2008年06月09日

ヘレヴェッヘのモーツァルト

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たくましいおっさんのモーツァルトだった。

我が教祖、フィリップ・ヘレヴェッヘ先生とロイヤル・フランダース・フィルが来日していて、大阪のザ・シンフォニーホールで公演を行った。

ちなみに、ヘレヴェッヘ先生とロイヤル・フランダースは鳥取に来てブルックナーの交響曲第9番の4楽章つき完成版を演奏している。そのときの演奏は今でも覚えていて、オケはかなりレベルが低いながらもヘレヴェッヘ先生の音楽作りについていって、素晴らしい演奏であった。が、いかんせんAクラスの下といったレベル。
ところが、さきごろBS-2で放送されたベートーヴェン・ツィクルスでは相当腕前を上げてきている。そのあたりも気になっていたところだった。

プログラムはオール・モーツァルト。
歌劇「イドメネオ」序曲K.366
ピアノ協奏曲第20番ニ短調k.466
ソリスト:リーズ・ドゥ・ラ・サール
<休憩>
交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

私の座った席はRC-1という、指揮者の真横。券売のお嬢さんにも「真横ですよ」と言われたが、それが目的なのだ。

弦の編成はVnIが10、VnIIも10、Vaが8、Vcが6、Kbが5。管は、ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンを使っている。ティンパニは木のマレットと牛革のヘッド。
ロイヤル・フランダース・フィルはもちろんモダン・オーケストラだが、ヘレヴェッヘ先生の薫陶で、ピリオドアプローチを完璧にこなす。つまり、粘る弓を使わない。弓圧でなく、弓の毛の量、弓のスピード(個々の音でも、一弓の中でも)で表情を作る。

さて、1曲目のイドメネオからオケは100%の充実した音を出す。やはりうまいオケになっている。
ピアノ・コンチェルトは、リーズ嬢はまさに天才少女。まだハタチ。モーツァルトでも「なんでもないよ」といった風に的確な音を並べる。音楽の表情付けを細かいダイナミクスで表現できている。私の席のせいか、フォルテピアノのような粒立ちの音で、素晴らしい演奏だった。アンコールにラフマニノフの10の前奏曲op.23から第7番ハ短調、と後で分かったが聴いたことがなくて、なんかぴあそらのリベルタンゴを超超光速で弾いてるみたいだなあなんて思ってしまった。

後半の交響曲は、リピートは最小限。3楽章が普通どおりダ・カーポしたときのリピートはなしであとはあり、他の楽章では1楽章の提示部のみ。ジュピターでは1楽章もなし。だから、シンフォニーもあっという間に終わる、というわけではない。
オケ全体の縦の線をそろえることよりも、個々のパッセージの表情付けを明快にし、パッセージの関係を明確にしている。それぞれのパッセージはファースト・ヴァイオリンなら10人が10人完璧にアーティキュレーションが一致している。全てのパッセージにきちんとしたアーティキュレーションが施され、それによって音楽が「語る」。モダン・スタイルの画一化・平均化された表情付けではなかなか出てこない音楽の立体感が立ち上り、それによって、40番では「対立」を、41番では「歓喜」を見事に表現していた。
41番の最後の二重フーガなんて、ヴィオラの弾き始めからもうすごい緊張感であった。
さすがに客席は満場一致の大喝采。拍手が鳴り止まず、3楽章と、さらに4楽章の再現部以降がアンコールされた。
なんというか、大人が本気になればすごい音が出せるんだぞ、と言っているような、ピリオド・アプローチのままゴリゴリとした凄まじい、たくましいおっさんのような音がしていた。奏者の女性比率は高いのに、音はおっさん。これを聴いてしまったら、やわなモーツァルトは物足りなくなりそうだ。

ところで、客から終演時間を聴かれてホールのにいちゃんが「4時15分ごろを予定しています」と言っていて、そんなに早く終わるもんか、と思い、リピートが少ないのを聴いて、もっと早く終わりそうだな、なんて思っていたら、アンコールやらカーテンコールやらで、終わったのはぴたり4時15分。シンフォニーホールは神か?

写真の1枚目は、今日も国道9号で大阪まで行ったんだが、京都府福知山市の野花というところにある、ちょっと変わった看板。標識ではないと思う。絵を見ると「橋が狭いんで、大型トラックが並んで通るとすれ違えんよ」と火花出しながら物語っているが、まさにそう。めちゃめちゃ狭い橋があるのである。なぜ建替えないんだろう。

2枚目は、何の変哲もない距離計だが、オドメーターとトリップメーターとで、1から9までの数字がちょうど1回ずつ現れている。前に乗っていたパジェロミニでも、これが実現できた(のを観察できた)のは1回だけ。いつも距離計を見ていれば気が付くかもしれないが、それは危ないし、そもそもめったに並ばない。

というわけで、充実した大阪行きであった。

2007年10月30日

ヘレヴェッヘ・レトロパースペクティヴ

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我が教祖様、フィリップ・ヘレヴェッヘが自ら編んだ、1981年から2007年の録音のコンピレーションと、さらに古い活動の映像や同僚たちのインタビューを収めたDVDである。
レトロスペクティヴとパースペクティヴを掛けた造語でこのコンピレーションを表現したのもまたふさわしい。

ヒーリング系コンピレーション並みに癒される(いや、聴いたことはないんですけどね)、耳のご馳走(と言うかデザート)のような、優しい音楽たちである。
収録曲はざっと以下のとおり。

1枚目 "Early music"
バッハのマタイ受難曲から、カンタータから、ラッスス、モンテヴェルディ、シャイン、ジル、パーセル
2枚目 "Modern times"
グラン・パルティータ、ミサ・ソレムニス、エリア、真夏の夜の夢、ドイツ・レクイエム、ライン、夏の夜、ロマンティック、こどもの不思議な角笛、月に憑かれたピエロ、ベルリン・レクイエム、フォーレのレクイエム

すでに全曲盤を持っている曲が半分以上であるが、こうして並べて聴いてみると、美味しいところだけ聴く贅沢さがある。

さて、やはり注目すべきはDVDにおけるヘレヴェッヘのリハーサル風景だろう。最も感銘を受けたのが、バッハのカンタータのリハーサルでの歌手たちへの指摘。
「あなた方は、ドラマが80%、アーティキュレーションが20%で歌っている。アーティキュレーションが80%、ドラマが20%で歌うべきだ」
バッハの音楽は、すでにアーティキュレーションで全てが言い尽くされているのであり、それ以上のことはすべきでないということだろう。ベートーヴェンの第九のリハーサルが相当長く収録されているが、ここでもやはりアーティキュレーションが重視されている。

以前読んだレコード芸術でのインタビューの中で、「ブルックナーを指揮するに当たって他の指揮者の録音をあれこれ聴いてみたが、どれも楽譜どおり演奏していない。もっと楽譜にあるとおりに演奏すべきじゃないのか」というようなことを言っていた。
彼の関心は常に楽譜のありのままの姿をありのままに提示することなのだ。
ラベル:ヘレヴェッヘ

2007年06月22日

鬱の音楽

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久々に鬱である。3年ぶりくらいか。元来躁鬱が激しいのだが、しばらく躁状態であった。

鬱の時期に、鬱々と聴く音楽と言えば、やはり独身の星、ブラームスであろう。
ブルックナーもまた独身の星ではあるが、私にとって彼の音楽は日常でありすぎる。

ブラームスの中でもとっておきの鬱音楽、ドイツ・レクイエムを聴く。
演奏はフィリップ・ヘレヴェッヘの指揮のもの。彼の指揮で聴くこの曲は、あまりにも優しすぎ、慰められてしまい、鬱々とし切れないのが残念だ。

本当ならば鬱勃たるテンシュテットの演奏を聴くべきだったかも。ただ、あれは演奏時間が長いので、寝る時間が短くなってしまう。

鬱と言っても、風呂に入ってさっぱりしてビールを飲んだら半分くらい解消するようなものだから、たいしたものではないんだけどね。

そうそう、ドイツ・レクイエムは、ブラームスが今の私と同じ35歳のときの作品である。35歳にしてこの哀しみの音楽を書いてしまうのはさすがブラームスだ。これよりあとの音楽はほとんど達観の境地かも。


Johannes Brahms
Ein deutsches Requiem op.45

Christiane Oelze, soprano
Gerald Finley, baryton

La Chapelle Royale
Collegium Vocale
Orchestre des Champs Elysées

Philippe Herreweghe

1996.6.8-9, Auditorium Igor Stravinski de Montreux

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