2008年02月08日

ジュリーニとワールド・フィル

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カルロ・マリア・ジュリーニのブルックナーの交響曲第8番と言えば、ウィーン・フィルとの名演奏がもっとも有名なものであろう(DG 1984年5月30日)。
最近では、BBC MUSICが放送音源をCD化した1983年9月18日のフィルハーモニア・オーケストラとの録音も出た。裏の青い盤でも、DGの前日のライブが出ている。

しかしながら、ジュリーニ・ファン、ブルックナー・ファンにとって最も気になる演奏は、このワールド・フィルとの演奏ではなかろうか。
これはかなり昔から映像で普通に手に入ったし、4楽章だけはCD化されていた。聴こうと思えばいつでも聴けたのだが、どうにも色物っぽくて手を出さなかった。今回は、HMV ONLINEのDVD3枚で割引にそそのかされたのと、セール品だったのとで、存在を知ってから15年以上を経てようやく入手した。これがまたコンセプトも結果の音楽も真面目そのもの。全然色物ではなかった。

もちろん常設団体ではなく、「世界中の人々がみな兄弟に」というようなコンセプトのもとに世界中のプロオケから集まったトッププレーヤーによる混成団体である。このコンサートがデビューらしい。
その寄り集まり方は半端でない。あとで国名を書いておくが、53カ国!弦の奏者の奏法などを見ても、ほとんどてんでバラバラという雰囲気である。ラテン系とゲルマン系が並存している、みたいな(実際並存しているんだけど)。
ところが、聴こえてくる音は、あのウィーン・フィルの音楽と寸分違いがない(もちろん音色とかは違う)。いったいジュリーニはどんな魔法を使ったのだろうか。もちろん魔法ではなく、実直なリハーサルによるものに違いない。音程のとり方が非常に気持ちよく、かつ正確で、ジュリーニの音程感覚の素晴らしさが偲ばれる。

ジュリーニのブルックナーの8番は中学生の頃から聴いている演奏なので、隅から隅まで知っているつもりだったが、改めてジュリーニの指揮姿を見ながら聴いて、その音楽の半分しか聴けていなかったことに気がついた。
つまり、ジュリーニの演奏は「構築的」だと思っていたが、もっとずっと「歌謡的」だったこと。
ジュリーニがずっと口ずさみながら指揮しているから、というだけではない。その指揮姿が歌に満ち満ちている。テンポはほとんど揺らがないのだが、そのテンポ設定が「歌」を前提に設定されているようだ。つまり、歌える遅さ。ただ「微速前進」なのではない。もちろん、テンポは自然な歌の中で揺らぐ。

なるほどと思ったのが、第1楽章の真ん中へん(あれは再現部?)2分の2拍子の1小節の中に大きい3連符(4分の4拍子で数えれば4拍3連、2分の2拍子で数えれば2拍3連)を、4拍子で振っていること。2拍子で振るものだとばかり思っていた。考えてみれば4拍子でも弾く方は別に苦にならない。なるほど合理的。

ところで、ほとんど傷のない演奏でフィナーレまで到達するのだが、コーダでいきなり崩壊寸前になってしまう。4つの楽章のテーマが同時に鳴る部分の前のトランペットの行進曲が、メロメロになってしまうのだ。そのあとも結構迷走気味。でも何とか無事閉幕。こちらもほっと安堵。お客さんも気が気でなかっただろうな。


1985.12.8, Konzerthus, Stockholm, EUROARTS
Carlo Maria Giulini
World Philharmonic Orchestra
Argentina
Australia
Austria
Belgium
Bolivia
Brazil
Bulgaria
Canada
Chile
China
Colombia
Costa Rica
Czechoslovakia
Denmark
Ecuador
Egypt
El Salvador
Federal German Republic
Finland
France
German Democratic Republic
Greece
Guatemala
Hungary
Iceland
India
Ireland
Israel
Italy
Japan
Luxemburg
Mexico
Monaco
Netherlands
New Zealand
Norway
Panama
Peru
Poland
Portugal
Roumania
Singapore
Spain
Sri Lanka
Sweden
Switzerland
Turkey
United Kingdam
Uruguay
USA
USSR
Venezuela
Yugoslavia

2007年04月10日

ジュリーニ/フィルハーモニア/ブラームス

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ジュリーニは録音人生の中でたびたび同じ曲を取り上げてきたが、ブラームスの交響曲も例外ではなく、メジャー・レーベルの正規録音だけで1番、2番、4番は3種、3番は2種ある。それぞれの時代にコンセプチュアルに録音されたもので、フィルハーモニア時代の最初の全集、シカゴ響との「ラスト・シンフォニー」シリーズ、DGにおけるロス・フィルとの蜜月時代の録音、そしてウィーン・フィルとの「何とか間に合った」全集録音。

フィルハーモニアとの全集は、おそらく最も存在感が薄いものであろうし、残念ながら存在意義も見出しにくいところがある。事実、4番については、世界的に廃盤のようだ。4番には翌年のシカゴ響との録音があるので仕方がなかろう。
というわけで、LP時代にはどうだったか分からないが、CD時代において唯一4曲セットで発売された形態のドイツ盤を某オークションで、比較的安価(この希少盤にしてはということだが)で手に入れられた。

ジュリーニのフィルハーモニア時代については、50年代のフランクの交響曲などのいくつかの曲で「きびきびと、颯爽とした演奏」というイメージがあったのだが、このブラームス全集は全く違う。まさに、盤歴初期の「颯爽」時代と晩年の「微速前進」(by 金子建志)時代とをつなぐミッシング・リンクのような演奏であった。
ジュリーニのフィルハーモニア時代については、山崎浩太郎氏のサイトで外山雄三氏の感想を引用されている。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~arakicho/wien60/wien6023a.html
さらに、以前にも引用したレコード芸術・別冊「演奏者別クラシック・レコード・ブックVol.1 指揮者編」(1987年10月30日発行)のジュリーニの項の、三浦淳史氏によるウォルター・レッグの批評。
「ジュリーニはすばらしいオーケストラ・トレーナーだ。彼は信じがたいほどの強烈さを持っている−実際、彼にとってもっとも重要なのは、ドラマティックな強さとリズムだった。彼の演奏のすべてにはスイングがあり、イタリア人的なエモーションと見事な色彩のパレットをそなえていた。しかし、音楽的には彼は決してリラックスしないように見えた。つまり、音楽に干満がないのだ。歌手にとっては、それはいっこう邪魔になるものではなかったが、わたしはいつも、それが彼の演奏にかけている要素だと思っていた。」
ジュリーニの特質を見事に射抜いたすばらしい表現である。なお、この全集でも、ニュー・フィルハーモニア時代の4番以外はウォルター・レッグがプロデュースしている。

さて、演奏であるが、いちばん最初に収録された1番の、冒頭の序奏のテンポが転びそうなほど遅くてまずびっくり。主部も遅い。そしてなにより、4楽章の第1主題がまたこけそうに遅い。
そして、4番の3楽章。ふだんは駆け足のようなこの楽章が、のんびり歩きである。
そして面白いことに、たとえばチェリビダッケがその瞬間に鳴り響く音楽要素のすべてを現前させるためにテンポを遅くするのとは違うことを意図しているようなのである。その意図は聴いていてもよく分からない。「遅くしたいから遅くしたんだ」というのがいちばん正しいように私には思えるが、私が未熟な聴き手だからかもしれない。
しかし、おそらく50年代の颯爽時代から、彼自身の年齢も50歳台に近づき(4番では50を越え)、いろいろなことを考えるようになったのだろう。ウィーン・フィルの全集でやったことは、このフィルハーモニアの録音の時点ですでに彼の中で確立した解釈(手法)のようなのである。むしろ、ギラギラしたカンタービレはこの時代にしか聴くことができない。
もちろん個性的に聴かせるためにそうしたのではなかろうが、非常に個性的なブラームス理解である。そういう意味で、後年のロス・フィルやウィーン・フィルの演奏より、このフィルハーモニアの演奏の方がジュリーニのコア・コンセプトを理解しやすいのかもしれない。
ちなみに、フィルハーモニアの演奏は、クレンペラーが指揮したときとはまるで別人である。建築的なクレンペラー、カンタービレのジュリーニ。この時代のフィルハーモニアがそれを十全に受け止めるほどには状態がよくないのは少し残念である。

不思議なのが、4番の録音のこと。この録音は1968年4月23日と7月12日、そしてより有名なシカゴ交響楽団との録音は、1969年10月15日。その間わずか1年。プロデューサーもディレクターも違うので、それぞれ独立に企画されたものかもしれない。むしろニュー・フィルハーモニアとの4番は、落穂拾い的に何とか全集の格好をつけるために帳尻合わせをしたのかもしれない。
http://www.hmv.co.jp/Product/detail.asp?sku=1870808
そうであったとしても、この4番は、4曲の中では最もジュリーニらしさの濃い演奏である。シカゴの演奏は聴いたことがないので比べられないが。

先に引用したとおり、ジュリーニの60年代は万人に認められたかどうかはよく分からない。それにもかかわらず、粘り強く録音を続けたEMIに感謝したい。この時代の録音活動がなければ、後のジュリーニの傑作録音群を聴くことができなかったかもしれないのだから。


Johannes Brahms

Sinfonie Nr.1 c-moll, op.68
1961.1.16,17, Kingsway Hall, London

Variationen über ein Thema von Joseph Haydn, op.56a
1961.1.25,26, Kingsway Hall, London

Sinfonie Nr.2 D-Dur, op.73
1962.10.10-12, Kingsway Hall, London

Tragische Ouvertüre, op.81
1962.10.12, 11.9, 11.12, Kingsway Hall, London

Sinfonie Nr.3 F-Dur, op.90
1962.10.12, 11.9, 11.12, Kingsway Hall, London

Sinfonie Nr.4 e-moll, op.98
1968.4.23, 7.12

EMI

2007年03月26日

ジュリーニ/ヴェルディ/レクイエム

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やはりジュリーニはイタリア人であった。
怒りの日を振る時の目を剥いた恐ろしい形相。芝居掛かったなんてものではない、没入しているのだ。最初の振り下ろしはまさに鉄槌を下すかのようだ。一転してサンクトゥスでは喜ばしい表情。指揮振りも顔も表情豊かである。

流れ出る音楽は芝居やハッタリではなく、ヴェルディの意志を今によみがえらさんとする、隅から隅まで真摯の一言に尽きる峻厳な音楽である。
「オペラチックだ」などと言われることの多いこの曲が、メロドラマ的表情を全く見せることなく、まさに鎮魂曲として、嘆きの音楽として演奏されている。
フィルハーモニアがジュリーニとともに演奏するヴェルディのレクイエムの毎年の公演は、この時代のロンドンの人々の宝であったようだ。こんな演奏が毎年聴けたとはうらやましい限りである。
レコード芸術・別冊「演奏者別クラシック・レコード・ブックVol.1 指揮者編」(1987年10月30日発行)のジュリーニの項で、三浦淳史氏がこういうエピソードを紹介している。
「当時第2ヴァイオリンの首席奏者だったジュリアン・イーストウッド女史は、ジュリーニのヴェルディ/レクイエムの晩のことを、いまだに忘れがたく思っている。『拍手喝采はいつまでも鳴りやまず、半時間以上も続きました。わたくしは一晩中眠れませんでした。<怒りの日>の、あのトランペットを想い出すと、今でも総毛立つ思いがします。』」

独唱陣は、みんな素晴らしく、特にリリカルな声と表情のシャーンドル・コーンヤが印象的だ。

フィルハーモニアの演奏では、金管の重厚な響きが独特だ。クレンペラーの治世であり、世界で最もドイツ的な音楽を鳴らしていた時代のフィルハーモニア。
全体の編成は、弦が16-14-12-10-8、管はホルンのみアシが付き、3-2-2-4-5-4-3-1とバンダ(見えず)、打楽器が2。特別大きいわけではないが、すさまじい音響で鳴っているのが分かる。最初から最後まで気合十分である。
合唱も統制の取れた素晴らしいアンサンブルである。

もう1曲入った「聖歌四篇」も見事に手の内に入った演奏。合唱の美しさは絶品だし、オケも「慣れた曲」として、無用な緊張なく素晴らしい音を出している。

なお、モノラル、モノクロであるが、全く気にならない。音楽は十全に聴ける。

ちなみに、市内の書店で買った国内盤なんだが、2500円は安いと思う。CDはもっと安いかもしれないが、この映像は宝物だ。


Carlo Maria Giulini

Giuseppe Verdi

Messa da Requiem
soprano: Ilva Ligabue
mezzo-soprano: Grace Bumbry
tenor: Sandor Konya
bass: Raffaele Arie

Philharmonia Chorus
Philharmonia Orchestra

1964.4.26, Royal Festival Hall, London

Quattro pezzi sacri

New Philharmonia Chorus
New Philharmonia Orchestra

1968.3.3, Fairfield Hall, Croydon

EMI/BBC

2006年10月05日

ジュリーニのブルックナー/天上の音楽

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最近出たジュリーニ/シュトゥットガルト放送交響楽団のブルックナーの9番。
ああ、あのジュリーニだ。

第1楽章第1主題では、あのソニークラシカル時代特有の「気迫が希薄」な感じがしていたが、第2主題ではグラモフォン時代の濃厚な歌が戻っている。というかジュリーニも歌いまくっている。
いやはや、この録音に存在意義があるのかなあなんて思いながら聴き始めたのだが、ジュリーニ様に失礼してしまいました。
第3主題も、あのスタジオ録音的(ゲネプロ的?)グラモフォン録音より起伏が激しい。

展開部。テュッティはもうすっかり音がまとまっている。マジックにかかっている。
でも木管は下手だなあ。弦も音程が怪しい。弦だけ上手くて、木管はまあまあ、金管はだめというのはよくあるが、これは逆か。

再現部。ますます表現が濃いというか、激しいというか。オケ興奮気味。
第3主題もストレートに「嘆き」を突きつけてくる。でも何に対する嘆き?

コーダ。なんだかまた散漫になってきた。3連符がまじめに刻みすぎて流れの邪魔したり、見得を切るところが弱かったり。

第2楽章。第1主題はださださ。テンポ変わるし。張り切りすぎだし。第2主題。木管はなぜか調子よくなっている。第1主題の2回目もこんなに張り切って大丈夫か。
トリオ。全然問題はない。ないが、あのこの世のものとは思われぬ、無重力の音楽ではない。がんばりすぎ?
ダカーポした主部。そこまでやるか。アンサンブルを建て直し、巨大な音量で迫る。でもこれスケルツォ?

第3楽章。第1主題冒頭。弦が鳴らない。音が飛ばない。第1主題主部。かっこいい。かっこいいんだが、天上の音楽じゃないよな。ちょい濁り気味。
第2主題。これはいい。第1主題が戻る手前まで、万全。2回目の第1主題(冒頭とそっくりのヤツ)、これもいい。第1主題の変奏。素晴らしい!その主部。ああもうメンバー全員昇天気味。第2主題はもう天上の音楽。
本当はこの次の第1主題の第2変奏が、本当の天上への道の最終段階。ここもいい。この後のL。神が降臨したみたいなところ。本当に神が姿を現した。オケのプレイヤーも神懸かりの演奏。最初とはもうメンツが違うみたい。たぶんもう「自分じゃない」みたいな感じで演奏しているんだろう。
3連符と8連符が重なるところ。危なげなし。3連符のパートがいい仕事している。最後の審判みたいなところ。観客ももう全員昇天している。この世の音楽ではない。最後のクラスターがちょっとしょぼくて残念。コーダ前、第1主題第3変奏というかコーダ前のブリッジ。もう天からちゃんとお迎えが来てくれてます。
コーダ。完璧。シュトゥットガルト放送交響楽団の最良の姿。最後のチューバのコラールも完璧。つかの間の静寂。拍手は静かになってから。

脱帽。満足。

ところで、写真は84年録音の8番と並べているのだが、スーツの柄がほとんど同じ。8番の方はずっとダークグリーンの地だと思っていたが、グレーなのか。10年同じスーツを着ているというわけではないかもしれないが。こんなかっこいいスーツが似合うようになりたいものだ。

Carlo Maria Giulini
Radio-Siofonieorchester Stuttgart Des SWR

Anton Bruckner
Symphonie Nr.9 d-moll

1996.9.20, Stuttgarter Liederhalle

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