッハの平均律クラヴィーア曲集を模したものだろう。

ともあれ、読んでいていろいろと懐かしい。森だとか、羊だとか、何ちゃらピープルだとか(「TVピープル」という短編(集)があったのを知らないハルキストはいない)、異界へ紛れ込むだとか、昔からの村上春樹の登場人物やら設定やらがわらわら出てくる。
そして、異常にくどく無駄が多く意味のない文章が多く不可思議なメタファーの多い文体もさらに磨きがかかって、うれしい。
意味のない文章とは、例えば、「そんなことはあり得ない」。このファンタジーてんこ盛りのお話の中で、あり得ないことなんてないのに「あり得ない」と書いちゃうなんてあり得ない。それを書いちゃうのが村上春樹の村上春樹たる所以だろう。そういう、あってもなくても本質的に変わらない文章を削ったら、おそらく半分でこのお話は書けてしまう。でも、そうじゃない。その無駄が読むべき部分なのだ。

ところで、このお話の1ページ目にすでにヤナーチェク(村上春樹はヤナーチェックと書いている)という作曲家名、そして「シンフォニエッタ」という曲名が出てくる。同じように、マタイ受難曲の歌詞とか平家物語のとかジャズとかおびただしく引用される。そしてジョージ・オーウェルの「1984年」。なんというか、文学的・文化的素養が試される小説である。と言っても、そういうのを知っていなければ深く理解できない小説というのでもないようなのだが。

いつくるやもしれぬ完結編を悶々と待つことになりそうだ。「カラマーゾフの兄弟」のようになりませんように。
タグ:村上春樹
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2009年05月31日

1984、1Q84 その2

10章まで読んだ。面白い!内容は全く違うが、「羊をめぐる冒険」や「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を呼んだときの興奮がよみがえってきた。構築的緻密さの妙。初期のスピード感はないけど。最近の村上春樹が苦手なのはこのスピード感のなさなのだが、それを補って余りある構築感。今のところはだけど。
やはりジョージ・オーウェルの「1984年」についての言及があった。今のところ本質的ではない。今後はどうなるんだろうか。
タグ:村上春樹
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2009年05月30日

1984、1Q84

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注文していた村上春樹の新作「1Q84」が届いた。
明日は朝が早いので、全部は読めないが、1時間くらい読めたらいいなあ。
正直言って、旧型ハルキストの私としては、そんなに期待しているわけではないが、おそらくはジョージ・オーウェルの「1984年」に何かしらのインスパイアを受けていることは間違いないだろうから、そうだとすれば、読むのが楽しみ。

左端は、その「1984年」の早川文庫。実は期待したほどSFっぽくなくて、肩透かしを食らったが、「ビッグブラザー」に代表される社会の描写は今日的過ぎて怖いくらい。

さあ、読もう。
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2009年03月02日

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

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素晴らしいノンフィクションである。3年近く前に、50代の若さで亡くなった、ロシア語通訳者で名エッセイストの米原万里さんの作品。
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作だそうだ。角川文庫。

1960年代、「プラハの春」の前に、プラハのロシア人小学校で過ごした米原氏の、ギリシャ人、ルーマニア人、ユーゴスラビア人の友達との交友と、中東欧の革命後に再会を期してそれぞれの国に赴いた顛末をつづったもの。
要約は、この人もまた当代きっての名エッセイストである斎藤美奈子氏が解説に記したとおり、「20世紀後半の激動の東ヨーロッパ史を個人の視点で鮮やかに切り取った歴史の証言の書」なのだ。60年代に、そして90年代においても、中東欧で生活することは、「日本の小中学校で子ども時代をノホホンとすごした私たち」(これも斎藤氏の言葉)とはずいぶんと違ったものである。
その苦労と、苦労をはねのけるバイタリティを持つ中東欧の人々に感銘を受ける。我々は本当にノホホンとすごしていていいのだろうか?

この本では3人の登場人物が、それぞれ別の、3つのエッセイでつづられる。何がすごいと言って(以下ネタばれ注意)、1つ目のエッセイには1人目の登場人物がつづられ、2つ目のエッセイには2人目の登場人物に加えてほんの少し1人目の登場人物も登場し、3つ目のエッセイでは3人目の登場人物に加えて、1人目、2人目も僅かに登場するという、その見事な階層構造。読み進める中で、全く混乱がなく、しかも話に厚みがだんだんに加わってくる。
クシシュトフ・キェシロフスキ監督の映画「トリコロール 青の愛、白の愛、赤の愛」3部作でも、同様の手法がとられていたが、あそこでの登場人物3人は全くの他人。こちらでは知人どうし。
全く素晴らしい構成力である。

もう一つ、斎藤美奈子氏の解説は米原氏が元気なころに書かれているので、全然感傷的でもなく美化もされていないのがよい。
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2008年08月16日

ホールに音が刻まれるとき

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かつて東京のど真ん中に存在した、不思議な立ち位置のホールの、不思議な歴史を描いた本。副題「第一生命ホールの履歴書」である。渡辺和(やわら)氏著。

いつも読んでいる著者のブログで「絶版決定、在庫は裁断処分」と書かれていて、本が裁断されて処分されるなんてそんな悲しいことはあってはならないと思い、即座に地元の本屋さんにオンライン注文した。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2008-07-30
と思ってたら、絶版撤回だそうだ。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2008-08-05
でも、くやしくない。面白いから。

私が大学入学で東京に出る直前にホールとしての運用は終わっていたので、その存在すら知らなかったのだが、とても興味深いホールだったようだ。
何が面白いと言って、このホールに関わる人たちの音楽に、文化にかける意気込みの「濃さ」。音楽好きといいながら、私は果たしてそれだけの意気込みを音楽に掛けられているんだろうかと深く反省してしまう。これを読めば、著者が盛んにブログで日本のホールのソフト的運用能力の問題を投げかけている理由の一端がよく分かる。これだけの思い入れがなければホールを文化の拠点として運用することはできないのだ。ただ、問題は、その運用能力の価値判断をできる「権力者」は少ないこと。それくらい無神経でないと「権力者」にはなれないのかもなあ。

後書きにあるように、また、ちょっと想像すればすぐ分かるように、こういった本を書くのは相当面倒なことである。1次資料の入手、膨大な2次資料の分析、それらをコンパクトに流れを作りながらまとめる筆力。見事である。ちゃらちゃらブログを書いてる場合じゃないですよ。もっと本を書いてください。

ところで、このブログの記事で動いた在庫はどれくらいだっただろうか。おそらく30冊くらいではなかろうか。クラシックCDの市場が1000枚前後ということから考えて、「大衆」向きでない本の市場の、ブログによる量的な影響はこれくらいかなあと想像している。
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2008年06月27日

しばらく本は買うまい

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また高い本を買ってしまった。

右が484ページ、2940円。リチャード・フロリダ著の「クリエイティブ・資本論」。今年2月発刊。
研究会で使うために買った。新たな経済階級としての「クリエイティブ・クラス」が住む地域は、クリエイティブな人がさらに集積し、発展する、というような本らしい。読まなくても分かったような気になる。

左が428ページ、3450円。ニコラス・スロニムスキー著の「名曲悪口事典」。今月初めに発刊。純粋に趣味のため。こんな本読まなくても何も困らないのにな。

すぐには読み切れなさそうだし、しばらく本は買うまい。
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2007年10月05日

赤朽葉家の伝説/桜庭一樹

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我らが時代の語り部が見つかった。

桜庭一樹のことを知ったのはほんの4日ほど前、NHK-FMの昼、松尾貴史の「トーキング ウィズ 松尾堂」のゲストで出ていた時のことだ。
なんとも本好きそうな女性が本について語っていて、ふと鳥取県の出身であることを話し出したのだ。鳥取のような田舎では当たり前のことが都会の人には別世界のことのように思われたとか。明確には語られなかったが、多分米子の方の出身だろうと思った。
調べてみると、やはり米子の出身で、誕生日は私と1日違い。完全に同年代。鳥取と米子だから知り合う機会は全くないが。

早速1冊買ってみたのが、「赤朽葉家の伝説」。何と今どき2段組、309ページ。
でも、読めばその長さが嬉しくなるくらい文章が濃い。この、一般の昭和史では語られ得ない、地方の昭和史を、その時代、その場所を眼前に髣髴とさせる、若さと老獪さをバランスよく同居させた筆致。
どんなジャンルかと言われてもうまく分類できないが、寓話とホラーと恋愛小説と推理小説が1冊にまとまったような、それぞれの面白さが堪能できるような本である。日本版ガルシア=マルケス?

しかしまあ、基本的にはフィクションとは思うけど、ずいぶんとリアルである。私も同じ時期に生きていた鳥取の全然知らない姿が書かれていて、パラレルワールドを見るかのようだ。もちろん米子と鳥取ではいろいろと違うとも思うが。

全ての本好きに薦めたくなる本だ。

ところで、大人の科学の「テルミン」買っちゃいました。だってあの人とかhttp://www.classicajapan.com/wn/この人とかhttp://orphique.clique.jp/みんな買ってるんだもん。
今井書店吉成店では最後の1個。ひょっとして売れてるのか??のだめにも出ちゃったもんなあ。
とりあえず今日は遊ぶ暇は無し。


【頭痛日誌】
10/3
7:00 28錠目の薬。
市立病院に行き薬を20錠処方してもらう。日中はつつがなく過ごす。
午後にコーヒーを飲んだら、薬の効き目が薄くなったように頭痛が起きる。コーヒーも飲んじゃダメなのかあ。
18:00 帰宅中に頭痛の気配があるが、寄り道をしてしまう。途中から激しい頭痛。
18:30 29錠目の薬を飲むが、すでに頭痛は頂点に達しており、全然効かない。2時間以上苦しむ。頭痛強度100。死にそう。死なないけど。
21:00 ようやく落ち着き、晩御飯を食べて風呂に行って、母親に指圧してもらう。あんまり効果があった気はしないが、ツボは分かったので、サロンパスを6枚貼る。
10/4
7:00 30錠目の薬。
1日中事も無し。
17:00 やはり10時間で薬は切れる。31錠目の薬。
知り合いの薬局にサロンパスを買いに行ったら、エスエス製薬の「インサイドテープ」というのを薦められた。めちゃめちゃ沁みるんですけど。
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2007年08月01日

自動車雑誌の日本語感覚

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私は子供の頃から「クルマ」が大好きで、車を買うわけでもないのにクルマ雑誌は結構買って読む。

これまで一番多く買ったのは「NAVI」だろう。大学時代は毎月買っていた。今ではほとんど買わない。編集長が代わってちょっと期待したが、「印象批評」には変化がなかった。「カーグラフィック」はアルファ・ロメオの特集の号は買うが、それ以外はほとんど買わない。あくまでも運転者の評論であり、高度ではあるが「印象批評」域は出ない。
「UCG」は外車専門中古車雑誌。500円と安いので毎号買っている。クルマ雑誌禁断症状を抑える月1回の精神安定剤。アルファ・ロメオ特集の号は捨てずに残している。

本当は毎月買いたいけど買わないのが「MAGAZINE X」と「AUTO CAR JAPAN」。
「MAGAZINE X」には「覆面座談会」というコーナーがあって、設計者とかテスターとかが作り手の立場からクルマを批評する。これがめちゃめちゃ面白い。CGとかの印象批評とは真っ向から対立する意見がバンバン出てくる。しかも自動車メーカーの広告を出していないので言いたい放題。車を買うならこの記事を読むに限る。
「AUTO CAR JAPAN」はイギリスのクルマ雑誌「AUTO CAR」の翻訳版。だから普通の新車紹介雑誌なのにほとんどが外車。目の保養である。必ずドリフトを決めている写真が載っているが、イギリスでは問題ないのか?

この「AUTO CAR」だが、翻訳者によって文体が全然違っていて、同人誌っぽくて面白い。そもそもがイギリスの雑誌である時点でアマチュアっぽいのだから、それに輪をかけている。
その翻訳だが、9月号にはこんな単語が出てきた。

「ひとたび干戈を交えるとなれば、仁義なき戦いになるのは必至。」
「'M DCT'ギアボックスの恩恵は灼かで、0-100km/h加速は0.2秒短縮する。」

「干戈」は、小学生のときに読んでいたクイズの本かなんかにあったのを思い出して読めたし意味も分かったが、「灼か」は全然見当も付かなかった。「霊験灼か」なんて書いてあったら読めたのだが。ネットの辞書かなんかで調べてください。
こんなめったに使わない単語をとても正確な文脈で使っている車雑誌なんてないよ。「〜を奇貨とし、」なんて言葉もさらりと出てくる。この翻訳者、車雑誌で翻訳させておくにはもったいないんじゃなかろうか。

ちなみに、この9月号を読んで次に買うべき車が決まった。それはヌオーヴァFIAT500。
http://www.asahi.com/car/italycolumn/TKY200707120338.html
http://www.webcg.net/WEBCG/essays/e0000017116.html
一見レトロだが、こいつは本物だ。
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2007年07月27日

暗号解読

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面白かった!
サイモン・シン著、青木薫訳の「暗号解読」(新潮文庫)。上下刊で計1280円。
以前読んだ同じ著者、訳者の「フェルマーの最終定理」も面白かったが、これも値段だけのものはある。
これらは学術的な本ではなくて、ドキュメンタリー的なものであり、いわば「プロジェクトX」と同じような成功物語である。
問題解決のために、時代時代でさまざまな手法が生み出され、最終的に「解」を得る。

「暗号解読」の方で特に興味深かったのが、暗号の持つ意味を多面的に捉えられたことである。
すなわち、能動的に作成した一般的な暗号と、古文書のように「読み方」が分からなくなって「暗号化した」文書があり、解読にはどちらも暗号解読的な手法が必要であるということである。
これらのことは音楽に敷衍して捉えることができると思う。すなわち、ショスタコーヴィチのように、自らの名前を音名で読み込んだ能動的な暗号化の音楽と、演奏法や楽器が現代に残っておらず、演奏法を推測するしかない「古楽の時代」の音楽である。このことについてはもう少しまとまってから書きたい。
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2007年05月15日

村上春樹のチャンドラー

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名作、名訳、名解説。レイモンド・チャンドラー作、村上春樹翻訳の「ロング・グッドバイ」である。
村上氏は、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」に続いて、アメリカの古典的名作を翻訳してきた。小説家としてはもうそんなにがんばらなくていいから、どんどん名作を翻訳して欲しいなあ。

レイモンド・チャンドラーの作品のことは、村上氏が再三エッセイの中で書いており、読めるものは大学時代にあらかた読んだ。もちろんこの「長いお別れ」も。
「あとがき」でも書いている通り、今回の訳では、旧訳で刈り落とされた細かなエピソードもすべて訳出されている。旧訳を読んだのがずいぶん前なので、具体的にどこがどうというのは読んでいても分からなかったが、冗長であることは分かるし、その冗長さが嬉しかった。よい作品ほど読み終えるのがもったいないので、少しでも長い方がいいのだ。

「あとがき」は、村上氏の小説よりもよっぽど面白い、なんていったら失礼か。チャンドラーの意識を小気味よく掘り下げ、小説の成り立ちをあからさまに知らしめてくれる。さっきまで読んできた小説をまた読み返したくなるような深みのある考察である。

さらに、村上氏の新訳では、まるで村上氏本人が書いた小説のような文体になっている。いや、正確ではない。村上氏はチャンドラーのように書きたかったのだ。
「その事件はもう終わったんだ。蓋を閉じられ、鍵をかけられ、重しつきで海の底にどぼんと沈められたんだ。わかったか?」
村上氏の小説にそのまま出てきそうな言い回しである。
プロットにしても、主人公がいろんなところに行って、いろんな人にあって、最終的にそれらがある程度関係性を持っていたことが分かるというようなことは、非常によく似ている。

それでも疑問は残る。村上氏は「50年くらいで翻訳を見直したほうがいい」と書くが、翻訳の文体だけが原作と分離してモダナイズされ、時代の空気が入れ替わってしまってもいいのだろうか。
この、登場人物がパソコンをたたきケイタイを持って歩いていても不思議でないような文体は、ほんとうにチャンドラーのこの作品にふさわしいのだろうか。
つまり、53年の作品なら53年の文体で書けばいい。だって、翻訳の必要のない小説の文体は変更しないのだから。これをクラシックの演奏に置き換えてみよう。「1900年の作品なら1900年の演奏スタイルで演奏すべきだ」。ピリオドスタイルが完全に市民権を得た今においてはむしろ正しく聴こえそうな気がする。

最後に一つ、音楽家が出てくる文章の引用を。
「カーン機関の調査員から見た君のような安物探偵は、トスカニーニから見たオルガン弾きの猿みたいなものなんだ」
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2007年02月10日

クラシックBOOK

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いつも読んでいるCLASSICAのiio氏の書かれたクラシック本。
ごくごく常識的な内容ながら、トリヴィアルなネタもそこここにちりばめられ、かなり楽しめた。P.122の、ドヴォルザークがアメリカに招かれた理由とか。道理でアイブズとかアメリカの作曲家のロマン派的な曲がドヴォルザークに似ているわけだ。
何より洒脱というかくだけたというかiio氏オリジナルの語り口がさらさらと読ませて心地好い。ショスタコーヴィチの項だけはむずかしい漢字が多くて目がちかちかしたけど。

付録のCDはあまり好みの演奏でなかったり。ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルのジークフリート牧歌がポルタメント満載で笑える。全然ショルティの言うこと聞いてなかったんだろうな。

ところで、できれば再版時に記述を直してほしいところがある。

ブルックナーの項
P.80脚注3 7行目
自身の改訂版以外では「ハース版」「ノヴァーク版」が有名。

現在では通常は作曲者本来の意図を再現した「ハース版」「ノヴァーク版」で演奏される。

自身の改訂版というのがよく分からない。6番とか7番のことかな。3,4,5,8,9番は、弟子の名前が冠されて呼ばれている。シャルク改訂版とかレーヴェ改訂版とかヴェス改訂版とか。
正確には「ハース版」も「ノヴァーク版」もブルックナーの意図に忠実かどうかはよく分からない(特にハース版の8番)のだが、簡潔に言えばこれで間違いではないと思う。


チャイコフスキーの項
P.119 最終行
ファゴット奏者は宇宙一弱く吹くべし。

なぜかいつもバスクラリネットが吹く。

原文が、「ぜひ(バスクラでなく)ファゴットで、宇宙一弱い音で、吹いてほしいなあ」という願望ならばそのままで大賛成なのだが、なかなかそうは読み取れないし、入門者なら実際のCDの音がファゴットと違ってて混乱するんじゃなかろうか。
ならば、バスクラで演奏される事実を書いた方がよい。文字数もぴったり。
楽譜どおりファゴットで演奏したので有名なのはメータとロサンジェルスの演奏らしい(私は未聴)。最近の演奏ではネーメ・ヤルヴィ大先生とエーテボリ交響楽団の演奏がファゴットで吹いている。


あと、結構致命的な誤植があるので、再版時には直していただけるとありがたい。クラシック入門者が混乱するとアレなので。
ヴェルディの項
P.75脚注2の項名
「第二の国家」

「第二の国歌」

第二の国家なんて字を見ると急に政治論的な文章を読んでいるような錯覚をおぼえてドキッとしてしまう。


ともあれ、コンパクトにまとまったいい本なので、再版されるくらいバンバン売れてほしいですね。
タグ:日記
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2007年01月24日

ポール・オースターのミスター・ヴァーティゴ

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久々に小説を読んだ。「ムーン・パレス」とか「幽霊たち」とか「偶然の音楽」とかで有名なポール・オースターの「ミスター・ヴァーティゴ」。1994年の作で、翻訳はハードカバーで2001年に出ていたようだ。柴田元幸氏の翻訳。
本当は「銀河ヒッチハイクガイド」がほしくて鳥取中の書店を探していたのだが、河出文庫はどこも非常に在庫が少なく、代わりに(ならないけど)たまたま文庫が新刊で出ていたので買った。
ポール・オースターの名前はよく知っているのだが、読むのは多分初めて。なぜか「静謐」な作家と思っていたが、この作品は「饒舌」。

いやはや見事な「おとぎ話」だ。半分は。現実にはありえない「空を飛べる少年」の成長過程に、ご都合主義的に偶然が重なって、ストーリーはどんどん展開していく。語り口は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と同じ「おとなこども」のそれ。
そのご都合主義的な少年時代だけで話を終えてもよかったんじゃないかと思っていたのが、読んでいくにしたがって、さらに深く深く物語が沈降していって、最後には何か非常に重たいメッセージを受け取った気になる。
半分くらい読んで「これ以上まだドラマが作れるの?」と思うとちゃんとドラマは続く。後半はどの時点でもその繰り返し。最後の部分は本当に付け足しっぽいのだが、どう考えてもそれがないと成立しないところがこの小説の面白さだろう。

奇想天外なテーマとプロットはもちろん、その不恰好な構成自体も愛すべき作品であろう。

<追記>
CLASSICAさんのWhat's New!の最新エントリー「お客さま、危険ですのでお席での空中浮遊はお控えください(意味レス)」に受けまくり。この小説がまさにこんな感じの脱力感なんです。
トラバ打たせていただきました。
タグ:日記
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2006年10月10日

20世紀の音楽

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宮下誠氏著の「20世紀の音楽 クラシックの運命」という本が光文社新書で出ていて、新書で現代音楽を扱う珍しさから買って読んでみた。
美術史が専門の人だそうで、クラシック・ファン(というか現代音楽ファン)的な文章なので、オタクにはもの足りない。
まあ結果的には読むまでもなかったかなという感じもあるし、ちょっと違うんじゃないかなという記述もあるのだが、まあ存在としては貴重な本だと思う。
それよりも、この本で紹介された作曲家の音源を持っているかどうかが、そのひとの20世紀音楽の受容度を示す指標になるかもしれない。
というわけで、私の場合は以下の通り。さて、皆さんはいかがか。
◎=集めている ○=持っている ×=持っていない

項を立てて紹介されている人
◎リヒャルト・ワーグナー
◎アントン・ブルックナー
◎ヨハネス・ブラームス
◎グスタフ・マーラー
◎リヒャルト・シュトラウス
◎クロード・ドビュッシー
◎モーリス・ラヴェル
○アレクサンドル・スクリヤビン
○アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー
×フランツ・シュレーカー
◎アルノルト・シェーンベルク
◎アルバン・ベルク
◎アントン・ウェーベルン
◎イゴール・ストラヴィンスキー
○カール・オルフ
○フェルッチョ・ブゾーニ
○ハンス・プフィッツナー
◎マックス・レーガー
○パウル・ヒンデミット
○ゴットフリート・フォン・アイネム
○アルベール・ルーセル
○アルテュール・オネゲル
×フランク・マルタン
×ヴェルナー・エック
○エルンスト・クルシェネク
○エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト
×エルンスト・トッホ
×ボリス・ブラッハー
○ギュスターヴ・ホルスト
◎レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ
×ジャン・フランチェスコ・マリピエルロ
×アルフレッド・カゼッラ
○ルイジ・ダラピッコラ
×ブルーノ・マデルナ
○ルイジ・ノーノ
○ルチアーノ・ベリオ
○クルト・ヴァイル
×ハンス・アイスラー
×パウル・デッサウ
×フリードリッヒ・シェンカー
×パウル=ハインツ・ディートリッヒ
◎チャールズ・アイブズ
×カール・ラッグルズ
×ジョージ・アンタイル
○エドガー・ヴァレーズ
◎セルゲイ・プロコフィエフ
◎ドミトリ・ショスタコーヴィチ
◎ベラ・バルトーク
○ゾルタン・コダーイ
◎レオシュ・ヤナーチェク
◎ボフスラフ・マルティヌー
◎カロル・シマノフスキ
○ヴィトルド・ルトスワフスキ
○クシシュトフ・ペンデレツキ
◎ジャン・シベリウス
○カール・ニールセン
×エイトール・ヴィラ=ロボス
×アルベルト・ヒナステラ
○ハーヴァーガル・ブライアン
×ダリウス・ミヨー
○カール・アマデウス・ハルトマン
◎オリヴィエ・メシアン
◎ピエール・ブーレーズ
○カールハインツ・シュトックハウゼン
×カイホスル・シャプルジ・ソラブジ
○モートン・フェルドマン
○アルフレッド・シュニトケ
○ソフィア・グバイドゥーリナ
◎アルヴォ・ペルト
×ヘンリク・ミコワイ・グレツキ
○ヴォルフガング・リーム
○ジョン・ケージ
×アンリ・デュティユー
○ベルント・アロイス・ツィンマーマン
○イアニス・クセナキス
○ジョルジュ・リゲティ
×ジョルジュ・クルターク
○ハンス・ウェルナー・ヘンツェ
○ヘルムート・ラッヘンマン
○スティーヴ・ライヒ
○フィリップ・グラス
○マイケル・ナイマン
○ジョン・アダムズ

簡単な紹介のみの作曲家のうち重要な人
◎アーロン・コープランド
◎サー・ウィリアム・ウォルトン
○サー・マイケル・ティペット
◎ベンジャミン・ブリテン

名前と曲のみ紹介されている人
◎サミュエル・バーバー
○ユン・イサン
 日本の作曲家

名前すら出てこないけど重要な作曲家
○マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ
○ミキス・テオドラキス
○ペーテリス・ヴァスクス

感想
ヴィラ=ロボスとミヨーは本当に持ってなかったっけ。
タグ:日記
posted by tak at 00:21| Comment(2) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

シブミ/トレヴェニアン

shibumi.JPG

私はもともと村上春樹フリークで、彼の著作はほとんどすべて読んでいるが、村上フリークの半分以上を占めると思われる「世界の終りとハードボイルドワンダーランド以前しか認めない派」である。

それはともかく、スコット・フィッツジェラルドにしてもサリンジャーにしてもロバート・アルトマンにしても、彼の著作で知った作家や映画監督がとても多い。
トレヴェニアンもその一人。

すでに「バスク、真夏の死」と、たぶん「夢果つる街」も読んだし、アイガー・サンクションは映画で見た。

そこでこのシブミ。圧倒的な世界の構築。これまでの作品と違って、複数の時制と場面を克明に描き分ける。
世界が複数ある分だけ、ある種の「荒さ」が見えるのが残念だが、それが原著の問題か翻訳の問題かはよく分からない。
結末は、成るべくして成った、というような納得というかホッとする展開。でも、これは映画にはできないな。映像化することでいろんな機微がすべて失われてしまいそうなくらい、文字の力を感じる文章だ。

ちなみにシブミ=渋みである。原題もSHIBUMI。そう、この小説は圧倒的な日本論でもあるのだ。
タグ:日記
posted by tak at 00:39| Comment(4) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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